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柳の下の幽霊

 手をつなぎ続けているのは嫌なので、扉をくぐった後に優花は勢いよく振りほどいた。びっくりした様子の竜が暗がりの中に見えた。でもすぐに竜はにかっと笑った。なんだか悔しくて、優花はそっぽをむいた。

(何なのよ。余裕そうじゃないの。何が怖いからーよ)

 むかむかしているうちに、目の間の照明がぼんやりと光り始め、どこからか和風な音楽が流れてきた。ちょっと物悲しい、ゆっくりとした調べだった。


『およそ、七百年前のこと。この館に住まい、この地を支配していたのは、猪俣いのまた氏と呼ばれる一族だった。この男は、その当主である』


 唐突に、重々しい女の口調で物語が始まった。光に浮かび上がってきたのは直垂ひたたれ姿の男だった。どうやら、これが猪俣の一族の当主らしい。がっしりとした体で、肩から弓矢をしょっている。いかにも武士といった風情の男だった。リアルに作られた人形だが、やはり人形だ。腕が少し動いたが、ぎこちない動きだったので優花は少し安心した。

 語りはさらに話を続けていく。この当主には、正妻と、若い側室が一人いたそうだ。正妻には子どもがおらず、やがて側室が身ごもったという。正妻と側室との間に水面下で火花が散っていたが、それ以外のところでは平穏に時が過ぎていたそうだ。

「なんだか、お化け屋敷というよりはどろどろとした人間ドラマって感じだなあ」

 ひそひそと竜が耳打ちしてくる。優花としては、お化けうんぬんよりそちらのほうがまだいいと思える。すると、語りが次の部屋に移動するように指示を出してきた。人形の当主が指し示したほうに、黒いカーテンがあった。竜を先頭にして、二人はそのカーテンを潜り抜けた。

 次の場所は、赤い照明がちかちかと光っていた。 崩れた館のシルエットに、大勢の喚き声、そして剣がぶつかり合う音が聞こえてきた。この赤い照明は炎なのだ。どうやら、この館が誰かに襲われているようなのだ。


『そんなある日のこと、隣国の四方田よもだ氏が攻め込んできた。四方田の当主は残忍な殿様で、猪俣の一族を見殺しにせよと命じていた』


 これは戦の場面らしい。歩きながら周りを少し見渡せば、逃げ惑う人のシルエット、それを追う武士らしき影、刀を振り上げる人などがいた。この大勢の声も、悲鳴や怒号が混ざっている。シルエットになっている分、リアルに想像できしまい、まるで自分が炎の中を逃げているような感覚だった。

 そして、次のカーテンが現れたので、またそれを潜り抜けた。すると、一気に視界が暗転した。目の前にいる竜の背中すら、よく見えない。

(やだ、何ここ。何が起こるの)

 思わず、近くにいる竜の服をぎゅっと掴もうとした。でもぎりぎりで踏みとどまった。そんな情けないことはプライドが許さなかったのだ。

 と、琴と笛だけの、悲しい音楽が流れ始めた。足元だけ薄ぼんやりと明かりが見えてきて、竜が進みだした。優花も慌てて距離を置かずに追いかける。歩いている間、語りの女が、戦で猪俣の一族が滅ぼされてしまったことを静かに告げた。男はもちろん、女、子ども、年寄りも容赦されなかったことを、淡々と語る。

 ところが。急に音楽が途切れた。足元の明かりも消えてしまった。竜が止まったので、優花はその背中にぶつかってしまった。

「なんだ?」

 竜がつぶやいた、その瞬間。

 刀で何かを切る鈍い音、そして断末魔の悲鳴が聞こえたかと思うと、優花たちの横に血しぶきの舞った障子戸が突然現れた。だんっ!と大きな音が響き優花の体が思わず跳ね上がった。そして気づけば、男の首だけが、ぶらんと目の前に揺れていた。

「~~っっ!」

 優花は悲鳴を上げることもできず、夢中で竜の腕にしがみついていた。でも視線だけはその首から動かせない。首の男は、青白い光の中でいかにも無念そうに眼を見開いたまま優花たちをにらみつけていた。

