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橘家の夕食卓

 優花はいつものように夕食の支度を始めた。その間、長谷部の相手をするのは佳代だった。本当は数馬が話そうとしていたのだけれど、佳代に「今のうちにお風呂入ってくれないとあとが詰まっちゃうでしょ」と言われ、渋々それに従うことになったのだ。

「愛実は?」

「寝てる。今日は私が一緒に入るから大丈夫」

 わかった、と言って、数馬は足早に出て行った。

「……入る?」

 そこで、長谷部が首をかしげたので、佳代が説明した。

「お風呂のことよ。愛実が起きてるタイミングによっては、数馬がお風呂担当になるの。割合で言ったら、数馬の方が多いかもしれない」

「イクメン、てやつですね」

 んー、としばらく佳代は考えてから、ちょっと真剣な表情になった。

「世間一般ではそう言うんでしょうけど、数馬はその言葉を嫌がるから言わないでね。ほら、優花ちゃんも育ててるから。子どもに対して何もしない方がおかしいって思ってるのよ」

(育てるって)

 数馬と二人きりになってしまった頃、優花はもう小学四年生だった。お世話になったと思うが、育てられたかと言われると違う気もする。

 しかし、それを今突っ込んでも仕方ないので、優花は黙って聞き流した。

 そのまま、佳代は数馬について話し始めた。長谷部に、どのように話せば数馬に気に入られるかと言うことをレクチャーするつもりらしい。

(お姉ちゃん、張り切りすぎだってば)

 優花は小さくため息をついたが、佳代を止めようとは思わない。下手に会話に入ってしまえば、佳代の誘導尋問に引っかかって言わなくてもいいことを言ってしまいそうだった。優花は淡々と夕食の支度を進めていく。

 鶏肉はすでに味が付いている状態なので、焼くだけである。あとは、味噌汁の具材を切ったり、作り置きしている副菜をお皿に整えたりするのだが。

(副菜は小鉢がいいかなあ)

 普段は一つのお皿に出し、全員で思い思いにつつくのだが、さすがにお客さん相手にそれはいかがなものかと考える。

(五個もあったかな)

 肉を焼いている間に、食器棚を探る。形や色は別々だけれど、人数分は確保できた。手早く小鉢を洗って、水気を切っておく。

「手際いいでしょ、優花ちゃん」

 急に自分の名前が出てきて、顔を上げた。気づけば、カウンターキッチンの向こうから佳代と長谷部がこちらをじっと見ていたのだ。

「そんな、見て面白いものじゃないよ」

 気恥ずかしくなって、優花は慌てて視線をフライパンの鶏肉へ移した。

 しばらく二人の視線を感じて居心地が悪かったが、やがて佳代は再び話し始めた。

「数馬はものすごく心配性なのよ。妹のことになると特にね」

「愛実のこともだよ、お姉ちゃん」

 間髪入れずに優花は付け加えた。「そうねえ」と言いながら、佳代はしみじみとした表情になった。

「でも、愛実は赤ん坊だから、心配するにしても体調とかそういうことが中心よね。今の数馬は自立していく妹のことのほうが心配なの」

「自立してた方がいいじゃない」

「優花ちゃんが兄離れしていくのが寂しいのよ」

 数馬が直接言ったわけじゃないけどね、と人差し指を口元に持ってきて佳代が意味深に笑った。

(確かに、昔ほどお兄ちゃんお兄ちゃんって言わなくなったけどさ)

 高校生にもなって、兄にべったりしているのはいかがなものかと思う。それに、兄は結婚して子どももいる身なのだから、その辺りの優先順位を間違えてはいけないし、わきまえなければいけないのだ。

「仲が良くていいと思いますよ」

 長谷部がさりげなく会話に入ってきた。

「俺も妹いるけど、仲良くないので……いいなと思います」

「妹さんは何歳なの?」

「優花さんと同い年です」

「なるほどねえ。年が近いと仲良くないこともあるわよね。特に中高生くらいだとよくある話よ」

 佳代の解釈に、長谷部は曖昧に笑って見せた。そういうことにしておいた方が、面倒がなくて済むので優花も何も言わない。

(長谷部さんの話、先輩にしないままだな)

 新菜と二人で会って話をしたことを、長谷部には報告していなかった。内容が内容なので、どう言えばいいのかわからなかったというのもあるが、新菜がそれを望んでいなさそうな気がしていた。新菜が自分で兄に話した様子も見られなかったので、話さなくて正解なのだろうと思ったのだった。

