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デートのお約束

 おかしなことになった。そんなふうに思いながら、優花は雑貨売り場のタオル・ハンカチのコーナーにいる。そして、いろいろ種類を見て回るうちに、いつの間にやら宮瀬と百合がいなくなっていた。こうなりそうなことは予想がついていた。おおかた、宮瀬が百合をうまいこと連れて離れていったのだろう。かえって、百合のことが心配になった。

「あと一時間もしたら、俺たち講習行かなきゃだから。心配しなくてもすぐ戻ってくると思うよ」

 優花の心を見透かしたように、長谷部が言った。

「ごめんね、わかりやすい奴で。花崎さんに申し訳なかったな」

 百合は百合で、宮瀬から協力の申し出を受けていたから、従わざるを得なかったのだろう。そして、こうなったのも自分がいつまでもはっきりしなかったせいなのだ。この際、決着の付け所なのかもしれない。優花は少し腹の底に力を込めた。

「ところで、俺も確認しておきたいことがあるんだけど」

 ひそかに意気込んでいる優花に、長谷部がさわやかスマイルで話しかけた。

「この誕生日プレゼントって、あの居候の彼に?」

 なぜかぎくりとなって、言葉に詰まる。すると、「やっぱり」と言いながら長谷部がくすっと笑った。

「最近は、素直に表情が出るようになったよね、橘さん」

 そうだろうか、と思いながら知らず知らずのうちに頬に手を当てる。当てながら、そうかもしれないと思う。長谷部に対して警戒心が無くなっていっているのが自分でもわかる。こうして一緒にいても、不思議といやではないのだ。

「俺としては期待しちゃうところだけど……まだまだかな?」

 長谷部が優花の顔を覗き込む。端正な顔が近づいてきて、優花はたまらず目をそらした。

(そういうこと、どうしてさらっと言えるかな)

 感情を隠そうとすればするほど、顔が火照っていく。騒ぐ心臓もどうしようもなく止められない。何も答えない優花を見て、長谷部が肩を揺らしながら笑い始めた。

「ほんと、面白いね。からかいがいがあって」

「か……からかってるんですか」

 抗議すると、長谷部はますます笑った。

「ごめん、つい」

 口では謝っているが、笑いが収まる様子はなかった。

(……先輩は、よく笑うようになったな)

 長谷部は、出会った当初から笑顔を絶やさない人だった。けれど、それは表面上のことだけだったと今は思う。今は、心から素直に笑っているのだ。素直に表情が出るようになっているのは、長谷部も同じなのかもしれない。

「さて、選ばないとね。プレゼント」

 ひとしきり笑いが収まると、長谷部が言った。

「橘さんに祝ってもらえるなんて、彼は幸せ者だね。うらやましい限りだよ」

「別に……。誕生日なら、ちゃんとお祝いしなきゃって思っただけで……」

 誕生日とは祝うものだと思っていた。それなのに、竜はここ数年お祝いすらされていない。誕生日はただ通り過ぎるだけの日になっていた。それを考えると、ただただ切なかった。自分が産まれた日を祝われないなんて、悲しすぎる。だからこそ、余計に祝わなければと思っただけだった。

「君のうちでは、いつも誕生日は祝うの?」

「え?」

 長谷部の質問の意図がよくわからなくて、優花は首をかしげる。

「どんなふうに祝うの?」

 優花の疑問がわからないのか、さらに長谷部が畳みかけるように尋ねてくる。

「そんな、特別なことは……。いつものケーキ屋さんでケーキ買って、おめでとうって言って食べるだけです。ただ、今回は義姉の出産祝いも兼ねているので、ちょっと本格的にやろうかなとは思ってますけど……」

 優花の誕生日のときは、一番小さなホールケーキを買って、歳の数だけろうそくを立てて吹き消す。数馬と佳代の誕生日は二日違いなので、間の日をとり、真ん中バースデイと称してまとめてお祝いする。ケーキを食べる以上のことはあまりしない。ささやかすぎるほどだと思っているのだが。

