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普通の家庭

「すごい。私と宮瀬先輩の思惑以上の展開になってるとは」

 駅前のカフェの窓際のカウンター席で、百合が優花に拍手を贈った。その拍手は何だ、と思いながら優花は眉を寄せた。

「思惑って……」

「長谷部先輩がここでびしっと決めてくれないかなあーって言ってたの、宮瀬先輩と。そしたら優花も決心できると思ったんだよね」

 優花と長谷部がいつの間にか二人だけになっていたのは、宮瀬が百合を連れて行ったからというよりも、百合もまた自らの意思で離れていったということらしい。百合は百合で、宮瀬に協力することを楽しんでいるようだった。

「ともかく、優花もやっと決心できたんだね。おめでとう!」

「おめでとうって……なんか、成り行きで……」

「成り行きとか何とか言っちゃってー。ホントはデートする気あったんでしょ?」

 百合は笑顔で優花の背中をバシバシとたたいた。

(違う……とも言えないかもしれない)

 話の流れというのはあったけれど、成り行きではなかったと思う。心のどこかで、一度デートしてみたいと思っていたのは確かなのだ。百合や佳代の勧めもあったし、長谷部という人に興味が出てきていたというのもあった。たまたま、うなずくきっかけが今日やってきたということだ。

「でもまさか、先輩の誕生日にするとは」

「じ、実際は誕生日じゃないんだよ。カレンダー見たら普通の日だったから、誕生日に近い土曜日にしようってことになって……」

「でも、誕生日デートと一緒でしょ?」

「え、あ、まあ……そうかも」

「そうだってば。あ、そうだ。プレゼント考えなきゃね、今度は先輩の」

「あ……そう、だね……」

「その時はまた一緒に選ぶよ、私」

「うん、よろしく……」

 妙に張り切っている百合に気圧されながら、優花はアイスカフェオレを飲んだ。状況報告をしている間に、氷が解けて味がだいぶ薄まってしまっていた。

 竜の誕生日プレゼントは、長谷部たちが行ってしまってから選んだ。最終的には、熱中症対策用の首に巻くタオルと、汗拭き用に長めのスポーツタオルをチョイスし、それをプレゼント用にラッピングしてもらった。それらを選んだのは優花だったけれど、なんだか後ろめたい気持ちがしていた。長谷部の提案を受けて選んだ。しかも、今日は長谷部とデートの約束までしてしまった。こんな状態で、こんな気持ちで選んでいいものだったのだろうか。優花は脇に置いてある紙袋にちらりと視線をやって、思わずため息をついてしまう。

「さっき、宮瀬先輩にちょっと聞いたんだけどね」

 百合はアイスミルクティーを飲みながら話し始めた。

「長谷部先輩の家って、いろいろ複雑らしいよ」

「複雑……?」

 その言葉に、誕生日を祝わない長谷部家のことを思い出す。そのことを話していた優しい微笑みのなかの、悲しげな瞳も。

「複雑って言っただけで、詳しくは教えてくれなかったんだけど。とにかく、お父さんはどこか大きい会社の社長さんらしいの。長谷部先輩は、将来的にその会社を継がなきゃいけないとかで。だから経営学部なんだって、受験するの」

 経営学部を受験するのは、家の事情ということらしい。ということは、長谷部の意思に関わらず、そこを受験しなければならないのだ。

「本当は、高校だって私立のいいところを受験するはずだったらしいよ。でも、そこは反抗して公立のうちの高校に入ったとか。応援部入るのも、すごい反対されてたらしいけど、それも押し切っちゃったみたい。その代わり、大学は親の言ったところ受験しなくちゃいけないんだって」

「へえ……」

 親に反抗する長谷部を想像できなかった。はたから見れば、長谷部は品行方正で、クールで、笑顔のさわやかなかっこいい先輩だ。その内側に、とげとげしい反抗心があるなんて誰も思わないだろう。

 ふと、球技大会のとき長谷部が言った言葉を思い出す。彼は言った。「楽しんだもの勝ちだ」と。優花はなぜかその言葉に心を動かされたのだ。楽しんだもの勝ち。その言葉は、優花の想像以上に重い言葉だったのかもしれない。長谷部が親から何とか勝ち取った、自由な高校三年間——。

「長谷部先輩の好きそうなものは、宮瀬先輩からリサーチしておくね」

 何とも楽しそうに百合が言うので、優花はたまらず尋ねてしまった。

「なんで百合が張りきってるのよ……」

 百合は人差し指をあごに当てて少しだけ「んー」と考えていたが、すぐににっこりと笑った。

「宮瀬先輩の張り切りが移っちゃったかも」

 納得できるようなできないような。優花は苦笑いを浮かべるしかなかった。



「あれ? 数馬さんも帰ってきてなかったんだ?」

 夕食の支度がもうすぐ終わるという頃、竜が帰ってきた。今日は残業したらしく、いつもより遅い時間だ。普段なら数馬もいる時間だが、今日はいない。

「今日はお姉ちゃんのところでご飯食べて来るって。明日病院行けない分、長くいるつもりみたい」

 明後日の退院の日、数馬は仕事の休みをもらっている。その分の仕事を明日済ませてしまおうということらしかった。

「それならさあ」

 竜は少し考えてから、遠慮がちに尋ねてきた。

「数馬さんいないなら、先風呂入っていいかな?」

 お風呂の順番は決まっている。数馬、佳代、竜、最後に優花だ。優花がお風呂掃除担当なので、自分のお風呂が済んだらそのまま簡単に掃除を済ませられるようにしているのだ。

「いいんじゃない? 今日も汗だくでしょ。どうせ着替えるなら、お風呂済ませちゃったほうが早いし」

 優花はあっさりとうなずいた。これまでも、それぞれの仕事などの事情で順番が入れ替わることはよくある話だった。

「じゃ、そうする」

「あ、でももうすぐ夕飯の支度終わるからね。早めに出てきて」

「俺はシャワーだけだから早いよ」

 そう言って、竜はキッチンから出ていった。

(なんていうか、今の会話……家族っぽい?)

