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文化祭2日目~後夜祭の花火と煙

 それぞれのクラスの片付けに戻るため、いったん長谷部とは分かれた。クラスに戻ると、すでに百合が来ていて、ゴミをまとめているところだった。優花はすぐにその横に並んで一緒に片付けを始めた。

「先輩に話せたの……?」

 片付けをしながら、百合がおそるおそる尋ねてくる。優花は首を横に振った。

「後夜祭が終わるまで待ってって、言われた」

 それを聞くと、百合は眉をハの字に下げてため息をついた。

「先輩、わかってるのかな」

「たぶん……」

「そっかあ。でも、確かに……わかるよね、きっと」

 いろいろ態度に出すぎていたのは、思い返せばよくわかる。優花も知らず知らずのうちにため息が出た。

「百合は、大丈夫だった?」

 結果として百合と圭輔を二人だけにしてしまったのが、気にかかっていた。でも、百合は笑顔で頷いた。

「大丈夫。今までと何も変わらなかった。というか、圭輔が言ってくれたの。今まで通りでいいからって。変に考えすぎるのも、よくないって」

「そっか」

 自然体でいられるのであれば、この二人は問題なさそうだと思えた。

 片付けを一通り終えたとき、スマホにメッセージが入っているのに気づいた。それが竜からだったので、一瞬ドキリとする。


『今日は遅くなるから、夕飯いらないよ』


 一言、それだけが書かれていた。

(あの、麗って子と一緒にいるのかな)

 ざわっといやな音を立てて胸の奥が揺れた。ゆっくりと深呼吸をして、多少落ち着けたところで、返信した。


『後夜祭に行くから、私も遅くなる。お姉ちゃんに連絡しておいて』


 送信ボタンを押してから、もう一度大きく息を吸って、長く吐き出した。

(夕飯を作るのはいつも私だから、私に連絡してきたんだろうけど)

 胸の奥のざわざわを無理矢理押さえつけているところに、また返事があった。


『了解』


 その二文字から竜の感情は読み取れない。もやもやしたけれど、返せる言葉はなかった。

 本当は、いろいろ聞きたいことがあった。

 今、何をしているの? どこにいるの? 誰といるの? 何であのとき、無視したの?

 それをここでメッセージにしても、返事があってもなくても、辛くなるだけのような気がした。

 送信したての画面をながめていたら、またメッセージが入った。今度は長谷部だった。


『こっちは終わったから、体育館前で待ってるよ』


 優花は『こちらも終わりました。もうすぐ行きます』とメッセージを送信した。

(覚悟、決めなきゃ)

 スマホをぎゅっと握りしめ、窓の外を見た。もうすぐ日の入りの時間だった。暗くなりかけた空に、小さく星が瞬いて見えた。



 すでに体育館の中はたくさんの生徒であふれていた。でも、半分ほどの生徒は制服ではない。舞台衣装なのだろう。派手な色だったり、露出の多い服を着ていたり、ウィッグを着けている生徒もいる。文化祭初日のお行儀の良い舞台発表の時とは違って、BGMにポップスが大音量で流れていて、興奮して大声を上げている生徒が多かった。

「花崎さんは帰ったんだ?」

 そう問う長谷部の声も心なしか大きくなる。そうしないと聞こえないのだ。

「帰りました」

 優花も少し声を張り上げて答える。

「圭輔とはうまくいったって?」

「以前と変わらない感じだったらしいです」

「あはは。進展なしか」

 面白そうに長谷部が笑った。

(そういえば、さっき、先輩は圭輔と何を話したんだろう)

 優花が百合と校舎裏で話していたときのことを話題にしていなかった。でも、それを話すには、優花も何をしていたのか、どうしたのかを話さなければフェアではないように思えた。

「前のほう行く?」

 そう提案されたけれど、優花は首を横に振った。

(ちょっと、この人の中に入っていける気がしない)

 もともと、人混みが苦手なのだ。その上、この喧噪だ。耳の中と言うよりも、頭の中全体に音が響いていて、優花はすでに疲れ始めている。

「ならよかった。俺も後ろの方がいい」

 それが本心かどうかはわからなかったけれど、その言葉に甘えることにした。長谷部が前の方に行きたいと言えば合わせようとは思ったけれど、正直この状況に耐えられる自信はなかった。

 しばらくすると、体育館の照明が暗くなる。全体の空気が浮き足立つのを感じた、その瞬間に、ステージにぱっと照明が点く。

 わああっという歓声に、ステージ上の女子二人が手を振った。本日のMCを務める……と言う言葉がかすかに聞こえた。

 最初の演目はバンド演奏だった。自己紹介をしていたけれど、軽音部なのか、それ以外でバンドを組んでいるメンバーなのか、よくわからなかった。流れ出した曲は流行曲のコピーだったので、優花でも知っている曲だ。のりやすい音楽に体育館全体が沸き立つ。