「大丈夫だって、人形だって」

 それはわかっている。頭では理解しているが、全身は怖がって怖がってしかたがない。震えが止まらないし、呼吸もうまくできない。

 語りの女が、これが猪俣の当主の首だと説明していたようだが、あまり耳に入ってこなかった。

 また少し足元に明かりが見えてきたので、竜が進みだそうとした。が、優花の足がすくんでしまい、その場から動き出せなくなってしまった。

「ほら、進まないと出られないぞ」

「や……やだ。やだ。まだ次があるの? もうやだ。今すぐ出たい」

「なーんだ。やっぱり優花怖かったんじゃないか」

 楽しそうな口調で竜が言う。優花は半泣きになりながら訴えた。

「わ、私は入りたいなんて一言も言わなかったし! あんたが無理やり引っ張ってきたんじゃない」

「百合みたいに嫌がればよかったのに。あれくらい素直に嫌がれが俺だって入らなかったよ」

「そんなのできないもん!」

「んー……まあ、確かに。優花のキャラじゃないな」

 ふうっと竜は短くため息をつくと、しがみつかれている腕とは反対側の手を、優花の手の上に重ねた。

「大丈夫だよ。俺が一緒にいるんだから」

 手を包まれて、温かさが伝わってくると、優花のパニックが次第におさまり始めた。それを感じ取ったのか、竜は改めて優花と手をつなぎなおし、前に進んでいった。優花は自分でもびっくりするほど、素直に竜の後に続いて歩くことができた。

カーテンの向こうには、暗がりの中に廃墟となった建物があった。語りの女が、猪俣の当主が殺された後の一族の顛末を語った。正妻は自らののどに刀を立てて自害し、まもなく産み月だった側室は捕らえられ、命乞いもむなしく生き埋めにされたという。

(いくら戦だと言っても、ひどすぎる。赤ちゃん、産まれることができなかったんだ)

 ふと、お腹の大きく膨らんだ佳代のことが思い浮かんだ。いろいろ大変そうではあるけれど、毎日幸せそうな顔をしていた。お話の設定ではあるが、優花はやるせない気持ちにさいなまれた。


『それからしばらくのち、この館の周辺で奇妙なことが起こるようになった。滅ぼされた猪俣の一族の亡霊が、夜な夜な現れては無念を語るのだ』


 語りの女の声を合図に、いかにもお化け屋敷らしい音が鳴り響き始めた。ひゅうーという笛の音、急き立てるようにかき鳴らされる太鼓。作りものだと一発でわかる火の玉が左右に揺れ始めた。

(これくらいなら……平気)

 と、優花はいくらか油断していた。だから、突如右横の柱の陰からガチャンと大きな音を立てて落ち武者のお化けが手を伸ばしてきた瞬間、再び夢中で竜にしがみついてしまっていた。

「優花は悲鳴が出せないんだなあ」

 のんきに竜が言っているそばから、今度は左の壁が急に倒れて血まみれの女のお化けがにらみつけてきて、優花は言い返すどころではなくなった。廃墟を通過しきるまで、左右からだけでなく、上から首がいくつも落ちてきたり、後ろで再び火の玉が迫ってきたりとせわしなくお化けがやってきて、優花は竜から離れることが全くできなかった。

 やっとのことで廃墟を通り過ぎ、もう終わりかと思った時だ。優花は目の前のものを見て固まってしまった。一本の柳の木が、目の前で青白い光を下から浴びて、かすかに揺れていたのだ。

(やだ……さっきの、ポスターのやつだ)

 優花はますます竜に強くしがみついた。柳の下には、今は何もいない。けれども、絶対に出るのだ。絶対に、女の幽霊が。わかっているけれど、昔のトラウマになっている恐怖と今感じている恐怖が相まって、どうにも対処ができない。

 予想通り、柳の下に女が現れた。あとでよくよく思い返せば、柳の下の壁が反転して女の人形が現れるという、とても分かりやすい仕掛けをしていた。でもその時の優花は、本当にぼんやりと女が柳の下に浮かび上がってきているように見えていた。女は、ボロボロの着物をまとい、腕には小さな赤ん坊を抱いていた。


『どうか……どうか、この子にお乳をやってくれませんか』


 語りの女とは違う声だった。小さな声だが、鬼気迫るものだった。どこからか、本当に赤ん坊の泣く声が聞こえてきた。


『どうか……どうか、この子にお乳を』


 きっと、生き埋めにされた側室なのだ。子どものために、亡霊になって現れたのだ。そう思ったら、途端に怖くなくなった。この人は幽霊だけれど、母親なんだ。子どもを守ろうと必死なんだ、と。


『どうか……』


 同じセリフを繰り返しながら、女が消えて行った。優花は思わず呆然とそれを見送った。すると、再び語りの女の声が戻ってきた。


『この亡霊たちを鎮めるために、塚が築かれた。側室と赤子の霊をはじめ、ほとんどの霊はそれ以降ぴたりとなりを潜めるようになった』


「ほとんど?」

 竜が首を傾げた。優花も心の中で同じことを考えた。ほとんど、ということは、鎮まらなかった幽霊もいるということだ。それはいったい。


『正妻の霊だけは、何をどうしても鎮まることを知らなかった』


 柳の下から突然、首に短刀が刺さったままの女が現れた。女はにやりと笑っていた。その口から血を流しながら。


『おのれ、四方田。この恨み、晴らさでおくべきか』


 女の体がガタガタと激しく揺れ始める。そして、怒号のような女の悲鳴が優花たちの耳を貫いた。すると一気に周囲が暗転した。しがみついているはずの竜の顔すら見えない、本当の暗闇。予想もしていなかった展開に、優花の恐怖が再び頂点に達する。


