竜の友だち
夏休み最後の日曜日のこと。優花と竜は午前中から二人だけで家にいた。数馬と佳代は、愛実を連れて佳代の実家に行っている。佳代の実家はさほど遠いわけではないけれど、頻繁に帰っていない。つい先日、できるだけ顔を見せにいらっしゃいと佳代の母の雅恵が電話してきた。
「私に会いたいんじゃないくて、愛実に会いたいのよね」
というわけで、親子三人で藤波家(佳代の実家)に行った。気難しい義父の喜一郎に会わなければならないので、数馬は若干気が重そうだったが。
「さてと。お昼ご飯何にしようかな」
時計を見ながら、優花は一人呟いた。二人分だけ作ればいいので、適当にうどんかそばでもゆでて済ませようかなと思っていると。
「どっか食いに行く?」
ソファーで寝転がってマンガを読んでいた竜が、何げない口調で言った。
「え? 外食するってこと?」
びっくりして竜を見ると、竜はうなずきながらぱたんとマンガを閉じた。
「俺たちだけだし、たまにはいいんじゃない?」
「えー……でもなあ、外暑そうだし」
優花は外を見やる。窓の向こうでは、夏の日差しが照り付けている。夏休みが終わると言っても、この暑さが終わったわけではないのだ。
「そんなこと言ったらどこにも行けないじゃん」
竜は急に真面目な顔になって、素早く起き上がった。
「今年の夏は今年限りだぞ。夏休み最後の思い出が、家でいつも通り過ごしましたってだけでいいのかよ」
「なにそれ」
半ばあきれ顔で優花は答える。別に、いつもどおりで全く問題なかった。ここ数年の夏休み、どこかに旅行しに行ったということもなければ、遊びに行ったという記憶もない。今年は、夏休み前だけれど遊園地にも行ったし、佳代の出産という大イベントもあったし、竜の誕生日会があったのも、ついこの間のことだ。この夏だけでたくさんの出来事があったのだから、これで十分だと思っていた。
「今年はもういろいろあったし。別に夏休み最後の思い出なんかにこだわらなくても……」
「いーや。俺はこだわるぞ」
優花の言葉を遮って、竜が妙に強い調子で言い切った。
「夏休み最後の思い出に、俺と一緒に出かけたっていいじゃん」
「いいじゃんって……」
「俺、ハンバーガー食いたい」
「何食べるかも決まってるんだ……」
「優花はそんなに食ったことないだろ、ハンバーガーとか」
言われてみれば確かにそうだった。ファミレスもそうだが、ファストフードだってほとんど行ったことがないのだ。ファストフードに最後に行ったのは……いつのことだろうか。思い出せない。
「な? 一緒に行こうよ。何事も経験だって」
優花の考えを読み取ったのか、竜が畳みかけてくる。
「この間給料日だった俺がおごるからさ」
竜が、ニカッと白い歯を見せて笑った。それが決定打になった。
こうして、優花と竜は二人で駅前まで来ていた。駅前の自転車置き場は、平日でも休日でも埋め尽くされてしまうのがほとんどなので、歩いてやってきた。歩いて十五分の道のりは、長いようで短いようで、やっぱり長かった。
「暑い」
優花は不機嫌だった。アスファルトからの照り返しは、空からの夏の日差しよりも暑く、体の芯までじりじりと焼いてくるようだった。やっぱり来るのではなかった。と、駅前に着いた頃には思っていた。
「店の中に入れば涼しいって」
竜は相変わらずの明るい調子でそう言った。
駅前にはいくつかのファストフード店が並んでいる。今まであまり意識したことはなかったけれど、ハンバーガー、ポテトフライなど、共通するメニューは数多くあれど、それぞれは似ているようで少しずつテイストが違う。安さが目立つところ、肉のボリュームを押し出しているところ、ヘルシーさを強調するところ。同じハンバーガーでも、こうして差をつけているのだなと感心してしまう。