「俺は仲が良いぞ」

 そこに、着替えた竜がやってきた。竜は長谷部の横に座ると、ニッと白い歯を見せて笑った。

「君にも妹がいるのか」

「いるよ」

 そう言うなり、竜はなぜか得意そうな表情を見せた。

「今、五年生なんだ。かわいいんだぞ。でもわけあって、一緒にはいられないけどな」

 妹自慢をするのかと思いきや、最後にさらりと他人が聞いたら戸惑うような発言を入れた。

「……まあ、ここに居候している時点で、わけありだろうとは思ってた」

 長谷部は平坦な口調でそれに応えた。

 そんな二人の様子を見て、佳代がうなる。

「私は、竜と長谷部くんが知り合いだったことが驚きなんだけど。どこで知り合ったの?」

 竜と長谷部が顔を見合わせる。それから優花の方をチラリと見た。

(いや、私のほう見ないでよ)

 二人が出会ったときのことを忘れたわけではない。しかし、優花が長谷部にカラオケから無理矢理連れ出されそうになっていた時、竜が迎えに来て助けてくれたのだ、とは言えないではないか。

「優花を学校に迎えに行ったときだよ」

 一瞬、竜が長谷部と優花に目配せしたように見えた。話を合わせろ、とでもいうことだろうか。

「そういえば、一学期に優花ちゃんを迎えに行ってた時期があったわね。数馬の過保護が発動して」

 そうそう、と竜が念を押すように大きく首を上下に振った。佳代は苦笑いをしながら優花を見た。

「本音を言えば、今でも迎えに行かせたいみたいなのよ。この頃はすぐに暗くなるから」

「ええー? そうなの?」

 思わず優花は会話に入った。自分のことが絡むとさすがに黙っていられなかった。もう高校生になって半年以上経つのだから、いい加減やめてほしい。

 佳代はため息をつくと、今度は竜を見た。

「でも、彼女持ちの竜に迎えに行かせるのもどうなのかって悩んで、結局頼まなかったのよ。私も、その過保護はもうやめなさいよって言ったしね」

 そこで、リビングの扉が開く音がした。そちらを見れば、風呂上がりの数馬が仏頂面で入ってくるところだった。

「俺の悪口言ってるのか」

 濡れた髪の毛のまま、ずかずかと三人がそろっている方へ向かう、が。

「ドライヤーくらいしてきてよ」

 佳代が立ち上がって、座ろうとする数馬を制止する。

「放っておけば乾くからいいんだよ」

「そういう問題じゃないでしょ。風邪引いたら困るじゃない」

 佳代が数馬の背中を強引に押したところで、今度は愛実の泣き声が聞こえた。どうやら起きてしまったらしい。佳代は数馬の背からぱっと手を離すと、愛実のいる部屋の方へ駆けていってしまった。

「……お兄ちゃん、乾かしてきた方がいいよ。風邪が愛実にうつったらどうするの?」

 おそらく佳代が次に言うだろう言葉を優花は言った。それは数馬にも伝わったのだろう。渋々「わかったよ」とぶつくさ言いながら、またリビングを出て行った。

 佳代と数馬がいなくなって、一瞬だけ部屋がしんと静まりかえる。

 何を話したらいいのかわからないので、優花は料理に専念することに決めた。そうでないと、自分の中の間が持たない。

「さっきはどうして嘘を言ったんだ?」

 沈黙を破ったのは長谷部だった。

「どうしてって、あの二人の心証を悪くしない方がいいだろう?」

 何でもないことのように竜が答える。

「あのときのことはもう終わったことだし、今は状況が違う。それに、半分は本当のことだし、それでいいだろ」

 長谷部は納得したようなそうではないような、複雑な表情を見せた。

 優花も複雑な気分だったが、わざわざ本当のことを言って変に追及されるよりはマシだと思った。

「でも、まさかここにあんたが来ることになるなんて、思わなかったよ。成り行きとはいえ、あのときから考えたらものすごい進歩じゃないか」

 いかにも愉快だと言わんばかり、竜は長谷部の肩をバシバシたたいた。

「馴れ馴れしいな」

 やめろといった感じで長谷部が竜の手をはねのけた。しかし、竜がそれにめげた様子はなかった。

「いいじゃないか。つまり、俺はあんたのこと応援してるってことだ」

 その言葉に、優花はフライ返しを持つ手を思わず止めた。

(応援っていうのは、私と先輩がうまくいくようにってことだよね)

