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打ち上げの罠

 宮瀬団長率いるグループは、結果として三位という好成績をおさめて強歩大会を終えた。宮瀬は優勝でなかったことを悔しがり、あまり喜んでいない様子ではあったのだが。他のメンバーはこの苦労が少しでも報われたことに、喜んだというよりも安堵していた。

「やっと……苦行から解放される」

 ぜえぜえと息を切らしたまま、高山がつぶやいた。それもそのはずで、最後の最後はゴールまで全力で走らされたのだ。全員がゴールできた順に、グループの順位が確定するのだ。誰か一人が欠けても、グループのゴールにはならないというプレッシャーの大きい試練だった。

「その表現、ぴったりだね」

 百合も立っているのがやっとの様子だった。河井に至っては、声に出すことも頷くことすらもしんどい様子で、ずっと肩で大きく息をしたままだ。優花もまた、できれば何も話したくないほど疲れていた。

「明日、土曜日でよかった……」

 金曜日に強歩大会を開催する理由がなんとなくわかった。どの生徒を見ても全力を使い果たした様子で、その場に座り込んでいる者や寝転がってしまっている者もいる。こんな状態では、帰宅するのもままならない。絶対に明日までこの疲れは残るのだろう。これから自転車をこいで家に帰ることを思うと、さらに苦行が待っているような気分に陥った。

「後で打ち上げやるから、連絡先教えて」

 校長の総評、生徒会長のまとめのあいさつが終わって解散になった後、長谷部から声をかけられた。彼も疲れているはずだが、爽やかさは何一つ損なっていなかった。

「打ち上げ、ですか?」

「そう。優勝こそ逃したけど、三位も立派な成績だからね。みんなでお互いをねぎらおうじゃないか」

 優花は正直困っていた。長谷部の話を河井たちから聞いた後だったこともあって、ますます警戒心が湧いていたのだ。

「でも、お金ないし……」

「そんなのわかってるよ。一年生なんてたいていそんなもんだから。毎年、三年生が多く出す伝統だから、一年はお金のことは気にしなくて大丈夫。それに、そんな高いところいかないよ。みんなでお好み焼き食べたり、カラオケ行ったりするんだ」

 またこの先輩と絡まなければならないかと思うと、かなり気が重い。でも、この一年生のメンバーがいるところでの打ち上げなら楽しそうだと思った。優花は思わず百合たちを振り返った。三人も少し戸惑っているようだった。

「こら、一年生。この打ち上げの参加は必須だ。金のことは心配するな。この長谷部が全部持ってくれるから」

 テンションの上がっている宮瀬が長谷部の肩を組みながら一年生に迫ってきた。三位で悔しがっていた気分をすでに吹っ切ったらしい。元気で明るい宮瀬団長に戻っていた。

「お前の分なんか誰が払うか。可愛い一年生ならいいけど」

 と、長谷部はちらりと優花を見て言った。優花は視線を落として、気づかぬふりをした。

「まあ、明日は無理だろうから明後日とかだな。どうだ? ひまか?」

 宮瀬の勢いに誰も何も言えず、結局日曜日に打ち上げに行くことになってしまった。場所を追って知らせるというので、優花は渋々長谷部と連絡先を交換した。百合たちだって交換していたので、嫌だと断るのもおかしい流れだったので仕方がなかったが、自分のスマホに長谷部の連絡先が入っているというだけで寒気を感じた。

(どうか、何事も起こりませんように。ただ楽しいだけでありますように)

 優花は知らないうちにぎゅっと手を握りしめていた。



 その日の夜、打ち上げのことを数馬に話すと「いいんじゃないか? 遅くならなければ」とあっさり了解が出た。十人以上いるグループで、男女混ざっているということがよかったらしい。特に、百合もいるので心配していない様子だった。

