過保護の二人
その日の放課後。宣言通り、長谷部がわざわざ教室まで迎えにやってきた。優花と長谷部は「付き合っている」のだから、別に不思議なことはないはずだが、クラスの空気がざわめきたった。
「あの先輩が迎えに来るって、俺たちが知る中では無かったことなんだよ」
と、長谷部と同じ中学出身だった河井が言った。
「それだけ、橘さんが大事にされてるってことだね」
どう言葉を返せばいいのかわからず、優花はあいまいに頷いて目を伏せた。
「私、絶対お邪魔だよねえ」
横に並ぶ百合が独り言のように言う。
「お邪魔じゃないってば」
むしろ、今の長谷部と二人きりは気まずいので、一緒にいてほしいと思っている。
(竜に申し訳が立たないって……そんなこと言われて、どうしたらいいのよ)
後ろめたさに拍車がかかって、優花は一人勝手に決まり悪い思いをしているのだった。
「ありがとうね、花崎さん。教えてくれて」
教室出入り口に二人が着いたとき、長谷部はまず百合に感謝を述べた。
「お役に立って良かったです」
にこぉっと笑って百合が応じる。その笑顔が不自然すぎて、表情とは裏腹な感情を感じ取る。
「百合、まだ怒ってる?」
思わずそう訊くと。
「うん、ちょっとね。すぐ言ってくれたらよかったのにって」
ゴミ捨てから帰ったあと、長谷部とのやり取りを百合に伝えたところ。
「優花とずっと一緒にいるから、何だかおかしいなってわかるんだよ。だから、いい加減その秘密主義はやめてね」
と、ひとしきり怒られてしまった。相談できなかったのは優花の落ち度であるし、もしも逆の立場だったら百合と同じことを言うだろうと思ったので、素直に反省の態度を示したはずだったが。
「さっき謝ったじゃないの……」
「謝ったからってすぐに怒りがおさまるわけじゃないの。これからは、変なところで奥ゆかしくならないでね」
はい……、と、優花が神妙に返事をしたところで、長谷部がおかしそうに笑った。
教室から靴箱まで、優花と百合は横並びに、その後ろに長谷部がついてくる形で歩いた。背中に気配を感じながら歩くのは、少々居心地が悪かった。
「なんだか、護衛の騎士みたいだね」
百合がひそひそと、でも浮かれ調子で優花に耳打ちした。その言葉に同意しつつ、こっそり微笑んだ。表現が、百合らしいと思ったのだ。
靴箱に到着して、一瞬開けるのをためらった。また、何か入っていたらどうしよう。
それは、百合も同じだったようで、ちょっと緊張した面持ちをしていた。
(でも、開けないと帰れない)
思い切って、開ける。
優花の靴がある。――それだけだった。
「よかったあ」
百合が大げさにため息をついた。でも、優花は安心していなかった。靴の中に、何もないか確かめる。中学生の時、上履きの中にあった画鋲に履く寸前で気づいて、誰にも何も言わず、そばにあった掲示板にその画鋲を刺しておいた、という経験があった。
(何もない。大丈夫)
一応靴を傾けてみたりしたが、特に何も無かった。思わず胸をなで下ろす。
(そこまで幼稚なことはしないか。高校生にもなって)
優花は後ろに控えていた長谷部を振り返った。
「ほら、大丈夫ですよ」
優花が笑って見せたけど、長谷部は腕を組んで「油断大敵」と返した。
校門までも同じように、優花と百合の後ろに長谷部が着いて歩いていった。隣の百合も、後ろの長谷部も、どこか緊張感をはらんでいて、優花の居心地悪さは否応にも増していく。
「学校内だけじゃないよ、危ないのは」
校門を出たところで百合が大真面目に言う。さすがにげんなりし始めたが、二人の心配も理解できていたので、その気持ちは胸の底に押し込めた。
(心配しすぎだよ……とは、言っちゃいけないね)
緊張感を保ったまま、百合と帰り道が別れるところまで来た。
「何かあったら、絶対連絡してね。約束だよ」
百合はにらむように優花を見つめて言った。優花は「わかってるよ」と、何度も何度も頷いた。
「明日は球技大会だよね」
長谷部と二人の帰り道になると、普段通りに穏やかな会話が始まった。窮屈な空気感から解放されて、優花は密かに息を吐いた。
「そうですね」
