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竜の妹

 そして日曜日。優花は再び竜と一緒に出かけることになった。二人が出て行ったあと、リビングのソファーで数馬がぼやいた。

「なんだかんだ、最近あの二人仲いいよな」

 仏頂面の夫を見て、佳代が面白がって尋ねた。

「もしかしていてる?」

「うるさい」

 数馬は眉間にしわを寄せた。

「あらら、やっぱりね。いいかげん妹離れしなさいって。優花ちゃんだってもう高校生なんだから」

「わかってるって」

わかってると言うわりには、ずっとしかめっ面の数馬である。そんな渋面を見ていたら、佳代は何だか意地悪したくなってきて、思わず尋ねていた。

「どうする? 二人が付き合いだしたら」

 佳代の問いかけに、さらに数馬は眉間にしわを寄せた。しばらく考えたあと、腕を組み、大きく首を振ってはっきりと宣言した。

「俺は認めん。絶対認めないからな」

 強硬な夫の態度に、佳代は苦笑いした。

「兄というより父親感覚なのよね」

 

 そんなやり取りが家でされていることを全く知らずに、優花と竜は電車に乗って隣町まで行き、待ち合わせ場所の公園についていた。ここいらでは有名な総合公園で、児童公園はもちろんのこと、かなり広い芝生の広場や、木立の散歩道にサイクリングコース、バーベキュー場もある。気持ちのいい天気な上に休日とあって、どの場所も老若男女問わずたくさんの人でにぎわっていた。

「いつもここの公園なんだ。葉山の実家が近いのもあるけど、場所指定されてるんだよ。他のところ連れまわすなよってくぎ刺されてて」

 竜は何ということないように説明してくれた。あまりに普通に話すので一瞬わからないが、内容は実に厳しい。

(自分の妹に会う日も場所も制限されて、不満はないのかな)

 竜の様子を見ていて、そんな不満は微塵みじんも感じられない。本当に気にしていないのか、うまく隠しているだけなのか、優花には判断がつかなかった。

「お兄ちゃんっ!」

 甲高い、可愛らしい声が聞こえて振り返る。そこには、頬を上気させて駆けてくる一人の少女がいた。ポニーテールの髪の先が、くるんときれいに丸まっている。あれが妹の日奈だとすぐにわかった。

「お兄ちゃん、久しぶり! 会いたかった!」

 ほとんど突進するように日奈がぎゅっと竜の体に飛びついてきた。竜はよろめきながらも嬉しそうにそれを受け止めた。そして優しい手つきでその頭を撫でてやっている。

「日奈。また大きくなったなあ」

「そうだよ。一年で六センチも伸びたんだからね」

 日奈は抱き着いたまま竜の顔を見上げて言った。竜は優しく微笑みながら「そうかそうか」と頷いている。その表情を見ながら、優花は急に、竜が長谷部から助けてくれた時のことを思い出した。

(私が泣いちゃったとき……竜はあんな表情してた)

 その時も、優花の頭を撫でていた。日奈にするのと同じように、優しく微笑みながら。

(私のこと、妹扱いしてたってことなのか)

 その考えに至ったとき、知らず知らずのうちに優花はがっかりしていた。

(って、え? なんでがっかりするの?)

 がっかりの理由がわからない。どうしてこんな気持ちになっているのか驚いて考えていると。

「お兄ちゃん、この人は?」

 日奈の視線が優花のほうに向いた。日奈と目が合った。長いまつ毛に、大きな瞳。抜けるような白い肌に、ちょっとほりの深い顔つきをしている日奈は、ますますお人形のようだった。

