雨のお墓参り
四人で出かける約束をしたものの、竜と圭輔の仕事の都合がうまくかみ合わず、六月中は難しそうだった。七月の初めは優花と百合が期末考査のため遊ぶどころではない。結局、夏休み前に遊園地に行こうということになり、それまで新しい財布を使う機会はお預けになってしまった。
「ちょっと楽しみが先延ばしになっただけだから。それまでいろいろ計画練ろうよ」
百合は相変わらず張り切った様子でそう言った。二人であれをしようこれをしたいといろいろ計画を話しているのも楽しかった。それだけでちょっと行った気分にもなれた。
(遊園地なんて、何年ぶりだろ)
最後に行ったのは、両親が亡くなる数ヶ月前だった。両親と優花の三人で行った。兄はそのときもう大学生だったから一緒に行くようなことはなかった。
「優花はいつまで一緒に出かけてくれるんだろうな」
と父がつぶやいたことを覚えている。子どもの優花はその言葉の意味が分からずに、無邪気にこう返した。
「なんで? いつまでって、ずぅーっとだよ、お父さん」
父ははにかんだ笑顔で、優花の頭を撫でた。母がその隣でにこにこと見守っていた。あのときは、まさか両親がいなくなってしまうなんて、夢にも思わなかった。ずっと一緒に出かけると言ったくせに、あの日に限って一緒に行かなかった。どうして、自分は。
「優花? どうかした?」
気づけば、心配そうに優花を見つめている百合がいた。知らぬ間に、物思いにふけってしまっていたようだった。
「ごめん。なんでもない」
優花は慌てて笑顔を作って見せた。百合はちょっと首をかしげたが、それ以上聞いてこないですぐに話の続きを始めた。それに乗って、優花も話を合わせた。笑顔で話していられる自分にホッとしながら。心の隅に両親への罪悪感を覚えながら……。
「なあ、優花」
ある雨の日の金曜日の夜だった。自分たちの部屋に入る直前に、竜がちょっと神妙な顔で話しかけてきた。
「明日、ヒマか?」
「んー……特に用事はないけど、なんで?」
「ちょっと、付き合ってほしいところがあるんだけどさ」
「どこに?」
「その……」
竜は少し言いよどんだ。そして視線を落として、小さな声でこう言った。
「墓参り」
え? と思わず聞き返した。竜は思い切って視線をあげて、優花を真っ直ぐに見つめてきた。
「俺の、父さんの。実は、先週命日だったんだ」
つまり、竜の育ての父のお墓参りに行きたいということらしかった。優花はふと思い出した。日奈に会いに行った帰り、竜は言っていた。「日奈に会いに行ったあとは、一人でいると気が滅入るから」と。だからあの時、優花を誘ってきたのだ。一人になって、落ち込まずに済むように。
(今回も、それと同じかな)
一人でいたくない気持ちは、よくわかる。優花も両親のお墓参りや法事のあとなどは、どうしようもなくやるせない気分になってしまう。兄たちがいるから、何とか一つ一つを乗り越えられたのだ。でも、竜には一緒にいてくれる家族はいない。
「別にいいよ」
優花はあっさりとした返事をした。変に感情をこめないほうが、竜も自分も楽だと思った。
「ん。じゃあ、明日。おやすみ」
少しほっとした様子を見せて、竜も短く返してきた。そして竜はすぐに自分の部屋に入ってしまった。優花も同じようにした。
ぱたんと戸を閉じたあと、窓の外から、さああっと降り続く雨の音が聞こえた。その音を聞きながら優花はベッドにもぐりこみ、できるだけ何も考えないようにして眠った。
翌日も朝から雨がしとしと降っていた。梅雨時なのだから仕方がないが、余計に気分が落ち込みそうになるというものだ。
お昼前には二人で家を出た。お墓は、以前日奈と会った公園の近所だそうだ。電車に揺られて、日奈に会いに行った道をたどった。公園を通り過ぎて、少し坂になっている道を登ると、お寺の門が見えてきた。門の周りにはたくさんの紫陽花が植えられていて、青、紫、白と鮮やかに彩られている。
