数馬と佳代の馴初め話
「圧巻ねえ」
佳代がテーブルの上に所狭しと並べられた料理たちを見まわす。
「二人ともすごいがんばったね」
佳代が優花と百合を交互に見ながら微笑んだ。照れくさくなって、二人で顔を見合わせて小さく笑った。
今日の午後三時から、竜の誕生日と佳代の退院祝いのパーティーをする。今日は朝九時から準備を開始した。昨日のうちに下ごしらえもしておいたおかげか、パーティー開始三十分前には準備が整った。
テーブルの上には、唐揚げ、ポテトフライ、エビフライといった揚げ物を中心に、ピザ、サンドイッチ、トマトとモッツァレラチーズのサラダ、野菜ステックのサラダが並んでいる。メインのケーキは冷蔵庫の中だ。ケーキはやはり時間がかかったし、苦戦した。スポンジの焼き加減は手探りだった。生クリームを泡立てるのは力仕事だった。特に、生クリームを塗るのが難しかった。でも、いちごを乗せて完成形を見たら、思わず感動してしまった。ここまで自分たちでやったなんて、信じられなかった。
「さて。愛実も寝てくれたことだし。今麦茶いれるから、二人とも休憩して」
「ありがとう、お姉ちゃん」
優花と百合はエプロンを脱いで、キッチンの椅子に腰かけた。どちらからともなく、ふうっとため息が漏れた。でも、満足感漂うため息だった。
二人の前に、氷の入った麦茶が置かれた。からん、と氷がグラスにあたって音がした。
「お疲れ様。私も手伝えればよかったんだけど」
佳代が少し申し訳なさそうに言ったので、優花たちは微笑みながら首を横に振った。
「だって、お姉ちゃんも今日の主役なんだよ。それに、愛実の世話もあるしね」
赤ん坊は、愛実と名付けられた。佳代と愛実は、一週間ほど前に無事退院した。最近、少しずつ愛実のいる生活リズムがわかりはじめてきた。愛実は、二時間おきに泣いて起きてくる。そのたびに、おむつを替えて、授乳して、げっぷさせ、抱っこしたまま寝かしつける。授乳以外のことは、優花もできる限り手伝った。最初は、おむつを替えるのも不慣れで手間取ったが、何度もやるうちに手際よくなった。数馬よりもうまくなったと思う。
「お姉ちゃんこそ、休んでていいよ? 夜あんまり寝てないんでしょ?」
二時間おきは、夜中も変わらない。産まれたばかりの赤ん坊に、昼も夜もないのだ。
「最近確かにまとまって眠ってはいないかもねえ。でも案外平気なのよ。泣き声が聞こえると、パッと目が覚めるの。そんなに大きくない声なんだけどね、体が反応するの。うちの母からそういうものだって聞いてたけど、ホントに不思議」
「へえ……」
実感のない優花と百合は、そう返事をするより他になかった。佳代にもそれが伝わったようで、少し苦笑いをしてから話題を変えた。
「そうそう。優花ちゃん、あの先輩とはどうなったの?」
「えっ!?」
唐突に話題を振られて、優花は麦茶でむせた。
「な、何、急、に」
ゴホゴホしながらかろうじて聞き返した。佳代は楽しそうにほほ笑んだ。
「気になっていたのよ、ずっと。でも優花ちゃん話してくれないし、私もバタバタして聞きそびれちゃってたし。数馬も竜もいない、今がチャンスかなーって」
数馬と竜は買い物に出ている。おむつやら洗剤やら米やら、かさばって重いものをまとめて買ってきてもらうのだ。パーティー開始までに戻ってくる予定になっている。
「佳代さん、長谷部先輩のこと知ってるんですか?」
むせて答えられない優花の代わりに百合が尋ねた。
「ほら、夏休みが始まる日。お好み焼き屋で打ち上げした日があったでしょ。あの日に」
「あー。そっか。佳代さんが迎えに来たんですもんね」
合点がいったと百合が大きくうなずく。
「優花、私が話しちゃうよ。いい?」
いいもなにも、百合から話す気満々に見える。そして予想にたがわず、優花がうなずく前に百合は事のあらましを大体話してしまった。百合が話さずとも、佳代の滑らかな誘導尋問で洗いざらい吐かされていたとは思うが……。
「私の入院中にそんなことになっていたのね。楽しみねえ、これからの展開が」