 いくつかアップテンポの曲が演奏されて、次はダンス、次はラップと忙しくステージが変化していく。会場の盛り上がりは上がる一方で、落ち着くことを知らない。

(なんか……やばい。目眩がしてきたかも)

 大音量の音楽と、生徒たちの歓声と、チカチカする照明。自分の視界がクラクラするのは照明のせいかと思っていた。でもだんだん、自分の足下がおぼつかなくなってきているのを自覚した。今は舞台を見るよりも、その場に立っていることに全力を注いでしまっている。

「橘さん?」

 長谷部の声が聞こえて、ビクッと体が震えた。立つことに集中しすぎて、隣にいる長谷部のことすら意識に上らなくなっていたらしい。

「外出ようか?」

 大丈夫、と言おうとしたけれど、体が勝手に頷いた。

 そのまま、長谷部に支えられる形で体育館の外に出る。ドアを閉めると、途端に喧噪が緩やかになった。急に冷気が体中に入り込んできて、一気に頭が冴えてくる。思わず、はあっと大きく息を吐いた。そこで、自分が息をあまりしていなかったことに気づいた。

「ごめんね。ああいうところ、苦手だった?」

 気遣わしげに長谷部が問いかけてきた。

「もともと、人混みは苦手なんですけど、ああいう感じの場所に入ったことなかったから」

 落ち着いてきたおかげか、すんなり受け答えすることができた。

 人混みだけでなく、光や音のうるさい場所が苦手かどうかまで知らなかったのだ。人混みならば街中に多くあるけれども。

「ライブハウスとか、ダメそうだね」

「……たぶん」

 ライブハウスはドラマの中でしかイメージがないけれど、まさしく、人が密集していて、光や音が特殊な場所だ。おそらく、優花には向いていない。

「ごめんなさい、見ていたいですよね。もう大丈夫だから、戻りましょう」

 ちょっと胆力はいるけれど、どんな感じの場所かはわかった。対処の仕方もきっとあるだろうと思った。でも。

「いいよ、無理しなくて。俺も、そんなに得意じゃない」

 長谷部は優しく笑って首を横に振った。

「でも……」

 もし優花に合わせてそう言っているのだとしたら、それは辛いことだった。長谷部の最後の後夜祭だというのに。

「いいんだよ。君とは、花火を一緒に見たかったんだ」

 長谷部はポケットからスマホを取り出して画面を見た。

「そろそろ、演目も終わる時間だよ。先に、花火がよく見える場所に移動しようか」

 長谷部が移動し始めたので、優花もそれに続いた。

 花火は校庭で上がる。お祭りで見るような大きなものではなくとも、それなりに本格的な花火なのだと長谷部が教えてくれた。小さなものだとしても、花火など打ち上げて近隣の住民から苦情でも来ないのだろうかとちょっと気になった。

「近所の人は慣れてるんじゃないかなあ。このあたり、昔から住んでる人が多いみたいだから」

 そんなものだろうかと思いながら着いた校庭には、すでにちらほら生徒の姿が見えた。花火の準備をする生徒だけでなく、優花たちのように先に花火の見える場所を取っておこうとする生徒もいるようだった。

 長谷部が連れてきてくれた場所は、校庭の端にある部室棟だった。部室棟は2階建てで、外に非常階段がついており、二人で非常階段の踊り場のところにやってきた。

「ここが一番邪魔されないし、人も多くないからいいよ」

 少し見下ろした位置にある校庭に、続々と生徒たちが集まってきた。後夜祭の興奮冷めやらぬ様子で、いつも以上に笑い声が高いし声も大きくなっている。

「いつもここで花火を見てたんですか?」

 特に含みもなく聞いたつもりだったが、長谷部が少し苦笑いをした。

「それは、今まで付き合ってた女の子とっていう意味で?」

「あー……、そうなっちゃいますね?」

「まあ、否定できないけど」

 諦めた様子で長谷部がため息をついた。

「でも、文化祭を一緒には回らなかったな。そのとき付き合ってた子とは花火だけ見て終わり。文化祭も後夜祭も、宮瀬とか応援部のやつらと一緒にいたから」

「それでよかったんですか?」

「そっちのほうがよかったんだよ。その時の子と一緒にいてもつまらないって思ってたし。花火だけ一緒に見たのは、あくまで一応付き合っているからっていう義理立てみたいなもので」

(結構ひどいことをさらっと言ってる……)

 それを優花の前で悪びれず言うのはいかがなものだろうか。別にそれで長谷部のことを嫌いにはならないけれども、印象は良くならないのに。

 そんなことを考えていると、長谷部がちょっと意地の悪い顔になって笑った。

「君に今更・・隠し立てしても仕方ないしね。全然気にしてないようだし」

(あ、昼間のこと根に持っているのかな)

