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優等生との帰り道

 二学期のいくつものイベントが終わって、学校の中がようやく日常になってきた。文化祭が終わったあとの十一月はこれといった大きなイベントはない。十二月の初めに期末考査があって、その後球技大会があって、終業式があるのみ。今は、テストまでのちょっとした平凡期間だ。朝起きて、登校して、午前の授業を受けて、お昼は百合と食べて、午後の授業が終わったら優花は家に帰って夕飯の支度をする。特別変わったことはない、以前と同じような日々。でも、所々に小さな変化はあった。

「あ、圭輔からだ」

 何てことないお昼休み。お弁当の横に置かれたスマホが鳴って、百合が圭輔からのメッセージに目を通す。そして短く何か返信する。

「なんだって? 圭輔」

「今日は急にバイトが入っちゃったから、忙しいんだって。だから、了解って返した」

「そっか」

 昨日の残り物のおかずを食べながら、優花は頷く。

 変化の一つは、百合と圭輔の間でスマホでのやりとりが頻繁になったことだ。以前は、用がなければメッセージのやりとりすらしなかった二人だった。二人の家は近いから、約束しなくても家の近所で偶然会うことが度々あり、わざわざスマホでやりとりしなければならないほど会えていないというわけでもなかった。でも、今はお互いでスケジュールの把握をしているという。全然違う生活リズムの二人だから、いざ会おうと思って会えることが少ない。偶然会える日に会うというだけでは話をするのもなかなか難しい。だからこそ、会えるときは会うようにしようということになったそうだ。

(これで、まだ付き合ってないって言うんだから不思議なんだけどね)

 とはいっても、進展はしているのだと思う。優花はまだまだ気長に見守るつもりである。

 すると今度は、優花のスマホがメッセージを受信した。

(……竜だ)

 いやな感じがしつつ、優花はメッセージを読む。


 今日は夕飯いらないよ。


 それだけ書いてある。またか、と思いながら「了解」と短く返事した。

「また、竜?」

 おそるおそる百合が尋ねてきたので、優花は気負いなく頷いた。

「そ。またあの子と会うんじゃないかな」

「そっか……」

 百合が悲しそうに眉毛を下げた。

「そんな顔しないでよ。私は、案外平気」

 ホントに? と言いたそうな感じで百合は首をかしげたけれど、声には出さなかった。

 それに、案外平気なのは間違いなかった。

 麗と付き合うことにした、ということを、文化祭の翌日に聞いた。竜の口調は極めて事務的で、何の感情も込められていなかったせいなのか、優花は思った以上の衝撃を受けなかった。

(ある程度予想していたというか)

 付き合ってみなければお互いのことがわからないだろう、と以前言っていた竜のことだ。きっかけがあれば付き合うことにしてしまうのだろうと思っていたのだ。

 そして優花の予想通り、麗の方からもう一度付き合おうと言われたからそうした、と竜は言った。それが淡々とした様子だったということもあって、余計にショックが少なかったのだ。

「そうだ。早めにテスト勉強始めよう。やっぱり、一学期より難しくなってるから。特に数学」

 百合が話題をそらした。これ以上、竜の話題を引っ張るようなことはしないのだ。

「そうだね。でも、勉強会大丈夫? また圭輔が怒らない?」

「優花がいれば大丈夫だよ」

 そもそも、百合と圭輔が今のようになったきっかけは、中間考査の時の勉強会だった。勉強会に女子が百合だけという状態にならなければ特に問題ないらしい。

「百合も大変だね。圭輔、嫉妬深いんだから」

「嫉妬深いと言うより、心配性なんだよ。昔から」

 この場合、どちらも同義のような気がしたが、あえて口は挟むまいと思った。

「圭輔ともね、休みの日にたまに勉強することにしたの。お互い全然違う課題をしてるし、しゃべりもしないんだけど、それはそれで集中できるからいいよ」

「そっかあ。じゃ、今度こそ百合がクラス一位かな」

 茶化すように言ったけれど、百合は真面目な顔をしてうなった。

「どうかなあ。長谷部さんには勝てる気がしないよ」

 二人はこそっと長谷部新菜のいる方を振り返る。新菜はクラスの中で一番大きい女子のグループ内にはいたけれど、これといって話もせず、黙々とサンドウィッチのランチセット(けっこう値段の良さそうなセットだなと優花は勝手に思っている)を食べている。今、グループのリーダー格である遠野夏葉から話題を振られて、一言二言そつなく応えていたけれど、また黙って食べ始める。

