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昼間のスナック

 それから、優花たちは一軒のファストフード店でテイクアウトし、圭輔の後について行った。落ち込んでいた竜だったけれど、ハンバーガーが食べたいという意志は変わっていなかったらしい。

 圭輔の母親のスナックは、駅前の細い路地を入った奥のほうにあった。長屋のような建物に、いくつもの扉が並んでいる。それのどれもが、スナックだったり居酒屋だったりする。その中の一つに、「さゆり」と書かれた看板のお店があった。圭輔はその店の扉に、手慣れた様子でカギをさした。

「今クーラーいれるから。ちょっと暑いの我慢して」

 そう言いながら、圭輔はカウンターに買い物袋を置き、店の奥のほうに消えていった。

 優花は竜の後ろに続いて恐る恐る中に入った。

「わあ……」

 思わず感嘆の声がもれてしまう。そこには、優花が想像していたスナックそのものがあったからだ。

 幅は狭いけれど、奥行きのあるお店だった。床やテーブル、カウンターは木目を基調としている。左手にカウンター席があり、そのカウンターの向こうの棚に、様々なお酒の瓶がびっしりと整然として並んでいる。右手にはテーブル席があり、重厚感のある赤いソファーが、テーブルを囲うように配置されている。

 きょろきょろと店内を見回しているうちに、天井のファンが回りだし、涼しい風が顔に当たった。エアコンがついたらしい。ほどなく、今度はカウンターの向こう側に圭輔が現れた。

「そこ、座って。ジュースもお茶も水もあるから、飲みたかったら言って」

 カウンターの下に冷蔵庫でもあるのか、圭輔は下からさっとコーラの瓶を取り出すと、ふたを開けて直接飲み始めた。

「勝手に飲んじゃっていいものなの?」

 心配になって尋ねてみると、圭輔は表情を変えないまま肩をすくめた。

「ソフトドリンクはそんなに出ないし」

 それはいいのか悪いのか、彼の言葉だけでは判断ができなかった。

 ともかく、優花と竜はカウンター席に腰かけた。そして、袋の中からテイクアウトしてきたものをガサゴソと取り出す。

「はい、これは圭輔の」

 優花は大きな一つの包みを渡す。助けてくれたお礼にと、圭輔の分も買うことになった。初め、要らないと言っていた圭輔だったけれども、結局は一番ボリュームのあるハンバーガーを注文していた。

(圭輔は食べ物で釣るのがいいのかもね……)

 この間の竜の誕生日会だって、食べ物につられてやってきたことを思い出す(もちろん、お祝いする意思もちゃんとあったと思うけれども)。

 それから、三人で黙々とハンバーガーをほおばった。騒動の後で、お腹が空いていた。暑さのせいで、のどもだいぶ乾いていた。何年振りかもわからないハンバーガーの味は、思った以上に美味しくて、圭輔のお店のコーラは今まで飲んだコーラの中で最高においしく感じた。

「さっきは、ごめんな。怖い思いさせて」

 それぞれのお腹が満たされてきたころ、不意に竜がつぶやいた。自分に言っているのだと気づいて、優花は首を横に振った。

「別に……竜が悪いわけじゃないよ」

「……いや。やっぱ、俺がまいた種だよ」

 竜はぽつぽつと話し始めた。

「あいつらと一緒にいたのは、中一のころだよ。父さんが死んで、葉山のじいちゃんばあちゃんのところに引き取られたときだ」

 竜の育ての父である葉山広樹の父母は、血のつながりのある日奈は可愛がったけれども、竜には冷たかった。優花は、その話を佳代を通して少し聞いていたけれど、竜本人の口から聴くのはひどくつらくて、何も言えずにただ黙ってコーラの炭酸の小さな泡が上がっていくのを見つめた。

竜は、淡々と、独り言のように語り続けた。

「そんなんだから、葉山の家は居心地が悪くてさ。学校も転校したばっかで友だちもいなかったし。どこにいてもつまらなくて、学校行かないで、家にも帰らないで、公園で時間つぶしたり、適当にその辺歩き回ってた。そういうとき、あいつらに声かけられた。こいつらやばいなと思ったけど、まあ、もうそういうのどうでもよくてさ。……あいつらと、どうしようもないこと、たくさんした。今思えば、ホント、バカだったな」

 そのとき、ふと、日奈の言葉を思い出した。


『悪い友だちとも付き合ったりして、警察に呼び出されちゃったりとかあったよ』


 日奈の話を聞いたときは、竜が警察沙汰なんて信じられないと思ったけれど、今は少し合点がいった。どこにも居場所がなかった竜が、たまたま声をかけてきた彼らと一緒にいることにしたのは、ごく自然の流れだったのだ。

