遊園地の日曜日
平年より早めの梅雨明け宣言がされたころ、期末考査も上々な結果で幕を閉じ、いよいよお待ちかねの遊園地の日がやってきた。
朝の天気予報では、一日中快晴。降水確率0パーセント。風も穏やか。絶好の遊園地日和だった。
「やったー。また優花の弁当食べられる」
朝がんばって早起きをして、お弁当のおかずを詰めていると、白いTシャツにジーンズといったシンプルな格好(これは竜が自分の給料で買った服。最近は竜も自分で服を買えるようになってきた)をした竜が両手をあげて大げさに喜んでいた。
「俺、これが一番楽しみなんだ。あ、唐揚げ」
お皿に乗っている唐揚げをつまもうとした竜の手を、優花はあっさり叩き落とした。
「はあ? なにバカなこと言ってるの。もっと他に楽しみあるでしょ」
「あるけど、やっぱりメインイベントは弁当でしょ」
叩かれた手を大げさに振りながらも、竜はずっとニコニコしっぱなしだ。なんだかんだ、竜も楽しみにしていたようだ。
「でも、四人分となると多いなあ。作るの大変だっただろ」
重箱四つが積みあがっているのを見て、竜が感心したようにうなった。四人分のおにぎりに、四人分のおかずが入っている。最初は遊園地で何か買って食べればいいと思っていたのだが、お金がかかるのでそれぞれお弁当を持ってこようということになった。ところが、圭輔は「それならコンビニで買っていく」と言い、竜はもちろん「俺は作れないから、優花にお願いする」と言った。竜と自分の分をまとめて作るくらいなら、いっそのこと四人分作ってしまったほうが手っ取り早いと思い、優花は思い切って引き受けたのだ。
そして昨日、百合と一緒に材料を買い、下ごしらえもした。百合が帰った後も優花は準備の続きを夜までやった。今朝もいつもよりだいぶ早起きして、おにぎりや卵焼きなどを作り、今やっと詰めている段階に来ている。
「作るのはそんなに大変じゃないよ。いつも夕飯とか四人分だし」
むしろ大変だったは早起きと、この詰める作業だった。ただ詰めればいいというものではない。やはり見栄えは重要なのだ。
「よし、できた!」
全てのおかずを詰め終え、優花が重箱を包み終えたとき、すでに約束の時間の三十分前になっていた。優花は慌てて着替えて準備をした。ジーンズのショートパンツに、黄色のストライプのTシャツ、七分丈で裾長めのグレーの薄いカーディガン。長い髪は高めのポニーテールでまとめてみた。
その姿を見て兄が一言。
「脚、出し過ぎじゃないか」
かなり不機嫌な表情だったので、優花はもう一度全身を確認した。確かに、普段は足の隠れる普通のジーンズなどをはいていることが多い。一応カーディガンで太もも半分は隠れるから、別に大丈夫だと思っていたのだが……。
「なにおじさん臭いこと言ってるのよ」
佳代がバシンと強めに数馬の背中を叩いた。臨月に入った佳代のお腹はこれでもかと言うほど大きく前に出ている。元々、この夫婦は佳代のほうが立場が強いけれど、体が大きい今はますます強く見えるので、若干兄がかわいそうにも思えた。
「じゃ、行ってきます。ベビーちゃんも行ってきますね~」
優花は佳代のお腹を撫でながら声をかけた。この恒例のあいさつもあと一か月ほどだと思うとちょっと寂しい気もする。
「何かあったらすぐ連絡しろよ」
数馬が不機嫌顔のままそう言った。扉を閉める直前に「またそういう過保護な発言して」と言いながら佳代が思い切り数馬に突っ込んでいる音が聞こえた。優花と竜は顔を見合わせたあと、聞かなかったことにしようと暗黙で了解した。
百合と圭輔とは、駅前で落ち合うことになっていた。優花たちが駅に着くと、二人はすでに改札前で待っていた。長身でがっしりした体の圭輔の横に、小柄で細身のふんわりとした雰囲気の百合が並んでいる。圭輔は黒っぽいTシャツに迷彩柄のボトムを、百合はいつもおさげにしている髪をおろしてハーフアップに結い、薄ピンクのシャツに青いひざ丈のスカートをはいていた。お姫様と騎士みたいだなと、優花は思った。
「お待たせ。ごめんね、待った?」
駆けよっていくと、百合がぱっと笑顔をこちらに向けた。
「ううん。私たちもさっき着いたところ。うわ、重そうだね。作るの大変だったでしょ」
竜が持つ大きめのショルダーバックの中に、重箱四つ分のお弁当が入っている。
