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長谷部の家庭の事情

 アイスを食べ終わってからも、二人はまだ並んで外を見ながら話していた。ここに座ったばかりのときは、さっき見た映画に学校の話と、二人に共通した話題しか出なかったけれど、いつしか、話題は優花の家族の話になった。長谷部が聞きたがったのだ。

「別に、面白いことありませんよ?」

 優花がそう言ったけれど、長谷部は意に介した様子もなく微笑んだ。

「いいんだよ。普通の話が聞きたいんだ」

 普通、というキーワードが出てきて、長谷部の家庭事情のことが頭をよぎった。複雑な家庭の事情があるのだと、百合を通して宮瀬から聞いた。それ以上詳しいことはわからない。

(先輩の話は、聞かないほうがいいのかな)

 ちょっと聞いてみたい、という気持ちももたげたけれど、あえて尋ねるのはやめようと思った。詳しく知らない分、余計なことを言って今の雰囲気を壊したくなかった。

「でも、何話したらいいんでしょう?」

「じゃあ、俺からいろいろ聞いたほうがいいのかな」

 というわけで、優花はインタビュー形式で話すことになった。

 長谷部がまず尋ねてきたのは、意外なことに先月産まれた姪っ子の話だった。

「赤ちゃんと触れ合ったことなんか一度もないんだよね。だからどんなのか興味ある」

 というのが彼の理由だった。優花だって、愛実が産まれるまで身近に赤ん坊がいたことなんてなかった。抱っこした経験もなかった。初めてお世話するときは、おっかなびっくりだったことを正直に話す。

「でも、もう慣れたんでしょ?」

「まあ、もう一月ひとつきくらい経ってますから、それなりには……お手伝い程度ですけど」

「橘さんはいいお母さんになれそうだね」

 その言葉に、ちょっぴりドキリとする。別に、他意はないことはわかっているけれど、妙に意識してしまった。

 愛実の日常の話をしばらくするうちに、兄の話になった。兄が愛実に対してはもちろん、自分に対しても心配性すぎて困ると話したら、長谷部は軽く笑いながらうなずいた。

「なんとなく、お兄さんの気持ちわかるな」

「わかるんですか?」

「そりゃ、橘さんが妹だったらねえ」

 そういえば、この人もまた「兄」だったのだと思い出す。優花のクラスメイトの長谷部新菜。夏休み前に二人が話すところを見たけれど、それは優花をきっかけにしての喧嘩だった。お互いに冷ややかで、距離のある兄妹だったという印象がある。

「長谷部さんのことは、心配になったりしますか?」

 うっかり尋ねてしまってから、後悔した。長谷部は一瞬眉根を寄せて口をつぐんだからだ。

「あ、すみません……なんでも、ないです……」

 優花は顔をそらして言った。一呼吸あって、長谷部が首を横に振った。

「ううん。橘さんの話ばっかりじゃ、確かにフェアじゃないよね」

 ちらりと様子をうかがった。長谷部はいつものさわやかスマイルだった。でも何となく、その裏に陰が隠れているのを感じ取った。

「妹とはね、仲良くないんだ。どっちかというと、あっちが俺のこと嫌ってる」

 そこで、長谷部は窓の外に視線を向けた。そのスマイルは変わらないまま。

「俺なんかこの世にいなければいいのにって、思ってる。きっと」

「そんな、まさか」

 優花は長谷部の横顔を見つめた。その表情は、何一つ変わっていなかった。まるで、笑顔が張り付いているかのように見えて、胸の奥が、ずきんと痛んだ。

「まさかなんかじゃないよ。だって……俺のせいで、妹の人生が狂ったんだ」

「狂った……?」

 長谷部の言わんとすることがわからなくて、優花はただおうむ返しに尋ねる。

「新菜は、本当は他の高校に行きたかった。でも、俺があの高校に行ったから、入らなければならなくなったんだ」

「で、でも。別に兄妹で同じところに行く必要なんて……」

「普通はないよね」

 長谷部は優花の言葉を遮るように言うと、視線だけをこちらに向けた。それがあまりにも暗い、冷たいもので、続けようとした言葉は一瞬でかき消されてしまった。

「でも、親の意思で新菜も同じ高校に来た。俺が、受験期にまたおかしなことをしでかさないよう、見張るために」

「また……?」

 いろいろ聞きたいことはあったけれど、この言葉が引っ掛かった。また、おかしなことを……?

