遊園地のアトラクション
「じゃ、三、二、一で開けるよ」
ドキドキした様子で百合が声を潜めながら他の三人を見回す。竜が「いいぞ」と言ってごくりとつばを飲み込んだ。圭輔は何も言わずただ後ろからのぞき込んでいる。優花は小さくうなずいた。
「三。二。……一」
最後のカウントを少しだけためてから言うと、百合は持っていたフタを持ち上げた。
「うわあ」
百合と竜が声をそろえて歓声をあげた。同時に「おお」と、圭輔が小さな声を立てた。
四人の視線の先には、今朝がた優花が詰めてきたお弁当の一段目が開けられていた。卵焼き、赤のタコウィンナー、唐揚げが目いっぱい敷き詰められている。彩りを兼ねて、ブロッコリーとミニトマトをアクセントにいくつか置いている。
「次は?」
竜が待ちきれないといった様子で一段目を取って二段目、次いで三段目を開ける。二段目は根菜の煮物、アスパラの豚肉巻き、肉団子(これは出来合いのものを買ってきて詰めただけ)、ポテトフライ(これは冷凍食品を揚げただけ)。三段目はポテトサラダのほかに、デザートとしてリンゴとブドウをつけた。四段目はすべておにぎりになっている。
「優花すごい。こんなにいっぱい作って、こんなおいしそうに詰められるんだね!」
百合があまりに目を輝かせて褒めちぎってくるので、優花はちょっと恥ずかしかった。
「百合だって一緒に作ったじゃない。詰めるのも、スマホでいろいろ調べて真似しただけだし」
「私は途中までだもん。それに、優花に言われたとおりに手伝っただけだよ」
「でも……」
百合が褒め、優花が謙遜してというやり取りがしばらく続いたが、しびれを切らしたように竜が口をはさんできた。
「もう食べよう。腹減った」
女子二人は顔を見合わせて小さく笑った。そして四人で「いただきます」と声をそろえてから食べ始めた。
「腹減ったと言っても、まだ十一時半なんだけどね」
優花はスマホの時計をちらりと見た。ジェットコースターのあと、バイキング(海賊船がぐるぐると勢いつけて回るもの。逆さになるのが多いので優花は少し苦手に思えた)や急流すべり(コースターのようなボートに乗るウォータースライダー。夏限定のアトラクションで、けっこう濡れた)など、ちょっと激しめのアトラクションを一通り乗った後、早い段階で竜が「腹減った!」と騒ぎ出したのだ。重いお弁当をいつまでも持たせ続けるのも悪いと思えてきて、早めの昼食をとることにしたのだ。
「席が空いててよかったね」
百合がおにぎりを食べながら言った。優花は頷きながら上を見上げた。緑の葉から夏の日差しが透けて、キラキラ輝いていた。風で揺れるたびに隙間から星のように光が瞬いている。四人はアスレチックのある森のエリアに移動していた。ここは休憩用にテーブルとベンチがいくつか並べられているのだ。ここは木の下ということもあって、涼しくて過ごしやすかった。
「少し早い時間なのがよかったんだね。十二時過ぎたらきっと混んでくるよ。早いとこ食べちゃおうか」
そういう優花に、百合は苦笑いしながら首を横に振った。
「十二時前には食べ終わっちゃってるかもねえ」
と、優花と百合は視線を男子二人に向けた。竜はおにぎり片手に勢いよく唐揚げやらウィンナーにかぶりついていた。圭輔も似たような感じで、ひたすらおかずやらおにぎりやらを口に運んでいる。
「食べてるばっかじゃなくて感想くらい言いなさいよ」
「んー?」
もぐもぐ口を動かしながら竜が優花のほうを振り返った。そして飲み込み、にぱっと笑った。
「もちろん、美味い」
そしてまた食べ始めてしまった。
「それだけ!?」
竜はうんうんと大きくうなずくだけで、またひたすら食べ続けている。優花がその様子に呆れて何も言えないでいると。
「圭輔も何か言ってよ」
百合が圭輔をひじでつついた。すると。
「不味かったら食べない」
と表情を変えずに一言だけ言った。「はあ?」と百合が眉をひそめて憤慨している。
「わかるわかる。美味いから食べるんだよ。感想求められても無理だよな。美味いもんは美味い。それでいいじゃん。なあ?」
