佳代のアドバイス
打ち上げのあと、優花は再び学校の方へと向かった。校門前で佳代の運転する車が待っていることになっている。そちらのほうが道も広いので、待ち合わせ場所は結局いつも通りの場所にしたのだった。しかし、やはりお好み焼き屋の前にしておけばよかったと今思っている。なぜならば。
「美味しかったでしょ、あそこ。実は応援部がよく行くとこなんだ」
にこにことしながら話しかけてくるのは長谷部である。優花のカバンを持って、ここまで一緒に歩いてきた。
「そうなんですね」
優花は頷きながら、うっかりため息をつきそうになって慌てて引き締めた。
(宮瀬先輩、余計なことして……)
この二人きりの状況が再び作られたのは、宮瀬の策略だった。三時間ほどみんなで楽しんでから解散したのだが、解散のどさくさに紛れていつの間にか長谷部が優花のカバンを持っていた。そして今に至る。
「誰が来てるの? お母さん?」
「いえ、その……義理の姉が……」
「もしかして、あの彼のいとこっていう?」
「そうです……」
竜のことを説明した時に、義理の姉のいとこだと長谷部に伝えていたのを思い出した。
「あとでちょっと不思議に思ったんだけどさ」
そう言いながら、長谷部は優花のほうをちらりと見た。
「いくら義理のお姉さんのいとこだからって言っても、君からしたら彼は遠い親戚というか、もう他人でしょ? そのお姉さんの実家に居候するのが普通じゃないかな。まあ、そのお姉さんのうちがどうしても無理だったとしても、娘が嫁いだ家に普通居候をお願いしないと思うんだよね。さすがに、君のご両親に遠慮するというかさ」
優花が深く説明をしたくなくて端折ったところを、長谷部は見事突いてきた。優花は言いよどんで目を少し伏せた。
(でも、百合にも、河井くんや高山くんにも説明したことだし)
その時と同じように、ただ事実だけを説明すればいい。しかし、何度も同じ説明をするのは思った以上にエネルギーを使った。小学校の時は否応なく周りに事情が知られていたし、中学の時は人と関わることがほとんどなかったので、説明することもなかった。加えて竜のことがあっていろんな事柄が普通とは違う。
「ごめんね、聞いちゃいけなかった?」
優花が口を開くより先に、長谷部に謝られてしまった。優花は小さく首を振った。
「違うんです。その……うち、両親ともいないんです」
長谷部の目が丸くなる。優花はそのまま手短に素早く説明してしまった。事故で両親が亡くなったこと。年の離れた兄と義姉が自分の保護者であること。義姉の家は今誰かを居候させる余裕がなく、他に当てもなかったのでうちに話が来たこと。そして最後に、竜にも両親がいない、と付け加えた。
「なるほどねえ」
思案顔で長谷部が頷く。
「いろんな条件が重なったんだね」
「そうなりますね……」
「もしも君のご両親が生きていたら、彼が居候しに来ることはなかったんだろうね」
そんなふうに考えてみたことはなかった。もしも両親が生きていたならば、もしも竜の親が健在だったならば。二人は出会うことすらなかったのかもしれない。すべてがもしもの話で、今更考えてもどうしようもないことだったが。
「あ。あの車?」
不意に、長谷部が指さしたのでその方を見る。数メートル先でハザードをつけて校門前に停まっているのは、橘家の車だった。優花がうなずくのとほとんど同時に、運転席側の車が開いた。そして佳代が大きなおなかを抱えるようにして降りた。
「お姉さん、赤ちゃんいるんだ」
「もうすぐ予定日なんです」
「またいろいろ大変だね。君の家は」
「そう、でしょうか?」
「ご両親がいないだけでも大変なのに、居候がいて赤ちゃんが産まれて、もっと大変じゃない?」
大変、という言葉が優花には意外に聞こえた。外から見ればそう映るのだろうとも思えた。しかし、竜が来るときにはさすがに不安は覚えたけれども、大変、と思ったことはない。子どもが産まれてくることは、何よりも待ち遠しいと思っている。だから優花はきっぱりと長谷部を見て言った。