「なんか、浮かない顔してるな、優花。打ち上げ楽しみじゃないんだ?」

 後で、竜にそう言われた。竜は妙に鋭いところがある。ドキッとしながら「別に」と答えると。

「やっぱり、楽しみじゃないんだ。それなら行かなきゃいいじゃん」

「そんな簡単に言わないでよ。先輩から強制だって言われるし、百合だって行くのに。竜だって会社の人から誘われたら断れないんじゃないの」

 竜はしばらく考えた後「そうかも」とあっさり頷いた。

「ま、ほどほどで抜けてくればいいじゃん? 家の用事があるからとか言ってさ」

「それができればいいけど……」

 なんとなく、宮瀬と長谷部が帰してくれないような気がした。良識の範囲で遅くならないことを祈るしかなかった。

 翌日、長谷部から連絡が来て、打ち上げの場所は三駅離れたところにあるカラオケになった。桜町の駅周辺は、他のグループの打ち上げが行われることもあって、混雑しているので、あえて少し離れた場所で行うことになったそうだ。昼過ぎに現地で集合だと書いてあった。

(じゃ、百合と一緒に行こう)

 百合と桜町の駅で待ち合わせて、一緒に行くことにした。河井と高山は最寄り駅が違うので、あとから合流すると連絡があった(二人とも連絡先を交換しておいたのだ)。

 ところが、当日になって百合が来られなくなった。強歩大会の無理がたたったらしく、熱を出して寝込んでしまったのだそうだ。苦しそうな声で百合は何度も「ごめんね」と謝ってきた。

「仕方ないよ。あんなにハードだったもん。ゆっくり休んでね。明日学校来られるといいね」

 そう言って優花は電話を切ったが、気分は最悪だった。大きな味方が一人減ってしまった。この際優花も休んでしまおうかと思ったが、それは他の一年生二人に申し訳なかった。

「いいなー。カラオケ俺も行きたいな」

 出かけにのんきな声で竜が言った。

「人の気も知らないで」

 思わずとげとげした口調になった。優花は苛立ちをぶつけるように扉を音を立てて締めて出かけた。

 重い気分のまま一人電車に揺られ、集合場所に駅に着くと、すでに宮瀬と長谷部がいて、数人の二年生も集まっていた。一年生は優花一人だった。

「花崎さん、残念だったね。でも毎年いるんだよ。強歩大会にやられちゃう一年生。花崎さん、線が細そうだもんね」

 長谷部が慰めるように話しかけてきた。優花はうつむきながら「そうですね」と適当に相槌を打ちながら、早く河井と高山が来ることを願った。長谷部が話しかけてくる間中、三年生女子と二年生女子の視線が痛かった。

(あー、絶対目をつけられた)

 打ち上げの間、気まずくなるのが今からわかった。もう帰りたい気分でいっぱいだったが、ここまで来たら行くしかなかった。

「よーし。思い切り歌うぞー」

 カラオケの部屋に入ったとたん、大声で宮瀬が叫んだ。宮瀬の視線に促され、全員遠慮がちに「おー」と応えた。応援団長だから、マイクもいらなそうだが、彼はしっかりマイクを握って一番に歌った。しかし、彼は団長ということもあって、声の出し方を心得ているようだ。応援のような張り上げた声は出さず、ちょうどよい音量で歌っていた。しかもかなりうまかった。オープニングにふさわしいアップテンポの明るい曲で、三年生、二年生は一気に盛り上がりを見せた。一年生三人はノリについていけないまま、とにかく拍手した。

「花崎さんがいないとつまらないでしょ、橘さん」

 長谷部はちょくちょく優花の隣に座っては話しかけてきた。他のメンバーのところにもまめに話しかけに回っている様子ではあったが、そのたびに他の女子からの視線が怖かった。

「橘さんも何か歌ってよ」

「いや、私は下手なので……」

「カラオケ来たんだから、一曲くらい歌おうよ。俺と一緒に歌う?」

 強引に誘われるまま、長谷部と一曲歌う羽目になった。小さな声で申し訳程度に頑張って歌ったが、最後のサビの部分で肩を抱かれたときには、さすがに歌えなくなってしまった。曲が終わり、わっと拍手が起こったが、女子が盛り上がって見せているのは見せかけだと、否応なしにわかってしまった。

