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竜の境遇

 二ヶ月前、優花は数馬と佳代から大事な話があると呼び出された。こうして改まった感じで話をするのは、二人が結婚することが決まったとき以来だ。しかし、今回はそのときに比べると何だか不安で落ち着かない。優花は両手をぐっと握り締めて兄たちの言葉を待った。

「私の父方の従兄弟なんだけどね」

 まずは佳代が切り出した。

「優花ちゃんと同い年で、葉山竜って子がいるの」

 その子をね……と、佳代は言葉を紡いだきり、途切らせてしまった。代わりに出てきたのは重いため息だった。すると、隣に座っていた数馬が佳代の肩を叩き、後の言葉をつないだ。

「その竜ってやつを、ここに住まわせてくれないかって話が来ているんだ」

 優花は何度か目を瞬かせた。そして一度頭の中で今の兄の言葉を繰り返してみた。

「……え?」

 かなりの間を置いて、優花はやっと聞き返した。

「そうだよな……わけがわからないよな」

 数馬は難しい顔をして頷いた。

「俺も初めて聞いたときはそうだった」

 すると、佳代は申し訳なさそうにうつむいた。

「ごめんなさい。こっちの家には関係ないのに、巻き込む形になって。しかも優花ちゃんは受験生なのに。でも、話だけは聞いてくれる? 長いしあまりいい話じゃないんだけど……」

 優花はとにかく頷いてみせた。それは確かに、「いい話」などではなかった。


 葉山竜は、佳代の父の一番下の妹の息子、つまり佳代の従兄弟にあたる。この竜の母親、多喜子が問題のある人だった。多喜子は、高校生くらいのときから悪い仲間とつるむようになった。朝帰りは当たり前で、家族といつも衝突していた。徐々に家に帰らないようになり、ついには高校を退学して家を飛び出してしまった。それから何年も音沙汰がないままだった。しかし十年後、多喜子が突然戻ってきたのだ。二歳になる竜を連れて。一人で産んで育ててきたが、経済的に苦しくなり戻ってきたのだ。竜の父親が誰なのか、誰も知らない。多喜子は語らなかったのだ。もしかしたら、当の多喜子もわからないのではないか、と佳代の父は言っていたそうだ。

 多喜子はしばらくの間、実家に身を寄せていたが、竜のことは自分の親に任せっきりで本人は若い頃と同様遊び歩いていた。竜は二歳にしては小さく、痩せ気味だった。お金がなくて食べ物に困っていたからだと多喜子は説明したが、多喜子の持ち物や服は安いものではなかった。経済的に苦しくなったというのは、多喜子本人のせいなのだと、当時十一歳だった佳代も思った。

「なにそれ。虐待じゃない」

優花は思わず口を挟んだ。

「そうね……。一歩手前だったかもしれない。でも竜は人懐こい子で、すぐに馴染んでくれたのが救いだったわ」

 佳代の一家は実家の離れに住んでいた。いきなり幼子を押し付けられた祖父母を気遣って、佳代は竜の面倒をみてあげた。新しい弟ができた気がして、結構楽しい毎日を過ごしていた。

 竜が四歳になったとき、多喜子は突如再婚した。多喜子は妊娠していたのだ。そして竜を連れて新しい夫と共に暮らし始めた。その男は葉山広樹はやまひろきといった。広樹は竜のことも、産まれた自分の娘と同じように可愛がった。多喜子も遊び歩くことをしなくなった。やっと平穏が訪れたのだ。佳代たち家族は、幼い竜のためにもそれを喜んだ。

 でもそれは束の間のことだった。三年が過ぎて、葉山家の雲行きが怪しくなっていった。原因はまたも多喜子だった。しばらくおとなしくしていたのに、また遊び癖の病気が始まったらしい。そして、一方的に離婚届を置いて、新しい男と出て行ってしまった。

「なんなの、それ。ひどい話」

 優花は思わず顔をしかめた。どう聞いても、酷い母親としか思えなかった。その女が佳代と血縁だというのも信じられない。今の話と、佳代は全くつながらなかった。

「今、その人どこにいるのかわからないの?」

「そうみたい。連絡もないらしいから」

 自分の産んだ子どものことは気にならないのだろうか。普通の母親の感覚ではない。優花は憤りを隠せなかった。

「でも、その旦那様ができた人でね。残された2人の子どもをちゃんと育てたのよ」

 広樹の親や親戚たちは、竜を施設にやればよいと言ったそうだ。どうしようもない女が、どこの馬の骨ともわからない男と作った子どもだ。広樹と血のつながりはない。戸籍上は息子になっているが、ここで断ち切ってしまった方が広樹のためになると考えたのだ。しかし広樹はそんな言葉に耳を貸さないで、今まで通り竜と娘を分け隔てることをしなかった。