「家族が増えるのは、嬉しいことですから」
長谷部がはっと胸を突かれたような表情を浮かべた。そして「そっか」と小さく独り言のように答えた。
そして、優花たちは校門前に到着した。
「こんにちは」
佳代が穏やかな笑顔で長谷部に挨拶した。長谷部は会釈しながら挨拶をし返す。
「えっと……お姉ちゃん。こちら、長谷部先輩。荷物、ここまで持ってきてくれたの」
とりあえず紹介しなければならない状況だと判断した。何だかおかしな状況だと頭の片隅で思ったが。
「優花の義理の姉です。いつもお世話になっております」
佳代が素晴らしく最高な笑顔(聖母の微笑み)を長谷部に向けた。
「あ……いえ。こちらこそ」
と、長谷部が戸惑いながら返した。
いつもお世話になっているだろうか、と疑問がわいたが、今ここで言うべき言葉ではないので、優花は胸のうちだけにそれを秘めておいた。
それから、長谷部がカバンと松葉杖を車の後部座席にしまってくれた。その間に佳代は車に乗り込んだが、妙にうきうきした様子なのが気になった。
「あの……ありがとうございました」
車に乗る前に、優花は長谷部にお礼を言って頭を下げた。長谷部は小さく首を振りながら優しく微笑んだ。
「じゃあ、また連絡するね」
「……はい」
優花が助手席に乗ったのを見届けると、長谷部は佳代に向かって軽く一礼をし、足早に駅のほうへと向かって行った。
(また、連絡する……かあ)
スマホを何となく眺めながら、優花は悩んでいた。本当に夏休み中に長谷部とデートすることになるのだろうか。やはり先ほどはっきり断っておくべきだったのではないか。でも、もう少し考えさせてと言ってしまったのは自分だし、考えるしかないのか……と思うと、優花は自然とため息をついてしまった。
急に、佳代がふふふと小さく笑い声を漏らした。
「さっきの先輩、爽やかで素敵ね。人気あるんでしょ」
「う、うん。そう、だね。人気あるよ」
ちょっとどぎまぎしながら優花はうなずいた。
「礼儀正しい子だったし。とっても優しそうだし」
佳代が長谷部のことをやたらと褒めちぎってくるので、優花は妙に居心地悪かった。とりあえず頷いていると、佳代がにやにやと笑いながら尋ねてきた。
「あの先輩、もしかして優花ちゃんの彼氏?」
その質問に、優花は手にしていたスマホを落としてしまった。
「え⁉ ななな、なんで⁉ ち、違うよ!」
スマホを拾うこともせず、優花は思い切り首を横にぶんぶんと振った。
「えー違うの? なんだ、がっかり」
佳代はあからさまに「がっかり」という表情を作っていた。
「義姉としてあいさつしなきゃと思って、せっかく車から降りたのに」
「あ、義姉としてって……」
「だって、優花ちゃんの初彼氏でしょ? 家族の印象も良くしておいた方がいいじゃない」
わざわざ佳代が車から降りてきたのは、そういうことだったらしい。だからいつも以上に最高の笑顔であいさつしていたのだと納得した。
「違うからね。ただの先輩だからね」
優花は力を込めて訴えたが、佳代は「でもねえ」とうなりながら少し首を傾げた。
「ただの先輩が、わざわざ後輩のカバンを持つためだけに一緒に来てくれるかしら?」
ぎくりとした。おそらく、表情に出てしまっている。でも、佳代は運転中で前を見ているので、きっとこちらの様子は見ていない。それだけが救いだ。
「あ、もしかして。この間自転車で送ってくれた先輩って、今の子?」
「う……うん」
この前長谷部と自転車で帰ったとき、佳代には「先輩に送ってもらった」とだけ言ったのだ。その時は特に細かく追及されなかったのだが。
「やっぱり、男の先輩だったのねえ。優花ちゃんが説明したがらないから、もしかしてって思ってたんだけど。そっかそっか、なるほどね」
佳代は一人頷きながら納得している。追及されなかっただけで、佳代は佳代でいろいろ推測していたらしかった。