「紹介するよ、あのな」

「ああ、そっか!」

 竜の言葉に完全にかぶせて、日奈が叫んだ。ぴょんと跳ねるように竜から離れると、ますます頬を上気させてさらに大きな声で叫んだ。

「お兄ちゃん、彼女出来たんだね! おめでとう!」

 日奈は大げさに「ばんざーい」と両手をあげて喜んだ。周囲の人が何事かと振り返る。そして微笑ましそうにうなずきながら通り過ぎていく。

「ち、ちがう……っ」

 優花は否定しようとしたが、もう日奈は止まらない。瞳をこれでもかというほどキラキラさせてうっとりしている。

「すっごいきれいな人だね。やるじゃん、お兄ちゃん。このこのぉ。隅に置けないんだからあ」

 日奈はぐりぐりとひじを竜の体に当てて、大興奮状態だ。竜は困ったように頭をかきながらため息をついた。

「ったく、話を聞かないんだから、日奈は」

 それからしばらく日奈の興奮は収まらず、ちゃんとした説明ができるようになるまでには、ちょっと時間がかかるのだった。



「なあんだ。彼女じゃないの? ショック~。せっかくきれいな人が日奈のお姉さんになるんだと思ってうれしかったのになあ」

 あからさまにがっくりと日奈はうなだれた。さっきまでの興奮はどこへやら、しゅんと耳を垂れた犬のようになってしまった。

(あ、このうなだれ方、竜に似てる……)

 春休みに、竜がティーバッグを床中にぶちまけたときのことを思い出した。変なところで兄妹は似るものなんだなと、優花は思った。そんなことを考えている間にも、竜は妹に兄として接していた。

「早とちり過ぎだぞ、日奈。人の話は最後までちゃんと聴け」

「はあい」

 ペロッと舌を出して日奈は肩をすくめた。いちいち仕草が可愛らしくて、優花はくすりと小さく笑った。

「さてと。まずはこれを渡しちゃおうか」

 竜は持っていた小さい紙袋を日奈に手渡した。

「ちょっと早いけど、誕生日おめでとう。今年はプレゼント用意したぞ」

「えっ、プレゼント⁉ お兄ちゃんありがとう‼」

 日奈がまた頬を上気させて目を輝かせた。それを見た竜の表情がさらに緩んだ。妹がかわいくて仕方がないのだろう。

「開けていい?」

「もちろん」

 日奈がドキドキしながら開けている様子が、手に取るように伝わってきた。それを見ながら、選んだものを気に入ってくれるかどうかが心配で、優花はちょっとハラハラしている。

「うわあ。すてき。かわいい!」

 ペンケースを手に取って、日奈はさらに瞳をキラキラさせた。

「あ、ペンも入ってるの? このシリーズ私好き。実はちょっとずつ集めてたんだよ。すごい! 色かぶってない! お兄ちゃん、まさか超能力者⁉」

 日奈はまたまたテンション上がりっぱなしの勢いで、とんちんかんなことを言い始めた。竜は半分苦笑いで「そんなバカな」と首を振り、優花のほうを見た。

「それは優花が選んでくれたんだよ。超能力者は優花のほうだな」

「バカなこと言ってるのどっちよ。ただの偶然だから」

 優花はやれやれと小さくため息をついたが、それにかぶせて「そっか! すごいね!」と日奈が叫んだ。またちゃんと話を聞いていないようだ。偶然だともう一度伝えようとしたら、日奈はこれでもかというほどの満面の笑みを優花に向けた。

「ありがとう! お姉ちゃん!」

「……お姉ちゃん?」

 優花はきょとんと目をしばたたかせた。自分のことだと気づくまでに、数秒かかった。はっと気づいたときには、日奈はすでに竜に向きなおってまたお礼を言っていたところだった。

(お姉ちゃん……)

 そんなふうに呼ばれたことなど、未だかつて一度もない。あまりの新鮮さに、優花は秘かに動揺していた。優花は末っ子で、親戚の中でも一番年下だったので、自分より年下の子とかかわった経験が少なかったのだった。

 それから、竜と日奈は二人で近況を報告しあっていた。主にしゃべっていたのは日奈で、竜はほとんど聴き役に徹していたのだが。優花も口を挟まずその話を聴いていたのだが、日奈のはしゃぎっぷりにつられて、聴くだけでだいぶ楽しい気持ちになれた。

 そのうち、日奈が疲れたらしい。喉が渇いたと言い出した。

「じゃあ、私何かジュースでも買ってこようか」

 優花は立ち上がった。兄妹水入らずで話したいこともあるかもしれないと思ったのだ。でも、それを竜が止めた。

「いいよ。俺が買ってくる。優花と日奈は待ってて」

「え、でも」

「いいからいいから。じゃ、行ってくるね」

 竜はさっさと歩きだして行ってしまった。取り残された優花は、ちょっと戸惑いながらも日奈の隣に座りなおした。いざ二人になってしまうと、何を話していいやら。優花はちらりと日奈の様子をうかがった。