(一応、あのグループにはいるけど、所属しているって感じではないんだよね)

 学級委員で成績学年トップの新菜がいることは、そのグループにとって箔がつくことでもある。新菜はあのグループに誘われたという理由だけでそこにいるのだろうと思った。積極的に仲良くなろうとしているようには見えないのだ。

「文化祭の準備のときも、指示出しだけしてほとんど毎日塾に行ってたし。すごいいっぱい勉強してるんだろうなって思う」

 百合は新菜から視線を外すと、ひそひそと話した。

「もう大学受験を見据えてるんだろうね。きっと、レベルの高いところに行くつもりなんだよ」

 ふと、長谷部のことを思う。長谷部は、親の言うとおりの大学を受験する。それ以外の選択肢を与えられていない。妹の新菜もそうなのだろうか。新菜は本来、この高校に来るはずがなかったのだと長谷部は言っていた。


『俺なんかこの世にいなければいいのにって、思ってる』


 新菜は自分のことをそう思っていると、長谷部は言った。それは言い過ぎなのではないかと今でも思うけれど、否定する材料はない。どう見たって長谷部と新菜は仲が良くは見えないし、お互いを避けているようにも見える。

(言い過ぎだと思うのは、私がお兄ちゃんと仲がいいからなんだろうな。家族でそう思うなんて、考えられない)

 もう一度、新菜をチラリと見た。おしゃべりに夢中な女子たちの横で、変わらず黙々と食事をしている。

(ホントに、先輩のことそう思ってるのかな)

 そう思ったところで、答えを聞くことなんてできないし、もし聞いたところで、優花にはどうしようもできないことなのだった。



 それから数日経ったある日の放課後のことだった。

「橘さん」

 校門を出たところで呼び止めた人物を見て、優花はびっくりした。

「長谷部、さん?」

 数日前、百合との話題に出ていた長谷部新菜だった。新菜は眼鏡の端をついっと持ち上げると、優花と向き合った。

「ちょっとだけ、時間あるかしら?」

「え……」

 優花は思わず隣にいた百合と顔を見合わせた。百合も明らかに戸惑っている。

(確かに、今日は先輩は塾に行っちゃったし、百合も圭輔と会うから、時間があるといえばあるけれど)

 意図がわからなくて、返事に困っていると。

「大丈夫。とって食うわけじゃないんだから」

「とって食う……」

 その言葉が新菜に似つかわしくなくて、思わず繰り返してしまった。よくよく新菜を観察してみると、少しイライラしている感じで、早いところ用を済ませたいといった雰囲気だった。

「ちょっとだけなら、いいよ」

 百合が心配そうに見つめていたけれど、新菜が「ちょっと」というならそうなのだろうと思ったので、優花は頷いた。

 百合とは校門前でわかれて、新菜について行くことになった。

「駅の近くまで行きたいんだけど、家から離れちゃうかしら」

「別に、大丈夫。自転車だし」

「悪いわね。私も、早めに帰らなくちゃいけないから、できるだけ駅の近くの方がありがたいの」

 そう言って、新菜はスタスタと歩き出した。目的地まで話す気がないのか、ただひたすら歩くことに集中している。優花は自転車を転がしながら新菜の背中を追いかけた。

 新菜が足を止めたのは、一件のファストフード店だった。

(長谷部さんもこういうところで食べたりするのかな)

 自転車を停めながら考える。ハンバーガーにかぶりつく新菜を想像できない。

「何飲む? ここは私が払うから」

 財布を出しながら新菜が言うので、慌てて首を振った。

「自分の分くらい自分で払うよ」

「ダメよ。私が誘ったんだから。飲み物代くらい払わなきゃ」

 あまりにきっぱりとした態度だったので、遠慮する方がかえって申し訳ないと思えた。優花は仕方なく「じゃあ、紅茶で……」と応えた。

 新菜も同じものを頼んで、二階の席に向かった。窓際のカウンター席に並んで座る。

(なんか、変な感じだな)

