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デートの会話は

 目の前の大きなスクリーンで繰り広げられているのは、小学生の少年と少女、そして一匹の白い犬を中心とした、ファンタジーな3Dアニメーションだった。夏休み前からCMなどで公開宣伝をしていたし、評判も良いという話も聞いていたので、この映画のことは優花も知っていた。

 周りを見渡せば、どちらかといえば客層は家族連れが多かった。優花たちの隣にいるのも、小学校低学年くらいの女の子を連れた三人家族だった。女の子は時折、理解できないシーンが出てくると、両サイドにいる母親や父親に向かってひそひそと尋ねていた。意味がわかるとパッと明るい顔になって、また映画に向き合っているのは微笑ましかった。

(先輩がこういう映画選ぶと思わなかったな)

 洋画のアクションものやラブストーリー、高校生が主役の青春もの、コメディー映画に社会派の難しそうな内容のものなどいろいろあった中で(もちろんホラーもあった)、ファミリー層向けの映画がチョイスされたのはちょっと驚きだった。

 ちらりと長谷部の様子をうかがった。長谷部の横顔に、映画の光が影を落とす。その表情は読み取れなかった。映画に集中しているともとれるし、何も感じていないようにも見えた。

(竜も、こんな表情する……)

 不意に家での竜の様子を思い出した。みんなで同じドラマや何かを観ているときならば、適当に突っ込みを入れたり笑ったりする竜だけれども、一人でテレビを見ていたり、マンガを読んでいたりする時は決まって無表情だ。特に面白くもなんともない、というような感じ——。

(もしかして、私に気を遣って、こういうのにしてくれたのかな)

 本当は違う映画が観たかったのではないのかな。そんなことを考えている優花の視線を感じたのか、長谷部の瞳がこちらを見た。思わずギクッとする。

「どうしたの? 面白くない?」

 少し顔を優花に近づけて、ささやき声で長谷部が尋ねてきた。吐息がかかる距離に優花はドキドキしながら慌てて首を振る。

「そ、そんなことないです」

 優花の返答に、長谷部は近距離を保ったまま微笑んだ。

「それならよかった」

 そう言いながら、長谷部はまた席に座りなおして映画のほうを向いた。優花もぎこちなく前を向いた。余計なことは考えず、とにかく映画に集中しようと努めることにした。そのときちょうど、映画の中の犬が元気よく「わん」と鳴いた。それが、「ちゃんとこっち観てよね」と言われているようにも聞こえた。



 エンドロールが終わって、館内がゆっくりと明るくなった。気の早い人たちはエンドロールが始まった瞬間から立ち上がって去っていったけれど、長谷部と優花は動かなかった。長谷部が動くようなら一緒に行こうと思っていたけれど、彼はエンドロールもじっと最後まで見ていたので、優花もそれに従った。

 映画館で映画を観たことがあまりなかった優花だったが、エンドロールを観ながら、最後の音楽が消えていくまでこうして黙って観ているほうがいいのだと知った。音楽を聴きながら、映画の世界に入り込んでいた自分を徐々に現実に引き戻す。感情を落ち着ける。明かりがついて周りの世界が見えてきて、次第に夢から覚めていく。この感じが映画館の良いところなのだと思った。

 完全に明るくなってところで、優花は長谷部のほうを見た。ほぼ同時に、長谷部も優花のほうを見た。

「出よっか」

「はい」

 二人で、外に出ていく観客の最後尾について劇場の外に出た。エントランスまで来ると、映画を観終わった人とこれから観る人とでごった返していた。にぎやかな人混みの向こうに出口がある。

 優花は人混みを抜けていくのが苦手だった。いろんな人の声が耳の中で広がって、頭がぼうっとする感じがするのが嫌だった。それに、背が高くないほうなので、一度人混みに埋もれてしまうと先が見えなくり不安になるのも苦手な理由だった。