「上手じゃん、橘さん。でも緊張した?」

「はあ……」

 あなたのせいで歌いたくもないのに歌わされたからでしょう、と大声出して訴えたかった。早く帰りたくて仕方がない。長谷部が少し離れたすきに、優花はスマホで時間を確認した。と、十分ほど前に竜からの着信が入っていた。優花はお手洗いに行くと言って部屋を出てから、すぐに竜にかけなおした。

「もしもし? どうかした?」

 ふざけたメールはしょっちゅう送ってきていたが、竜から電話がかかってくるなんて初めてのことだった。家で何かトラブルでもあったかと思って焦っていると。

「いやー。楽しんでるかなーって」

 竜の声はやけに明るかった。表情が見えない分、それは優花の神経を逆なでした。

「用がないなら電話かけてこないでよ」

「その声は楽しんでないんだろ。帰ってきちゃえよ。百合もいないんだから、大変だろ」

「うるさい。だからそんな簡単に言わないで。切るからね」

 竜の言葉を待たず、優花は乱暴に電話を切った。

(もう、なに。人の気も知らないで。私だって今すぐ帰りたいよ)

 はあ、と盛大なため息をついていると。

「橘さん」

 爽やかな声が背中から聞こえて、優花の肩が大きく揺れた。恐る恐る振り返ると、ニコニコと人の好さそうな顔で微笑む長谷部が立っていた。

「誰から電話だったの? 花崎さん?」

「あ、いえ……。その、知り合いから……」

 竜のことは、未だにどう表現していいかわからないので、あいまいな答えになった。

「じゃ、戻ろうよ。みんな待ってるよ」

「はい……」

 どうしようもなくて、長谷部の後に続こうとすると。

「……⁉」

 突然、長谷部に近づかれ、一気に壁際まで追いやられてしまった。長谷部は壁に手をつくと、優花を至近距離で見降ろした。

(やだ。怖い)

 足がすくみ、体が完全に固まってしまった。目をそらそうにも、鼻先数センチの距離で顔も動かせない。長谷部の涼しげな瞳が、間近で優花を見つめている。

「ねえ、橘さん。このまま二人でどっか行かない?」

「え……」

「大丈夫だよ。二人が抜けたところで誰も気づかないって」

 いや、大丈夫なはずがない。長谷部がいなくなったら、特に女子たちがひそかに騒ぐはずだ。優花がいなければ、河井と高山だって気づく。

「荷物が……」

 やっとのことでそう言ったのだが、何ということないように長谷部は軽くウィンクした。

「大丈夫。持ってきてあげたよ」

 なんと、反対の手にはいつの間にか優花のカバンが握られていた。これでは、カラオケの部屋に戻る口実もない。

「いえ、でも」

 何とかしてこの状況を脱する方法を思い巡らせた。でも、長谷部はその隙も与えてくれなかった。

「大丈夫だよ。ほら、行こう」

 手際よく長谷部が優花の手首をつかんだ。それで優花の体も思考も完全に停止してしまった。パニック状態の優花をよそに、長谷部は意気揚々とどんどん出口のほうに進んでいく。

(ヤダ、怖いよ。誰か、助けて)

「放してください」

 どうにか振りほどこうと、体をよじって抵抗した。でも、腕をつかむ力が強まっただけで、何も変わらなかった。むしろ、長谷部はますます楽しそうに笑って見せた。

「そんなに嫌がる子もなかなかいないよ。やっぱり君は面白いね」

「お願い、放して……」

「やだ。そんなこと言われたら、ますます放したくないね。強情な子を従わせるのも楽しいだろうね」

 長谷部はいっそ気持ちがいいほどさわやかな笑顔になった。優花の背筋に悪寒が走る。絶対についていってはだめだ。どうにかして逃げなければ。優花は泣きそうになりながらも必死でその方法を考えた。