 考えてみれば、新菜とちゃんと話したことはほとんどない。新菜が学級委員として事務的な連絡をしてきた以外では、遠野夏葉をはじめとする女子たちに糾弾されていたときに助けてもらったときぐらいしかない。

(いや。あれも、話したとは言いがたい)

 熱い紅茶をすすりながら、心の中でつぶやく。

「さて、早速本題なんだけどね」

 優花が一息ついたのを見計らって、新菜が切り込んできた。

「夏葉が、確認して来いって言うのよ。本当に橘さんがうちの兄と付き合っているのかどうかって」

 その質問にびっくりしすぎて、持っていた紅茶のカップを倒しそうになった。

(ええ? 長谷部さんが、遠野さんの使いっ走りみたいなことしてるの?)

 思わず、しげしげと新菜の顔を見てしまった。優花の驚きを感じ取ったのだろうか。うんざりするような表情で新菜はため息をついた。

「最初は、断ったんだけどね。でも、すごくしつこいのよ。新菜なら本当のこと聞き出せるだろうからって。人選は間違っていないと思うけれど、いい迷惑よ。ホント、女子同士の付き合いって面倒なものね」

 そこまで早口で言い切った新菜を、優花はぽかんと見つめてしまった。

(なんか、全然印象が違う……)

 何をどう表現すれば良いのかわからないが、普段教室で見せている新菜と今の新菜は違う。どちらが本当の姿なのだろうかと考えてしまう。

「どうしたの?」

 優花が何も応えないので、新菜が眉をひそめながら首をかしげた。

「あ、ごめん……。なんか、びっくりしちゃって」

「びっくりって?」

「いや、その。いつもと雰囲気違うから」

 素直に思ったままを口にした。すると、合点がいったように新菜が頷く。

「そりゃ、そうでしょうね。教室では優等生の仮面をかぶっているから。あの子たちに素を見せようとは思ってないの」

 あの子たちというのは、夏葉たちのことらしい。それにしても、教室では優等生のキャラを演じているとはっきり言ってくるとは。ますますびっくりしてしまう。

「私ならいいの……?」

「大丈夫よ。だってあなた、花崎さん以外に女友達いないじゃない。伝わるとしても、そこだけでしょ?」

 どストライクな指摘に、言葉が出ない。確かに新菜の言うとおりだ。しかし、言い方ってものがあるじゃないかと優花は心の中で思う。

「ま、兄と付き合っているかどうかは、私のうちにも関わることだから、この際はっきりしておこうかと思ったのよね。だから、夏葉の話にのることにしたの」

「私のうちって……長谷部さんのうちのこと?」

 おそるおそる聞き返すと、新菜はあっさりうなずいた。

「うち、いろいろと複雑なの。兄から聞いてる?」

「少し、聞いてるけど……」

「なら、そこは説明しなくてもいいわね。で、本当のところはどうなのかしら」

 どの程度聞いているのかということは確認しないつもりらしい。新菜は、ただ知りたい情報を拾い出す質問だけをした。

(ここは『付き合っている』と答えるのがいいのだろうか)

 厳密に言えば、付き合っている「フリ」だ。でも、優花は時々わからなくなるときがある。広い意味でとらえるなら、これもまた「付き合っている」ではないだろうかと思うのだ。朝の登校時や放課後に一緒にいることも多いし、スマホのメッセージのやりとりも頻繁だ。

「……付き合ってるよ」 

 優花は心の中で疑問符を打ちながらも、そう答えた。とりあえず、学校内では「付き合っている」で通そうと思った。でも、この答えは果たして正解なのだろうかと同時に考える。新菜は、自分のうちに関わることだから、と言った。学校内だけのことであればこれでいいけれど、長谷部家にとっての正解はわからない。

