文化祭2日目~交錯の校庭
初対面だけれども、詩織がいてよかったと優花は思う。長谷部と二人きりになるのは、今の優花の心持ちとしては気まずかったのだ。
優花が後ろから二人について行くと、一つのテーブルに、長谷部と詩織が向かい合わせになって座った。どちらの隣に行くべきか迷っていると、詩織が「隣に来て」と言った感じで椅子をたたいた。長谷部も「いいよ」とうなずいたので、その通りにした。
まずは冷める前に焼きそばをいただくことにしたのだが。
「美味しい?」
まだ一口目も飲み込んでいないうちに、期待の眼差しで長谷部が尋ねてくる。それを見て、こらえきれないといった様子で詩織が手を口元に当てて笑っている。
「……美味しいです」
ちゃんと飲み込んでから答えた。長谷部は満足そうに大きくうなずいた。
(こういうの、かわいいって思っちゃうんだよなあ)
普段は大人っぽく見せている長谷部だけれど、時折見せる少年のような笑顔に思わずドキリとさせられる。
「宮瀬先輩の当番は、どれくらいで終わるんですか?」
「まあ、一時間くらいかな。昼時の一番忙しい時間だから、もしかしたらちょっと延びるかもしれないけど。あいつ、すぐ手伝いたがるから」
「さっきも段ボール運んでましたね」
「まあ、あいつらしいけど」
ちょっとだけ苦笑いして長谷部が言った。
すると、詩織がさらさらとスケッチブックに字を書き始めた。
『二人で話しててね。私は屋台の方を見てるから』
焼きそばの屋台を振り返れば、今度は宮瀬がエプロンとキャップ帽を身につけて焼きそばを焼いているところだった。焼いている最中だからか、声は出していない。けれど、本当に楽しそうにしているのが伝わってくる。詩織は、微笑みながらその様子を見守っていた。聞こえなくても伝わってくる宮瀬の空気が好きなのだろうと思った。
「居候の彼が来てるんじゃなかったっけ?」
不意に話を振られて、ぎくりとした。この時間には竜と圭輔が来るから、昼間は四人で回ると長谷部には言ってあった。長谷部とはそのあとでちょっとだけ文化祭を一緒に見て回り、片付けのあと、後夜祭にまた一緒に行く約束になっていたのだった。
「それが、竜の昔の知り合いにばったり会っちゃって……。その人と一緒に行っちゃいました」
本当は、優花が竜と麗を二人にして勝手に離れていっただけだけれど。でも、結果的に今頃は二人でいるのだと思う。そう思うと、胸がぎゅうっと締め付けられて、息苦しくなる。
「そっか。で、花崎さんと圭輔の邪魔にならないようにしたんだ」
長谷部はあまり追及してこなかったのでほっとした。
「いきなり二人きりじゃ、まずかったかもしれないんですけど」
「大丈夫じゃないかな。案外、そういう状況にしてあげたほうが、うまくいくかもしれないし」
これが結果的に功を奏すなら、自分の訳のわからない行動も無駄ではない。そう思いたかった。
「先輩は、この時間は詩織さんと一緒にいる予定だったんですか?」
「そうだよ。元々、宮瀬に頼まれてたから。でも、友人の彼女と二人でいるのもどうなんだって思ってたんだよね。だから、橘さんが来てくれて、かえってよかったよ」
少なくとも、長谷部にとって優花の行動は無駄ではなかった。それだけでも、ほっとする。
「当番が終わった時間に呼べって言ったんだけどさ、さっきも言ってたとおりだから。かといって、一人にしておくのも不安だったんだろうね。補聴器に気づかれると、あらぬトラブルにも巻き込まれることもあるらしいから」
どんなトラブルかは想像ができなかった。が、苦労することは多いのだろうと考えた。
宮瀬の方を向いていた詩織が、ぱっと長谷部の方を見た。そしてまたスケッチブックに何かを書く。
『食べ終わったら、二人で行って大丈夫だよ。私一人でも平気』
長谷部は「ん-」とうなってから、その下に字を書き加えた。
『あとで宮瀬に怒られる』
むうっと詩織は口をとがらせると、その下にさらに書く。
『自分の彼女をここに一時間も引き留めるの? 他人の彼女のために』
自分のことが出てきたので、優花は慌てて首を振った。
「大丈夫です。私、大丈夫だから」
声に出してから、優花はちゃんと伝えようと思い、字を書き加えた。
『予定外に私が早く来てしまっただけです。ここで宮瀬先輩を一緒に待っていましょう』
詩織は優花を真っ直ぐに見据えた。優花の真意をのぞき込むように。
『詩織ちゃんを邪魔に思うような子じゃないよ。だから、変に気を遣わなくても大丈夫だよ』
その間に、長谷部が優花の字の下にこう書いた。すると、詩織は「はあ……」と大きく息をついた。
『そんなの、見ればわかるから』
そして詩織はそのあとにさらに付け足した。
『長谷部くんは、意外と女の子を見る目があったんだね』
「なんだよ、それ」
長谷部は声に出して眉をひそめた。それを見て、詩織は少し意地悪く微笑んだ。
『今までの女の子たちと全然違う』
