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デートの装い

「なんか、今日はやけにおしゃれするんだな」

 九月だというのに少し蒸し暑い土曜日の午前。玄関先で竜に声をかけられて、白いワンピース姿の優花は内心ぎくりとする。

「この間も百合と出かけてたのに、またどっか行くのか?」

 竜の言う通り、百合と買い物に出かけたのはついこの間の話だ。そして今日も百合と出かける――ということになっている。

「いいじゃない。何度一緒に出かけたって」

 これ以上追及されたくない優花は、平静さを装いつつ、急いで靴を履いた。

「まあ、いいけどさあ、それにしたってその格好……」

「じゃ、行ってきます」

 まだ何か言いたそうな竜を残し、優花はさっさと外に出た。残暑の日差しがまぶしくて、思わず目を細めた。天気予報では、今日の夕方には雨が降ると言っていたけれど、今はそんなことを感じさせないほどの青い空が広がっている。

(やっぱ……変かな。変だよね)

 優花は今一度自分の姿を確認する。白地に小花がちりばめられたひざ丈のワンピース。上に透け感のある水色のカーディガンを羽織っている。そしてちょっとヒール高めのおしゃれサンダルは、転びそうで何とも心もとない。普段しない格好なので、今一つ自分に馴染まず、着せられている感が否めなかった。制服以外で普段着ている服と言えば、ここ最近はTシャツ(無地に近いものが多い)とジーンズのショートパンツくらいで、スカートを着るなどほぼ皆無だ。靴もたいていはスニーカーか楽にはけるサンダルのみ。

 そんな優花が、珍しい格好をしたのには訳がある。今日はいよいよ、長谷部とのデート当日なのだ。

「優花ちゃん。初めてのデートなんだから、いつものシンプルすぎる格好じゃダメよ」

 長谷部とデートする日を知った佳代が、あれやこれやと自分のもう着ない服などを実家から持ってきて、ああでもないこうでもないとコーディネートし始めた。そして最終的に落ち着いた格好がこのワンピースだった。おしゃれサンダルは去年まで佳代が履いていたものだ。今は赤ん坊がいてヒールのある靴を履く機会がないので、優花に譲ったのだった。背格好が近いので、こうしてたまに佳代のお下がりをもらうことがあるけれど、今回のお下がりは気合が入っていた。

(百合といい、お姉ちゃんといい、張り切りすぎだってば……)

 そうやって周りが盛り上がっているせいか、優花は妙なプレッシャーを感じて緊張してきてしまっている。

 今日の予定は、これから桜町の駅前で長谷部と待ち合わせてから、映画館に行くことになっている。桜町の駅ビルには映画館が併設されているのだ。まだ何を観るかは決めていない。というか、長谷部に任せている。長谷部の誕生日なのだから、彼が観たいものを観たほうがいいと思った。でも、これだけはリクエストしていた。

「ホラーだけはやめてください」

 そう言った時の長谷部の面白がっている表情を見て、少し心配になったことを思い出す。

(大丈夫だよね。先輩は、からかってくるけど、わざとホラー選んだりする人じゃないよね)

 一抹の不安を胸に、優花は待ち合わせ場所に到着した。歩きなれないサンダルのせいか、いつもより時間がかかってしまった。

 時刻は待ち合わせ時間ちょうどくらいである。あたりを見回したが、長谷部らしい姿が見えなかった。

(電車でも遅れてるのかな……)

 長谷部の手元にはいまだスマホがなく、今ここで連絡を取る手段がなかった。優花はふうっとため息をついた。こうして待つことになると、緊張度が増してくるような気がした。

 駅前は、たくさんの人が行きかっている。待ち合わせをしている人も多かった。小学生くらいの女子が数人集まったグループ、中学生くらいの男女混合のグループ、大学生くらいのカップル。それぞれ目的の人が来ると、パッと明るい笑顔になってその人を迎える。にぎやかに話をしながら、駅の改札を抜けたり、駅ビルのほうに向かったりするのを眺めながら、優花はぼんやりと考えた。

(先輩が来たとき、私、どんな顔すればいいんだろう)

 普通なら、笑顔で迎えるところなのかもしれない。けれど、今の自分にその余裕はない。緊張と気恥ずかしさとで、まともに顔を見られるかも怪しい。

 笑顔は無理でも、せめて顔は見られるように努力しよう。そう心に決めて、頭の中でシミュレーションをしているときだった。

「彼女、一人?」

 突然声をかけられて、びくりと体が震えた。見ると、知らない男子二人が満面の笑顔で立っていた。

(あ……面倒なのが来ちゃった)

 まず思ったのはこれだった。ここしばらく、声をかけられることがなかったせいか、少し油断していた。こういう場所で一人でいるときは、気を付けなくてはいけなかったのに。

「ひまなら、一緒に遊ばない? 俺たちもひまでさ」

 男子二人は、高校生か、大学生くらいだろうか。たしかにひまなのだろう。こんなところで声をかける女の子を探しているのだから。優花はふいっと顔をそらして無視をした。答えずにいると、あきらめて引き下がる場合もある。食い下がってきたら、無言でその場を立ち去る。できれば交番などがある方向へ。そうすれば、無理に追いかけてはこない。しかし、今は長谷部を待っているのでこの場を動けない。彼らがあきらめて引き下がってくれればいいのだけれど……。

