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放課後の打ち合わせ

 長いホームルームで新学期初日は終わった。ほっと一息ついたところに、つかつかと歩み寄ってくる人がいた。長谷部新菜だった。

「ポスター班の顔合わせと、今後のスケジュールについて確認したいので、一度集まってもらっていいですか」

 優花の返事を待たずに、新菜はさっと踵を返して行ってしまった。

(うーん。大変な班に入っちゃったかな)

 背中を見送りながら、こっそりとため息をついた。それから、少ない荷物をまとめて、新菜の待つ教卓前に向かった。パラパラとそれぞれの席から人が集まってくる。自分を含めて全員で八人だった。百合、高山、河井、そして新菜。そこまではよくわかる顔ぶれだ。残りの三人は、顔は知っていても、ほとんど話したことのない人だ。

(えっと……確か、橋爪はしづめさんに、根本ねもとさん。それから栗林くりばやしくん)

 優花は一人一人の顔を見ながら名前を心で確認した。話をしたことがないと、よほど目立つ人でない限りは名前も頭になかなか入ってこないものだ。

「橋爪さんたちは、確か美術部でしたね?」

 新菜が女子二人のほうを向いた。

「そうです」

 と、橋爪聡子はしづめさとこがうなずくと、肩までに真っ直ぐきれいに切りそろえられた黒髪がさらりと揺れた。きれいなストレートヘアだな、と思いながら、なんとなく聡子のキューティクルを見つめた。

「できれば、二人にデザインや下絵をお願いしたいのですが、どうですか?」

「デザインとかなら、美紗みさが適任だと思うけど。中学のときも文集の表紙とかやってたもんね」

 聡子が隣の根本美紗ねもとみさを振り返った。美紗はぽっちゃりとした小柄な女の子で、癖の強い髪を一つにまとめて縛っていた。髪質が対照的な二人がいつも一緒にいるのは知っていたが、部活が同じというだけでなく、中学からの付き合いだったようだ。

「栗林くんの絵もかっこいいんだよ。プロみたいに」

 美紗がさらに栗林勇くりばやしいさむを振り返った。栗林の長く伸ばした前髪の隙間から、一重にすっと伸びた目がのぞいている。

「栗林君は……特に部活は入っていないようだけど」

 新菜が確認すると、彼はゆっくりとうなずく。

「マンガとかアニメとか、そういう感じの絵なら」

 声は小さかったけれど、低くてよく響いた。こんな声の人だったのかと、改めて思う。授業中に発言するタイプの人ではないせいか、その声を聴いたことがほとんどなかった。

「では、二人はできれば来週までに簡単なデザインをいくつか描いてきてもらっていいですか?」

 新菜は、てきぱきと今後の段取りを決めていった。誰も何も考える必要がなかった。新菜の指示はそれほどスキがなくて、意見を挟む余地がなかった。

(すごい……けど、なんか、全部決められちゃって、窮屈な感じ)

 心にひっかかるものがあったけれど、絵が描けない優花はとりあえず黙って従うしかなかった。絵柄が決まらない以上、優花ができることはほとんどないのだ。

 話し合いが終盤に差し掛かったころだった。

「あの」

 不意に声をかけられて、ポスター班の全員が声の主を振り返った。クラスの女子の一人だった。彼女は、一斉に視線を向けられて息をのんだ様子だったが、すぐに優花のほうを向いた。

「橘さん。呼んでます」

「え?」

 優花が首をかしげると同時に、彼女は教室後ろのドアのほうを見た。

(は……長谷部先輩)

 廊下から長谷部が教室の中をのぞいていた。びっくりしすぎて、声が出なかった。長谷部は優花と目が合うと、いくらか気まずそうに微笑んだ。そして、小さく指を動かして手招きをした。

「じゃ、私はこれで」

 呼びに来た彼女は、これで役目は果たしたと安心した様子で去っていった。教室を出る間際、長谷部が彼女に何か言った。お礼でも言ったのだと思うが、彼女は顔を真っ赤にして足早に姿を消した。

 思わず百合を見てしまう。百合が目線だけで「行って行って!」と促してきた。

(いやでも、これを抜け出すのきついでしょ……)

 ポスター班全員の視線が痛かった。特に、新菜の視線が鋭く突き刺さってくる感覚があった。表面上にはわからない、けれど優花にはわかる、はっきりとした敵意のような感じ。

「す……すぐ戻ります」

 ともかく、このまま待たせているわけにもいかないので、優花は急いで長谷部のところに向かった。横から、背後から、いろんな好奇の視線を感じる。でも、できるだけ平静を保つように心がけた。

「ごめんね。目立つようなことして」

 謝っている割に、悪びれた様子もなく長谷部が微笑んだ。

「今、忙しいかな」

 そう言われて、優花はちらりとポスター班の様子をうかがう。全員、遠慮なくこちらの様子を見つめている。何とも気まずい。

「え……あ、あの、今、文化祭のこと話してて……」

「そっか。それで集まってたんだ」

 納得した様子で長谷部はうなずいた。

「少し、話がしたいんだけど、このあと予定あるかな」

 話。きっと、あのデートの約束のことだろう。そう思うと、知らず知らずのうちに心臓がどきどきとし始めていた。

「いえ、特には……」

 家に帰って、家事をしたり佳代の手伝いをしたりしようと思っていただけだ。予定という予定は特になかった。

「じゃ、図書室で勉強しながら待ってるよ。文化祭の話が終わったら来てくれる?」

「……わかりました」

 優花がうなずくと、長谷部は安心した様子で小さく笑った。

 好奇の視線の中、再びポスター班のところに戻った。この気まずさをどうしたらいいかわからなくて、優花はただみんなと目を合わさないように目を伏せた。

「じゃあ、今後の流れを確認しますね」

 新菜は、何事もなかったかのように続きを話し始めた。それぞれの役割の確認やスケジュールを確認していたのだけれど、これから図書室に向かうことで頭がいっぱいで、うまく話が入ってこなかった。