(……え)

 日奈と目が合った。日奈は大きな黒い瞳をじっと優花のほうに向けていた。ただ見ているのではない。観察しているといった様子で、穴のあくほど見つめてきているのだ。

「な、なに、かな?」

 ドキドキしながら優花は尋ねた。でも、日奈は何も言わないままじいっと優花を見つめ続けている。どうしたらいいかわからず、かといって目をそらすこともできず、かける言葉を探していると。

「お姉ちゃん」

 またその言葉で呼ばれて、ますますドキドキした。この呼ばれ方はやはり慣れていない。

「お兄ちゃんのこと、どう思う?」

「え? ど、どうって?」

 首をかしげる優花に、日奈は真剣なまなざしを送ってきた。

「例えば、好きとか嫌いとか」

「え? え、えーと。そうだなあ……」

 何といえば正解なのか、優花は必死に頭を巡らせた。その間にも、日奈は真っ直ぐと力を込めた視線を向け続けている。

 好きではない、とまず考えた。ああ言えばこう言うし、ふざけてちょっかい出してくるときもあるし、図々しいところもあるし。それなら、嫌いだろうか? しばらく考えて、嫌いではないと感じた。こうして一緒に出かけられるくらいなのだから、別に一緒にいて嫌ではないのだ。

(手をつないでも平気だったし……)

 突然、頬がかっと熱くなった。あのカラオケでの一件のとき、電車を降りるまでずっと手をつなぎっぱなしだったことを思い出した。

(いやいや! あれは不可抗力というか、状況が状況だったというか、私もあのときはパニック状態だったし)

 心のうちで必死に言い訳をしていると。

「もしもーし。お姉ちゃん?」

 はっと気づけば、日奈が不思議そうな目をして優花を見ているところだった。

「あ、ご、ごめん! どう思ってるかだったね! えっとね、えっと……そう! 嫌いじゃないよ。うん、嫌いじゃない、別に」

 あたふたとどうにかこうにか答え、何とか笑顔を作って見せた。日奈はちょっとの間優花をじっと見つめていたが、やがてにんまりとした笑顔になった。

「嫌いじゃない、かあ」

 日奈はなぜか満足そうにうなずいた。優花はわけがわからなかったが、納得してくれた様子にとにかく胸をなでおろした。優花の導き出した答えは、正解だったらしかった。

「お姉ちゃん。あのね。うちのお兄ちゃんは私のヒーローなんだよ」

 急に日奈はしみじみと語りだした。優花はその展開に戸惑いながらも、日奈の話に耳を傾けた。

「小さいころの記憶だからあいまいなんだけど、お母さんが家を出て言っちゃう前くらいかな。お父さんとお母さん、よくケンカしてたんだ」

 日奈はちょっと悲しげに笑って見せた。

「私、それでよく泣いてた。でも、決まってお兄ちゃんがぎゅって抱きしめながら、大丈夫だよって言ってくれたの。お兄ちゃんだって、ほんとは泣きたかったんだろうけど、大丈夫だよって言ってくれた。だから、私、お母さんがいなくなっても大丈夫って思えたんだ」

 何となく、その絵が想像できて胸が詰まる思いがした。竜は、幼いころからそういう人だったのだと思った。

「お父さんまでいなくなっちゃって……お兄ちゃんとも会っちゃダメっておじいちゃんたちに言われたときは、ものすごく反抗したんだよ。会っちゃダメっていうなら、私もお兄ちゃんについていくって言って。そしたら、誕生日だけは会っていいって許してもらえたんだ」

 この年に一度の兄妹の再会は、日奈がもぎ取ったものだったのだ。会える日や場所を制限されても竜が文句を言わないのは、妹に感謝しているからかもしれなかった。本来だったら、全く合わせてもらえなかったかもしれなかったのだから。