「ホントに。私がドキドキしちゃう感じで」
と、佳代と百合は人の話で勝手にきゃっきゃと盛り上がっている。優花はどう反応したらいいのかわからず、落ち着かせるためにもう一度麦茶を一口飲んだ。
「いいわねえ、高校生。初々しい感じにキュンときちゃう」
佳代が頬に手を当てて、うっとりした様子でため息をついた。そのとき。
(あ、そうだ。今私も聞くチャンス)
優花もまた、佳代に聞きたいことがあったのだ。本当は入院中に聞こうかと思っていたが、なんだかんだと聞く機会を逃してしまっていたこと。後で竜に教えなきゃと思っていたこと。
「お姉ちゃんとお兄ちゃんの高校生時代って、どんなだったの?」
「え?」
きょとんとした表情で佳代が首をかしげる。
「だ、だって。私の話ばっかりでずるい。お姉ちゃんのも聞かせてよ」
数馬と佳代の馴れ初めを聞き出そう。佳代たちが分娩室にいる間に竜と話していたのだった。数馬がいるところでは聞けないし、愛実が泣いている状態にこんな話ができるはずもなかった。
「私の話といってもねえ。何を話したらいいのかしら」
特に答えたくない素振りも見せずに佳代が言う。結構素直に答えてくれそうな気がした。
「それじゃ、私と優花が質問するので、それに答えるっていうのはどうですか」
百合は身を乗り出して言った。あからさまに興味津々といった様子だった。
(そういえば百合からそういう話を聞いたことないな)
結局、あの幼馴染の圭輔とはどういう関係なのだろう。竜は、お互いに好きだけど気づけていない関係なんだと言っていたけれども。
(後で聞いてみよう)
優花がひそかにそんな決心をしているとも知らず、百合が無邪気に質問を考えていた。
「やっぱり、まずはこれですよね。佳代さんと数馬さんは、どっちから告白して付き合い始めたんですか?」
(おお。私が聞きたかったことをストレートに……)
直球過ぎる質問に、さすがの佳代もびっくりした様子で目を開いた。でも、少し考えてから、思い出したようにクスッと笑った。
「結果としては、私から、だったかしら」
「結果として?」
優花と百合の疑問の声が重なる。佳代は「そうね」とくすくす笑いながらうなずいた。
「だって、最初に告白してきたのは、数馬のほうだしねえ」
二人の頭の上にはてなマークがたくさん並ぶ。しかし、佳代はそれにかまうことなく、腕を組みながらまた考えるしぐさをした。
「んー。でも、あれを告白と言っていいのかしら。微妙なところだけど」
「えー? 結局どっちからなの?」
「その辺、あんまりはっきりしないのよね」
そうして、佳代は時々考え込みながら、くすりと思い出し笑いをしながら数馬と付き合い始めたいきさつを語ってくれた。
「高一のとき、私と数馬は同じクラスだったけど、端的に言えば、かなりモテる人だったのよ。硬派なイメージだけど、変にむさくるしいところがなくて。バレンタインとかすごかったんだから」
幼いころの記憶を振り返ってみる。確かに、兄が中学生になったころから、バレンタインの時期に大小色とりどりのラッピングをされたチョコレートをたくさん持って帰ってきていた。それは年を追うごとに増えていった。そのチョコレートを分けてもらって食べるのが、実は楽しみだった。当時の優花にはわからなかったけれど、今思い返せば、食べたチョコの中に本命らしきものも混じっていたと思う。
「佳代さんも渡したんですか? チョコレート」
百合の質問に、佳代は首を横に振った。
「それがね、数馬ったらひどいのよ。俺んちだけでこんなに食えないからあげよっか? とか平気で言ってくるんだから。義理チョコぐらいあげようかと思ってたけど、あげる気無くすよね、そんなこと言われたら」
兄なら言いそうだ。と優花は胸の内で苦笑する。
「私、もう頭にきて。それを渡した女の子がどれだけ勇気を出したと思ってんのって、怒鳴りつけてやったわ。ごめんとか謝ってきたけど、私に謝ってどうするのって、また怒鳴ってやったの」
そのころから佳代のほうが立場が強かったんだ。と優花はますます胸の内で苦笑する。