 長谷部の言葉が頭をよぎっていた。


『彼は君の中で家族の一人なんだね』


 一緒に暮らしているのだから、家族のような会話になるのも当然かもしれない。これから、二人で食卓を挟んでご飯を食べながら話をしたりテレビを見たりするのだ。ごくごく普通の家庭のワンシーンだと思う。

(家族……。じゃあ、私と竜の関係って何にあたるのかな)

 優花は腕組みをして考えてしまう。

 年齢から考えれば、きょうだいが一番自然だろうか? どっちが上だろう? 誕生日だけで見れば、竜のほうが先に十六歳になるけれど、ずっとこの家にいるのは自分なのだから、自分のほうが上ともいえる。竜が弟? 弟というには変だ。どうしたって、同級生という事実は変わらないし……。

(結局、竜は私の何なのだろう)

 考えたって仕方のないことだ。頭の隅ではそう思っているのに、考えずにいられない。竜と自分の間柄を表す言葉を、優花は探し続けている。



「今日は何してたの?」

 ご飯をほおばりながら竜が尋ねてきて、優花は内心動揺した。誕生日プレゼントのことは内緒だ。内緒なので、誕生日会当日まで百合に預かってもらうことにした。そして、長谷部のことはやはり話せない。まさか、デートの約束までしたなんて言えるはずもない。

「百合と、お昼ご飯食べてきた」

 努めて冷静に、さらりと言った。努力したおかげか、口調も表情も普通にできたと思う。でも、この話を長く続けてしまうとぼろが出そうだったので、竜に何か言われる前に先手を打った。

「あ、そうだ。百合を誕生日会に誘った」

「えー?」

 竜はびっくりしながら困ったように眉を寄せた。

「だから別に大げさにしなくてもいいのに」

「だって、お姉ちゃんも誘っていいって言ってくれたし。一緒にケーキ作ろうって約束したんだ」

「え? ケーキ? 手作りなの?」

 そこで竜の表情が切り替わった。期待に満ちた眼差しで優花を見つめている。

(なんか、子犬が尻尾振ってるみたい……)

 竜の頭に、ぴんと立った子犬の耳が見えるような気がした。

「でも、初挑戦だからね? あんまり期待しないでよ」

 一応、くぎを刺しておいた。作ったことがないので、自分でもちゃんとできるか今一つ自信が持てなかった。夏休みだし、お祝い事という良い機会なので挑戦してみようかと思い立っただけなのだ。

「それってショートケーキ? いちごのやつ」

 優花の話を聞いていたのかいないのか、竜は変わらず期待の眼差しを送ってくる。優花はため息をつきながらうなずいた。

「そのつもりだけど」

「やったー。やっぱケーキはショートケーキだよな」

 うきうきとしている竜を見て、優花は知らぬうちに尋ねていた。

「……竜って、甘いもの好きだっけ?」

「え? 知らなかった?」

 竜は笑顔のまま尋ね返してきたので、優花はついつい責め口調になってしまった。

「知らなかったも何も、聞いたことないし」

「あー。確かに、言ったことないかも」

 のんきな様子で竜がうなずいた。

「甘いものって、俺の中でかなりぜいたく品なんだよね。ケーキなんてその中の一級品だよ。だって、俺と日奈の誕生日にしか食べられなかったんだから」

 少し遠い目をして、竜は小さく微笑んだ。

「日奈はいちごが大好きなんだ。だから、俺と父さんのいちごをあげるのが、毎回の恒例行事みたいな感じだった。なんでか、俺の誕生日でもあげてたよなあ」

 その絵が想像できて、優花もつられて微笑んだ。日奈が無邪気に喜ぶ様子も目に浮かぶようだ。きっと、その顔が見たくて竜は自分のいちごをわけていたのだろうとも容易にわかる。

(お父さんが亡くなるまでは、竜も誕生日を祝ってもらえてたんだよね)

 ささやかにでも、誕生日はお祝いするものだ。それが普通のことなんだと改めて思う。優花と竜が置かれている環境は、はたから見れば特殊だけれど、別にそんな特殊ではない。誕生日を祝いという、当たり前のことを当たり前に行っていた。


『君は普通の家庭で育ってるんだね』


 再び、長谷部の言葉がよみがえった。どんな複雑な事情があるのか知らないが、家では自分の誕生日を祝ったことがないという長谷部。彼が置かれている環境は、やはり普通ではないと思った。

(かといって、彼女でもない私がお祝いするのもなんだか変な気もしてくるけど……)

 そこまで考えたとき、玄関から数馬の帰ってきた声が聞こえて、優花の思案は一時中断した。

 竜が「先に風呂入っちゃいました」と報告して「別に問題ないぞ」と数馬が何の気負いもなく答えた。それから佳代や赤ん坊の様子などを少し話して、数馬が風呂に向かった。その一連の流れはとても自然で、何の変哲もないものだった。

 半年前。この家に竜が来たときはどうなることかと不安だらけだった。けれども、その不安が嘘のように竜はこの家に馴染んでいる。

(竜は、この家に溶け込んでるんだ。……家族と同じなんだ)

 優花の中で、長谷部の言葉がすとんと腑に落ちた瞬間だった。

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