女子の論争
清々しい秋空の下、校庭には一年八組、二年八組、三年八組の体育着姿の生徒たちがグループになって散らばっていた。それぞれのグループの中心にはスマホと小型のスピーカーが置かれていて、同じ曲が流れている。今年の代表曲と言ってもいいほどの、軽快なダンスミュージックだ。流行りに疎い優花ですら、サビの部分はなんとなく歌えてしまう。その曲が、八組の応援合戦の曲だ。応援合戦は、体育祭のクラス対抗種目の一つでもある。今日は、体育の時間を使って三学年合同の練習時間をとっていた。
「応援合戦というより、パフォーマンス合戦に近いんだ」
優花の隣で、長谷部が説明する。
「曲はかぶらないように、三年生のクラス代表が話し合って決める。この曲、人気があってくじ引きになったらしいんだけど、うちの代表の引きが強かったみたいだね」
不敵な感じで、長谷部が口の端を少し上げて笑う。以前の優花の知る長谷部と変わらない調子で。
(あのことが、うそだったみたいな)
デートの日から、一週間ほど過ぎていたが、学校で会う長谷部は以前と何も変わらなかった。相変わらず爽やかで、自信がありそうで、笑みを絶やさない。本当に、何事もなかった気がしてくるほどだ。
いつも通りに。それが長谷部の言葉だった。彼はそれを見事に実行していて、優花もそれに影響されているだけかもしれない。そうやって優花が思えるように、長谷部がそう演出しているのかもしれない。
「しかし、今年の振り付け担当は気合が入ってるね。これ、覚えられそうにないよ」
「……そうですね」
優花は三年生から配られた紙に目を落とす。紙には、歌詞に合わせて振り付けの絵とその説明が書かれていた。先ほど三年八組の振り付け担当の女子が朝礼台で踊って見せていたのと同じだ。聞くところによれば、振り付け担当はダンス部所属だとか。「簡単にアレンジしました」と言っていたけれど、そうは見えなかった。一通りの踊りを振り付け担当が全体に見せたあと、細かい振りの指導はグループに分かれて三年生が一、二年生に教えることになっているのだけれど……。
「あー! わかんねえよ。大体なんだ、この『バーッと行ってピョン』って! 国語力あるやつが説明書いてくれよ」
宮瀬が紙を睨みつけながら大声で叫んでいる。当の三年生もまた、まだ振り付けがよく分かっていないようだ。教えるほうがそんなあいまいな感じなので、教わるほうはもっとピンと来ていない。周りのグループを見渡しても、なんだかグダグダで、しっかり踊れていそうなところはなかった。
「こりゃ、振りの考え直しだろうね。もっと単純なやつで」
「間に合うんですか? それって」
体育祭までは二週間を切っている。今から考え直して、振りを覚えて……。できる気がしなかった。
「さあねえ。でもまあ、毎年そこまでしっかりやってるクラスはなかったよ。おんなじ動きを繰り返すだけとか、ひどいところだと、まともに考えないでぶっつけ本番でやるとか。その年の三年の熱量にもよるんじゃないかな」
今回は八組振り付け担当の熱が入りすぎだけどね、と長谷部は肩をすくめながら言う。
「三年になったら、私たちも考えなきゃなんですね」
「そういう心づもりでいたほうがいいよ。誰が考えることになるかわかんないから」
そんなことを長谷部と話している間にどんどん時間は過ぎて、結局グダグダなまま練習時間は終わった。終いの言葉は「あとで新しい振りの紙を配ります」というものだった。
その日の放課後。今日の夕食は何にしようかなどと考えながら帰り支度をしているときだった。
「橘さん」
突然、クラスの女子に声をかけられた。顔を上げて、彼女の表情を見て、嫌な予感がした。なんとなく彼女の背後に目をやると、知らない女子が教室の出入り口のところに数人集まってこちらを見ている。
「ちょっと、いいかな」
本当にちょっとで済めばいいのだけれど。そんなことを考えながら、優花は渋々うなずいて、クラスメイトの後ろについていく。途中、百合とすれ違った。百合が心配そうな表情で見つめてくる。大丈夫、と一瞬の視線だけで答えて、歩みを止めずに外に出た。