「で、手に余ったじいちゃんばあちゃんが、俺だけ他の親戚のとこに押し付けたんだ。中二になる直前だったかな。おかげで、あいつらと手を切ることができたんだけど」

 そこで、竜は自嘲気味に鼻で笑った。

「自業自得ってやつなんだ、結局は……」

 そこで言葉が途切れて、優花は竜をちらりと見た。竜は、両こぶしを固く握りしめて、歯を食いしばるような表情をしていた。

「日奈と離れ離れになったのも、会いたいときに会えないのも、墓参りに行けないのも。今日、優花を危険な目に遭わせたのも……全部、俺が悪いんだ。俺が、バカだったから……」

 そんなことない。そう言いたかった。別に竜のせいではないと励ましたかった。でも、優花がいま思いついた言葉はどれも不正解のような気がした。上っ面だけで慰めているような言葉は、今の竜には届かない。どんな言葉をかけてやるのが正解なのか、優花が途方に暮れていると——。

「ホントにバカだねえ」

 突然やけに明るくて大きな声が店内に響いた。びっくりして声のほうを振り返ると、店の入り口に、小柄でやせている中年の女性が不敵な笑みを浮かべて立っていた。女性は、金髪に近い色に染めた髪をかき上げながら、つかつかと竜のすぐ横までやってきた。

「ホントに、バカだね。あんたは」

 女性は、笑顔のまま同じ言葉を繰り返した。そして遠慮なく竜の背中をバシバシとたたきながら言った。

「こんなとこで過ぎたこと後悔して、女々しく泣くんじゃないよ、まったく」

「泣いてなんかいないし」

 竜は反論したが、女性は全く聞く耳持つ様子もなく、容赦もしなかった。

「男はグチグチ言ってるのが一番みっともないよ。かっこ悪いったらないね。ホントどうしようもない」

(何もそこまで言わなくてもいいじゃない)

 確かに、竜は一時いっとき悪い仲間と一緒にいて、どうしようもないことをしたのかもしれない。でもそれは竜が悪いわけではない。その時の竜の孤独を考えたら、誰も責められないことではないか。ふつふつと優花の中で怒りがこみ上げ、思わず口を開きかけた時だった。女性はさっと優花のほうを見た。そしてふっと優しい瞳になって微笑んだ。優花は一瞬気をそがれて、言葉を飲み込んでしまった。

 女性は再び竜に視線を移し、打って変わって柔らかな口調で言った。

「でもね、あんたはバカでも、悪いのはあんたじゃないよ」

 竜がハッと顔をあげた。女性はにっこりと微笑みながらうなずいた。

「バカだったと思うなら、繰り返さなければいい。それだけのことだよ」

 ぽんぽん、と、今度は軽いタッチで女性は竜の背中をたたいた。そして、もう一度優花のほうを振り返った。

「それによかったじゃない。こうして愚痴聴いてくれる可愛い女の子がいて。こういう子、大事にしなさいよ」

 竜がちらりと視線を送ってきた。でもすぐに気まずそうな表情になって、目をそらしてしまった。

 そして、沈黙が下りた。女性は、言いたいことは言い切ったという満足げな表情だし、竜はうつむいたまま何も答えないし、優花はなんと反応したらいいのかわからないし、そもそもこの女性はいったい誰なのかわからないし。

 この誰も何も言わないこの状況を打破したのは、普段何も言わない圭輔だった。

「で、いつから話聴いてたの」

 ぶっきらぼうな口調で女性に尋ねる。

「そうねえ。竜がごめんって謝ってるくらいから」

 悪びれもせず女性が快活に答える。

「結構前から立ち聞きしてたんだな……」

「だってしょうがないじゃない。入ろうかと思ったら、なんか訳ありな話が始まって、入るに入れなくなっちゃったのよ。ま、面白い話が聞けて良かったわー」

 女性はけらけらと笑った。げんなりした様子で圭輔がため息をつく。そして面倒くさそうにこう言った。

「優花。改めて紹介するけど、これ、俺の母親。さゆりさん」

「え……」

 小柄でやせている、けらけらと豪快に笑っているこの人が? 圭輔の母親? 思わず女性を見つめてしまう。女性の中に、圭輔と似たところを探そうとするけれど、印象が真逆すぎて見つからない。

「初めましてー。圭輔の母の、坂東ばんどう紗百合さゆりです。よろしくねー」

 優花の視線をまったく気にしていない様子で、紗百合は至近距離で歯を見せて笑いながら手を振って見せた。

「は、はあ……。橘、優花です。よろしくお願いします……」

 勢いに飲まれる形で、優花も自己紹介する。

「あーそっか。百合ちゃんのお友だちか。話は聞いてるよ。聞いてるよりもずっと美人だねー。どう? うちで働かない?」

「は……?」

 話についていけず目をぱちくりさせていると、圭輔が再びため息をついた。今度はさっきよりも盛大に。

「いくら人手足りないからって、高校生をスカウトするなよ……」

「いやーねー。冗談よ、冗談。冗談が通じない男は嫌われるのよー」

 紗百合は遠慮のない声で店中に響き渡るように笑った。

 圭輔は頭を抱えていた。竜はちょっと半分笑って半分複雑そうに笑っていた。優花は「ははは……」と乾いた笑い声を立てるしかなかった。

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