「義理チョコってことは、その時は好きじゃなかったんですか? 数馬さんのこと」
「んー、それは……」
少し言葉を濁す佳代。そこにすかさず百合が切り込んでいく。
「どっちだったんですか?」
佳代は軽くお茶に口をつけて、ふうっと一つ息を吐いた。そして、少しだけ力を込めて言った。
「ホント言うと好きだった。でも、他のクラスにいた私の友だちが数馬のこと好きでね。協力、頼まれちゃってたの。その時の私、数馬と仲がいい友達だったから……」
そうか。だから兄の言葉に腹が立ったんだ。優花は思った。その友だちのことを思えばこそ、というのもあったし、自分の気持ちを我慢しなければならない、というのもあったし……。そして、そんな複雑な状況を兄は理解していないのだろうなとも思った。
「でね、よくよく聞けば、お返しもしたことないって言うし。だから、アメの一つでも返しなさいよって怒ったのよ。そしたらね、『俺は自分の本命の子にしか返さない主義だ』って答えたの」
「それって、単にお返しが面倒だったんじゃ……」
優花が思わず口を挟むと、佳代は笑い声を立てた。
「私も同じこと言った。適当なこと言って、本当は単にめんどくさいだけでしょって」
「で、でも、それって誠実とも取れますよ。変に相手に期待を持たせないっていうか」
百合がフォローした。そういう風に見ることもできるのか、と優花は感心する。
(そういう角度で見れば、お兄ちゃんは告白されたらとりあえず付き合うって人じゃなかったってことになるのかな)
兄が、優花の思った通りの兄だったので安心した。竜や長谷部のように「とりあえず」という人もいるのだろうけれど、兄みたいな人だっているのだ。
「じゃあ、結局お兄ちゃんとお姉ちゃんは何がきっかけで付き合い始めたの?」
恋心はあったけれど、友だちのために我慢していた佳代。多分それに気づいていなかった数馬。何がきっかけで付き合い始めて、結婚にまでいたったのだろう。優花の記憶では、二人が高校三年生のころには付き合い始めていたような気がするのだが……。
「今思い返せば、そのバレンタインがきっかけだったと思うのよねー」
しみじみとした表情で佳代が話し始めた。
「さっきの話、続きがあってね。めんどくさいんでしょって言ったら、数馬が怒って言い返してきたのよ。『お前がくれたんならちゃんと返すぞ』って」
優花と百合は目を丸くして顔を見合わせた。
「それって……?」
「つまり……?」
今度は佳代を見た。佳代はちょっと困ったような笑顔で肩をすくめた。
「ね? 告白と言っていいかどうかわかんないでしょ?」
わからないような、ほとんど告白と言っていいような。いや、告白と言っていいはずだ。はっきり「好き」というキーワードが入っていなかっただけで。
「佳代さん、それからどうしたんですか?」
「どうしたもなにも。友だちのことがあったし、はっきりしない言葉だし。『冗談言わないで』で終わったのよ、その時は」
なんだか兄が可哀そうに思えた。きっと、兄は兄なりに勇気を振り絞っていったのかもしれないのに。佳代のほうにも事情があったとはいえ、「冗談」で済ませられてしまうとは。数馬にしてみれば、フラれてしまったと思ったことだろう。
「でも、まあそれから一年色々あってね。翌年のバレンタインのとき、一大決心してチョコを渡したのよ。それからね。付き合い始めたのは」
その一年の色々を聞いてみたいとも思ったが、やめておいた。いろんなことを根掘り葉掘り聞くのは、身内だからこそよくない。付き合い始めのきっかけが聞けただけでも十分だった。
そのとき、玄関の向こうから車が入ってくる音が聞こえた。数馬と竜が帰ってきたのだ。気づけば、もうすぐ三時になるところだった。
「今の話したこと、数馬には内緒ね」
佳代が優花に言った。内緒も何も、兄と妹が話す内容ではないと思った。
(竜には、あとでかいつまんで話しておこう)
心の片隅でそんなことを考えながら、優花はうなずいて見せるのだった。