 間もなく解散になった。新菜は忙しいと言わんばかりに、さっさと席を立って行ってしまった。聡子、美紗、栗林の三人も「それじゃ」と簡単な挨拶をして散っていった。

「先輩、なんだって?」

 百合がひそひそと尋ねてきた。これを聞きたくてずっとうずうずしていたのは、隣にいてよく分かった。

「図書室で待ってるって」

 百合は両手で口元を押さえて小さく悲鳴を上げた。

「やっぱ、先輩大胆。球技大会のときも思ったけど」

 と言ったのは河井だった。

「橘さん、とうとう人のものになっちゃうんですね……」

 と悲しげにぽつりとつぶやいたのは高山。

「いや、そういうんじゃなくてね……」

 否定しようとしたら、百合がそれを遮り、優花の背中を無理やり押した。

「もういいから。とにかく、先輩待ってるんだから早く行ってあげてよ」

 やっぱり百合が一番張り切ってる。そう思わずにはいられない優花だった。



 図書室は、第二教室棟の三階の隅にある。少し重い扉を開けると、図書室独特の紙のにおいがした。昼時という時間のせいか、人気がほとんどなかった。

 文庫本の敷き詰められた低い本棚の道を抜けていくと、図書室の真ん中に設けられた机の端に、長谷部はいた。参考書と問題集を広げ、ノートに向かってシャーペンをすらすらと動かしている。時折、長谷部の指が参考書をめくる。そのすらっと長い指の動きに、しばし見とれた。

(やっぱり……きれいな指だな)

 男の人特有の、骨ばったところはあるけれど、指の付け根から爪先までの流れが均整すぎて、繊細さをはらんでいる。それなのに、何か力強さも感じる。その相反しているような印象に、優花の心はざわついた。

 と、長谷部が視線をあげた。優花と目が合い、指の動きが止まる。そして小さく微笑んだ。そのはにかんだような笑顔に、優花は思わずドキッとした。

「いいタイミングだね。ちょうど一区切り解き終わったところだよ」

 小声で言いながら、長谷部は広げていた参考書類を閉じた。

「外行こうか」

 そうして、長谷部に連れられる形で優花も図書室の外に出た。

 第二教室棟は、理科室、家庭科室、美術室などの特別教室や、職員室やそれぞれの科目の教師の資料室がある。用事のある生徒しか来ないせいか、廊下も人がまばらだった。二人の足音が、ゆっくりと響くのが聞こえた。

「ごめんね、わざわざ来てもらって」

 歩きながらまた長谷部が謝ってきたので、優花は無言でフルフルと首を横に振った。

「ホントはメッセージしたかったんだけど、今スマホなくて」

「……失くしたんですか?」

 優花の問いに、長谷部は目を伏せて考え込む表情をした。でもそれは一瞬で、すぐに微笑みに変わった。

「失くしたって言うか……壊れたんだ」

 だから、しばらく優花にも連絡できなかったのだと長谷部は説明した。今度出る模試の結果が良ければ、新しい機種を買ってもらえる予定だとも言った。

(嘘はついてないんだろうけど……何か引っかかる感じ)

 優花には、その笑顔が表面上だけのものに見えた。何かを隠している。そんな気がしたが、それを尋ねてみようとは思わなかった。

「ちょっと不便だけど、人づてに君を呼んでもらうっていう古典的な手法を使えたのは面白かったな」

「なんですか、それ」

 おかげで、新菜ににらまれてしまったというのに。そのことはさすがに言わなかったけれど、優花はちょっと憤慨して見せた。すると長谷部がくすくす笑った。——これは本当の笑顔だと思った。

「ま、ともかく。そんなわけで、まだしばらくはスマホ無しの生活なんだ。君と話がしたいときはさっきみたいに呼んでもらうしかないんだけど……」

 それは遠慮したい。優花は切に思った。新菜だけではない、クラス中の注目を集めてしまったのだ。あんな目立つことはできるなら避けたかった。

「俺もさすがに何度も呼びだすの大変だから、明日も、帰りのホームルーム終わったらまた図書室来てくれる?」

 呼び出されるよりはいい。こうして約束してしまえば楽だと思い、わかりました、とうなずきかけて、優花は考えた。

 明日も? 

「あの、明日だけ、ですか?」

 おそるおそる尋ねると、長谷部はにっこりと深く微笑んだ。

「ううん。新しいスマホが来るまで、ずっと」

「ずっと?」

「そ。明日も、明後日も、その次も」

 突然、長谷部が歩みを止めた。びっくりして、優花も足を止めた。長谷部は、さっと身をかがめて優花の耳元でささやいた。

「俺だって、毎日君に会いたい」

 どきん、と激しく心臓が揺れた。一瞬にして、体中が火照っていくのがわかった。言われなくてもわかる。顔も、耳まで真っ赤になっている。

「とりあえず、今日はデートの日のこと決めたいな。日にちだけ決めて、詳しいこと何も話してないからね」

 長谷部は少し体を離すと、いたずら少年のようにニッと笑った。その笑い方が一瞬、竜のいつもの笑顔に重なって、優花はますます動揺した。

(先輩も、こんなふうに笑うんだ……)

 男の人は、みんなそういうものなのだろうか。優花は騒ぐ心臓をなだめながら、頭の隅で考え込んでしまうのだった。


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