「はぐれないでね」

 長谷部はにっこりと優花に向かって微笑みかけた。そして器用に人混みをかき分けて歩き始めた。優花はその背中について行く。長谷部は時折振り返って後ろを確認した。優花は気づいた。長谷部は、優花が歩きやすいように道を作ってくれているのだ。

(先輩はこういうことさりげなくできちゃうんだなあ)

 おかげで、優花は何の苦労もなく映画館の外に出ることができた。一歩外に出た瞬間、むっとした湿気を含む空気と残暑の暑さが体を包む。アスファルトの照り返しがまぶしくて、目を細めた。

「さて、橘さん。食べ物に好き嫌いとかある?」

 時刻はお昼を少し過ぎていた。少しお腹が空いたような気もするけれど、優花は食べられるかどうか心配だった。というのも、朝からずっと緊張していて、朝ごはんも少なめだったくらいなのだ。映画館につきもののポップコーンも、キャラメルの甘くていい匂いがしたけれど、買わなかった。いや、買えなかった。長谷部が「食べる?」と聞いてきたけれど、とてもではないが隣でのんきに食べながら映画を観られる気がしなかったのだ。

「特にないです」

 優花が答えると、長谷部は「それなら」と少し思案顔になってから、おそるおそるといった様子でこう言った。

「俺、今食べたいものがあるんだけど……」



 長谷部が連れてきたのは、一軒のファストフード店だった。そこは、夏休みの終わりに竜と一緒に来た店と同じだった。

(ここで、あの竜の昔の仲間と遭遇しちゃったんだよね……)

 その時のこと思い出して、心なしか身構えた。それが態度に出たのだろうか。長谷部が心配そうに優花を見た。

「ここでいいかな」

「は、はい。大丈夫です」

 何が大丈夫なんだと思いながら、優花はコクコクとうなずいた。

 注文したものがすぐに出てきて、二人で二階席に向かった。テーブル席がすべて埋まっていたので、窓際のカウンター席に並んで座る。

「ハンバーガー、久しぶりだな」

 少年のような笑顔で長谷部が言うので、優花は思わずクスリと笑ってしまった。

「好きなんですか? ハンバーガー」

 自然に言葉が出てきたことに驚いた。正直言って、今の今まで何を話したらいいのかわからなかったのだ。長谷部の問いに答えるのが精いっぱいで、自分から話しかけたりすることはできなかった。映画の間は話さなくて済むので、多少気が楽だったが。

「そうだね。ときどき無性に食べたくなる感じかな。橘さんは、こういうのよく食べる?」

「いえ、あんまり。この間久しぶりに食べたくらいで……」

 そこまで言ってから、はっとなって口をつぐんだ。でも、瞬時に後悔した。こんな言葉の途切れ方は不自然だ。明らかに気まずい何かを隠しているように聞こえてしまう。

「この間?」

 少しだけ、長谷部の口調が鋭くなった気がした。

「えっと……夏休みの終わりに、来たんです。ここに……」

「来たって、誰と?」

「……竜です」

 やっぱり、という様子で、長谷部が小さくため息をついた。

「なんだ。先越されてたんだ、あの彼に」

「あ、いや。でも結局、中では食べなかったんです。いろいろあって、テイクアウトすることになって。この席に座って食べるのは初めてなんです。ホントに」

 言いながら、なんでこんなに苦しい言い訳みたいなことを言っているのだろうと思った。別に、やましいことがあったわけではないのに。竜のことは、長谷部の前で話題に出してはいけないような。勝手にそんな気がしていた。

「いいよ。そんなに必死にならなくても」

 困ったように、長谷部が笑った。それから、思い出したように言葉を付け加えた。

「そういえば、彼は誕生日プレゼント喜んでくれたかな?」

「は、はい。もちろん。あの時は、ありがとうございました」

「お役に立てたようでよかったよ」

 にっこりと微笑むと、長谷部はハンバーガーの包みを開いた。両手でハンバーガーを持ち、そのまま大口で頬張った。あまりの豪快さに、しばしぽかんと見つめてしまった。

「食べないの?」

 飲み込んでから長谷部が優花を振り返る。

「あ……はい。食べます」

 慌ててハンバーガーの包みをがさがさと開いた。そして小さく一口だけ食べる。バンズだけで具が口の中に入ってこなかった。味がなく、もそもそとしていておいしくなかったけれど、長谷部が見ているところで大口開けて食べるのは気が引けた。