「優花、どこがいいとかある?」
どこと言われても、どれも食べたことがない優花には、判断基準が分からない。
「竜が食べたいって言ったんだから、そっちで決めちゃってよ」
「えー。迷うところだなあ」
「暑いんだから早くしてよ」
「わかったってば。んー……」
そうやって、二人でどのお店に入るか話しているときだった。
「あれ? もしかして竜じゃね?」
竜の肩をポンとたたく人がいて、二人はパッと振り返った。振り返った先に、同い年くらいの男の子が三人立っていた。三人三様だけれど、髪の毛は明るく染めていて、耳や鼻にピアスしていて、服は大きめのTシャツ、もしくはジャージ、そして腰パンスタイル。いかにも「チャラ男です」といった風体だった。
「やっぱ竜だ。竜だよな? 元気か? 俺のこと覚えてるか?」
チャラ男の一人が、遠慮なく竜の肩をバシバシとたたきながら、早口でまくし立てた。突然のことに呆気にとられながら、優花は竜の様子をうかがった。竜の横顔は、どこか青ざめているように見えた。
「どうして、こんなところに……」
竜がやっとの調子で声を絞り出した。相手に聞いているというよりは、独り言のようだった。
「どうしてって、仲間がこの近く住んでてさあ。遊びに行くとこなんだよ。びっくりだなー、まさか竜に会えるなんてさ。すげーうれしい」
チャラ男はへらへらとした笑顔で、再会の感動を語り続ける。話の内容から察するに、竜が中学生だった時、つるんでいた仲間たちらしい。
(でも、竜は五回も転校してるんだから、そんなに長い付き合いしてたとは思えないけど)
本当に再会を喜んでいるのか、怪しいものだと思った。
「悪いけど、急いでるから」
竜はチャラ男の言葉を無理やり遮った。そして険しい表情のまま優花の腕をつかむと、その場を立ち去ろうとした。でも、三人が行く手を阻むように優花たちを囲んだ。
(やだ。こわい……)
思わず、体を竜のほうに寄せた。それと同時に、チャラ男たちも少し距離を詰めてきた。
「せっかく再会したのにつれないなあ。もう少しゆっくり話したって罰は当たらないだろ?」
表面は相変わらずへらへらとした笑顔だったけれど、目は鋭かった。そしてその視線が不意に優花のほうに向けられた。優花は反射的に後退りした。
「チョー美人な彼女じゃん。さっすが竜だな。お前、チビだったのに中学んときからモテてたよなあ」
と、竜が優花を自分の背中のほうに引っ張った。まるで自分が盾になって優花を守るように。でも、チャラ男はお構いなしに優花のほうにさらに近づこうとしてきた。
「彼女、名前なんて言うの? よろしくね、俺は——」
チャラ男が握手を求めるかのようにすっと手を出した。
「触るな」
唸るような低い声で、竜がささやく。チャラ男の手がびくっと止まった。
「急いでるって言ってるだろ。そこ、どいてくれ」
竜の背中から、殺気立った空気が揺らめき立つのが見えた気がした。優花の腕をつかむ竜の手に少し力が入った。
チャラ男たちはその気配に一瞬怖気づいたように体を引いた。が、すぐに持ち直した。竜と彼らの間に、ピリピリとした空気が漂い始める。
「なんだよ。昔の仲間にその態度はないんじゃねえの?」
「そうだよ。もう昔の話だ。今の俺は違う」
竜の声は、低かったけれど、冷静に聞こえた。
「なんだそれ。彼女の前でかっこつけてるのか?」
対してチャラ男たちの声は少しずつ大きくなり始めていた。通行人が面白半分に横目で成り行きをうかがっている気配を感じた。
(どうしよう。これ、けんかになっちゃうの?)
