中間考査の対策
中間テスト一週間前になっていた。高校に入ってから初めてのテストだ。中学の時と違って科目が増えているし、範囲も意外に多い。高校受験より大変かもしれないと思えた。
そんな優花の心強い味方は、強歩大会で同じメンバーだった三人だった。テスト範囲が出始めのころは、百合と二人で教室に残って勉強していたのだが、それを見ていた高山と河井が声をかけてきたのだ。そして、そのまま自然と四人で勉強するようになった。それぞれの得意分野がかぶっていなかったこともよかった。百合は英語、高山は天文部ということもあってか地学(優花のクラスは理科系選択科目が地学)、河井は数学、そして優花は世界史(優花は社会科目が好きなのだ)。わからないところばあれば、得意の人に聞けるという何とも素晴らしい状態になったのだ。
「後は現文と古典ができる人がそろえば完璧だよね」
全員の得意分野が分かってから、百合がそう言った。現代文は先生のノートやプリントを復習していけばいいが、古典は文法や古語など覚えることがたくさんあって、それは皆で調べながら乗り越えていった。
(誰かと一緒に勉強しているなんて、不思議だなあ)
優花はひたすら勉強している三人の様子を少しうかがった。高校受験の時は、塾にもいっていなかったので、基本的に一人で勉強していた。誰かに質問できたり、一緒に覚えたりしていくという体験が今までなかったことだった。初めての高校のテストで、勉強の仕方が今一つつかめていなかった優花だったが、こうして四人でやるうちにコツがだいぶわかってきた。他の人のやり方を見ていると、自分の無駄な部分が見えてくる。効率の良い方法を少し真似るだけで効果が全く違うのが分かった。それは大きな発見でもあった。
「橘さん、そろそろ帰らなきゃじゃない?」
河井が時計を指さした。いつの間にか五時を回っていた。こうして一緒に勉強するようになってから、河井と高山にも優花の家の事情を話していた。だから、優花がある程度の時間になったら帰らなければならないことをわかってくれている。
「そうだね……。どうしようかな」
先日、佳代から「勉強のほうが大事だから、そっちを優先して」とテストまでの一週間は夕食の準備をしなくてもいいと言われていた。でも、産休間近の佳代に、仕事の後で夕食の用意をさせてしまうのは申し訳ない気がしていた。今の佳代の体調は順調そのもので、そんなに心配することもないのかもしれないけれど、やはり気になってしまう。そのことを話すと、三人は少しの間考え込んだ。
「でも、お姉さんがせっかくそう言ってくれてるなら、勉強したほうがいいんじゃない?」
と百合が言った。優花も百合と同じように、佳代の好意を無にしてしまう気がしていた。だからこそ帰るべきかどうか迷っていた。
「お姉さんは何時に帰ってくるのですか?」
高山が相変わらずの丁寧語で尋ねてきた(癖になってしまって、直すのに時間がかかると言っていた)。
「五時に仕事が終わるから……六時前には帰ってくるかな」
「それなら、あと三十分か四十分やって帰ったら? お姉さんと一緒に作ればいいんじゃないかな。手伝うっていう感じで」
優花の答えを受けて、河井が提案してくれた。確かに、それが一番よさそうだと思えた。
「じゃあ、そうしようかな」
優花は六時までは勉強していくことにした。六時にここを出て家を着く頃には、佳代はちょうど夕食準備の真っ最中だろう。途中から手伝うようにすればいい。テストまでの残りの期間は、そうやって過ごそうと決めた。
それに本当は、もう少し残っていたい気持ちもあったのだ。勉強しなければいけないというのもあるが、四人で一緒にいるのも楽しかった。百合をはじめ、高山や河井がいてくれるおかげで、クラスに居づらい気持ちはなくなっていた。