「そんな警戒しなくても平気だよ。俺たちだって、誰でも構わず声をかけてるわけじゃないんだから」

 残念ながら、簡単には引き下がってくれなかった。仕方なく、無視をし続けた。ここで下手に応えたらだめなのだ。かえって相手をつけあがらせてしまうのは経験済みだ。ともかく、耐える。これしかない。

「ねえねえ。行こうよ」

 明るい調子でナンパ男の一人が言いながら、優花の肩に手を置いた。さすがにこれにはイラっと来て、鋭くにらみつけた。男子二人が一瞬ひるんだ。そのときだ。

「優花」

 名前を呼ばれて、どきりとした。声の主を見た。長谷部が最高にさわやかなスマイルをたたえて立っていた。——でも、目は笑っていないのは、誰が見てもわかる。

「俺の彼女に何か用?」

 長谷部の口調はいたって落ち着いていた。でも優花の肩に乗せられていた男の手を勢いよく叩き落とした。笑顔のままでその一連の動作を行ったから、かえって凄みを感じる。

「じゃ、行こうか」

 ナンパ男が逃げ腰になっているすきに、長谷部は優花の手を自然な流れで握ると、素早くその場を離れていった。

(え……あ、あれ。なんか、手、つないじゃってるんですけど)

 長谷部の手は優花の手を包めるほど大きくて、力強かった。しっかりと握られた自分の手を見て、優花は軽くパニックになっていた。

(しかも、名前……呼び捨てだったし)

 名前で呼ばれて、一瞬誰が自分を呼んだのかわからなかった。顔を見て初めて長谷部だと気づいたのだった。

(というか、こんなことが前にもあったような)

 思い出そうとするけれど、思考回路がうまく働かなかった。そんな優花をよそに、長谷部はどんどん先へと進み、とうとう駅の外に出てきてしまった。そこで長谷部はようやく足を止めた。そして優花を振り返り、すまなそうな表情をした。

「ごめんね、橘さん。遅くなっちゃって。ちょっと家を出るときいろいろあって……」

 呼び方が、いつもの調子に戻った。優花は慌てて首を横に振った。

「いえ。私もさっき来たばかりで……」

「でも待たせちゃったから、あんなのに絡まれたよね。ホントごめん」

「大丈夫です。だって、先輩が助けてくれたし……」

「そりゃ当たり前だよ。あんな場面見たらさ」

 長谷部は少し眉を寄せた。どうやら怒っているらしい。

「一瞬カッとなって、あいつら殴り倒してやろうかと思ったんだ」

「え……」

 長谷部らしからぬ発言に、優花は目を丸くする。長谷部がカッとなるのも、人を殴り倒したいなんて言うのも、全然イメージにない。

 びっくりしている優花を見て、長谷部はちょっと気まずそうに目を伏せながら笑った。

「でもそれはいろいろ面倒なことになるしね。どういうのが一番いいのかなって考えたら……あの瞬間、急に思い出したんだ」

「思い出した……?」

 優花が首をかしげてから、ややあって、長谷部はつぶやくように言った。

「……打ち上げの、カラオケのときに、あの居候の彼がしたこと……ね。そしたら、咄嗟に名前を呼んでた」

 そうだ。先ほどの既視感はこれだったのか。優花も思い至った。

 長谷部に迫られて優花がどうしようもなかったとき、竜が助けてくれた。「優花」と名前を呼んで、颯爽と現れて、あっという間に長谷部から放してくれた。こんなふうに手をつないで――。

「……あ!」

 弾かれたように、優花は長谷部とつないでいた手を振りほどいていた。長谷部は虚を突かれたような表情になった。優花も、自分の行動に一瞬息をのんだ。

「え、えっと。ごめんなさい、えっと……その……」

 優花は、目を泳がせ、髪を耳にかき上げながら言い訳を必死に探した。自分でも、なぜこんなことをしたのかわからなかった。考える前に、体が動いていた。そして今になって、体の奥底から「チガウ。これはチガウ」という声が響いてきた。でも、何が違うというのか。優花は理解できないでいた。

「……今日は、おしゃれしてきてくれたんだね」

 戸惑っている優花に、あくまでさわやかに長谷部が声をかけてきた。その表情は、やさしかった。

「似合ってるね」

「え……あ、ありがとう、ございます……」

 話を変えてくれたのだと気づく。しかし、慣れない格好をほめられて、今の自分の行動の気まずさも相まって、居心地がかえって悪かった。

「じゃ、行こうか。映画、始まっちゃうから」

「はい……」

 長谷部が、優花の横に並んだ。ゆっくりとした歩調に合わせて、優花も歩く。でも、顔は見られなかった。優花はずっとうつむき加減で、残暑の光の照り返しを見ていた。

(当たり前だけど……竜と違う。竜の手とは、違う)

 先ほどまで握られていた手を、無意識に反対の手で握る。

(竜と、違う……)

 だからなんだというのか。こんな当然なことが、どうして頭の中をぐるぐる回っているのか。優花はその理由を探ろうとしたけれど、映画館に着くまでに結局見つけることはできなかったのだった。


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