そのまま、出入り口にいた女子たちと一緒に、人気の少ない中庭の隅のほうに来た。その間、誰もかれも無言だった。なんだか刑務所かどこかに連行されているみたいだ、と優花は思う。
「単刀直入に聞くけど」
声をかけてきたクラスメイト、遠野夏葉が威嚇するような態度で腕を組む。
「橘さんて、長谷部先輩と付き合ってるの?」
(本当に単刀直入できた)
なんとなく話題は予想できていたので、驚かなかった。遠野夏葉と他三人の女子たちの顔を見ながら、優花は首を横に振った。
「付き合ってないよ」
彼女たちの空気が、ますますピリッとしたものに変わった。一人の女子がヒステリックな様子で優花に一歩迫ってきた。
「だって、だって、今日の体育のときだってずっと仲良くしゃべってたんでしょ。それに、この間だってわざわざ先輩が教室まで呼びに来て。それから、それから……」
彼女は、一学期の球技大会のことやら、強歩大会のことやら、そのほかに学校の中でちょっと優花と長谷部が話していたことやらと、ともかく二人が接触していたことを述べ連ねていった。
察するに、彼女は長谷部のことが好きで、遠野夏葉や他の女子たちはその友達なのだ。彼女は長谷部をずっと見ていて、結果そのとなりに優花がいるのが目に入ってしまっている。特に、今日の体育では確かに長谷部の隣にずっといて、そのまましゃべっていた。他のクラスである彼女がその事実をどう知ったかはわからないが(ここにいる友だちが教えたのかもしれないとは推察したが)、彼女の感情を爆発させてしまった。
(ちょっと、油断しすぎたかな……)
彼女の口上を聞きながら、優花は心の奥で反省する。確かに、無防備に長谷部と一緒にいるところを見せすぎていた。デートして、彼の秘密を思わぬ形で知ってしまって、気を許してしまっている部分が広がってしまっているのだ。長谷部が隣いても、優花の中で不自然ではなくなってきている。それが、余計なトラブルを招いてしまったのだ。
「本当に付き合ってないの?」
一気にまくし立てたあと、肩で息をしながら彼女は尋ねた。
「本当に付き合ってない。今日だって、同じグループだから話すことが多いだけ」
「それにしたって、多くない? この間、デートしてたって噂もあるよ」
遠野夏葉がとげとげしい口調で言った。
(あー、誰かに見られたのかな)
高校の最寄り駅の映画館だったから、目撃されてもおかしくないのかもしれない。長谷部はただでさえ目立つから、目を引いたのかもしれない。それも油断だったといえばそうなるけれど、そこまで気を遣わなければいけないのだろうか。デートしてみようと誘われて、そうしようと思ったから一緒に映画を観に行ったのだ。何かやましいことをしたのかといえば、そんなことはないはずだ。責められるようなことはなにもない。そのはずなのに。
(なんで、こんな囲まれて、糾弾されなきゃならないのだろう)
だんだんと腹が立ってきた。自分が何をしようと、誰と話していようと勝手ではないかと思った。どうして女子は、女子を責めるのだろう。この場合、自分のことを責めたって何にも益はなさそうなのはわかりそうなものなのに。
「それなら、先輩にアプローチしてみたら? 私が紹介しようか?」
冷たい声が出た。責め立てていた女子が「え?」と目を大きく見開く。
「私は付き合っていない。これ以上のこと言えないよ。どうしたら納得してくれる?」
わかってはいたけれど、取り囲む女子たちの空気がより一層怒りを増した。でも、優花はこういうときの良い言葉の選び方を知らない。思ったことをそのまま発することしかできない。そのせいで中学のとき敵を作ってしまったことは理解していたし、また同じことをしている自覚もあった。つくづく、学習能力がないのかもしれないと自分に落胆していた。その時だった。
「橘さん」
怒れる女子たちの背後から、凛とした声が響く。その声の主を見て、優花は目を瞠った。
「……新菜?」
遠野夏葉が怪訝そうな表情で振り返る。そこには、クラスの学級委員であり、長谷部の妹である新菜が涼しい顔で立っていたのだ。
(……長谷部さん? なんで?)