再びほおばっていたものを飲み込んでから、竜が圭輔の一言に激しく同意した。
「そう、それ」
圭輔は言葉短くうなずいた。午前中も圭輔はずっとこんな調子で、優花と百合と竜がしゃべっているのを黙って聞いているか、たまにこうして短く返事をするだけだ。表情もあまり動かないので、楽しんでいるのかどうかもわからない。
「それにしてもさあ、圭輔はジェットコースターでもあんまり叫ばないんだなー。ああいうの平気なんだな。俺初めてだったからキャーキャー言っちゃった」
竜が終わりの言葉をわざと可愛らしく言ってみせた。優花はじとっと呆れた視線を送った。
「キャーキャー言ってなかったじゃないの。うわー、とか、ギャーでしょ」
圭輔と百合が隣同士に座ったので、自然と優花と竜が隣になって座ったのだが、竜はずっとニコニコした表情で叫んでいた。優花も楽しかったには楽しかったが、回転するところはバイキングと同じで苦手に感じた。逆さまになるのは一瞬だけれど、やはり変な気分だ。
「違う違う。圭輔は平気なんじゃなくて、叫べないだけ」
「百合……」
ちょっと気まずそうに圭輔が百合をにらんだ。でも、百合はおかまいなく話を続ける。
「圭輔は昔っからそう。驚いても怖くても何にも言わないの。この強面だから勘違いされること多いけど、ほんとはああいうの苦手だよね。特に落ちるやつは」
「え、じゃあ百合は……それを知ってて最初にジェットコースター乗ろうなんて言ったの?」
「うん」
百合は無邪気な笑顔でうなずいた。隣で圭輔が頭を抱えてため息をついた。
「百合だって、昔は嫌がってたじゃないか。ああいうの」
「そりゃあね。でも前お母さんたちと来た時、一緒に試しに乗ってみたらけっこう楽しかったんだ。圭輔にそれ教えたくて」
弱々しい圭輔の反撃も、あっさりと返されて圭輔は開いた口が塞がらない様子だった。優花と竜も乾いた笑いしか出なかった。
(百合って、案外……なんというか)
お嬢様のふんわりした雰囲気を持っているのだが、小悪魔なところがあるのだな。そう思わずにいられない優花なのであった。
あっという間にデザートの果物まで食べ終わり、お茶を飲みながら食休みしていると、徐々に周りのテーブルに人が集まりだした。午前中目いっぱい遊んで、十二時少し回ったところでお昼ご飯にする、といったところだろう。大方が家族連れだ。レジャーシートを敷いている人もいるが、席を探している人もいる。
「俺たちはそろそろ行くか。席空けよう」
「そうだね。今ならみんなお昼だから空いてるとこもあるかも」
そして四人は森のエリアから移動した。まだ行っていない大きなところは、お化け屋敷と観覧車だ。アスレチックは家族連れが主に遊ぶところなので、さすがに遠慮した。
「それならお化け屋敷行ってみよう」
竜が張り切って遊園地のマップの端を指した。明るい色で描かれたマップだが、その一か所だけが暗い雰囲気で浮いている。黒い色で描かれたいかにも怪しげな和風の屋敷なのだ。
「えー。お化け屋敷は、ちょっと……」
尻込みしているのは百合だった。それを見逃さず、圭輔がにやっと意地悪そうに笑った。
「それなら、行くか」
「えええ。ヤダ。行かないってば」
「人を絶叫系に連れて行った罰だ。強制」
今度は圭輔が百合を引っ張って行ってしまった。立場が逆転したらしい。優花と竜は午後も二人を追いかけるところから始まった。
「優花はお化け屋敷とか大丈夫?」
「だ……大丈夫。平気」
本当は、大の苦手だ。怖い話は極力聴きたくないし、ホラー映画なんて絶対見ない。特に、日本のお化けのほうが意味もなくうすら寒くて怖い。幼稚園の頃、柳の下には幽霊がいるという話を聞いてから、しばらく柳のある道を通れなくなったことがある。当時は本当の話だと信じ込んでしまっていたのだ。のちに作り話だとわかっても、それがちょっとトラウマになっている。
「その様子は平気じゃないな」
「平気だから! お化け屋敷なんて、どうせ全部作りものじゃない。平気。全然平気」
