百合の幼馴染
本当に校門前に竜がいたときは、思わず長いため息をついてしまった。来ることはわかっていたけれど、実際目で見てしまうと何とも言えない気持ちになる。
「竜もまめだよね」
感心した様子で百合が何度も頷く。優花は何度も横に首を振る。
「いやいや、まめとかそういうんじゃないし……」
そこで、竜が優花たちに気が付いた。最高に爽やかな笑顔で大きく手を振っている。優花は思い切り頭を抱えた。恥ずかしくて逃げ帰りたかった。
「何にも知らない多くの橘さんファンが見たら、さぞ嘆くんだろうなあ」
ぼそっと河井が一言もらした。河井と高山にはここを出る直前に竜のことは説明済みである。
「でもまあ、あれだけかっこよかったら誰もがあきらめがつくというか」
高山もぶつぶつと呟いている。そうこう言っているうちに、一同は竜のそばまでやってきた。
「どうも。うちの優花がお世話になっております」
礼儀正しく、そして愛想よく竜が河井と高山にあいさつする。とっさに優花は間に入った。
「ちょっと。何が『うちの優花が』よ。あんたが言うのおかしいでしょ」
「えー。一応俺だって家のもんじゃん」
「ただ居候してるだけでしょうが」
「まあ、ここはちゃんとあいさつしておくのが常識かなあって」
「それなら普通のあいさつにしてよ。こんにちはとかあるでしょ。お世話になっておりますって、保護者じゃないんだから」
「んー、そっか。じゃあ、こんにちは」
「今さら遅いっ」
ぎゃんぎゃんと言い合う二人をみて、高山がひそひそと言った。
「なんだか、橘さん、キャラ違いますね」
河井も、そして百合も頷いた。
「そうなの。優花は竜といるといつもこんな感じ」
これが優花の素なのだろう、と三人が結論付けたことを、優花は知る由もない。
数分後、二人のやり取りが落ち着いた頃合いにそれぞれ帰ることになった。河井と高山は駅のほうへ、百合は公園のほうへ、優花たちはその反対方向なのだが、百合が一人になってしまうことになる。そこで、優花たちは百合の家の前まで一緒に帰ることになった。
「悪いよ。遠回りになるし」
百合は遠慮したのだが、竜が譲らなかった。
「百合の家って近いんだろ? 大したことないから大丈夫だよ。近いからって油断するのがいけないんだから」
こうして、二手に分かれて帰路についた。百合の家には、優花もまだ行ったことがなかった。百合の家は内科と小児科の個人病院で(その名も花崎医院)、調べればその位置はすぐにわかったのだが、行く機会がなかったのだった。
歩いて十分ほどで、花崎医院の看板が見えてきた。看板と入口の電灯はすでに消されていて、奥のほうから明かりがもれているだけだった。病院の駐車場の向こうに、家の門が見えた。そこが百合の自宅らしい。よく見れば、病院と同じ敷地内に二階建ての建物が建っている。自宅は、病院とつながっている造りになっているようだった。
「ここが私のうち。今度遊びに来てね」
その言葉に、優花は大きくうなずいた。
「うん。テストが終わったら来たいな」
すると、竜が間に入ってきた。
「俺は?」
「竜は誘われていません」
「えー。いいじゃん」
「あんたが行くの変でしょ」
「だから、俺も友だちってことでさ」
そこまで竜が言ったとき、突然、百合がぱっと笑顔になった。視線は優花たちのほうを向いていない。
「圭輔」
その名を呼ぶと、百合は優花たちの脇をすり抜けて、パタパタと駆けて行った。その先には背の高い、短髪でトレーナー姿の男が立っていた。ちょうど影になっていて、顔がよく見えない。
「仕事帰り?」
嬉しそうに百合が尋ねている。男が頷いたのが見えた。
(圭輔……。あれが、百合の幼馴染なのかな)
百合と話していると、たびたび出てくる名前であった。百合曰く、同い年で、母子家庭でお母さんを助けるために、通信制の高校に通いながら働いているのだとか。
「優花、竜。紹介するね。私の幼馴染の圭輔」
百合は男の腕を引っ張って、優花たちの前に連れてきた。今度は顔がよく見えた。短い髪は明るい茶色、整えられた眉毛に、切れ長の一重の目が鋭い。背が高いだけでなく、体つきもがっしりしていて、いかつい印象だった。何も知らずに出会ったら怖くて近寄りがたいと思えた。
(百合の印象とは真逆だ)
ふんわりとした百合の幼馴染だと言われても、優花は何だかぴんと来なかった。
「坂東圭輔です」
圭輔は軽く頭を下げながら、小さな声で自己紹介した。その態度は印象とは裏腹に礼儀正しかった。
「あ……初めまして。橘優花です」
「葉山竜です」
優花と竜は圭輔につられる形で頭を下げて自己紹介した。顔をあげると戸惑い顔の圭輔と満足そうな百合がいた。
「やっと紹介できてよかった。新しい友だち、圭輔に会わせたかったんだ」
そう言って笑う百合は、いつもより幼く見えた。幼馴染といると、子どものころに戻るものなのだろうか。優花は微笑ましく思いながら百合の様子を見ていた。
「あのね、二人が家まで送ってくれたの。ちょっと遠回りになっちゃうのに。優しいでしょ? あ、それからね……」