「そう。重い重い」
と、竜が自分を指さしながら偉いだろとアピールしていたが。
「百合も一緒に作ったじゃない。私は仕上げしただけだよ」
「一緒に作ったって言っても、途中までだし。ありがとうね、優花」
「こちらこそ、ありがとうね、百合。それにしても、百合の今日の私服似合ってるね。かわいい。いつも髪おろせばいいのに」
「今日はお出かけだから特別おろしただけ。優花もおしゃれで素敵だよ。ポニーテールも新鮮だし」
女子二人でキャッキャしながら完全に竜の言葉をスルーした。
「おーい。俺もがんばってるんですけど」
そこで、優花と百合はやっと竜のほうを振り返った。
「そうだね。竜もありがと」
百合はにこやかに言ったが、優花は「何言ってるの」と首を振った。
「あんたは何にも作ってないんだから、運ぶのは当然でしょ。男だし」
「あー。そういう男女差別はいけないんだぞ。差別反対!」
「なにが差別だっていうの。こういうのは適材適所っていうのよ。そんなこと言うんだったら、もう唐揚げ食べさせないんだからね」
「あっ。卑怯だぞ。ちょっとぐらい運んでるの感謝してくれたっていいじゃないか」
「そんなあからさまにアピールしてきたら感謝する気持ちもなくなるってものでしょ」
「ああ言えばこう言う!」
「どっちが!」
優花と竜の軽快なやりとり(と本人たちは思っていないが)を見て、圭輔は唖然とした表情で見ていた。百合は慣れているので「また始まった」と困り顔で笑っている。
「いつ終わるんだ? これ」
圭輔がひそひそと百合に尋ねた。
「適当なところで止めないと終わらないよ、これ」
と、百合。すると。
「ああ。百合の一方的なおしゃべりと同じか」
納得した様子で圭輔が頷いたのだった。
適当におさまったところで、四人はいよいよ出発した。電車で三十分ほどの郊外ある、中規模の遊園地だ。でも、一通りの絶叫マシーンやそこそこ怖いと有名なお化け屋敷、定番のコーヒーカップや観覧車などもある。敷地の一角は森になっていて、子どもも大人も楽しめるアスレチックがある。四人が到着すると、多くの人でにぎわっていた。子ども連れの家族はもちろん、学生の姿も多くみられる。値段も手ごろなので、ここいらの学生にとっては良い遊び場でもあり、デートスポットでもあるのだ。
(お父さんとお母さんと来た遊園地だ)
親子三人で最後に来た遊園地は、実はここだった。大きな観覧車が視界に入るようになってきてから、優花は知らず知らずに口数が減っていった。気持ちが、思い出のほうに飛んでしまうのだ。慌てて引き戻し、百合たちとの会話に入るのだけれど、油断するとすぐにまた思い出の中に入り込んでしまう。思った以上の思い出の引力に、優花はかなり戸惑っていた。
(楽しもうって決めたんだから。お父さんとお母さんのことは、とりあえず置いておかなくちゃ)
入場券を買って、狭い入口のゲートをくぐる。そこを抜ければ、一気に視界が広がった。目の前に大きな噴水によく整えられた花壇。その奥に大きな観覧車。左手にジェットコースター、右手にアスレチックの森が広がる。どこかから聞こえる明るい音楽、ジェットコースターの轟音と一緒に響く悲鳴のような歓声、子どもの笑い声、木々が風に揺れるかすかな音。そのすべてが雲一つない青空の下にあって、キラキラ輝いているように見えた。
「お父さん! 早く!」
女の子の甲高い声が近くで響いて、優花は思わず体をこわばらせた。そのわきを十歳くらいの女の子が父親らしき人の手を引っ張って通り過ぎていく。
(お父さん……)
その父娘に、幼いころの自分と生きていたころの父が重なった。自分も、あんなふうに父の手を引っ張りまわして行きたいところに行っていた。あの日、遊園地に来た時もやはり同じように……。
「優花?」
突然肩を叩かれた。慌てて振り返ると竜が不思議そうな顔をしてのぞき込んできた。
「さっきから、なんか変だな。どうした?」
竜は変なところで鋭い。それに気づいて、優花は悟られないように小さく首を振った。
「何でもないよ。ただ、懐かしいなーって。久しぶりなの、ここに来るの」
それは、嘘ではない。懐かしい気持ちだってちゃんとあるのだ。ただ、両親のことが嫌に思い出されてしまうだけで。
「ふうん?」