「それくらいなら、先輩に……お兄さんに聞けばいいんじゃないの?」

「あなた、うちの事情わかってるんでしょ? 家で兄と話なんかしないわ」

 つん、とすました表情で、新菜は紅茶を一口飲んだ。

「あっちは、私のこと邪魔くさいと思ってるでしょうね。まあ、お互い様だけど」

「……じゃあ、お兄さんのこと、嫌いなの?」

 優花の質問に、新菜は一瞬だけ眉をピクリと動かした。

「そういう発想にもならないわね」

「好きでも嫌いでもないってこと?」

「どう解釈してくれてもかまわないけど、普通の兄妹の尺度では測れないものよ」

 確かに、そうなのかもしれないと優花は思う。母親が違うというだけでなく、新菜にとって兄はあとから突然現れた存在なのだ。自分たち兄妹とは感覚が違うのもうなずける。

「付き合ってるっていうのは、長谷部さんにとっては都合がいいの? 悪いの?」

「……あなた、さっきから質問ばかりね」

 少しばかり苛立った様子で新菜がにらんできた。しかし、ここで臆するわけにいかない。優花も負けじと見つめ返した。

「だって……先輩にとって、どう答えるのが正解なのかわからないから」

 新菜はわずかに瞳を揺らした。その意味はわからなかったけれど、かまわず続けた。

「長谷部さんにとって、長谷部さんの家にとって、どうであるのがいいの? 付き合っていない方が都合がいいの?」

 面食らったような表情で、新菜は優花を見つめていた。

 やや間が空いてから、新菜が鋭く尋ねてきた。

「その言い方だと、付き合っていない方が私にとって都合がいいなら、『付き合っていない』という答えでかまわないというように聞こえるけど、それでいいの? 夏葉たちにそう伝えても」

「いいよ。それで」

 優花はきっぱりと言い切った。

 それが長谷部にとっていいことならば、それでいいと思った。確かに、夏葉たちに伝わると面倒になることは間違いないけれど、それは自分の問題だ。それはそのとき考えればいい。

 新菜はしばらく優花の表情を見つめたあと、ふうっと一息吐いた。そして束の間考え込んだあと、お茶を一口飲んでこう言った。

「では、私の家には『付き合っていない』と言って、夏葉たちには『付き合っている』と言う。これでどうかしら」

「え?」

 優花は新菜の予想外の返答に目を丸くした。

「そんなので、いいの?」

「いいのよ、そんなので。兄が卒業するまでは、そういうことにしておいてあげる」

 新菜はまたお茶を飲む。今度は一気に残りを飲み干した。

「あなたも、そのほうがいいでしょ?」

「そう、かもしれないけれど……」

 優花が言いよどんでいる間に、新菜はさっさと上着を着て帰り支度を始めている。

「これで私も、うちと夏葉の両方に義理立てしたことになるからいいの。面倒なことはこれでおしまい」

 新菜はトレイを持って立ち上がると、ゴミ箱の方へ向かおうとする。が、ふと思い立ったように足を止めて振り返った。

「私、編入試験を受けるの」

 一瞬、何のことを言っているのかわからなくて、優花はきょとんとする。

(編入試験……ほかの高校に行くってこと?)

「兄が卒業すると同時に、私もあの高校からいなくなる予定」

 なんと言葉を返したら良いのかわからなくて、優花は新菜の表情を探った。何となく、すっきりしたような雰囲気だった。

「私も解放されるの。余計なことから」

 新菜は優花からふいっと視線をそらした。

「兄があなたに惹かれた理由が、少しわかった」

 優花の返答を待つことなく、新菜はさっさと紅茶のカップを捨てて出て行ってしまった。


(私が先輩と付き合っているとか、そうではないとか、長谷部さんにとってはどっちでもいいことなんだな)

 優花は紅茶の残りを飲み干しながら思った。新菜は、ただ周りの思惑に振り回される立場なのだろう。きっと、この行動を起こしたところに自分の意思はなかったのだ。

(私も、解放される……か)

 長谷部が今の高校に入って束の間の自由を手に入れたように、新菜もまた、編入試験を受けることで兄に縛られない道をつかもうとしているのかもしれない。だから、あんなに勉強しているのだと、不意に納得した。

 優花も紅茶のカップを片付けて、店の外に出た。ふとスマホを見ると、百合から何件かのメッセージが入っていた。せっかく圭輔と一緒にいるのに、その意識は優花の方にしか行っていない様子がメッセージから伝わってきた。

(心配してくれてるんだろうけど、圭輔がちょっとかわいそう)

 ふっと優花は小さく笑って、百合に電話をかけた。

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