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文化祭2日目~屋台の裏

「優花。大丈夫?」

 追いついた百合が優花の横に並んだ。心配そうな視線を向けられて、なんだか居心地が悪くなった。

「何が? 私は全然大丈夫だよ」

 気取られたくなくて、精一杯明るく振る舞った。けれど、不自然に見えるだろうなとすぐに思った。明らかにさっきからの自分の態度はおかしい。

「それより、このままだと私、百合と圭輔のお邪魔になっちゃうね。もし大丈夫なら、二人で見て回ってきてよ。その方がいいよ」

 優花がそう言うと、百合が悲しげな表情になった。何か言おうとして口を開いていたけれど、ちょっとの逡巡を見せてすぐに口を閉じた。

 そこで圭輔がやってきた。優花はじりっと半歩足を下げた。

「じゃ、圭輔来たから、私行くね」

 え、という表情を二人が見せた。引き留められる前にこの場を去ろう。優花は更に二人から距離をとった。

「だって、優花一人になっちゃうよ」

「平気だよ。図書室にでもいって、本読んでるから」

「でも」

「またあとでね」

 百合が止めようとするのを振り切って、優花は二人に背を向けた。

(あーあ。また勝手に一人で決めちゃった)

 優花は一人自己嫌悪に陥る。

 百合と圭輔が、二人きりでも大丈夫と言ったわけではない。ただ、これ以上一緒にいると、訳のわからない自分が暴走しそうで怖かったのだ。ぐちゃぐちゃしているこの感情を、できるなら一人どこかで鎮めたい。

(図書室、開いてるんだっけ……?)

 勢いで言ってしまったけれど、こんな文化祭の日に開いているものなのだろうか。かといって、教室に戻れるわけでもなく、部活動に参加していない優花は部室に逃げるという手段もない。とりあえず、図書室の前までは行ってみようと思った。重いため息を吐き出して、足を動かす。

「あれ? 橘さん?」

 一歩動かしたところで、大きな声で名前を呼ばれた。声の主は段ボール箱を二つも抱えた宮瀬だった。宮瀬はそのまま優花の方に近づいてきた。

「一人でどうしたの? 花崎さんは?」

「えっと……私、お邪魔になるなと思って……」

「お邪魔?」

 宮瀬が首をかしげる。どう説明したものかと、考え考え言葉を出した。

「その、二人きりにした方がいいかなって……」

 そこまで言って、宮瀬が目を丸くした。

「え? もしかして、花崎さんって彼氏いるの?」

「いや。まだ彼氏じゃないんですけど」

 優花の言葉に色々察してくれたらしく、「なるほどー」と宮瀬は大きく頷いた。

「それで一人になっちゃったのか」

「まあ、そんなところです……」

 間違っているような、その通りのような。でも、詳しい説明ができないので、そういうことにしておいた。

「で、どこ行こうとしてたの?」

「図書室開いてないかと思って……」

「残念だけど、今日は開いてないんだよ。一般の人もたくさん来るからね」

「そう、ですよね……」

 言われてみればその通りだった。一人でいられそうな唯一の場所を失って、優花はひどく落ち込んだ。元はといえば自分がやってしまったことが悪いので、それが余計に気持ちを追い込んだ。

「橘さん、こういうときのアイツだよ」

 宮瀬の言葉に、え?と顔を上げた。

「やだなー。橘さんの『彼氏』だよ。忘れちゃった?」

 あ、と思わず声が出た。それを聴いて宮瀬がハハッと軽く笑った

「アイツもかわいそうだなー。思い出してもらえなくて」

「いや、そうじゃなくて、えっと……」

 確かに、頭の中から吹っ飛んでいた。そんな余裕はこれっぽっちもなかった。

(そうか。先輩のところに行くという手段があったのか……)

 しかし、こんな気持ちのまま頼るのはいかがなものか。客観的に見れば、都合のいいように扱っているだけだ。それは優花の中で割り切ることができない気持ちだった。

「一緒に行こう。あいつ、今ちょうど焼きそば焼いてるよ」

 長谷部が焼きそばを焼いている?