 心の動揺を無理矢理押さえ込み、優花は鶏肉の焼け具合を確認した。いい感じだったので、カチッとコンロの火を消し、次の肉を焼くための準備を始める。

(竜が、それを言うのか)

 胸の奥がぎゅうっと締め付けられる思いがしたが、呼吸を整えて我慢した。料理に感情が出てしまいそうな気がした。

「君の応援なんか要らないよ」

 素っ気ない様子で長谷部が応える。

「俺は、俺にできることをするだけだ」

 その応えに竜はただ「ふうん」と応えた。奇妙な緊張感が走る。なぜか優花が身構えていると。

「優花。あとどれくらいでできる?」

 明るい調子で竜が訊ねてきた。さっきの緊張感と今の竜の調子がかみ合わなくて、優花は一瞬呆気にとられた。

「えっと……あと、二、三十分くらい?」

 竜の質問は料理のことだと解釈して応えた。すると、竜は立ち上がりながら言った。

「なら、今のうち風呂に入ってくる」

 じゃ、という感じで長谷部に軽く手をあげると、竜はリビングから出て行った。沈黙がやってくる。肉の焼ける音だけが、いやに大きく響いていた。

「気にしなくて大丈夫だよ」

 長谷部は唐突にそう言った。意味がわからなくて優花が小さく首をかしげると。

「さっき彼が言ったこと。応援してるって」

 優花が微妙にその言葉に反応したのを、長谷部はめざとく気づいたらしい。しかし、気にしなくてもいいとは一体どういう意味だろうか。更に優花が考え込んでいると、長谷部は愉快そうに軽く笑った。

「そのままの意味だよ。あんまり気にしちゃダメだからね」

 長谷部はそれ以上の言葉を続けてくれなかった。優花はしばらく長谷部の表情を探ってみたけれど、微笑むばかりで答えが見つからない。諦めて、料理に専念することに決めた。

 そこから特に会話もないまま、料理の音だけが部屋に響いた。その音に集中しながら、優花は居心地悪さを感じている。

(じっと見られてると、やりづらい)

 長谷部は料理をする優花の一挙一動をじっと見ていた。観察、と言う雰囲気だ。確かに、話をしないのであれば、優花の行動を見るほかすることはない。しかし、ここまでじっと見られるのもおかしな気分だった。

「そんなに見て、面白いですか?」

 思わず声をかけると、長谷部は気まずそうに笑った。

「ごめんね。流れるように作業しているから、つい感心して見とれてた。ホントに無駄なく動くね」

「まあ、毎日やってることなので」

 直球で褒められて、少し照れた。優花にとっては意識しない部分だったので、そこを感心されるとびっくりしてしまう。

「そろそろ料理終わる?」

「はい。これが焼き上がれば、あとは盛り付けだけです」

「それなら、テーブルに並べるくらい、手伝うよ」

 言いながら立ち上がる長谷部を、優花は慌てて止めようとした。

「いや、大丈夫ですよ。お客さんにそんなこと」

「いいからいいから。何かやらせてよ、ごちそうになるし」

 そう言いながら長谷部が優花の横に並んでしまったので、仕方なく手伝ってもらうことにした。

 盛り付けた皿を、長谷部がリビングのテーブルに運ぶ。いつも食事をしているダイニングテーブルには椅子が四つしかないので全員が座ることができないのだ。橘家では四人より多く家族がいたことがないので、椅子の予備もなかった。

 優花が盛り付けて、長谷部が運ぶ。その流れが一通り終わったところで、竜がリビングに入ってきた。そのあとに数馬、そして愛実を抱っこした佳代が続く。

「長谷部くんだっけ? 君はこっち」

 やや乱暴な言い方で数馬が長谷部を自分の隣に呼ぶ。長谷部はおそるおそるといった様子でその招きに応じた。

(お兄ちゃん、変なこと言わないといいなあ)

 そんな心配をしながら優花は最後のお皿を運ぶ。気づけば、優花の座る場所は長谷部の隣しかなかった。

 橘兄妹で長谷部を挟む形で座る。長谷部の向こうで、数馬がどこか不機嫌そうな表情をしていて、その隣では佳代がすこぶる楽しそうに微笑んでいる。これはこれで居心地が悪いなと思う。

