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百合の相談

 いつもの公園にやってきた。いつものベンチはちゃんと空いていて、優花と百合は並んでそこに腰かけた。ベンチに来るまではにこやかだった百合だったけれど、座ったとたんにすうっと笑顔が消えて、朝の思いつめたような表情に変わった。

(本当に、どうしたのかな)

 優花は百合が言葉を発するのを待った。待っている間に、少し冷たい風が頭上の木の葉を揺らしていく。しばらくその葉擦れの音を聞いてから、百合はすっと勢い良く息を吸った。

「聞いてほしいことっていうのはね、聞いてほしいていうか、どうしたらいいかわからないっていうか、自分でもうまく言葉にできるかわからないんだけど、いいかな」

「いいよ。大丈夫」

 あまりに深刻そうな顔をしているから、優花ももひどく緊張してきてしまった。いったい、どんな話が飛び出してくるのだろう。

「あのね、その」

 一瞬、迷ったように百合が口ごもった。が、すぐに両手こぶしをぐっと握りしめて身を乗り出してきた。

「私、キスされちゃった」

「え……?」

 優花はぽかんと口を開けたまま瞬きを三回した。

「えっ……え??」

 うろたえる優花を見て、百合の顔がみるみる赤くなっていく。

「だ、だから。何度も言わせないでよ。私だって、まだ、よくわかってなくて。なんでこんなことになっちゃったのか、これからどうやって接したらいいかわかんなくて」

「ちょ、ちょっと待って」

 暴走しかける百合の言葉を無理やり遮った。とりあえず、百合が混乱しているのはわかった。けれど、肝心なことを百合は言っていない。優花はゆっくりと、落ち着かせるように尋ねた。

「いったい、誰にキスされたの?」

 赤い百合の顔の上にさらに赤みが増えた。顔だけでなく、耳も、首までも真っ赤だ。

「……圭輔けいすけ

 百合の瞳に、じわりと涙がせりあがってきた。百合は顔を両手で覆ってうつむいてしまった。その細い肩が、小さく震えている。

「どうしよう。私、圭輔に嫌いって言っちゃった……」

 手の隙間から、涙声が漏れ聞こえてくる。優花はどうしたらいいのかわからないまま、その背中をそっと撫でた。

 何があったか、正直なところちっともわからない。ともかく、百合と圭輔の間に何かがあって、そのせいで今、百合が泣いているのだ。

(私の友だちに何してくれてるのよ)

 戸惑いが、圭輔に対する憤慨に変わっていった。しかし、その怒りは今は外に置いておかなければいけない。優花は、百合が落ち着くまでずっとその背中を撫で続けていた。



「昨日、家に帰る途中に圭輔に会ってね」

 ようやっと落ち着いてきた百合が、順を追って話し始めた。

 昨日、お昼で学校が終わってから、優花は長谷部と一緒に行ってしまったので、百合は一人で家に帰っていた。すると、家の近くで圭輔にばったり会って、お互い昼食はまだだという話になった。

「じゃあ、久しぶりにうちで食べるかって圭輔が言って。高校入る前までは、よく圭輔のうちでご飯食べてたんだ。あのね、圭輔、実は料理が上手なんだよ。でも、なんでか自分一人だけの時だと作らないの。紗百合さんとか、私がいるときじゃないと作ろうとしないの。変だよね。あ、昨日のメニューはパスタだったよ。野菜たっぷりのペペロンチーノ。私が好きなものよくわかってるんだよね」

 時々、こんな脱線をしながら百合の話は進んでいく。脱線するたびに百合がまた落ち着いていくのを感じて、優花はただ百合が話したいように任せた。

 二人で食べながらお互いの近況を話した。と、百合は言っていたけれど、きっと百合が一方的にしゃべり続けていたのだろうと想像する。それはいつもの百合と圭輔の光景だ。圭輔は百合が夢中でしゃべっている様子を、いつも黙って、でも優しく見守っている。

「それで、この間のテストの話になって。テスト勉強会のことも話して……。あのとき、佳代さん具合が悪くて優花はあんまり参加できなかったでしょう? その話したら、急に圭輔が……怒って……」

 そこで、百合の表情が引きつった。怯えている、といったほうがいいのか。

「なんで、怒ったの?」

 恐る恐る尋ねてみたが、百合は苦し気に首を振るだけだ。

「よくわかんない。圭輔が言うには、優花がいないときには参加するなって。放課後、男子だけがいるところに女子一人がいるのは変だろうって」

 おや? と優花は思った。もしかして? とも思った。でも、この言葉は飲み込んだ。ふとした思い付きだし、何の根拠もなかったのだ。

「妙に頭ごなしに言ってくるから、私カチンと来ちゃって。だって、河井くんも高山くんも、確かに男の子だけど、お友達だよ? 一学期も一緒に勉強してきたのに、優花がいなきゃ参加しちゃだめって、おかしくない?」