 想像してみたけれど、今ひとつ結びつかなかった。

「先輩たちのクラス、焼きそばの屋台なんですね」

「そう。焼きそばも候補に挙げてたクラス多かったんだけど、うちの学級委員は相変わらず引きが強くてね。うちのクラスが勝ち取ったんだ」

 その学級委員は、八組の体育祭の応援合戦の歌も、くじで引き当てた強運の持ち主だったことを思い出す。

「長谷部が喜んで振る舞ってくれるよ。一緒においで」

 満面の笑みを向けられて、優花は罪悪感を腹の底でチクチク感じながらも頷いた。どうせ、居る場所の当てなどないのだった。



 昼時はまだもう少し先なのに、屋台の周辺には人がごった返していた。校庭に設置されている簡易テーブルと椅子でいろいろ食べている人が既にいる。屋台の裏は、三年生たちが忙しそうに走り回っていた。

「おーい、長谷部。お客さん」

 抱えていた段ボールを下ろしながら、鉄板前で金属ヘラを動かしていた人物が振り返った。

「あれ? どうしたの?」

 優花を見るなり、パッと長谷部が笑顔になった。無邪気な笑顔で、思わずドキッとする。

(ホントに焼きそば焼いてる)

 長谷部はシャツの裾をまくり上げて、黒い無地のエプロンを身につけていた。髪の毛が入らないようにという配慮だろう、黒いキャップをかぶっている。長谷部が帽子をかぶった姿を見るのは初めてだった。

(案外、似合ってるかも)

 長谷部からは料理もそつなくこなせてしまうような空気が出ている。焼きそばではなくて、クレープを焼いていても似合うかもしれない。そんな、どうでもいい考えが浮かんできた。