「とりあえず食べましょ」

 佳代の言葉を合図に、優花たちは手を合わせ「いただきます」と声をそろえた。遅れて、長谷部が小さな声で「いただきます」と言った。

 優花たちが食べ始めたのを見てから、長谷部は箸を動かした。優花はその一挙一動を見つめていた。成り行きで手料理を振る舞うことになったのだが、口に合うのかどうか不安だったのだ。

 長谷部が、とりの照り焼きを一口かじる。

「おいしい」

 思わず、といった感じで長谷部の口から言葉がもれた。

「おいしいよ、橘さん」

 長谷部は優花の方を振り向き、子どものような笑顔を見せた。その視線がまぶしくて、優花はぱっと目をそらしてしまった。

「お口に合って、よかったです」

 優花はそれだけ言葉を返して、ご飯を頬張った。口の中にご飯を入れておけば、それだけせ話す必要がなくなるからだ。

「だろ? 優花は何を作っても美味いんだよ」

 得意げな顔をして竜が言う。

(なんで竜が自慢するの)

 と突っ込みたかったが、まだ口の中はご飯でいっぱいなので何も言えずにいると。

「なんでお前が自慢してるんだ」

 数馬が代弁するようにそう言った。すると、竜はニッと笑って見せてこう言った。

「数馬さんじゃ言いにくいだろうことを代わりに言ったんですよ」

 竜の言葉に、佳代がくすくすと笑った。

「言ったら、兄バカになるものね」

 数馬は小さくうなっただけで言い返さなかった。

 食事中も、長谷部の話し相手は佳代だった。兄がいろいろ質問攻めにするのかと思ったが、佳代が先手を打っていろいろ聞き出しているせいで、口を挟めないようだった。

(お姉ちゃんの質問攻めもこわいんだけど)

 佳代の巧みな話術で、知らず知らずのうちに洗いざらい話してしまうことが多い身としては、長谷部がうっかりいろいろ言わないだろうかと心配だった。

 しかしながら、長谷部はぼろを出すことなく、そつなく受け答えをしていた。時々数馬が会話に入ってきても、落ち着いて応対している。ともすれば、長谷部が数馬たちと同い年なのではないかと錯覚する。

(もとが大人っぽいんだろうなあ)

 長谷部はその辺の男子高校生よりも大人なのだ。生まれた環境がそうさせているのかもしれないが……。

 いつしか食卓の会話は、長谷部のことから橘家の普段の会話へ変わっていった。今日は何があった、愛実がどんな感じだった、といった、一緒にいない短くも長い間の出来事を、誰が何ともなしに話す。ギクシャクする前の、普段通りの橘家の風景がそこにあった。

(よかった。普通の空気だ)

 長谷部がいることで更に違った空気になるのではないかと不安だったけれど、今日は優花の落ち着く空気感がそこにあった。

 ふと隣を見れば、長谷部が微笑みながら橘家の会話を聞いていた。

「楽しいですか?」

 思わず口に出した優花の質問に、長谷部は一瞬はっとした表情を見せてから、照れくさそうに笑った。

「そうだね。たくさん人がいる食事は、やっぱりいいよね」

「……そうですね」

 優花は微笑み返した。「やっぱりいいよね」の一言の中に、長谷部の心の隙間を感じ取った。でも、その隙間を少しでも埋めることができたのなら、今日の成り行きも悪くはなかったのではないかと思えた。



 数馬が長谷部とちゃんと話すことができたのは、結局食事が終わってからだった。とは言っても、あらかた佳代が聞き出していたので、今は無難に学校の話だったり、受験の話だったりする。