 でも、竜が中学に上がってから間もなく、広樹は亡くなった。突然職場で意識を失ったまま、帰らぬ人になってしまった。脳溢血が亡くなった原因だが、元を正せば働き過ぎによる過労があった。その頃、広樹は2人の子どもを養うために、昼も夜も働きに出ていたのだった。

 竜と妹は、広樹の親のもとに引き取られた。しかし、かたや自分の息子の忘れ形見の孫、かたや血のつながらない生意気ざかりの少年。妹のほうは可愛がられたが、竜は歓迎されなかった。

「それから、竜だけはあちらの親戚をたらい回しにされたらしいの。中学も何度も変わってるみたい」

 大人の都合で振り回される辛さは何となく想像できた。優花自身も、両親が亡くなったあとたらい回しにされていたかもしれなかったからだ。たまたま、兄が守ってくれたから辛い目に遭わなかっただけだ。

「そして、行くあての親戚が尽きて、今度はうちに連絡が来たのよ」

 佳代の実家に連絡があったのは、半年ほど前だった。竜は高校に行かず、働く予定だった。桜町のほうで職を探しているから、そっちに住んだ方が都合がいいという話だった。体良く押し付けようという魂胆が丸見えだった。しかし佳代の家族、とりわけ佳代の祖父母は竜のことを心配していた。わずかの間だが、一緒に暮らしたことがある孫の一人なのだ。あちらの申し出を受け入れることになったのだった。

「でも、優花ちゃんも知っての通り、うちのおじいちゃんとおばあちゃん、この間立て続けに入院しちゃったじゃない。それでゴタついてしまって、竜を住まわせるどころじゃなくなってしまったのよ。だから……」

 はぁ、と佳代が重い息を吐いた。

「だから、うちはどうかって、父が言ってきたのよ」

 優花は、兄が最初に言った言葉をもう一度思い返した。今まで話を聞いてきた、その竜という子を住まわせる。このうちに。男の子が。しかも優花と同い年。

「そんなのっ……」

 イヤだ。言いかけて、言葉を飲み込んだ。自分もイヤだと言ってしまったら、ひどい大人たちと同じになってしまう。でもイヤだった。優花は男の子が苦手だった。中学に上がってからは特にいろいろあった。告白してきた先輩をふったら、その先輩を好きだった女の子から嫌がらせを受けた。優花の根も葉もないうわさを学校中に流して、孤立させたのだ。それを気の毒に思った男子が近寄ってきて、どさくさに紛れて告白してきたりして、「男子が味方してくれるから美人っていいよね」と更に女子から反感をかった。悪循環を抜け出したくて、そんな男子たちに対して「迷惑だ」とはっきり態度に出したら「美人だからって、お高くとまってる」と言われるようになった。優花が自分の顔を嫌いになったのも、孤立する原因になったのも男子だった。彼らは優花にとって迷惑な存在でしかなかった。

「もちろん、最初は断ったんだ。うちに住まわせても責任は持てないし、なにより……」

 数馬はちらりと優花を見た。

「年頃の男が優花と一緒にいると、いろいろ問題がありそうだからな」

「責任云々より、数馬はそっちが心配なのよね」

「……」

 佳代に図星を指されたようで、数馬は言葉を詰まらせてしまった。

「でも、一度うちが引き受けてしまったものだし、竜はこっちで職も見つけたわ。この間会った時、あの子、一人暮らししますよとか言ってたけど、現実問題無理なのよ。一人暮らしを始めるにも、先立つものがないんだから。それを考えると可哀想で……」

 佳代の中では竜を住まわせてやりたい気持ちがあるようだった。だから、数馬も強く反対できないでいるらしい。義理の父からの頼みでもあるから尚更だ。

「もう、決定事項なの……?」

 優花は恐る恐る尋ねてみた。それに対して数馬は首を振った。でも自信なさげな様子だった。

「優花の意見を聞かないで決められないさ。お前は今の話を聞いてどう思う?」

「どうって……」

 言われてもわからなかった。単純に良いか悪いかで答えられそうにない。率直に言えば「いやだ」である。いきなり見ず知らずの男の子と暮らすなんて考えられない。しかし竜の境遇を聞いてしまった今、自分がワガママを言ったことで彼が路頭に迷ってしまったら、かなり気分が悪くなることだろう。優花はうつむき、両拳をぎゅっと握りしめた。

 答えないでいる妹を見て「難しいよな」と数馬は苦笑いした。

「ゆっくり考えてみろ。いやならいやだと言ってくれて構わない。俺たちももう少し話し合ってみるから」

「受験勉強大変なときなのにごめんね、優花ちゃん」

 このときは、こうして保留になった。

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