状況が理解できなくて呆然としているところに、新菜がつかつかと歩み寄ってくる。一つに束ねている彼女の髪が一歩ずつ歩くたびに揺れる。眼鏡の奥の瞳が鋭く光った。
「これから文化祭の話し合いをしたいと思ってます。来てもらえますか?」
「え……?」
この状況でそれを言う? ぽかんとしていると、慌てた様子の遠野夏葉が新菜に話しかける。
「いや、待ってよ。今、私たちが話してるんだし……」
そこで、遠野夏葉は言葉をのみこんだ。新菜が、さっと視線だけで黙らせた。
「私は、橘さんの言い分もわかる。これ以上話すこともないのに色々言われるのは気分良くないでしょう」
それから、新菜は優花のほうを見た。鋭さがさらに深くなった。
「橘さんの言い方も、どうかとは思うけどね」
優花はその視線に耐え切れずに目をそらした。どうも、新菜は今までの会話をずいぶん前から聞いていたようだ。タイミングを見計らって出てきたらしい。
「飯田さん」
さっきまで優花を責め続けていた女子のほうを見て新菜が言う。
「私が言うのもなんだけど、うちの兄はお勧めできない。噂通り、彼女をとっかえひっかえの人よ。見てくれは確かにいいけど、遠くから見てあこがれている程度のほうがいいと思うな。そうじゃないと、泣くことになるのは飯田さんだから」
それはとても優しい、諭すような口調だった。「飯田さん」と呼ばれた彼女は、涙目になりながらうつむいた。隣の友人が慰めるようにそっとその肩に手を置く。
「じゃ、橘さん。行こう」
さっと踵を返すと、新菜はすたすたと歩き去っていく。戸惑いつつ、優花はその背中を追いかけた。これ以上ここにいたところで、いいことは何もなかった。背後から恨めしい視線をいくつか感じたけれど、気づかぬふりをしてとにかくその場から離れた。
「あ、あの。長谷部さん。話し合いって……」
新菜は思いのほか速足で、優花は小走りになりながらその背中に尋ねた。
「話し合いなんて、方便だし」
速さを緩めないまま、新菜はつっけんどんに答えた。
「やっぱり、そうなんだ……」
文化祭の話し合いがあれば、必ず事前に予定を聞かれるのだ。新菜はそういうところもぬかりない。全員が集まれる日をあらかじめリサーチして、誰もが話し合いに参加できるように調整してくる。
「助けてあげたくて、こんなことしたわけじゃないから」
つと歩みを止めて、新菜は優花を見据えた。
「私は一度警告したはず。そんなに噂を立てられたいのって」
確かに、そんなこと言われたこともあった。夏休み前の話で、少し記憶は薄れかかっていたけれど。
「この間だってそうよ。兄さん、何だか朝から出かける感じだったから問い詰めてみれば、橘さんと映画観るなんて言って。どうかしてるわよ、受験生のくせに」
デートの待ち合わせのとき少し長谷部が遅れてきたのは、新菜に咎められたせいだったと話していたことを思い出す。長谷部はあのとき、苦々しい顔で話をしていた。
「あなたもあなたで、どうしてOKしちゃうの。何も考えてないの?」
ああ、そうか。と、優花は不意に納得した。新菜はこれが聞きたくて、わざわざ嘘までついてあの状況から優花を連れ出したのだ。
「何も考えていないわけじゃなくて、ただ……」
「ただ?」
急かすように新菜が言葉を重ねてくる。優花は、短く息を吸って、一気に答えた。
「誕生日は、祝ってあげたいって思ったから」
虚を突かれたように、新菜は眉をひそめた。
「誕生日?」
「そうだよ。九月十二日は、先輩の誕生日だって聞いて。だから」
「そのせいで、今みたいに理不尽に責められてもいいっていうの?」
再び、新菜が畳みかけてきた。負けじと優花も言い返した。」
「いいってわけじゃないけど、悪いことしてるわけじゃ……」
「そういう中途半端なところが、周りの反感を買うんじゃないの?」
「中途半端って……」
「私にはそう見える。付き合ってるわけでもない、でもそうやってデートしてみたり、学校内でも仲良くして見せたり。兄の気持ちをもてあそんでいるようにも見える」
「そんな、もてあそんでるなんて」
「あなたにそのつもりがなくても、そうなの。無意識にやってる分、たちが悪い」
どういう気持ちで、新菜はこんなこと言ってくるのだろう。優花は頭の中を巡らせたけれど、わからなかった。わかるのは、遠野夏葉たちから離れられたけれど、今はもっとひどく新菜から責め立てられているこの状況が「たちが悪い」ということだった。
「付き合う気もないなら、兄とは距離を置くべきよ。大事な受験を控えてるんだから。うちに波風立たせないで」
言いたいことを全部言ったという様子で、新菜は再び優花に背中を向けて速足で歩いて行った。優花は呆然とそこに立ち尽くしていた。
(うちに波風を絶たせないで、って私に言われても)
やっぱり、女子はなぜ女子を責めるんだろう。長谷部から離れたところで、その問題は解決するものなのだろうか? 優花は深く深くため息をついてから、のろのろとした足取りで百合の待つ教室に戻っていった。




