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自覚のあと

「なかなか来ないから、探したよ」

 いっそ清々しいほどの笑顔で近づいてくる長谷部だが、優花には分かった。目は、笑っていない。

 長谷部はさりげなく優花と桃子たちの間に入りこんできた。

「話は、終わった?」

 笑顔の裏に含まれる凄みは、彼女たちにも伝わったらしい。一様にひきつった笑みを浮かべ、長谷部の突然の登場に動揺している様子である。

 優花は彼女たちとは違った意味合いで、動揺していた。桃子たちの表情も、間に立ちふさがる長谷部の存在も、今の優花にはどこか遠いものだった。今しがた急に自覚してしまった想いが先走って、体が置いて行かれてしまっている。そんな感覚だった。

「彼女、今日もすぐに家に帰らなきゃなんだ。だから、もういいかな」

 桃子の後ろにいる夏葉たちが困ったように顔を見合わせている。それはそうだろう。今長谷部がいるこの場所で、優花を糾弾するのは友人のためにならない。

「じゃ、行こうか」

 何も答えが返ってこないのを確認してから、長谷部の手がそっと優花の肩に触れた。その手に押されるまま、足を一歩踏み出したところで。

「待ってください、先輩」

 桃子が悲鳴のような声をあげた。優花も長谷部も足を止める。

「あの、橘さんと付き合ってるって、本当ですか」

 その言葉に、長谷部はゆっくりと桃子のほうへ顔を向け、あっさりとうなずいた。

「そうだよ」

 あからさまにショックを受けたような表情を見せる桃子を見ながら、長谷部が考え込むように眉をひそめた。

「……君、もしかして、同じ中学にいた……」

 途端に、桃子の顔がぱあっと明るく輝いた。

「そうです! 私、飯田桃子です。覚えていてくれたんですか?」

 頬を染め、期待に目を輝かせて、どきどきしている様子が手に取るように伝わってくる。これが恋する女の子の顔かもしれないと思う。

(恋……)

 だとしたら、今自分はどんな顔をしているのだろう。どう考えても、呆けた顔をしているようにしか思えない。気づいてしまったものをどう処理したらいいのか、優花には全く見当がつかないのだ。

「この高校受けてたんだ」

 心なしか、長谷部の口調にげんなりした気持ちが入り混じっていた。中学の時、何かあったのかもしれない。

「はい! 先輩がこの高校入ったって聞いて、頑張って勉強したんです。少しでも、先輩の近くにいたくて」

 長谷部の口調の含みには気づかぬ様子で、桃子がワントーン高めの声で答える。

「そっか。でも、俺は今、優花と付き合ってるから」

 あまりに平坦な返しに、桃子のテンションが一気に下降したのが目に見えた。すでに泣きそうにも見える。

「でも先輩。なんで橘さんなんですか」

 泣きそうな桃子の代わりに、夏葉が出張ってきた。

「彼女、他の人とも付き合ってるんですよ」

 夏葉の表情も口調も、断固として確信していた。そうでなければならないと、思い込んでいるのかもしれない。どうしたって、優花が悪者にならないと彼女らは納得してくれないのだ。

「それって、誰のこと?」

 相変わらず何の抑揚もつけないで長谷部が受け答えている。長谷部が一切の動揺を見せなかったせいか、逆に夏葉がたじろいだ。

「誰って……名前は知らないですけど……。橘さんと一緒に歩いているの見ました。学校に迎えに来てたこともありましたよ。作業着だったから、私覚えてます」

 作業着、という言葉でピンときたのだろう。なるほどね、と小さくつぶやいて、長谷部はこれ見よがしにため息をついた。

「その彼なら、俺も知ってる」

 えっ、と夏葉が息をのんだ。その背後の桃子たちも目を瞠っている。

「むしろ、その彼が俺と彼女が付き合うように後押ししてくれたんだよ」

 それは、嘘ではない。確かに竜が最後の一押しをしたのだ。あのとき、竜が「そうしろよ」と言わなかったらば、自分はうなずかなかっただろう。

(私はものすごくショックだった……)

 あの時の感情の奔流を忘れてはいない。その正体がわからなくて、わかりそうで、つかめなくて。それが、こんなきっかけで気づいてしまうなんて。

「ま、彼とは仲がいいから、誤解されてもしょうがないか。気を付けないとだね」

 これは優花に向けて言った言葉だった。優花はうつむきながら小さくうなずいた。この言葉を、長谷部はどんな気持ちで言っているのだろうと考える。考えるけれど、思考が空回りしていた。どんどん、頭と体が心に置いて行かれていく。

「そういうことだから、変な噂流さないでね。やっと付き合ってもらえるようになったんだ。こんなことで邪魔されたくない」

 彼女たちが困ったように顔を見合わせた隙を見て、長谷部は、今度は優花の肩を抱くようにして歩き出した。優花はされるがままに足を前に進める。そしてそのまま二人は女子たちの輪の中から脱出したのだった。