「実はさ」

 と、宮瀬がかくかくしかじかと理由を簡単に説明する。

「だから、俺が変わってやるから、橘さんと一緒にいてやれよ」

 そういう宮瀬の提案を、長谷部は首を振って断った。

「当番はもう少しで終わるし。それに、おまえの休憩時間なくなっちゃうぞ」

「別に平気だって。それに、かわいそうじゃないか。橘さん一人じゃ」

 そこで、長谷部が優花を見た。

「少しだけ、待っててくれる? あと十分くらいなんだ」

 気遣わしげに長谷部が微笑む。優花は小さく頷いた。

「と、いうことで。それまでは宮瀬が相手してあげてくれよ。よろしく」

 宮瀬にそう言ってから、長谷部はもう一度優花を見て微笑んだ。今度はとても楽しそうに。そして、また鉄板の前に戻っていってしまった。

 やれやれ、といった感じで宮瀬がため息をついた。

「ごめんねー、橘さん。どうも、焼きそば焼くの楽しいらしいんだよね。試食で焼いてみたときから、妙に張り切っててさ」

「大丈夫です。むしろ、邪魔しちゃったかな」

「いやいや。橘さんが来てくれて喜んでるよ、あれは」

 ニコニコしながら宮瀬が言った。その笑顔を見ていると、少し気持ちが落ち着いてきた。

「宮瀬先輩は、休憩時間なんですか?」

 今なら、なんてことない普通の話ができる気がして、話題を振ってみた。

「そうだよ。長谷部のあとが俺の当番だから」

「でも、段ボール運んでましたよね?」

「うん。手伝ってる方が楽しいから。もちろん、彼女と見て回るのも楽しいけどさ」

 え!? 優花はぎょっとして、思わず言葉が出た。

「先輩、彼女いるんですか」

「いるとおかしい?」

 心外だなあ、とわざとらしく宮瀬が腕を組んで見せた。優花は慌てて弁解した。

「いや、そういうわけじゃないんですけど、なんて言うか、学校でそういう感じを全然出していなかったので……」

 校内で宮瀬が女の子と並んでいる姿を一度も見たことがない。優花が宮瀬を見かけるときは、たいてい長谷部や応援部の面々が一緒にいた。

「ま、そりゃそうだろうなあ。うちの学校の子じゃないし」

「違う学校の子なんですか」

「まあ、ね」

 ちょっとだけ含みのある感じで宮瀬が答えたのが、少し気になった。

「いつからのお付き合いなんですか?」

 なんだか興味がわいてきて、もう少し突っ込んで話をしてみることにした。

「二年くらい前からかなあ」

「先輩は、その人のこと好きだったんですか?」

 食い気味に思わず尋ねてしまってからびっくりした。それは、宮瀬も同じようで、一瞬きょとんとした表情を見せた。

「橘さん、意外にぐいぐいと質問してくるんだね」

「いや、普段はそういうわけじゃないと、思うんですけど……」

 焦りながらしどろもどろになっていると、宮瀬がおかしそうにふっと笑った。

「まあ、いいよ。別に、聞かれて困ることでもないし。といっても、本人がそろそろ来ると思うから、直接紹介しちゃうという手もあるんだけど」

(え!? いきなりそんな展開になっちゃう?)

 キョロキョロと辺りを見回している宮瀬を見ながら、ドキドキしていると。

「あ、いた」

 宮瀬はぱっと立ち上がると、一人の女の子のところに駆け寄って、その子の横に並んでから肩をたたいた。

(なんで声かけないのかな?)

 宮瀬の行動がなんとなく不自然に思えて、首をかしげる。宮瀬のいつものあの大声で呼べば、ここからでも十分聞こえそうだと思ったのだ。

 でも、すぐに理由がわかった。宮瀬と彼女はなにやらいろいろ細かい手振りをつけながら話しているのだ。よく見れば、彼女の耳には補聴器がついている。

(手話で話してる。耳、聞こえないんだ)

 一通りの話が終わったらしく、宮瀬と彼女が並んで優花の方へ近づいてきた。

「紹介するね。茅野詩織かやのしおり、俺の彼女」

 宮瀬が手話を交えて紹介する。「彼女」のところで両人差し指を下に向けて交差させてから、小指を立てる。前半の動きの意味はわからないけれど、この小指が彼女を示すのだとわかった。

 宮瀬の彼女は、なんだか草食動物を思わせるような優しい眼差しをしている、と優花は思った。Tシャツにジーンズとラフな格好をしているけれど、ショートボブの髪型によく似合っている。髪が風になびくたび、左耳の補聴器がチラチラと見えた。

 詩織は、右手の人差し指と中指を立てて額に当てた後、両人差し指を左右に広げて関節を内側に曲げて見せた。

「『こんにちは』って言ってる」

「え、あ、は、はい」

 こんにちは、と声に出そうとして、やめた。さっきの手話が「こんにちは」なら、それで応じた方がいいのではないかと思った。

(えっと、こんなだったっけ?)

 思い出しながら、やってみた。それでも不安だったので、一応「こんにちは」と声を出しながらちょっとお辞儀した。

 詩織はぱあっと嬉しそうな表情を浮かべると、宮瀬の方を見て何か興奮した様子で手で話し出した。何を伝えているのかわからないので、優花はぽかんとしながらその様子を見つめてしまう。

「わかった、わかったから。俺もそんなに速いとわからなくなるから」

 宮瀬は普通に話しながらも、手話で応じた。

「えっとね、橘さんのこと、すごいかわいい、優しい、すぐに手話で返す人なかなかいないのにすごい、長谷部は意外と見る目があるって言ってる」

 宮瀬がどんな風に自分のことを紹介したのかが、最後の一言でわかった。張り切って否定もできないので、曖昧に微笑んで見せた。

「宮瀬先輩、手話できるんですね」

「まあ、そうしないと話がちゃんとしにくいから、目下勉強中だよ。詩織は補聴器着けてるけど、三割程度しかわからないらしいし、唇の動きを読むだけだと、伝わりづらいこともあるから」