ところが、夕食の時にテストまでは帰りが遅くなることを話したら、数馬が難色を示した。
「いくら明るくなってきてると言っても、六時を過ぎるのは遅くないか? 帰るの七時近いだろ」
また兄の過保護が始まったと思い、優花は「平気平気」と軽く受け流した。佳代も「心配し過ぎ」とフォローを入れてくれたが、数馬は渋い顔をしたままだった。
「それなら、俺が迎えに行きましょうか?」
突然、竜がとんでもないことを言い出した。
「ちょうど仕事の終わる時間だし、少し回り道すれば高校まで行けるし」
「お前が、迎えにか?」
数馬の渋い顔は変わらなかった。むしろ更に眉をひそめた。けれども、竜は気にしていない様子でさらりと言った。
「だって、数馬さんが迎えには行けないでしょう? 俺が行くのが効率がいいと思うんだけど。優花一人で帰ってくるよりも安心でしょ?」
「それは、まあ……」
数馬は腕組みして考え出した。優花は「ちょっと待ってよ」と慌てて間に入った。このままだと自分の意見を聞かれないまま話がまとまってしまいそうな感じだった。
「別に平気だってば。七時前には家に着くんだよ。そんな子どもじゃないんだから」
「甘いぞ、優花」
かぶせるように竜がぴしゃりと言った。
「一人で帰ってる女子高生なんて、変な奴には格好の餌食だぞ。やつらに明るいとか暗いとか、時間とか関係なんてないんだから。特に優花は危ない」
「平気だから。危なくないし。何かあっても逃げるから。一人でも帰れる」
「いいや。危なっかしいことこの上ないね。この間のカラオケの時だって……」
「あー!」
優花は竜の言葉を急いで遮った。そして目線で「何も言わないで」と訴えた。数馬たちに余計な心配をかければ、七時前どころか、五時前に帰らなければならないかもしれない。行動をそこまで制限されてしまうのはできるだけ避けたい。
「この間の……なんだ?」
数馬がいぶかしげに尋ねてきた。
「なんでもない、なんでもないよ」
ぶんぶんと激しく首を振って優花は答えた。しかしそれはかえって怪しませてしまったようだ。数馬はしばらく優花と竜を交互に見比べて、はあ……と長く重いため息をついたあと、仕方なさそうに、しかしはっきりと告げた。
「竜。じゃあ、今週は迎えに行ってくれ」
「えええ。そんなあ」
「そんなあ、じゃない。少しは兄ちゃんを安心させてくれ。それにテスト期間だけの話だ。それとも、優花は勉強しないで家にすぐ帰ってくるか?」
「それは……」
できることなら、四人でテスト勉強したかった。百合たちは他の人の邪魔をせず、自分の勉強に集中しつつも、困っている人がいればさりげなく手伝ってくれるのだ。休憩時間もそろえていることもあって、一人でやるよりも、メリハリができてかえって学習内容が頭に入りやすいのだ。
「じゃあ、決まりだな。俺、明日六時頃に校門のところにいるから」
竜が白い歯を見せながら「よろしく」といってにっこり笑った。その笑顔が恨めしかった。
(なんで、高校生にもなって迎えにとか……変だよ)
校門前で竜が待っている。明らかにおかしい状況ではないか。何も知らない人が見たら、誤解するに決まっている。誤解されて困るというよりは、いらぬうわさが立ちそうで嫌なのだ。
(とりあえず、河井くんと高山くんにはちゃんと説明しておこう……)
まずは身近なところで、誤解を招かないように先に説明しなければならない。竜のことをどこからどう説明したものだかいまだに謎ではあるのだが、百合が知っていることがまだ救いだった。優花の説明にきっとフォローを入れてくれるだろう。
「優花、これで安心して勉強できるだろ?」
その明るい言い草がむかついて、思わず竜をにらみつけていた。
(なんでこんなことに)
安心するどころか、かえって気が重くなった。待たれるのもプレッシャーになるのだ。優花は知らず知らずにはあっと重い気を吐き出していたのだった。