ちょっと小首をかしげただけで、竜はそれ以上聞いてこなかった。
「まず先に何乗る? やっぱりジェットコースター?」
目を輝かせながら百合が優花たち三人を見た。何の変哲もない、普通のジェットコースターだ。それなりの落差があり、スピードがあり、何度か回転もする。
「百合はあんな絶叫系乗れたっけ?」
圭輔がからかい気味に小さく笑った。と、百合は口をとがらせて両手を腰に当てて全身で抗議する。
「乗れますー。もう高校生だもん」
「高校生かどうかは関係ないじゃん」
「そういうなら乗って見せるよ。ほら、早く行こ」
言うが早いか、百合は圭輔の手を取ってどんどんジェットコースターのほうへと進んでいってしまった。
「優花は乗れる? ああいうの」
二人の後を追いながら、竜が尋ねてきた。
「わかんない。乗ったことないの」
「えー。だって来たことあるんだろ?」
「だって、前に来たのは小学生の時だし。乗りたいとは思わなかった」
最後に来た時も、優花のメインは観覧車とメリーゴーランド、それからブランコにコーヒーカップだった。同じものを何度だって乗った。母は呆れて「違うのにすればいいのに」とぼやいていたが、父はそんな優花に何度でも付き合って一緒に乗ってくれた。
「じゃ、初体験なんだ。俺と一緒」
竜はにかっと白い歯を見せて笑った。
「それどころか、遊園地すら初めて。父さん、仕事忙しすぎてまともな休み取れたことなかったからさ、家族で遠出したことなかったんだ」
「え?」
「だから、あるもの全部乗ってみたい。すげー楽しみ」
また竜の過去をちょっと垣間見てしまった。竜はさらりと言ったけれど、内容はシビアだ。竜の父は、その働き過ぎが原因で早死にしてしまったのだから。
「あ、そうだ。優花、写真撮ろ」
竜は急に足を止めて、ポケットからスマホを取り出した。
「初遊園地記念。俺の。あと、優花の初ジェットコースター記念に」
「なにそれ」
「いいからいいから。記念すべきこの瞬間を残さなきゃ」
優花の戸惑いをよそに、竜は手早くカメラを起動させ、優花と肩を組んで顔を近づけてきた。
「ちょっ……近い!」
「自撮り棒ないんだから、こうしないと二人入らないんだって」
竜ののばす手の先に、優花と竜が並んだ画像が写っている。竜は楽しさ全開の笑顔、優花は困った表情で目を泳がせている。
「ほら、優花。笑わないと」
「こんな状況で笑えない」
「んー、じゃあ二人で変顔するとか」
「バカなこと言って。それも嫌だってば」
「じゃあ、俺だけ変顔する」
と、竜は本当にカメラに向かって顔をいろいろとゆがめ始めた。目を大きく見開き、鼻の穴を開き、口を歪めて突き出した。そのまま、目をきょろきょろと左右に動かされて、優花は堪えきれなくなってきた。
「ほんとバカね」
優花が思わず吹き出して笑った。次の瞬間、竜はすぐさまいつもの笑顔になり、シャッターボタンを押した。
「作戦大成功」
気づいたときには、笑顔の優花と竜がスマホのフレームに収まっていた。
「やった。やっと笑顔の優花の写真が撮れた。今データ送るね」
一瞬、呆気に取られてしまった優花だったが、竜のデータを送る発言に我に返った。
「い、い、いらない! 自分の写真なんか」
「俺も写ってるんだからいいじゃん。はい、送信」
数拍おいて、優花のスマホがチロリンと軽快な音を立てながら震えた。確認しなくても、今竜が送ってきた写真に違いなかった。
「消さないでよ。せっかくの俺の初遊園地記念、初優花とのツーショットなんだからさ。あ、そうだ。待ち受け画面にしよっかな」
「それだけはやめて! ほんと最悪!」
優花は竜からスマホを取り上げようと飛びついた。が、竜はとっくにそれを読んでいたようだ。素早くそれをかわしてジェットコースターのほうへと笑いながら走り出す。
「絶対だめだからね!」
追いかけながら、優花は叫んだ。いつの間にか、思い出に引きずられそうになる自分がいなくなっていることに気づかないまま。
年末年始に思い立って一気に書いた外伝があります。恋愛要素は一切ない、兄妹のホームドラマのような短編です。優花が小学生、兄の数馬が大学生だったころの一コマです。割と作者は気に入っておりますので、あわせて読んでいただけると幸せです。
http://ncode.syosetu.com/n5220ds/