(唇の動きを読む……読唇術ってやつかな)

 聞いたことはあるけれど、実際に読唇術を使っている人を見たことはない。もっと言うなら、日常で手話を使っている人も知らない。

「あれ。詩織ちゃん、来るの早いね」

 後ろから、長谷部の声が聞こえてきて振り返る。長谷部は二つの焼きそばのパックを持ってこちらに近づいてきた。すでにエプロンと帽子は外していたが、シャツの袖はまくり上げたままだ。

 長谷部は優花の前にいた詩織の姿に気づくと、持っていた焼きそばを手近な台に置いた。

「こんにちは、詩織ちゃん」

 長谷部は「こんにちは」の手話をした。詩織はにっこり微笑みながら同じように返した。

(あ、先輩も知ってるんだ)

 当然と言えば当然かもしれない。長谷部と宮瀬は高校に入ってからずっと一緒にいるのだ。詩織のことも、ちょっとした手話も知る機会があったのだろう。

「ってか、なんでお前が当番の時間に呼ぶんだよ」

 長谷部がちょっと非難がましく言った。さすがにその手話は知らないらしく、ちょっとゆっくりめに話していた。

「俺が焼きそば作ってるところ見たいってさ」

 対して宮瀬は手話を交えつつ答える。隣の彼女にも何を話しているのかわかるようにしているのだ。詩織はニコニコしてうなずいている。

「はいはい、わかってるよ。じゃ、ちょうど交代時間だ」

「OK。じゃ、あとよろしく」

「了解」

(よろしくってなんだろ?)

 優花の疑問をよそに、宮瀬は詩織の方に向いた。宮瀬は詩織に向かって手話で何か言ったが、今度は声に出さなかった。詩織はまたニコニコしながらうなずいた。それに満足したかのように、宮瀬は屋台の中に入っていった。

(二人だけの暗号みたいだ)

 声に出さなければ、手話を知らない人にとっては何を伝えたかわからないのだ。それが素敵だなと思った。もちろん、手話を知っている人なら簡単にわかることなのだろうけれど。

「じゃ、これ食べようか」

 先ほど持っていた焼きそばのパックのうちの一つを、長谷部は微笑みながら優花に差し出した。

「これ、俺が作ったの。食べてくれる?」

「あ、は、はい。ありがとうございます……」

 受け取りながら、詩織の様子をうかがう。彼女はずっと笑顔を絶やさないまま優花と長谷部の様子を見守っている。

「詩織ちゃんも一緒にあっちで待ってようか」

 あっち、と指さした方は簡易テーブルが並べられている校庭だ。

 詩織は、カバンから一冊のスケッチブックを取り出して、何やら書き始めた。手話ができない人には筆談しているのだろう。


『二人のお邪魔じゃない?』


 スケッチブックにはそう書かれていた。字が柔らかくて温かみがある、と優花は思う。

「大丈夫。宮瀬に頼まれてたから、よろしくって」

(あ、よろしくってそういうことなんだ)

 詩織を一人にしておくな、ということだったらしい。耳の聞こえない彼女のそばに信頼できる友人がいれば安心なのだろう。

「橘さんも、いいかな?」

「はい、もちろん大丈夫です」

「じゃ、行こうか」

 長谷部が先頭に立って歩き出す。

 優花も続こうとすると、トントン、と肩を指でたたかれて振り返った。詩織だった。詩織はスケッチブックに書かれた文を指さした。


『長谷部くんのあんな優しい顔、初めて見たよ』


「え……」

 目を瞬かせる優花を尻目に、詩織はにこーっと笑って歩き出した。

(初めて……見たんだ?)

 先ほどの長谷部と、これまでの長谷部を振り返ってみる。

 初めてではない、と思う。優花の前では、いつもあんな感じだ。そう、優花の前では。

(やめよう、考えるの)

 この先は、考えても楽しくならない。悲しいことに、今の自分にとっては。

 優花は、急いで詩織の背中を追いかけた。

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