「ん、うん、まあ」

 辛うじてうなずいたけれど、根拠のなかった思い付きが、確信に近づいて行っていた。優花は何となく圭輔の気持ちがわかってきた。が、肝心な百合がわかっていないのだ。

「その時だって、私は圭輔と二人だけだったんだよ。それだって男の子と一緒にいるってことじゃない。じゃあ、私がここにいるのも変なのかって聞けば、それとこれとは話が違うって言うし」

 うん、そうだね。たぶん、圭輔にとっては話が違うんだよね。と思ったけれど、今の百合に言ってもいいものかどうかわかりかねた。

「そのまま喧嘩みたいになっちゃって……。なんだか悲しくなってきちゃって、これ以上一緒にいるのも辛いから帰ることにしたの。玄関行って、靴はこうとして、そこで……」

 百合はもじもじしながら目を泳がせた。その仕草が可愛らしくもあり、妙に艶っぽくも見えた。

「圭輔に急に腕つかまれて、黙って見下ろしてくるから、私もにらみ返して……それで……」

 気づいたら、キスされてた。

 か細い声で百合がそう言うのを、優花はようやっと聞き取った。百合の頬が、異常な速さで真っ赤に染まっていくのを優花は見た。

「一瞬、何が起こったかわかんなくて……なんでかわからないけど、とにかく、逃げなきゃって思って。思い切り圭輔突き飛ばして……思わず、『嫌い』って言っちゃって……」

 圭輔は何も言わなかった。百合はそのまま扉を開けてその場から急いで立ち去った。家に帰ってから少し落ち着いて考えてみたけれど、やはり百合には理解できなかった。圭輔が何を考えてそんなことをしたのかを。

(そこで何にも言わないのが圭輔らしいといえばそうだけど……)

 普段の無口な性格が、だいぶ悪いほうへ影響してしまっているように思えた。何か一言でも伝えていたならば、百合はこんなに悩まなかったかもしれないのに。

(それにしても、はたから聞いてるとこんなにわかりやすいのになあ。なんで百合はわからないんだろう)

 いつか竜が言っていたことを思い出す。きっとお互い好きなのに、気づいていないのだろうと。優花はその時「勝手な妄想だ」と一蹴したけれど、半分くらいあっていたのかもしれない。少なくとも、圭輔は百合のことが好きなのだ。

「百合は、圭輔のこと嫌い?」

「え……?」

 真っ赤な顔で、涙に潤んだ瞳で、百合がきょとんとした表情になる。それから慌ててぶんぶんと横に首を振った。

「ううん。嫌いじゃない。なんであんなこと言っちゃったんだろうって、すごく後悔してる」

「じゃあ、圭輔のこと、好き?」

 百合はゆっくりと首を傾げた。ややあってから、はっと両手で口元を抑えた。

「す、好きって、そういう、『好き』?」

「そういうって……たぶん、そういう『好き』、かな」

 その指示語が何を指すのか。きっと百合も優花と同じように考えている。恋愛としての、そういう『好き』。

「そんなの、考えたことない」

 あまりにきっぱりとした答えが返ってきたものだから、思わず心の中で「どんまい、圭輔!」と叫んでしまった。さすがに、同情の気持ちが芽生えてきた。

「百合は、圭輔のことそういうふうに見たことなかったの?」

「圭輔は、大事な幼馴染で……ずっと一緒にいてくれて、それが、当たり前で、今さら……」

 そこで百合は言葉を切った。困ったような顔をして、目を伏せてしまう。

「圭輔は、そうじゃなくて、私のこと、その……」

「……きっと、幼馴染以上に想ってるんだよ」

「……」

 百合はそれきり、黙り込んでしまった。また、ざわざわと木の葉の揺れる音が頭上に響く。風に、少しだけ百合のおさげが揺れた。

「私、どうしたらいい?」

 ぽつり、と百合の言葉が地面に落ちた。

「やっぱり、私、よくわかんない」

 急に恋心に目覚めることなんてないのかもしれない、と百合の横顔を見ながら思った。

(私だって、いつから好きだったのかなんて、知らない)

 竜に対する気持ちに気づいたのは最近だけれど、でも、その時から好きになったわけではないのだ。たぶん、もっと前から気持ちの芽は育っていて、ただ自分が気付かなかっただけなのだ。ふとしたきっかけで、急に気づいたりするものなのかもしれない。

(それなら、百合はどっち?)

 百合の中に、圭輔に対する想いの芽は育っているのか。それとも、やはりただの幼馴染なのか。優花には

わからない。わからないけれど、一つだけ確かなことがあった。

「わかってもわかんなくてもね」

 優花の言葉に、百合が少し顔をこちらに向けた。泣きそうな表情に向かって、優花は微笑んで見せた。

「私は百合の味方だからね」

 百合の瞳に、明るい光が灯った。目は潤んだままだけれど、百合はふわっと笑みを浮かべた。

「もう少し、考えてみる」

 声も明るかった。その調子に優花はホッとする。

「またわかんなくなったら、話してね」

 百合はますます笑みを深めて大きくうなずいた。

「聴いてくれてありがとう、優花」

 優花は、その言葉が純粋に嬉しく思えた。

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