「本当は、お兄ちゃんの誕生日とか、お父さんの命日にも会いたいんだけど……。さすがに許してもらえなくって。お兄ちゃん、引き取られたばっかりの時はおじいちゃんたちにものすごく反抗してたから。悪い友だちとも付き合ったりして、警察に呼び出されちゃったりとかあったよ。一回だけだけど」

「えー? 竜が?」

 ちょっと信じられなかった。反抗するのは少しわかるとして、警察に呼び出されるほどのことをするなんて想像がつかなかった。竜も荒れていた時期があったということなのだろう。

(まあ、こんな複雑な事情を抱えていて、荒れないほうがおかしいのかもしれないけど)

 そこまで話した時、向こうから竜がペットボトルを三本抱えて走ってくるのが見えた。日奈はひそひそと優花に耳打ちした。

「今私が話したこと、お兄ちゃんには内緒ね。たぶん、今のはお姉ちゃんには知られたくない過去だから」

「そうなのかな」

「絶対そうだよ。だから、秘密ね」

 わかった、と優花が頷くと、竜がちょうど二人の近くまで到着した。

「まいったよ。そこの自販機いいのが売り切れなんだから。遠くまで走った走った」

 少し汗をかきながら、竜は白い歯を見せて笑った。

「日奈はリンゴジュースが好きだもんな」

「うんっ」

 ぴょんっとはねて立ち上がると、日奈は嬉しそうに竜からペットボトルを受け取った。竜は緩みっぱなしの顔で日奈の頭を何度も撫でた。

 それからまた日奈と竜はいろいろ話をしていたが、時間制限があっという間にやってきてしまった。二時間だけ会うというのもまた約束のうちなのだそうだ。

 公園の出口まで来て、日奈はぎゅっと竜に一度しがみついた。竜も頭を撫でながらそっと肩を抱いてやった。これを最後に、また一年間は会えなくなるのだ。まるで織姫と彦星だと思いながら、優花まで切なくなってきた。

「じゃあな。じいちゃんばあちゃんの言うことちゃんと聞くんだぞ」

「わかってるよ。お兄ちゃんも体に気をつけてね。ちゃんとごはん食べてね」

「生意気な口きくようになったな」

 ははっと竜は軽く笑った。

「大丈夫だよ。優花の作る飯は美味いんだ。もしかしたら、最近太ってきたかもしれないぞ」

「お兄ちゃんはもう少し太くなるくらいでちょうどいいよ」

 日奈は一度強く抱き着くと、えいっと思い切ったように竜から離れた。顔が泣きそうに歪んでいた。

「お姉ちゃん。こんなお兄ちゃんだけど、よろしくね」

 震える声で日奈が優花に言った。ここはうなずくところかと思い、小さくうなずいて見せた。

「じゃあね。またね、お兄ちゃん」

 日奈は少し笑顔を作って見せた。そして、くるりと背を向けると、駆け足でその場を去っていった。竜はその背中が見えなくなるまで、何も言わずにずっと見送っていた。

 帰りの電車の中も、竜は無言だった。優花はかける言葉が見つからず、一緒に黙ったまま電車に揺られた。桜町の駅に着いた頃には、日が傾きかけ、空が赤くなり始めていた。長く伸びた二つの影に目を落として歩いていると。

「ありがとな、優花」

 不意に、竜がつぶやいた。

「なんで? プレゼントのこと?」

「それもあるけど……」

 竜は目を伏せて寂しそうに笑った。

「日奈に会った帰りは、一人でいるとどうしても気が滅入るからさ……。優花といれば、寂しくないかなーなんて思ったりしてさ」

 そういうことだったのか、と優花は腑に落ちた。優花を今日誘ったのは、日奈を紹介するというよりは、気持ちを紛らわせたかったこともあったということなのだろう。

「……夕飯、何食べたい?」

 優花は話題を変えようと思って尋ねてみた。竜はんーとしばらくうなった後「やっぱ、カレーかな」と言った。優花は呆れて短くため息をついた。

「カレー好きねえ、ほんとに。この間も食べたよ?」

「俺は一週間全部カレーでも飽きないぞ」

「それは私がいやだな……」

 帰りに、カレーのルーを買って家に帰った。「また仲良くなっていないか? あの二人」と数馬がぼやいていたのも知らないで、優花は食事の用意をするのであった。

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