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文化祭2日目~後夜祭の前

 長谷部は何も聞いてこなかった。優花の目は少し腫れていたので、泣いていたことは明らかだったのに、ただ「おかえり」と言って微笑んだ。

 そのあとは、優花と長谷部、百合と圭輔に分かれた。四人で一緒に回るという選択肢もあったけれど、百合が「大丈夫だよ」と言ったので別行動することにしたのだった。それに、優花には長谷部と二人きりにならなければならない理由がある。長谷部に、話さなければならないことがあるのだ。

「あの、先輩」

 百合と圭輔の姿が見えなくなってすぐに、優花はお腹に力を込めて声を出した。

「その……お話が、あります」

 優花の表情を見つめる長谷部の目が、一瞬暗くなったような気がして、思わず息を止めた。でも、ここで臆してはいけない。ちゃんと、話さなければいけない。優花はもう一度息を吸い直した。

「あの、私」

「待った」

 優花が言葉を発するとほとんど同時に、長谷部が言葉を遮った。勢いを削がれてしまい、優花は戸惑った。

「今日は……」

 長谷部がつかの間を伏せて、ためらうように口を開いた。

「今日は、文化祭最後の日だから」

 そこまで言って、いつもの優しい笑顔になって優花を見た。

「後夜祭が終わるまで、待ってくれないかな、その話」

 優花は目を丸くして、思わず長谷部の表情をしげしげと見つめてしまった。

(先輩は、私が何を言おうとしているのか、わかっているのだろうか)

 そんな気がした。思い返せば、竜とすれ違ったあと、百合が来る直前に、長谷部は優花に何か聞きかけていた。その何かも、冷静になった今ならわかる気がした。

(文化祭……最後の日だから)

 長谷部が大事にしてきた高校生活を思った。長谷部の事情をいろいろ知ってしまっている今、彼が望むのであれば、今言わない方がいいのだと思った。いつか言わねばならない。でも、今ではない。

「……わかりました」

 優花は神妙にうなずいた。その様子に長谷部は複雑そうに笑ってみせるのだった。



 そのあとは、あまり深く考えないようにして文化祭を見て回った。まずは各部活の展示を見に行った。まず抱いた感想が、真面目に文化祭をやっているエリアだということだった。その中でも、高山が勢いよく勧めていた天文部のプラネタリウムは、前評判通りに素晴らしかった。プラネタリウムで映し出されていたのは「今日の星空」というタイトルで、今日の夕方六時頃、どの方角にどんな星座や惑星があるのかを天文部員が丁寧に説明してくれた。

「月の無い夜だから、今日みたいな天気の日はこんな感じの星空がよく見えると思いますよ」

 説明の最後はそう締めくくられた。

「た、橘さん。あとで詳しく感想聞かせてくださいね!」

 帰り際、高山に呼び止められたと思ったら、興奮した様子でそう言われた。優花は苦笑いしながらこくこくと頷き返した。

「彼、あんなキャラだったっけ?」

 天文部の展示から少し離れたところまで歩いてから、長谷部が言った。

「天文部のことになると、すごく熱弁してくれます」

「なるほど」

 美術部や写真部などの展示を見終わったあとは、クラスの出し物の方へ向かった。長谷部が立ち止まった教室の看板を見て、優花はあからさまに顔をしかめた。

「お化け屋敷、定番でしょ?」

 長谷部は楽しそうに笑いながら優花に問いかけた。

「入るんですか?」

「そうだよ」

「私、こういうところ苦手なんですが……」

「わかってるよ。前に映画に行ったとき、ホラーはやめてって言ってたもんね」

 わかっていてここに連れてきたのなら、長谷部は意地悪だ。優花は長谷部をじぃっとにらんだ。

「大丈夫だって。学校のお化け屋敷なんだから、そこまで本格的じゃないよ。……たぶんね」

 含みを持たせたように言ってから長谷部は優花の手をつかむと、本当に愉快そうに入っていった。優花は引きずられるような格好でお化け屋敷の中に足を踏み入れた。 

 中は、思った以上に暗かった。足下に懐中電灯らしき明かりがいくつか置いてあるだけで、前はほとんど見えない。かろうじて近くにいる長谷部の姿がわかる程度だ。

(学校のだから……生徒が作ったものだから、そんなたいしたことない。大丈夫)

 優花は心の中で自分に言い聞かせた。思わず、長谷部に握られていた方の手にぎゅっと力を入れてしまう。

「怖い?」

 長谷部が耳元でささやいてくる。ちょっと面白がっている空気を感じて、優花はむっとする。

「だ、大丈夫です」

 心と裏腹に、声は弱々しかった。

 クスッと長谷部は笑うと、前に向かって歩き出す。優花もぎこちなくその隣を歩こうとした。その瞬間。優花の横の壁からガタン!と大きな音が響き、白い塊が勢いよく飛び出してきた。