そう言いながら、これは平気ではないとアピールしていると嫌でも分かった。でも、何となく竜の手前怖がっているところを見せたくない。いろいろな優花の素顔を見せてしまっているから、今さらかもしれないが……。
「ふうん」
竜はそれ以上追及してこなかった。意味ありげにうなずいただけで、なんだか嫌な予感がしてならなかった。
お化け屋敷の前では、圭輔と百合が攻防を繰り広げていた。と言っても、はたから見たらカップルがバカップルぶりを発揮しているようにしか見えない。嫌がる彼女を面白がって彼氏がお化け屋敷に誘っている図。嫌がる百合がまた可愛らしいのだ。
(あんな風には嫌がれないな……)
百合があんなに嫌がっているのを見てしまうと、かえって自分が嫌とは言えなくなってしまう。ましてや、自分のキャラではない。
「ええっと。へえ。夏の特別怪談祭り中だって」
そんな圭輔と百合の様子をよそに、竜がお化け屋敷の脇に貼ってあったポスターを見て言った。
「いつもの仕掛けに、プラス要素があるってことかな。なるほど、ストーリー仕立てになってるのか」
優花も一緒にそれを読んでみる。このお化け屋敷がお化け屋敷になる前の物語、という設定らしい。なぜお化け屋敷になってしまったのか、それを歩きながらストーリを追っていくようになっているそうだ。所要時間は十分と長い。おどろおどろしいポスターの真ん中に、白い着物を着て、長い黒髪をだらりと垂れた女がいる。異様なのは、その女が赤ん坊を抱いていることだ。そして、女が立っているのはなんと暗い影を落とした柳の木の下なのだ。背筋に悪寒が走った。
「面白そうだなー。じゃ行くか。あんま並んでないし」
「え!」
竜の言葉に、思わず裏返った声が出た。
「ゆ、百合と圭輔を待とうよ」
二人はまだ攻防戦中だった。いや、圭輔がそろそろ諦めそうな雰囲気だ。百合を困らせて仕返しすることには成功したので、入らなくてもいいと言ったところだろうか。それなら、自分も入らずに済むかもしれない。それをひそかに期待しているのだが。
「あの二人は放っておけばいいよ。待ってたらきりがないし。俺、お化け屋敷も初めてでさ、どんなんか見てみたいんだよ」
「それなら、一人で行ってみればいいじゃないの」
「ええー。お化け屋敷一人で入るって変じゃん。怖いから一緒に来てよ」
「はあ?」
いけしゃあしゃあと「怖いから」と竜が言ったので、優花は思い切りしかめっ面になった。
「じゃあ、入らなきゃいいじゃない」
「だからー、初めてだから経験してみたいんだってば。それとも何? 優花、平気とか言っといて、やっぱ怖いんだろ?」
「な……ち、ちがうっ……」
否定しようとしたところで、竜がにぱっと嬉しそうに笑った。
「じゃあ入ろう。優花頼りになるなー」
「え、え、あ?」
竜は優花の手をむんずとつかむと、あれよあれよという間にお化け屋敷の入り口まで来てしまった。入口の係員が二人の首から下がっているフリーパスを見て「こちらへどうぞ」と案内し始めた。視界がどんどん暗くなる。心なしか、足元に冷気がかすめていく。
(ちょっと待ってよ! そんな、心の準備が)
優花は完全にパニックになっていた。でも、竜は歩みを止めないし、手も放してくれない。戻ろうにも、周りが暗くて帰り道もよくわからない。いつの間にか、案内していた係員の姿も消えていた。
「あのねえ、私入ろうなんて一言も……」
抗議しようと声を上げたが、「しっ」と竜が鋭く言葉を遮った。そして、ひそひそと耳元でささやいてきた。
「もう入っちゃったんだし、いいじゃん。俺の初めて、付き合ってよ」
妙に色っぽい声で、ドキリとするような言葉が耳をくすぐった。途端に、優花の心臓が大きく跳ね上がった。
「ね? 初めてなんだからさ」
暗闇の中で、竜が白い歯を見せて笑ったのがわかった。
(そんな……初めてってことを繰り返さなくても……ずるい)
そこまで言われて付き合わなかったら、ひどい奴になってしまうじゃないか。それに、もう後戻りができない。諦めるしか選択肢はないようだった。