優花はどうしたらよいのかわからない。でも、このままでは騒ぎになりそうだった。どうにか脱する方法はないものか。そんな思案を頭の中で急いで巡らせているときだ。
「何してんの?」
突然、まったく別の声が聴こえた。皆一斉に声の主のほうに振り返った。
「……圭輔?」
優花は呆然とつぶやいた。皆の視線の先では、スーパーのレジ袋を肩に担いだ圭輔が、もう片方の手を腰に当ててチャラ男たちをにらみつけていた。
「え、あ、け……圭輔?」
チャラ男たちが急にあたふたとし始めた。今までの態度をころりと変えて、圭輔にへらへらとした作り笑顔を向け、挨拶なんかしている。よくわからないが、彼らは圭輔とも知り合いらしい。
「俺の友だちに、なんか用?」
圭輔は表情を変えないまま、さらりとした口調で言った。
「あ、そうなんだ。圭輔の、友だちなんだ。へえ……」
チャラ男たちは三人で顔を見合わせた。そして、作り笑顔のまま「じゃあな」と尻尾を巻いて逃げるようにその場を立ち去って行った。その背中を、優花と竜はぽかんとしたまま見送ってしまった。
「なに? あいつら、知り合いなの?」
今度は竜に向かって圭輔が尋ねた。竜はいくらか気まずそうに目をそらしながら、小さくうなずいた。すると、圭輔が小さく息を吐いた。
「たちの悪い奴らと付き合ってたんだな」
竜は何も答えなかった。優花の腕をつかんでいた手の力を緩めて、そのままだらりと手を横に落としてしまった。
「あ、ありがとう、圭輔。助けてくれて」
解放された優花は慌てて竜の前に出てお礼を言った。圭輔は大したことないといった様子で首を横に振る。
「あいつら、俺と同じ通信の高校行ってるやつらなんだよ。素行が悪くて、最近来てないみたいだけどな」
「そうだったんだ……。でも、圭輔見ただけで帰っちゃうなんて、すごいね。何かあったの?」
「ま、いろいろ」
その「いろいろ」のことを圭輔は説明しなかった。あえてしないのか、面倒なだけなのか。でも、チャラ男たちの態度を見ていれば、何があったのかなんとなく想像はついたけれど。
「ところで、圭輔は買い物帰りなの?」
話題を変えようと、優花は圭輔の肩の荷物を指さして尋ねた。
「ああ、買い出し」
「買い出し?」
「うちの店の」
「店?」
「そう」
言葉の続きを待ってみたけれど、圭輔はその先を言わなかった。二人の間に、変な空気が流れる。
「あのー、何の店?」
呆れながら、改めて尋ねなおした。圭輔は、初めて優花の質問の意図を理解したらしい。「ああ、知らないんだ」とひとり納得した表情でうなずいている。
「俺の母親がやってる店。まあ、平たく言えばスナックだな」
「スナック……」
ファミレスやファストフード以上に行ったことのないジャンルのお店だった。ドラマの世界でしかお目にかかったことのない、大人の世界というのが優花のイメージだ。
「来てみる?」
「え?」
「行ったことないだろ?」
「え? え?」
話の展開についていけずに、優花は思わず竜を見た。竜は相変わらず気まずそうな表情で目をそらしたまま、黙り込んでいる。
そんな竜の様子を見て、圭輔はまた小さく息を吐いた。
「とりあえず、来いよ。営業時間外だから人もいないし」
圭輔は竜の肩をポンとたたいた。竜はますますうつむきながらも、また小さくうなずいた。
そのとき、優花は気づいた。
(竜、なんか結構ダメージ受けてるっぽい……。だから圭輔が誘ってくれてるんだ)
知らない間に、竜と圭輔はだいぶ仲良くなっていたらしい。誕生日会のときにも感じたもやもやが、ここでまた頭をもたげてきた。
(なんで、もやもやするんだろ。竜に同い年の友だちがいるってだけなのに)
その気持ちの正体がつかめないまま、落ち込んでいる竜と一緒に圭輔の母親の店に行くことになったのだった。