 佳代が愛実とお風呂に行き、竜は食器洗いをしている。そして、優花は兄と長谷部のためのお茶を煎れていた。

「まだ帰らなくて、うちの人が心配しないか?」

 兄の質問に、長谷部は首を横に振る。

「うちはみんな帰るのがバラバラなので、遅くても気にしないです」

「そうか……」

 長谷部の言葉から何かを感じ取ったのか、数馬はそれ以上長谷部の家のことについては訊かなかった。

「それにしても、優花が仲良くできるとはなあ」

 優花がお茶の入ったマグカップをコトリと置いたタイミングで、数馬はしみじみとした口調で言った。

「なにそれ」

 数馬の隣に座りながら優花は言う。

「百合ちゃんと仲良くできるのはわかるんだよ。だけど」

 と、数馬は長谷部の方をちらりと見て、

「言っては何だが、彼みたいなタイプは優花が一番苦手そうだろう?」

 ずばりと言った。

「それは失礼だよ、お兄ちゃん」

「わかってる。わかってるんだが、すごく不思議で」

「ええ? 先輩は、悪い人じゃないよ?」

「それもわかる。むしろ、俺が高三の時より大人だと思う」

「私、子どもっぽい人の方が苦手だよ?」

「違う違う。そういう中身の話をしてるんじゃないんだ。ぱっと見の、第一印象でさ」

 その言葉に優花は「あ」と口に手を当てる。確かに、長谷部の第一印象は良くなかったのだ。というより、ぱっと見の印象で優花は確かに「苦手だ」と判断していたのだ。

「ほらな」

 優花の反応を見て、数馬は納得した表情でうなずいた。

「そのあたりは、ぼくの努力のたまものだと思っていただいた方がいいかなと」

 長谷部は涼しい顔をして言った。

「確かに、最初は避けられていましたから」

 それについては否定できないので、優花は黙った。そんなことより、長谷部が一人称に「ぼく」を使ったことに驚いた。普段は「俺」なのに。

(使い分けているんだ)

 男の人にはいろいろな一人称がある。俺、ぼく、私。それらを使いこなすのは、働いている大人だけかと思っていた。二歳しか違わない長谷部がさりげなくそれらを使っていることが、軽い衝撃だった。

「そういう努力をしてくれるやつが、いてくれてよかったな」

 優花に向かって、ぽつりと数馬が言った。え?と優花は目を瞬いた。

「高校に行けと言ったものの、優花がちゃんと高校生活を送れるかは不安だったんだ。誰とも仲良くならないまま三年間を過ごすのは、辛いから」

「お兄ちゃん……」

 数馬は優しく微笑んで、優花の頭をぽんぽんと撫でた。小さい子どもにするような撫で方に、優花は胸がきゅうっと締め付けられた。孤立していた中学生の頃を知っている兄が、どれだけ心配していたかを知らない優花ではないのだ。

「いい友だちがいて、いい先輩もいてよかったな」

 兄のその言葉に、優花は満面の笑みで「うん」と応えた。

 数馬は満足そうにうなずいたが、すぐに真面目な顔になって。

「しかしだな、彼には多少の下心があるようだから、そのへんは気をつけるように」

 と、念を押すように言った。

「お兄ちゃん、それは余計だよ」

「優花はそういうの鈍そうだからなあ」

「お兄ちゃんに言われたくない」

 優花はむうっと口をとがらせながら言い返す。数馬はそれに慣れたもので、淡々と聴いて、時に反撃する。

 そんな兄妹の応酬の途中、ふと長谷部を見ると、彼はにこにことしながら様子を見ていた。

「……どうしたんですか?」

「いや、妹なんだなあって思って」

「そりゃ、そうですけど?」

 長谷部の言葉の意図するところがわからず、優花は首をかしげた。それがおかしかったのか、長谷部は更に笑みを深めて言った。

「お兄さんと話しているときは幼い感じがするね。小学生みたいだ」

「小学生って……」

 優花が思わず長谷部をにらむと、ちょうど洗い物を終えた竜が声を上げて笑った。

「確かに、優花は『妹』って感じだよな」

「どういうことよ」

 今度は竜をにらみつけて鋭く訊いた。

「何て言うか、ちょっと危なっかしいから、ちゃんと見ていてやらないといけないなーっていう感じ?」

 すると、竜の言葉に呼応するように数馬が大きく何度もうなずいたので、今度は兄をにらむ優花。

「そんな子どもじゃないもん」

 そう言ってふくれる優花を見ながら、数馬はあやすように諭した。

「だから、そういうところだぞ」

「知らないっ」

 ぷいっと優花は顔を背けた。

 やれやれ、とため息をつく数馬。困った笑顔を浮かべる長谷部。そして、なぜか切なさそうな笑顔をしている竜。

 微妙な空気になっているところに佳代が愛実を連れてやってきて、「なにごと?」と戸惑うのは、あと十秒後のことである。

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