(竜だったら、平気なんだけど)

 きっと、遠慮なくかぶりつくことができたのだろうと思った。普段一緒に食事をしているのだから、当然なのだろうけれど――。

そこで長谷部がクックッと喉の奥を鳴らすように笑い出した。

「緊張しすぎだよ」

「え……」

「最初っからずっと硬いね。もっとリラックスしてもらえるとうれしいんだけど」

「……すみません」

 どう返したらいいかわからなくてとりあえず謝る。すると長谷部はますます笑った。

「まあ、一番最初の頃よりは打ち解けてきてくれてるから、良しとするか」

 一番最初とは、出会った頃のことを言っているらしい。あのときは、長谷部に対して警戒心しかなかった。それなのに、今はこうして二人だけで並んでハンバーガーなんか食べている。自分でも、その心境の変化はびっくりだ。

「実はね、女の子とこういうところでご飯食べるのは初めてなんだ」

「え?」

 嘘でしょ、という考えが頭をよぎった。

「その顔は信じてないね?」

 すぐに図星をさされて言葉に詰まる。しかし、ここは思い切っていうべきだろうと考えて、自分の思うまま言葉にした。

「だって……先輩は、いろんな人とデートしたことあるでしょう?」

 すると、長谷部は一瞬目を丸くして、気まずそうに頬をかいた。

「かなり直球で来たね。――でもまあ、そのとおりだよ。だけど、こういうところには来なかった。というか、大概の女の子って、何でもいいっていう割に何でもよくないんだよ。おしゃれなカフェとか、イタリアンとか、そういうところじゃないと納得しないっていうか」

 そこで長谷部は一度言葉を切って、一口コーラを飲んだ。

「今日の映画だってそうだよ。俺は、どちらかといえば今日みたいな動物が出てくるようなのが観たいけど、普通の女の子はそうじゃないんだ。泣ける映画とか、やっぱり恋愛ものとか期待する。最初はそういう期待に応えてみるんだけどさ、だんだんうっとうしくなってくるんだ」

「それで、すぐ別れちゃうんですか?」

 優花の言葉に、長谷部はますます困ったように笑った。

「なんか、今日は容赦ないね」

「だって、そういうことじゃないですか」

「まあ、そういうことになっちゃうけど……つまりね、今日はでいられる気がするんだよ。橘さんは今までの子たちと違うって言うか」

「なんか……私が普通じゃないみたいな言い方ですね」

 少し非難がましく言うと、はははっと長谷部は軽く笑った。そして、優花を流し目で見ながら色っぽく微笑んだ。

「そうだよ。普通の女の子とは違う。――だからこそ、君が気になってしょうがないんだ」

 かあっと一瞬で顔が火照った。心臓がバクバクと激しく騒いだ。たまらず目をそらしたけれど、隠し通せるものでもなかった。

「ホント、君はいい反応するようになったね」

「だ、だから、からかわないでくださいっ」

「からかってないよ。ほめてるんだよ」

「全然ほめてないです」

「ホントおもしろいね、橘さんは」

 長谷部は心底楽しそうに笑って言った。

「もう、いいです」

 なんだか、長谷部のペースにすっかり巻き込まれてしまっている。優花は無理やり抜け出そうと、ハンバーガーを思い切りかじった。

「うん。そうやって遠慮なく食べてる姿がいいね」

 言い返したくても、口の中はハンバーガーでいっぱいだった。優花が精いっぱいしかめっ面をすると、長谷部はますます楽しそうに、腹を抱えて笑いだす始末なのだった。


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