と返事をしつつ、実はその予定はのことは頭から消えていた。朝からいろいろあって、明日のことを思う余裕はなかったのだ。
「一年生の球技大会の種目は何なの?」
「バスケットボールです」
「そっか。ドッジボールもいいけど、バスケもいいね」
明日の球技大会に、三年生は出ない。受験勉強が大詰めのこの時期に、球技大会をやる暇があるのなら勉強したほうがいい。いや、むしろ勉強しなさい、という先生たちの意向が反映されているのだ。
三年生がいないため、開催方法が前回と変わる。まずは、学年を混ぜない。一年生は一年生で、二年生は二年生でクラス対抗戦を行う。一年生はバスケットボールを行うが、二年生は卓球をやるらしい。
「体育以外でやったことないから、足引っ張ると思うんですけどね……」
そもそも、球技全般ができない。とにかくボールから逃げていればよかったドッジボールに比べ、バスケットボールはパス回しなどで声をかけたりドリブル中に周りをよく見たりと、やることが多い。
「バスケの場合、初心者はどこのチームにもいるから、変に気負わない方がいいよ。むしろ、前のドッジボールより楽なんじゃないかな」
長谷部の言うとおり、楽な部分もあった。
バスケットボールはクラスで2チームを作る。一つは男子チーム、もう一つは女子チーム。それぞれ二十名程度の大きなチームだ。バスケットボールは男女混合での試合が難しいので、分けるのが恒例だという。8クラスをAリーグとBリーグに分けて、リーグ戦を行う。リーグ戦だけで三試合あるので、チームを更に三等分する。それぞれに、バスケ経験者や得意な人が入るように学級委員が工夫し、試合中に交代したりして、全員が一度は試合に参加するようにするという。
経験者たちは出場しっぱなしになるだろうが、優花のような初心者は、交代で一回ちょっと出て、あとはずっと見学していればいいのだ。その一瞬の出場で済むのであれば、非常に楽である。AとBのリーグで優勝したチームが決勝戦を行うが、その決勝も経験者でおこなうことになるだろうから、優花が出ることはまずない。
「明日は応援がんばります」
「それでいいと思うよ」
にっこりと長谷部が微笑む。
「でも、この間のドッジボールの時みたいに、無理しちゃダメだからね」
前回の決勝トーナメントの日、優花は足の痛みを隠し、変な意地を張って試合に出続け、しまいには歩けなくなり……。
「でも、もしも怪我したら俺がまた運んであげるね」
いたずらっぽく長谷部がウインクした。公衆の面前でお姫様抱っこされた瞬間の恥ずかしさが、再び体中を熱くした。
「三年生は試合に来ないじゃないですかっ」
真っ赤になって抗議をすると、長谷部はおかしそうに笑った。
「確かに、試合は出ないけど応援に顔を出すよ。息抜きをかねて」
一、二年生が球技大会をしている間、三年生は自習という名の授業をしているらしい。よほど勉強していなければ先生が注意するが、適度な息抜きと見なされれば、合間に球技大会を見に行くのは問題ないという。生徒のことを信用しているのか、単に放任主義なのか、判断が難しいところだ。
「私、きっと試合にほとんど出ないので、怪我のしようもないですよ」
と言いながら、前回の怪我は試合中ではなく、コート外で足を引っかけられて転んだことが原因だったことを思い返す。
(見学中になにか仕掛けてくるとか……ないよね?)
背筋が一瞬震えた。今日の出来事のせいで、何もないと言い切れる自信がなかった。長谷部が見ていないところで、もしかしたら何か起こってしまうかもしれない。
「怪我がないのが一番だけどね。いろいろ心配だから、できるだけ様子を見に行くよ」
優花の心配事と同じことを考えているのか、長谷部は真剣な表情になった。
「何かあったら、必ず相談するんだよ」
念を押すように、必ず、と長谷部はもう一度最後に付け加えた。
百合も長谷部も、必要以上に過保護になっていると思った。しかし、そうさせたのは自分だ。何も言わなかったから、しつこいほどに心配してくるのだ。これ以上、隠し事をする方が余計な心配をかけてしまう。
「何かあれば、ちゃんと言います」
優花のその言葉に、長谷部は大きく頷いた。