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橘家の事情

 青空のよく澄み切った、でも空気の少しひんやりする日だった。中学校の卒業式が終わった優花は、兄と一緒に帰宅した。

「おかえりなさい、優花ちゃん、数馬」

 土曜日で仕事の休みだった佳代が出迎えた。

「ただいま。ベビーちゃんもただいま」

 優花は佳代とお腹の赤ちゃんにあいさつしながら、佳代の膨らみかけたお腹をなでた。

「どうだった? 卒業式は」

「まあ……普通だよ」

 優花はコートを脱ぎながらあいまいに答えた。佳代はそれ以上聞かなかった。優花のだいたいの事情はわかってくれているのだ。

「お母さんたちに報告してくるね」

 そう言って優花は仏壇のある部屋に向かった。

 小さな仏壇に、笑顔の男女が寄り添った遺影が並べられている。優花はそっと手を合わせてその遺影に話しかけた。

「お父さん、お母さん。私、中学校卒業したよ。来月から高校生なんだ」

 遺影の二人は相も変わらず微笑んでいる。五年前のままで。

 

 優花の父と母は、五年前の冬の終わりに、交通事故で亡くなった。その日は日曜日だった。近くのスーパーへ買い物に出かけた二人の車が、対向車線をはみ出してきた車と真正面から衝突したのだ。相手の脇見運転が原因だったと後から聞いた。

 優花はその時家に一人でいた。見たいテレビがあったので、たまたま一緒にでかけなかったのだ。警察から電話があったとき、当時小学四年生だった優花には状況が理解できなかった。わけもわからぬまま、佳代とデートしていた兄の携帯に連絡した。それから兄が慌てて帰って来るまでの記憶がほとんどない。はっきり思い出せるのは、薄暗くなってきた空を見ながら兄と佳代と共に、警察から来ていたパトカーに乗ったことと、白い布を顔にかけられた両親が横たわる絵だ。そこから先の記憶もあいまいだ。あまりにも現実味がなくて、自分がそこにいる感覚が麻痺していたのだろう。兄が親戚の手を借りながら慌ただしく葬式の準備をしていたり、優花のそばに佳代がずっと付き添ってくれたりしたことは、なんとなく覚えているのだが。

 葬儀の後、大人たちがいろいろ揉めていた。残された子どもたち、主に優花の処遇についてだった。数馬は当時大学一年生だった。親の遺した学費用の資金やアルバイトなどで自活していくことはできそうだった。しかし優花はまだ小学四年生。まだ社会人になっていない数馬と二人で暮らしていけるはずがないと、皆一様に考えていた。親戚の誰かが引き取るか、施設に行くのか。突然のことに、誰もが困惑し、狼狽えていた。

 優花はどちらも嫌だった。慣れ親しんだこの家で、兄と一緒に生活したかった。しかし、そんなことを言っても、大人たちの中ではただのワガママで終わってしまうだろう。それに、もしそのワガママが通ってしまったら、自分が兄の負担になる。優花はまだほんの小四の子どもだったが、もう小四だった。何もできなくても、状況は理解できる歳だった。

 結論から言うと、優花は自分の希望通り、兄と一緒に家に残ることになった。大人たちの話し合いで、優花は母方の叔父夫婦の家に引き取られることになっていた。叔父夫婦は優花たちの住む桜町からかなり遠いところに住んでいるため、転校する必要があった。このタイミングですぐに転校するより、四月の新学期で転校したほうが優花の心の準備もしやすいだろうと大人たちは考えた。しかし、その何ヶ月かの猶予の間に数馬は決断したのだ。優花と二人で暮らしていくことを——。


「優花。早く着替えて昼飯にしよう」

 数馬がネクタイを緩めながらひょいと顔をのぞかせた。

「うん。お腹すいたね。簡単なものでいい?」

「なんでもいいぞ」

 優花は立ち上がりながら頷き、二階の自分の部屋に行った。土日の昼食作りは優花の担当だ。それは両親が亡くなってから自然と決まったことだ。佳代が一緒に暮らすようになってからもそれは変わらない。優花は着替えをすませると、手際よく準備を始めた。