「……っ!」

 びっくりした優花は咄嗟に長谷部の腕にしがみついてしまった。

「大丈夫じゃないね、全然」

 長谷部ののんきな口調で気持ちを落ち着かせながら、出てきた白い塊をよく見たら、ただボールか何か丸いものに白い布がかかっているだけのものだった。特に怖いところは無いことがわかる。

「ちょ、ちょっとびっくりしただけです」

 優花は長谷部から離れて、ついでにつながれた手を離そうとしたけれど。

「怖いといけないから、このままでいようね」

 長谷部はしっかりとつかんでその手を離さなかった。

「いや、ほんとに、大……」

 大丈夫、と言おうとした側から、今度は反対の壁からひやりと冷たいものが出てきて優花の頬を撫でた。

「~~っっ……!」

 またしても優花は長谷部の腕にしがみついてしまった。咄嗟の行動とはいえ、これはいかがなものかと冷静な自分が考えている。

「これは……保冷剤か」

 長谷部の落ち着いた言葉でおそるおそる振り返ると、確かに溶けかかった保冷剤の袋がぶら下がっていた。

「まだ入り口付近なんだけど?」

「だって……」

 怖いものは怖いのだ。大したことない作り物だと頭ではわかっていても、この暗闇では要らぬ想像力が働いてしまうものだ。

「ま、ともかく先に進もう。このまま、しがみついてていいからね」

 楽しそうにしている長谷部に対して「結構です」とはっきり言いたかった。けれど、また一歩進んだ先で一つ目小僧が飛び出してきてしまったから、そうもいかなかくなってしまった。

(何でそんなにたくさんお化けとか仕掛けとか作ってるの?)

 結局、出口まで長谷部にくっついている羽目になった。



 狭い教室に作られたお化け屋敷だったというのに、優花には途方も無く長く感じられた。通路は狭く入り組んで作ってあり、しかも数歩進むごとに何かしらの仕掛けがあって、そのたびに優花は足を止めてしまったのだった。この狭い空間に、どれだけの労力をつぎ込んだろうか。来年は、絶対にお化け屋敷担当のクラスにはなりたくないと切に思った。

「君は、悲鳴が出せないタイプなんだね」

 お化け屋敷を出て、優花が気まずい気持ちで長谷部から離れたとき、長谷部がそう言った。

(竜も、おんなじようなこと言ったな……)

 遊園地でお化け屋敷に連れて行かれたときのことを思い出して、慌てて記憶を振り払った。今は、竜のことは考えないようにしたい。

「悲鳴出さない分、ホントに怖いんだってわかるね。やっぱり、キャーキャー騒ぐ女の子って、ホントのところは怖がってないんだって思うよ」

(何なのその分析。悲鳴上げて本気で怖がってる子もきっといるよ)

 突っ込みを入れたかったけれど、今は怖さで精神を削られて疲れ切っていた。代わりに、大きなため息が出てしまう。

「だいぶ疲れてるね。学食で休もうか」

「学食?」

 こんな日に開いているのだろうか。優花は首をかしげる。

「来年受験する生徒が文化祭に来るから、学食も体験できるようになってるんだよ。ついでに、屋台で買ったものを学食に持ち込んでもOKなんだ。知らなかった?」

 知らなかった。去年、優花も兄と文化祭に来たけれど、さっと見てすぐに帰ってしまったし、学食に行こうという発想もなかった。

「甘いものでもおごってあげるよ。行こうか」

 二人はもう一度屋台のある校庭に戻った。長谷部はクレープとコーラを一つずつ買うと、クレープを優花に差し出した。

「先輩は食べないんですか?」

 学食の方へ向かいながら聞いてみた。前の映画館デートの時も、優花がアイスクリームを食べただけで、長谷部はデザート類を食べていなかった。

「甘いものはそんなに食べないんだよ。チョコも苦い方がいいね」

「バレンタインとか、大変じゃないですか? たくさんもらうでしょう?」

「そうだね。それは否定しない」

 悪びれずに長谷部が頷く。

「だから、宮瀬とか応援部のやつらに分けて食べさせてた。あ、でも、全員にホワイトデーのお返しはちゃんとしてるからね」

「マメなんですね」

「一応ね」

 気負いせずそう返事する長谷部を見て考える。兄もたくさんもらってきていたけれど、そのほとんどを家族で分けて(主に優花が)食べてしまっていた。佳代いわく、兄は本命にしかお返しをしない主義だったようだが。