「そうなんだ」

 長谷部は優しく微笑んだが、瞳はなぜか悲しげに見えた。

「君は普通の家庭で育ってるんだね」

「普通……?」

 更にわけがわからなかった。両親がいない優花の家は、どう見ても普通ではない。優花がただ首をかしげていると。

「うちでは、祝ったことないよ」

 さらりと長谷部は言った。微笑みは崩さないままで。

「俺の誕生日がいつなのか知らない、みたいな感じだよ」

「そんな、まさか……」

「まさかって思えるのは、君が普通の家庭で育ってるからだよ」

 長谷部は優花から目をそらす。そして、自嘲気味に口の端を上げた。

「ま、宮瀬のおかげというかなんというか、高校入ってからは応援部の仲間が祝ってくれたりするようになったけどね」

 確かに、宮瀬はそういうお祝い事を欠かさなそうだ。特に仲間の祝い事に関しては。でも……。

「先輩の家では、何もしないんですか……?」

 優花の問いに、長谷部は特に気負った様子もなくうなずいた。

「そうだね。したことないね。もっというなら、妹のもしたことないよ、俺の記憶の中では」

 優花のクラスの学級委員、長谷部新菜のことを思い浮かべた。兄にはあまり似ていない、メガネの向こうの、ちょっときつい眼差しを思い出した。彼女もまた、祝ってもらったことがないなんて。胸の奥がギュッと締め付けられた。

「きっと、彼は君の中で家族の一人なんだね。だから、自然と祝おうって思えるんだ」

「……家族……」

 家族。その言葉をつぶやいてみて、優花はハッとした。竜という存在を言い表す言葉。居候でもない、友だちでもない、遠い親戚でもない。「家族」というキーワード。びっくりするほど、この言葉がしっくりときた。

(竜は、家族……)

 心の中で繰り返してみる。

 優花と直接の血のつながりはない。佳代を通してかろうじてつながっているだけだ。でも、ひとつ屋根の下に暮らして、同じご飯を食べて、日々を共に過ごしている。日々の出来事を、何ともなしに共有している。それは、家族と同義なのだろうか……。

 黙り込んでしまった優花を見て、長谷部が微笑む。瞳は、悲しげなまま。

「ほら、選んじゃおうよ。どんなのがいいのかな? こういうのは?」

 長谷部は箱に入ったタオルを一つ手に取る。でも、優花はその柄を見ていなかった。長谷部の顔をただ見つめていた。

「どうしたの?」

 不思議そうな顔で長谷部が首を傾げた。

(この人も、自分の誕生日をお祝いしてもらえない人なのか……)

 長谷部の家庭の事情は分からない。今は宮瀬のおかげで友人たちに祝ってもらえているらしい。でも、裏を返せば、それまでは祝ってもらったことがないということだ。しかも、肝心な家族に祝ってもらえないなんて。その姿が、竜と重なってしまう。誕生日が、ただ通り過ぎるだけの日なんて……。

「先輩の誕生日は……いつなんですか?」

 長谷部の目が丸くなった。優花は、聞いてしまってからびっくりした。でも、聞いた以上引き下がれなくなった。

「誕生日、教えてください」

 怒った口調になっているのがおかしいなと思った。でも、どんなふうに聞いたらいいのかわからなかった。

「……九月だよ。九月、十二日」

 戸惑いながら、長谷部が答えた。

「わかりました」

 とても事務的な口調だった。話の落着点をどうしたらいいのかわからずに、優花は長谷部から視線を外した。二人の間に、沈黙が下りた。デパートのBGMがいやに軽快に聞こえてきた。

「それなら、さ」

 恐る恐るといった様子で長谷部が口を開いた。

「誕生日に、デートしてくれない?」

 優花も、おずおずと長谷部を上目遣いに見た。長谷部は、はにかんだ笑顔を見せた。その笑顔に、優花の胸が高鳴った。思わず両手をギュッと握りしめた。

「……いい、ですよ」

 絞り出すように答えた。

 再び、沈黙。デパートのアナウンス嬢の声が、タイムセールのお知らせを告げた。対象商品が、二割引きになることをやけに明るい調子で伝えていた。

「夏休み、過ぎちゃうけどね」

 長谷部が苦笑いを浮かべた。優花はどう応じたらいいかわからなくて、あいまいに笑いながら目を伏せた。


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