「紫陽花寺とも呼ばれてるらしいんだ」
竜がそう言った。門をくぐっても、参道の脇に紫陽花が所々植えられていた。雨のしずくをまとって、より落ち着いた風合いを見せている。紫陽花目当ての人もいるらしく、カメラをもって歩いている人をちらほら見かけた。確かに、古びたお寺をバックに紫陽花の写真を撮ったら、素敵な一枚になりそうだと思えた。
優花たちはそんな紫陽花を横目に、真っ直ぐとお墓のあるほうへと向かった。花と線香は、途中お店に立ち寄って買ってある。桶に水を入れて、準備が整った。が、入口で竜が突然止まった。
「実は、来るの初めてなんだ。俺」
「え?」
「だから、どこにあるかわかんないんだよ」
「はあ?」
「一個一個見て探さなくちゃなんだ」
優花は墓石の並ぶほうを見た。それなりに広さある墓地だった。これを一つずつ見て探すことを考えたら途方に暮れた。
「お寺の人に聞こうよ。そのほうが早いから」
「いや……。葉山の家に来たこと知られなくないから。変に聞いたら足がつきそうだし」
「足がつくって、何かの犯人じゃないんだから」
呆れて言い返したが、竜は尋ねることをどうしても嫌がった。日奈に会うことを制限されているように、墓参りも実は禁止されているらしい。仕方なく、優花は竜と一緒にお墓を一列ずつ順番に見て回って探すことにした。
運のいいことに、三列目の中ほどでお墓を見つけることができた。葉山家の墓に、「葉山広樹」の名が刻まれていた。先に供えられていた花はまだ新しく、色鮮やかだった。
「たぶん、葉山の家の人が来たんだろうな。命日に」
竜がその日をあえてずらしてここに来たのは、あちらの家の人たちに会わないようにするためだったのだろう。血はつながっていないとはいえ、育ての親なのに自由にお参りもできないなんて。ひどく気をつかいすぎている竜に優花は思わず同情した。
「買ったお花、一緒にお供えしちゃうよ」
たくさん買ってきたわけではないので、少し隙間を開けてやれば花を全て挿すことができた。雨が降っているから無意味かもしれないが、それでも墓石に水をかけた。その作業を、二人は黙々と行った。そして、線香の一束に竜がマッチで火をつけようとした。が、傘をさしているせいでうまく力が入らないらしく、かすっと間の抜けた音がした。
(もう、しょうがないな)
優花は何も言わず竜の傘を持ってやった。竜はちょっと驚いたように優花を見た。が、すぐにマッチに向きなおった。火はすぐについた。竜は不慣れな手つきで線香を火に近づけて、なんとか煙を立たせた。線香の独特の香りがふわっと二人の間に広がった。
「じゃ、優花も」
竜は束の半分を優花に差し出した。
「え、でも」
優花は付き添いできただけで、葉山家に直接関係ない人だ。竜の父親に会ったこともなければ、話だってそんなに聞いたことがあるわけではない。受け取るのをためらっていると、竜は小さく微笑んだ。
「大丈夫だよ。父さんはそういうの気にする人じゃないから。血のつながってない俺のことだって、わけ隔てなかったくらいだから」
少し考えて、優花はゆっくりと線香を受け取った。竜が線香を入れたあと、優花も続いた。二人でそっと手を合わせ、目を閉じた。一瞬、雨の降る音が強まった感じがした。
優花は目を開けた。竜の様子をうかがうと、竜はまだ手を合わせて目を閉じていた。
(何を、考えているのかな)
その横顔からは、何も読み取れなかった。ずきんと優花の胸の奥が痛んだ。でも、なぜ痛むのかはわからなかった。
(雨、やまないな)
ふと空を見上げた。重い色をした雲が、ゆっくりと動いている。雨の粒が、そこかしこから落ちてくる。光の隙間すら見当たらなかった。
竜はまだ手を合わせていた。優花はただ隣で竜が顔をあげるのを待ちながら、雨の音を聴いた。