「お返しをちゃんとするのとしないの、どっちがたちの悪いものなんだろう……」

 思わず心の声が出てしまう。どういうこと? といった感じで長谷部が首をかしげたので、ありのまま説明した。すると。

「ああ、あのお兄さんか」

「あの?」

 今度は優花が首をかしげる番だった。長谷部と兄は会ったことが無いはずなのに。

「実はね、入学式の日に、君とお兄さんが一緒にいるのを見かけたんだよ」

 そこで、ちょうど学食に着いた。窓際にある席がちょうど空いていたのでそこに座ると、長谷部は懐かしむように話し始めた。

「その日は部活があって、俺も学校にいたんだよ」

 部活の合間に、何となく窓から外を見ていたら、ちょうど新入生たちがいろいろ終わって帰って行くときだった。真新しい制服に身を包んだ新入生や、その親が校門から外へ出ようとしている人の流れを見ているときだった。

「一人、若い男の人が立っているのに気づいんだ。周りはほとんど母親か、たまに父親が混ざっている感じなのに。親って言うより、俺に年が近い感じだよなと思って、何となく気になったんだ」

 確かに、保護者の中で兄はどうしても浮いてしまう存在だ。事情を知らない人の中には、無遠慮に兄を見てくる人もいたし、ひそひそと話している人もいた。それは慣れていたことだけれど、いい気分になれるはずもなかった。

「そこに君がやってきた。……兄妹なんだなって思った。似てたから」

「そんなに似てますか? あんまり言われたこと無いんですけど……」

「性別の違いのせいじゃないかな。俺には、似てるように思えたけどね」

 その話はとりあえず置いておいて。と長谷部は言って、続きを話し始めた。

「君とお兄さんが帰っていくのをぼーっと見てたら、近くにいる奴が言ったんだよ」


『あれ、橘優花じゃん。この学校に入ってきたんだ』


「君と同じ中学出身だって言ってた。それで、中学の時の話をしてくれたよ。俺、何も聞いてないのに」


『いけ好かないサッカー部の部長を冷たくあしらってくれたんだよ。俺たちモテない男子の中では密かに拍手喝采を贈ったんだ』


 それは、優花が中学で孤立する原因になった出来事だった。こんなところでそのときのことを思い出すことになるとは思わなかった。

「ついでにお前もフラれればいいんだって、そのとき言われた」

 その言葉に、優花はどう反応していいのかわからなくて、とりあえず目の前のクレープを小さくかじった。

「家庭の事情でお兄さんが保護者なんだって言うことも教えてくれた。そいつは、その事情については詳しく知らなかったみたいだけど」

 出身の小学校が違えば、知らない人も多いだろう。保護者の間では、噂になったりして伝わっていたかもしれないけれど。

「事情があるって言うのを聞いたせいかな。何となく気になったんだよね。俺も……家庭に事情のある身としては」

 優花の知らないところで、長谷部に認識されていたことを知って、何とも言えない気持ちになった。しかも、噂話のレベルで優花の情報が入っていたというのも複雑な思いがする。

「まあ、そのときはそれで終わったんだけど。……君が、強歩大会で同じグループだったから、実はびっくりしたんだ」

 優花にとって、長谷部との初対面の日だった。そのときの印象はすこぶる良くなかった。

「どうにか近づけないかなって思ってたんだけど、逆に警戒されちゃった」

 苦笑いしながら、長谷部が肩をすくめた。

「よく考えてみれば、誰かが俺に近づいてくることはあっても、自分から近づこうと思ったことが無かったんだよね」

 距離感の測り方がわからなかったと、長谷部は分析するように振り返る。

(確かに、私は先輩が最初怖かった。でも、そうでもないかもって、ちょっとずつ思った)

 だからこうして、今一緒にいることができる。

 いることができる、けれども。

 どういうわけか、『好き』という対象で見ることができなかった。

(いつからかわからないけど、竜のことが好きだったから……)

 もし、出会う順序が違っていたならば。と、優花は思う。

 順序が違ったならば、長谷部を好きになる未来もあったのだろうか。

(それも、ないかもしれない)

 たらればの話だから、考えても仕方がないことだけれど。出会う順序が違っても、やっぱり竜が好きだったのではないかと思うのだ。

 竜がいなかったら、高校生活の最初で百合に話しかけていないだろう。百合がいなかったら、そこから高校生活の輪が広がることもなかっただろう。ただ余裕なく、日々をやり過ごすだけで、長谷部と出会ったとしても、彼が本当はどういう人なのか知ろうとすることもしなかっただろう。

「あ、そろそろ片付けの時間が来ちゃうね」

 時計を見れば、文化祭の終わる時刻が迫っていた。

「ごめんね、俺一人で語っちゃった」

 優花は、ふるふると横に首を振った。

「聞けて、よかったと思います」

 その答えに、長谷部は何も言わず、ただ微笑んだ。

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