「ホントは、桜町の高校なんて、受ける予定なかった。都心の私立高校を受験するはずだったんだ。……でも、俺はそれをすっぽかして、勝手に今の公立高校の試験を受けたんだ」

 百合伝に聞いた、宮瀬の話が符合する。長谷部は、本当はいいところの私立高校に入るはずだったのに、親の反対を押し切って、今の高校に入学してきたこと。その爽やかな空気の陰に持っている、彼の反抗心のこと。

「要は、俺のせいで妹は損な役回りをさせられることになったんだ。俺が素直に親に従ってたら、新菜は自分が行きたいところに行けた。だから、俺のこと相当恨んでるね。もともと、そんなに仲良かったわけじゃなかったけど、俺の身勝手が、決定打になったかな」

「そんな……」

「でも妹は親に忠実でね。しっかり俺の見張りをしてるよ。今日だって、出かけるとき揉めたんだ。どこに行くんだ、誰と行くんだって。おかげで遅刻するはめになった」

 自棄になったような笑みを浮かべて、吐き捨てるように長谷部は言った。優花は、何も言えないまま、ただ横顔をずっと見つめていた。長谷部の目が、悲しげに揺れているのを優花は見て取った。

「……ごめんね、こんな話になって。こんなこと話すつもりじゃなかった」

 数秒の間のあと、目を伏せながら長谷部がつぶやいた。口元には少し笑みを浮かべていたけれど、目は相変わらず辛そうなままだった。

(私だって、聞くつもりじゃなかった。聞かないでおこうって、思ってたのに)

「謝らないでください。私が、聞いたのがいけなかったんです……ごめんなさい」

 優花の言葉にハッとするように、長谷部がこちらを向いた。そして、その表情はゆっくりと優しい微笑みに変わっていった。

「君は、優しいんだね」

 低く、ささやくような声だった。途端に、優花の心臓がどきんと高く跳ね上がった。

「い、いえ……別に、そんなんじゃ……」

 どぎまぎしながら、優花は慌てて目をそらした。

(この声、心臓に悪い)

 長谷部が普段話す声のトーンは、低すぎず、かといって高くもない、耳に心地よい音だ。でも、不意に織り交ぜてくるこの響きは、いつも優花の心臓をざわつかせる。

「君の家族も、きっとみんな優しいんだろうね。君を見ていると、そう思えるよ」

 家族には、竜のことも入っているのだろうか。そんな考えが頭をよぎったけれど、言葉にはしなかった。なんとなく、竜の名前を自分から口にしてはいけない気がしていた。長谷部に遠慮してというよりは、竜に対してのやましさがそうさせた。今日、長谷部と会うことは内緒にして出かけてきた。内緒にしているのは兄も同じだけれど、竜にはまた別の後ろめたさがあった。

「俺も橘さんの家に居候したいなあ。あの彼がうらやましいよ」

 ぎくりとして長谷部を見つめた。今しがた、竜のことを言葉にしないようにと思っていたのに。長谷部のほうから話題を振ってくるなんて。

 目を丸くしている優花を見て、長谷部はいたずら少年のように不敵に笑みを浮かべた。

「でも、今日少しはハンデを埋められたと思ってる」

「ハンデって……別に、竜と私は何にも……」

「何にもないって思ってるのは、橘さんだけかもしれないよ」

「えっ……?」

 思わず眉をひそめて首をかしげてしまう。その反応を見て、長谷部はまた楽しそうに軽く声を立てて笑った。

「だから、またデートしてね。これ一回きりじゃ、足りないよ」

 ね? と、長谷部は優花に顔を近づけて低くささやいた。落ち着きかけていた心臓が、再び跳ねる

(私がこれに弱いって、わかってやってるのかな)

 至近距離の長谷部から離れることもできず、目をそらすこともできず、優花は「はい」と知らぬ間にうなずいてしまっていたのだった。


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