幼馴染に会えて勢いがついてしまったのか、百合のおしゃべりが止まらなくなってしまった。その間、圭輔は小さくうなずいたり、「そうか」と短く相槌を打ったりするだけで、一つの言葉も挟まなかった。しばらくしたのち、百合が一通り話し終えたころ合いに、圭輔がぼそっと言った。
「百合。そろそろやめないと、二人が帰れないぞ」
「あ」
百合は慌てて口をつぐんだ。そして優花たちのほうを振り返った。
「ごめんね、つい。圭輔に会えたの久しぶりで……」
「久しぶりって……一週間くらい前に会ったんだけど」
「だって、中学の時は毎日会えてたよ。学校も一緒に行ってたし」
中学の時の百合と圭輔が並んで登校している姿を思い浮かべてみた。きっと、今のように百合が話しているのを圭輔が静かに聞きながら通っていたのだろう。想像するとますます微笑ましかった。
「なあ。通信の高校行ってるんだろ? 俺、ちょっと興味があるんだけどさ」
唐突に、竜が圭輔に話しかけた。圭輔は少しだけ細い眉をあげた。表情が少ししか動いていないが、どうやら驚いたらしい。そして優花は竜の話した内容のほうに驚いていた。
「今度詳しい話聞かせてくれないか? 俺、今中卒で働いてるんだけど、やっぱり高卒の資格くらいあったほうがいいかなーって最近思ってて」
「そうなの?」
思わず優花は口をはさんでしまった。竜は大真面目にうなずいた。
「中学んときは別に高校なんていいやって思ってたんだけどさ、働き始めたらやっぱ高校生いいなーって思えてきて。今さら全日制受験するのは厳しいから、定時制か通信ならどうかと思ったんだよね。どうせなら、実際通ってる人に聞きたいじゃん」
にかっと白い歯を見せて竜は圭輔に向かって笑って見せた。
「まあ、別にいいけど……」
勢いに押されるように、圭輔は戸惑いつつもうなずいた。
「それなら、テスト終わったらまた四人で会おうよ」
竜の話に飛びついたのは、むしろ百合だった。百合はわくわくした様子で目を輝かせている。
「そうだ。どっか遊びに行こうよ。遊園地とか、動物園とか」
「動物園って……小学生じゃあるまいし」
圭輔はやれやれといった感じで首を振った。
「いいじゃない。好きなんだもん」
百合はきっぱりと言い切った。
それから、どこに行くかは後で決めることにして、優花たちのテスト後に都合を合わせて四人で会おうということは決まった。百合が一番楽しみにしている様子だった。
「じゃ、また明日ねー」
百合は満面の笑みで家路につく優花と竜に手を振っていた。隣には苦笑いの圭輔が寄り添うように立っていた。
しばらく二人で自転車をこいでいると、不意に竜が話しかけてきた。
「百合はあの圭輔のことが好きなんだろうな」
「えー? どうなのかなあ」
好きな人、というよりは、頼れる幼馴染として見ているのではないかと思えた。どちらかというと、兄妹に近い雰囲気だ。そう話すと、竜は「いやいやいや」と首を振った。
「わかってないなあ、優花は。たぶん、圭輔も百合が好きだよ。それなのに、お互いそれを知らないんだよ。近過ぎちゃう分気づけない、みたいな感じ」
「なにそれ。勝手な妄想じゃない?」
「妄想じゃないって。見てればわかるし」
「見てるだけじゃわかんないし」
すると、竜は軽く鼻で笑った。
「ったく。優花は鈍いんだから。普通わかるって」
バカにされている気がして、優花はむっとなった。が、言い返せなかった。自分から男子を避けていたし、女子ともあまり関わっていなかったせいなのか、恋の話は正直苦手だった。苦手というより、どんな感じで話すものなのかがわからなかった。初恋らしきものすら記憶がない。漠然としたイメージはあるにはあるけれど、漫画や本の中の出来事でしかなかった。
「竜は好きな人いるの?」
知らぬ間に優花は尋ねていた。びっくりして振り返る竜以上に、優花のほうがびっくりしていた。
「なんだよ、突然」
「えっと……だって、わかるって言うから」
しどろもどろになりながら優花は答えた。経験値があるから竜にはわかるのではないかとちょっと思ったのだ。それだけだ、と優花は自分に言い聞かせてみる。
竜はしばらく少し上を見ながら考えていたが、急にいたずらっ子のような笑みを浮かべて優花を見た。
「教えない」
「なにそれ。教えてくれたっていいじゃない」
「そんなに知りたい? もしかして俺のこと好き?」
竜は自分を指さしながらにやっと笑った。優花の心臓がどきんと大きくはねた。
「ばっ……バカじゃない⁉ そんなわけないじゃない! なんであんたなんか」
顔が赤くなっていくのを見られたくなくて、優花は自転車をこぐスピードを上げた。「冗談だってば」と言いながら竜が追いかけてきたが、その声はからかい調子でとても楽しそうだ。それはとても腹立たしかったが、自分の顔がどうしてこんなにも熱くなっていくのかはわからなかった。心臓も、ずっとドキドキしている。
(変なこと言われて、怒っているだけよ。私)
そのまま猛スピードで優花はこぎ続け、竜に追い付かれることなく家まで到着した。玄関に入ると、にやにやしたままの竜が遅れて入ってきて、その表情を見たらやはりただただ腹立たしいと思う優花だった。