詩織は長谷部の今までの遍歴も知っているようだった。長谷部は言い返す様子もなく、気まずそうに黙ってしまった。
(先輩にこんなふうに対応する女の子もいたんだなあ)
優花が知っている範囲では、長谷部の周りにいる女子はたいてい顔を赤らめたりもじもじしたりあからさまにファンだったり。そのせいで一部女子から優花が反感を買ってしまっている。こうやって長谷部をやり込める女の子というのは初めてだった。
「もう宮瀬のほう見てればいいだろ」
話題を打ち切るためなのか、投げやり気味に長谷部は言うと、焼きそばを食べ始めてしまった。
詩織はスケッチブックを一枚めくって、新しい紙にまた字を書くと、優花にだけ見えるように前に差し出してきた。
『長谷部くんは、あなたの前では素が出るのね。私たち以外の人では初めて』
詩織はにっこり笑ってみせると、焼きそばを食べて、と手と目で促してきた。そして、優花が箸をとったのを確認すると、また屋台の方へ顔を向けた。
長谷部が無言で食べていたので、優花も同じように黙って食べた。
「詩織ちゃんの言うこと、気にしないでよ」
早々に食べ終わった長谷部がぽつりと言った。
「いや、この場合は気にしてもらった方がいいのか」
ぶつぶつとつぶやきながら、長谷部は顎に手を当てて考えている。
「何を気にしないんですか?」
どういうことかわからなくて、聞き返した。優花が首をかしげているのを見て、長谷部は額をおさえて「はああー」と長いため息をついた。
「最初から気にしてないというわけか」
「え? え?」
そこで詩織がまたこちらを振り返った。そして、どうしたの? とでも言いたそうに首をかしげる。
「何でもないよ、別に」
少しふてくされたような表情で、ぷいっと長谷部は横を向いてしまう。優花が困っていると、詩織がスケッチブックとペンを差し出してきた。ここに何があったか書いて、ということだと判断して、優花は素直に状況を書き記す。自分が何を気にしていないのかわからない、と書いたところで、詩織がクスクスと笑いだした。
詩織が、スケッチブックの一カ所をトントンと指さした。そこには、先ほど詩織が書いた『今までの女の子たちと全然違う』という言葉があった。それでも優花がわからなくて考え込んでいると、詩織はその下にさらさらと書き始めた。
『今まで付き合ってきた女の子たちというのが、長谷部くんの黒歴史なんだよ』
「黒歴史って」
優花が思わず声に出すと、長谷部が困ったように詩織をにらんだ。
「何てこと言うんだよ、詩織ちゃん」
詩織は面白がっている様子で、その下にまた書いた。
『事実でしょ?』
長谷部はまた黙ってしまった。頭をかいて、言い返す言葉を探しているようだが何も出てこない。
「黒歴史にしたら、その子たちがかわいそうですよ」
声に出して長谷部に伝えてから、詩織にもわかるようにスケッチブックに同じことを書いた。詩織はそれを読んで大きくうなずいた。
「違うって。俺が言ってたのは『女の子たち』っていうところで」
「女の子たち?」
優花がちょっとにらむようにして尋ねると、長谷部はぼそぼそと答えた。
「その言い方だと、なんか、女好きの遊び人みたいでいやなやつみたいじゃないか」
その答えにぽかんとしたあと、急に笑いがこみ上げてきた。最初は声を出すのを我慢したけれど、顔がゆがんで、肩が震えて、とうとう吹き出してしまった。今度は長谷部がその様子に呆気にとられて優花を見ている。
「ち……ちがうんですか?」
声を抑えて笑っているせいか、涙が出てきた。涙をぬぐいながら優花は長谷部に尋ねた。
「違うんですかって、君はいやじゃないの?」
「いやっていうか、今更っていうか」
詩織は長谷部の声がよく聞き取れなかったらしく『何て言ってたの?』とスケッチブックに書いて優花に見せてきた。
笑いが止まらなくて、字が震えてしまったけれど、優花は今の会話をありのままに書いた。字にすると余計におかしくて、しまいには声を出して笑ってしまった。優花の笑いが伝染したのか、詩織まで肩をふるわせて笑っている。
「二人ともひどいな」
ふてくされた表情で腕を組む長谷部がおかしくて、ますます笑いがこらえられなかった。詩織を顔を見合わて笑いながら優花は思う。
(なんだろうな、さっきまであんなに気分が落ち込んでいたのにな)
こんなにも笑える余裕があったのかと、不思議だった。宮瀬と話したおかげだろうか。詩織がここにいるからだろうか。それとも。
(私はこのまま、先輩を好きになった方がいいんだろうか)
こんなに楽しい気持ちでいられるのなら。笑うことができるのなら。つらい方を選ぶ必要なんてないのではないか。
そう考えるのは、ずるいじゃないか。
心の片隅でそう叫んでいる自分もいたけれど、優花は無理矢理その声を遠くへ追いやった。今はとにかく、笑っている方が気が紛れていい。今は、何も考えたくない。
優花が笑っている様子を、竜が校庭の人混みの中から見つめていたのだけれど、優花は知るよしもなく、ただ気持ちを封じ込めていた。