『正妻の霊は、四方田を呪った。ほどなく、四方田の当主をはじめ、一族は次々と謎の病に倒れて死んでいった。ところが正妻の力は留まることを知らず、とりついていた猪俣の館でさえ呪いに包んだ。猪俣の館は誰も寄り付くことができず、立て直すことも、壊すことすらできなくなった。この館に触れようものならば、その者は決まって謎の病を得て亡くなってしまうようになった。猪俣の館は、廃墟のまま残され続けた』


「はた迷惑な女だなあ」

 闇の中で竜がつぶやいた。その口調があまりにのんびりしていたおかげで、優花はちょっとだけ怖さを忘れられた。


『今でも、正妻の霊はこの館にとりつき、寄ってきた者を呪おうとしているのであった……』


 その語りの終わりとともに、薄ぼんやりと小さな光が現れてきた。やっと周りが見える、とほっとしたのも一瞬のこと。にやりと笑う正妻の顔だけが、闇の中に浮かんで、すぐに消えた。

「……っっっ!」

 再び真っ暗闇に戻されて、優花は竜の腕にさらにぎゅうっと強くしがみついた。何も見えない、何も見えないから、この闇のどこかからあの正妻ににらまれている気がしてならないのだ。一瞬しか見えなかったから、余計に想像を掻き立てるのだ。

「優花、痛いってば……」

 竜がぼやくと、足元に光が差し込んできた。竜が進んだので、優花はそのまましがみついた状態で歩き出した。そして竜が扉を開けると、一気にまぶしい光が全身を包んで、目が開けられなくなった。

「……出口だったのか」

 しばらくして、竜がぽつりとつぶやいた。優花は恐る恐る目を開けた。目の前に、出口の矢印の看板が立っていた。やっとお化け屋敷から抜け出せたのだ。

「もう……やだ」

 思わずこぼれた言葉とともに、全身から力が抜けていく。暑さのせいではない、変な汗が体中からどっと出てきた。

「大丈夫? 優花」

 見上げると、困ったように笑っている竜がいた。

「このまま出ちゃってもいいんだけどさ、百合たちに見られるとあとで気まずい気もするんだけど」

「え……」

 優花はずっと竜の腕にしがみつきっぱなしだった。手もつないでいるし、体も結構ぴったりと寄せ合っていて、顔の距離も気づけば近い。

「あ、ごめん!」

 慌てて優花は離れた。今までは怖さが勝っていたので何とも思っていなかったが、明るいところに出てみれば、自分はとんでもないことをしていたのに気付く。

「あはは。俺としては役得だったけどなあ。それにしても、優花はこういうのダメなんだなー。よくわかったよ。優花があんまりにも怖がってるから、俺全然平気だった」

 面白がる竜の言い草に、優花はカチンときた。

「あんたは最初っから平気そうだったじゃない!」

「だって、俺初めてだったし?」

「もう絶対一緒になんて入らないんだから! 絶対!」

 苛立ちと恐怖と恥ずかしさがごちゃ混ぜになって、優花は思わずぽかぽかと竜を殴った。

「わかったわかった。だから叩いてくるなってば」

 竜が笑いながら逃げていく。優花が追いかけて行った先には、けろりとした笑顔の百合と少しだけ微笑んで見せている圭輔が待っていた。そこへ駆けて行こうとしたとき、優花の首元を涼しい風が吹き抜けていった。

 何ともなく振り返ると、お化け屋敷の横に本物の柳の木が揺れていた。一瞬、赤ん坊を抱いた着物の女が見えた。

(え?)

 まばたいた次の瞬間には、ただ柳が揺れているだけで、女も赤ん坊もいなかった。

(気のせい、だよね)

 お化け屋敷でいろいろ見て聞いてしまったあとだからだ、きっと。優花はまた百合たちのほうをすぐ向いて走っていった。

「怖かった? 優花」

 百合の問いに、優花はあいまいに笑って頷いた。

「ん、まあ、それなりに」

「なーにがそれなりに、だ。優花、すっげー怖がっちゃってさあ」

「ちょ! 竜!」



 そのとき、また風が吹いた。楽しげに話しながら遠ざかる四人を、柳は揺れながら見守っているのだった。

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