(チャーハンでいいかなぁ)

 兄が好きなメニューだ。そして初めて兄に作ってあげた料理でもある。

(お兄ちゃんがあの時おじさんたちを説得してくれなかったら、こうやって、チャーハン作ることもなかったんだろうな)

優花は五年前のあの時を思い返す。


「俺はもう成人です。優花も十歳で、自分のことは自分でやれます。二人でやっていくこともできますから」


あの時、数馬は親戚たちに訴えた。何度も訴えた末、親戚たちは渋々認めてくれた。優花がこの家に残ることを。

「優花がいなくなると、一人でこの家にいても寂しいしな」

 後で兄は妹にそう言った。でも優花はわかっていた。親戚たちは自分を引き取らずに済んでほっとしている面もあったのだ。何より、兄は優花がこの家に残りたいと思っていることを推し量ってくれたのだ。

 初めて作ったチャーハンは、兄へのお礼のつもりだった。しかし、それはしょっぱくて焦げていて、とても食べられる代物ではなかった。二人で「まずい」と言いながらも全部食べたことは、今では笑い話になっている。

 それから優花は家にあった料理本を見ながら、時に佳代に教えてもらいながら食事を作るようになった。最初は一品ずつだったおかずも徐々に増えて、今では、大抵のものは何も見ずに料理することができるようになった。土日の昼食に加えて、普段の夕食も一人で全員分作ることもある。朝食だけは、どうしても早起きができなくて佳代任せだが。

「優花。ピーマン入れないでくれよ」

 長ネギを刻んでいると、横から数馬が注文をつけた。優花は手を止めないまま答えた。

「お兄ちゃん、もう父親になるんだからそういう好き嫌いはやめてよ」

「それとこれとは別だ」

 兄の言葉を無視して優花がピーマンに手を出したところで、家の電話が鳴った。佳代が受話器を取る。話し方から、佳代の実家からのようだった。

「え、ちょっと待ってよ、だって来週だって……」

 佳代が途端に焦りだした。困り顔で数馬を見やる。優花も思わず手を止めた。

「こっちだって準備が……それは、わかるけど、でも……わかったわよ。でも聞いてみてからよ……えぇ、ちょっと待って」

 しばしの問答のあと、佳代が保留音のボタンを押した。

「来週来る予定だったんだけど、やっぱり今日がいいって言うのよ……」

「なんだって?」

 数馬の顔が険しくなった。

「あっちだって今日卒業式だろう。なにもそんなに焦らなくても」

「どうやら、あちらのお宅はさっさと肩の荷を降ろしたいらしいのよ」

「それでその荷をこっちに早く押し付けたいってことか」

「どうする? 断ることも、できなくはない、けど……」

「うーん……」

 数馬は額を押さえて重いため息をついた。部屋の中に、軽快な保留音だけが鳴り続けている。

「……ねぇ。今日来ちゃうの?」

 数馬と佳代がはっと優花を振り返った。優花はなんだかいたたまれなくなって目をそらしてしまった。それをごまかそうと、慌ててピーマンを刻み始めた。

「私はいいよ。どうせ来るなら来週でも今日でも同じだよ」

 背中で数馬と佳代が顔を見合わせた気配を感じた。保留音が切れた。

「もしもし。それで、今日の何時頃来るの?」

(そうか。来ちゃうんだ)

 会話を聞きながら、でもそのことは考えないようにして、材料を全て整えた。不安を吹き飛ばすように、ガスコンロの火を勢いよくつけた。ぼっと威勢の良い音がして、フライパンが徐々に熱くなっていく。

(どうなっちゃうのかな、うちのこの生活は)

材料を炒めながら、優花は2ヶ月前のことを思い出していた。

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