「大丈夫?」

 駐輪場まで来て、ようやっと長谷部が口を開いた。幸いなことに、桃子たちは追いかけてこなかったようだった。

「あ……えと、大丈夫、です」

 かすれた声が出た。そこで気づいた。長谷部が現れてから、自分は一つの言葉も発していなかった。喉が、カラカラに乾いている。

「あの、ありがとう、ございました……」

 かすれ声でも、何か言わなければならないと思って出た言葉だった。この言葉に、感情が乗せられない。あの場から助けてくれた感謝の気持ちは、確かにあるというのに。

「いいよ。そのための彼氏・・だから」

 にっこりとほほ笑む長谷部。その笑顔を見たら、胸がずきんと痛んだ。

「とりあえず、出ようか」

 優花はうなずいて、自転車のカギを外した。ガチャン、という音が妙に重たく響く。

 二人は無言のまま並んで歩いた。優花には、何か言葉を発する余裕がなかった。歩きながら、心に置いていかれた頭と体を必死につなごうとしていた。まだ、優花は信じられない気持ちでいる。まさか、自分が、そんなことって。

「橘さん?」

 長谷部に呼ばれて、びくっと体が震えた。呼び方が、普段通りに変わっていた。ふと気づけば、校門からもだいぶ離れた場所まで来ていたのだった。

「大丈夫そうじゃないんだけど」

「え……大丈夫ですよ」

「そう? なんだか、深刻そうな顔してたから」

(やばい。全部表情に出ちゃってるんだ)

 優花はハンドルを持つ手の力を込めた。少しでも、気持ちを引き締めたかった。

「あの、飯田さんのこと知ってるんですか」

 話題を逸らそうと思って投げかけた質問だった。が、長谷部の表情が少し曇ったのを見て、少し後悔した。あまり触れたくない話題なのだと察した。

「やっぱり、いいです。ごめんなさい……」

 すると、長谷部が首を横に振って微笑んだ。

「謝らなくていいよ。まあ、確かに、気分が乗らないのは確かだけど」

 そう言いながら、長谷部はため息交じりに話してくれた。

「あの子、同じ中学だったんだけどね。告白されたんだけど、受験で忙しいからって断ったんだ。そのときはまだ難関私立受ける予定だったし。あの時はさすがに誰かと付き合おうとか考えなかったんだ」

 まだ、実の母のために頑張ろうとしていたときのことだ。そのあと、母の死を知ってしまって、その私立受験をすっぽかしたと話していた時のことを思い出す。長谷部の口調は淡々としていたけれど、その横顔はとても辛そうだった。

「断ったのに、そのあとも結構しつこくて。ストーカーとまではいかないけど、イベントごとには遭遇していた気がする」

 遭遇、という言葉からも、桃子とのいい思い出がないことがうかがえた。

「まさか、同じ高校にいたとは知らなかった。一学期の間に遭遇しなかったのが不思議でしょうがないよ」

「それは、先輩が受験生だからじゃないですか?」

 優花の言葉に、長谷部が小首をかしげた。どうやら意味がわかっていないらしい。

「中学の時、受験だからっていう理由で断ったんですよね? 今の先輩も受験生だから……」

「だから、あっちから会わないようにしてたってこと?」

 桃子はさっき、「少しでも先輩の近くにいたくて」と言っていた。それがすべてを語っているのではないだろうか。彼女はアプローチをしても同じ結果になると考えて、あえて近づこうとしなかったのではないだろうか。遠くから見るだけでもいいから、少しでも近くにいられるなら、それで構わないと。

 でも、遠くから見るだけにはいかなくなったのだ。優花が、長谷部の隣にいるようになった。二学期になってからはそれが顕著になってきて、居ても立っても居られなくなってしまったのだろう。優花はそう推察した。

「ともかく、また気を付けないとね。何かあったら、すぐ俺に言うんだよ」

「……はい」

「それから」

 そこまで言って、長谷部は言葉を切った。少しだけ眉を寄せて難しい顔になる。

「あの彼とは、本当に何でもないよね?」

「え……」

 優花は目を見開く。優花を見つめる長谷部の目は至って真剣だった。胸の中が、ざわざわと揺れ動いている。

「何でも、ないですよ」

 答えてから、優花は思わず視線を落としてしまった。

「竜は、ただの居候で……竜は、お姉ちゃんのいとこで、遠い親戚というか、なんていうか……」

 自分の言い聞かせるように言った。頭の隅で、言い訳をしているようだとも思った。言葉を発しながら、胸がどんどん苦しくなる。泣きだしたいような衝動に駆られる。

「いいよ。もうわかったから」

 言葉を遮るようにして長谷部が言った。恐る恐る視線をあげると、優しい微笑みを浮かべた長谷部がいた。

「ごめんね、変なこと聞いて」

 優花は首を横に振った。長谷部が歩きだしたので、それにならって優花も歩き出す。

(私と竜は、何でもない。何でもない、けど)

 胸の奥が、きゅっと狭くなった。

(私は、竜が好き)

 とくん、と、心臓がゆっくりと鳴る。自覚した想いを、再確認する。冷たい秋風が、足元を通り過ぎていく。少し寒くて、優花は小さく震えた。

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