「優花ちゃん。あの先輩、ただの先輩じゃないでしょ。自転車で送ってもらった上に、今も二人だけで並んで歩いてきて。あやしいなあー」
横目でちらりと優花を見ながら、佳代はにやにやとしている。心底楽しそうな義姉に、優花は愛想笑いを浮かべながら冷や汗が背中を流れていくのを感じていた。
(ううう。逃げる手段ないかな)
この話題をそらしたかった。でも、この車の中という密室な空間で、佳代の追及を逃れる術が思い当たらない。優花から違う話題を振ったとしても、佳代が巧みに元の話題に戻してしまうだろう。佳代には目に見えない迫力があるのだ。
「きっと、百合ちゃんには相談したりしてるんだろうけど、私にも話してほしいなあ。年上の意見、聞いてみたくない?」
それはちょっと魅力的に聞こえた。今のところ、百合にしか今の状況を話していない。百合は同い年の女の子の立場で共感してくれるけど、アドバイスのようなことはしない。話を聞いてくれる存在がいるだけで優花は嬉しい。でも、混乱している頭を少し整理させてくれる存在も今は欲しい。
「大丈夫。数馬には内緒にしておくから。というか、内緒にしておかないと大変。いつもの心配性が、もっと悪化しちゃう」
それは確かに大変だと思った。どんな風に悪化するか、あまり考えたくない。
「ね? 話してみる気になった?」
赤信号になって、佳代が優花のほうを向いた。そしていつも数馬に向けるときのあの「聖母の微笑み」を発動させた。そのとき優花は、思わずうなずいてしまう数馬の心境が少しわかった気がしたのだった。
「つまり、あの先輩にアプローチされてる真っ最中ってことだ」
結局、優花は事の次第を車の中で洗いざらい白状させられた。家に着いたときには、すっかり佳代に知られるところとなっていた。ただし、竜のことだけは話さなかった。同じ家に住む、佳代にとっては身内の話なので、何となく気まずいと思えた。
「百合ちゃんの言うとおりね。それって告白と一緒じゃない。はっきり『好き』って言わなかっただけで」
「そ、そうなのかな……」
「はたから聞いているとそうとしか思えないな」
玄関のドアを開けながら、佳代ははっきりと頷いた。
「優花ちゃんは、自分があの先輩のことどう思っているかわからないのね。第一印象がよくなかったのに、今は違うふうに見えてるんじゃない?」
(その通り、かも……)
強歩大会の時の印象は良くなかった。その後の打ち上げのこともあるから尚更だった。そのままの印象の人だったなら、優花はこんなに悩むこともなく、すっぱり断ったはずだ。
「私が思うに、ね。優花ちゃんが断り切れなかったのは、優花ちゃんの気持ちがあの先輩に傾きかけているからなのよ。でも、それをどこかで認めたくないって思ってる。なんでかわからないけど」
なんでかわからない、と言われた瞬間、不意に竜のことがよぎった。傷ついたような、悲しい表情を一瞬浮かべた竜の表情を思い出す。そして、ずんと重たい気持ちになった。
(なんで、かな)
今この時、なぜ竜のことを考えたのかがわからない。わからないことだらけだ。だから自分は混乱しているのか、と胸のうちで自嘲した。
考え込んでしまった義妹を見て、佳代は優しく微笑んだ。
「デート、してみたらいいんじゃない? デートしたからって、絶対付き合わなきゃいけないわけじゃないんだし、そこまで重く考えなくても平気よ。一緒に出掛けてみれば、優花ちゃんも自分の気持ちがはっきりするかも」
「そうかな……?」
「そうよ。迷うくらいなら、デートしてみたほうがいい。何事も経験だし」
経験、という言葉に少し背中を押された気がした。思い切って、踏み込んでみたほうがいいのかもしれない。そうでなければ、今の状態から抜け出せない。ずっと悩み続けているのはやはり嫌だ。
「どっちにするか決まったら教えてね。もちろん、数馬には言わないから。口裏合わせにも協力するよ」
いたずらっぽく佳代がウィンクして見せた。その笑顔が頼もしくて、優花もつられて笑ってしまうのだった。