 詩織との会話の中で、長谷部が付き合ってきた女の子たちのことを気にしていたことに対して「今更」と大笑いしてしまったことを。

「変えられないことを気にしてもしょうがないじゃないですか」

 優花は負けじと言い返した。そこで、校庭から花火がまもなく始まるアナウンスが聞こえてきた。係の生徒が白線をはみ出している生徒に注意しながら後ろに下がらせている。その後ろでは花火の用意をしている人たちがせわしなく動き回っていた。

「確かに、起きたことは変えられない。……でも」

 長谷部が急に真面目な表情になって優花を見つめた。不安に胸がざわめいた。

「君が気にしないのは、そういう理由じゃない」

 花火打ち上げのカウントダウンの声が聞こえる。「ゼロ」の合図とともに、ひゅううっと空気を突き抜ける音がして、光とともに音が弾けた。校庭から歓声が上がる。

「もしもこれが、居候の彼の話だったら、『今更』って言える?」

 また、光と音が近くで弾け飛ぶ。真剣な表情の長谷部を、光が明滅しながら照らしている。

 優花は、何も言えなかった。答えられなかった。そして数拍のあと、それが明確な答えになってしまったことに気づいた。

 長谷部がふっと微笑んだ。

「やっぱり、答えられないんだね」

「あの……」

「いいよ。もうわかったから」

 そこで、長谷部は花火の方を向いた。

「なんとなくだけど、君がどこを見ているのか、わかってたよ」

 花火の大きな音が止んだ。と思ったら、しゅわああと火花の流れる音がする。見れば、手持ち花火をひもにいくつもぶら下げて、そこに実行委員が点火しているところだった。手作りナイアガラの滝といったところだろうか。大したものではないけれど、暗闇の中で流れ落ちていく火花を見ていると、何とも言えぬ気持ちになってきた。

「先輩、私……」

 冷たい手すりをぎゅっと握りしめて、優花は声を絞り出した。

「私は、このまま、付き合ってるフリを続けることが、できないです。この気持ちのままだと、フリであっても、やっぱり……良くないと、思うから」

 ナイアガラの滝が終わると、今度は市販の打ち上げ花火が並び始めた。パチパチと音を立てながら光のしぶきがいくつも舞い上がる。

「君は案外、自分勝手だね」

 花火を見ながら、長谷部がぽつりと言った。

「自分の気持ちを通すために、こちらのことは考えていないんだね」

 その言葉の鋭さに、優花はうつむいた。

(先輩の言うとおりだと思う。結局、私の身勝手だ。自分のためにフリを始めたくせに、自分の気持ちに気づいた今、フリをやめたいなんて。私だけの都合に過ぎない)

 不意に目頭が熱くなる。けれど、ここで泣くのは卑怯だと思った。かといって、涙をこらえるには気力が必要で、言葉を発することができなくなってしまった。

 黙り込んでしまった優花の頭を、ぽんぽん、と長谷部が優しく撫でた。

「ごめん。今のは意地悪だったね」

 おそるおそる長谷部の表情をうかがった。長谷部は、今までの中で一番優しい顔で微笑んでいた。

「ちゃんと話してくれて、ありがとね」

「先輩……」

 長谷部はうなずくと、優花から手を離した。

「でも、フリはこのまま続けてたほうがいいよ。君にとってだけでなく、俺にとってもその方がいろいろ都合がいいから」

「先輩にとっても……?」

 優花が首をかしげたとき、最後の花火の打ち上げの準備をするので少々お待ちください、とアナウンスが入った。暗くなった校庭に生徒のざわめきだけが漂っている。

「君といるとね、余計な女の子たちが近づいてこないんだよ。それは俺にとって楽なんだ」

 それは真実かもしれない。いや、優花が気を病みすぎないように気を遣っているだけなのかもしれない。長谷部はそういう人だと、優花はすでに知っていた。だからこそ、心苦しくなる。

「だから、俺が卒業するまではこのままでいよう。俺は、そうしてくれるとありがたいし、嬉しいな」

(あくまで、主語は『俺』なんだ)

 その優しさが、胸の奥に響いて切なかった。また、泣きそうだと思った。

(でも、泣いてはいけない。今泣くのは、やっぱり卑怯)

 そう思ったとき、今までで一際大きな空気を切り裂く音が響き、束の間の静寂のあと、どんっ……と空気を大きく震わせる音が光とともに弾けた。

 パラパラと色とりどりの小さな火花がたくさん弾け飛びながら、夜の空を滑り落ちていく。校庭から大きな歓声が沸く。あとには、火薬の匂いと白い煙が残った。

「終わっちゃったね」

 ぽつりと長谷部がつぶやいた。

「今日一日、付き合ってくれてありがとね」

 優花は、今できる精一杯で微笑んで見せた。頬の筋肉が強張っていて、唇がゆがんだだけで、いい笑顔になれたとはとても思えないけれど。

(今の私ができることは、これしかない。先輩の優しさに応えるには、これしか)

 消えかけた白い煙の向こうに、星が瞬いている。瞬きするたびに光が揺れて、胸が苦しかった。

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