 その時だった。

「優花」

 出口のほうから、やけに明るい声が聞こえてきた。長谷部の足が止まり、優花も止まった。

「竜?」

 白い歯を見せてにかっと笑ったのは、まぎれもなく竜だった。優花はますますパニックになった。さっき電話していた竜が、なぜここにいるのだろう。家にいるのではなかったのだろうか。いや、ここにいるのは本当に竜なのか。さっぱりわけが分からなかった。

「君は誰だ?」

 鋭い声で長谷部が尋ねた。竜は笑みを崩さないまま軽く会釈した。

「どうも、葉山竜と言います。優花を迎えに来ました」

「迎え?」

「そうです」

 言うや否や、竜はずんずんと優花のほうに近づくと、あっという間に長谷部の手を優花から引きはがしてしまった。そして代わりに竜の手が優花の手のひらを包んだ。

「あ、それ優花のカバンですよね。わざわざ持ってきてもらってありがとうございます」

 呆気にとられている長谷部から、ひったくるようにカバンを奪うと、竜はひょいと肩にかけた。

「そうそう。金はこれだけあれば十分足りますよね。釣りはいらないですから」

 竜は無造作にポケットから三千円出すと、空いた長谷部の手に乗せた。

「じゃ、帰ります。さようならー」

 竜は明るい笑顔のまま、優花の手を引いて颯爽と出口に向かった。優花がふと振り返ると、呆然としている長谷部の表情が見えた。あっという間にカラオケを出てしまうと、手をつないだまま竜は楽しげにずんずんと駅までの道を進んでいく。

「ちょっと待ってよ。なんでここにいるのよ。さっきの電話は」

「立ち止まってたら、あの男に追いかけられるぞ。今頃我に返ってるよ、きっと」

 優花の質問を遮るように、竜は早口で答えた。

「とりあえず電車に乗っちゃおう。そしたら話すから」

 駅に着くとそのまま改札まで引っ張られていったので、切符がないと話すと。

「大丈夫。買ってあるから」

 と、優花に切符を渡してきた。用意のよさにあきれながら、改札を通り、ちょうどやってきた電車に乗り込んだ。気の抜けた音を出して電車の扉が閉まり、ゆったりと出発した。

「危なかったなー優花。俺がいなかったら今頃どうなっていたことやら」

「な、なによ。別に私一人だってどうにかなったから」

「またまた強がっちゃって」

 と、竜はつなぎっぱなしになっていた優花の手を持ち上げた。

「こんなに震えちゃってるじゃないか」

 気づけば、握られている竜の手と一緒に優花の手が小刻みに震えていた。それに気づいたとたん、体中が震え、足に力が入らなくなった。冷や汗もどっとあふれ出してきた。優花はそのままドアのポールにもたれかかった。

「俺、グッドタイミングだったでしょ」

「な、なんでいたの? お兄ちゃんに何か言われた? 迎えに行けとか」

「ううん、俺の独断」

 竜はあっさりと否定した。

「優花が今日行きたがっていなかったからさ、頃合いを見て迎えに行っちゃえば帰りやすくなるかなーって思って。そしたらとんでもない場面に出くわした」

 あははっと軽い笑い声を立てて竜は頷いた。

「ほんと、我ながらちょうどいいところに行ったよね。ちょっと遅かったら今頃優花は……」

「やめてよ」

 想像したら、また新たな震えが出てきた。実はもう涙があふれる寸前だった。でも、電車の中だし、竜がいるし、涙は絶対に見せたくなかった。唇をかんで、必死にこらえていると。

「怖かったな」

 ぽんぽん、と竜の手が優花の頭を優しくなでた。温かさがじんわりと心にしみてくる。

「もう大丈夫だぞ。うちに帰ろう」

 我慢の限界だった。堰を切ったようにぽろぽろと涙がこぼれ落ち、どうにも止めることができなくなってしまった。

「わ、泣くなよ。俺が泣かしたみたいじゃんか」

 竜があたふたし始めた。周りの人から視線を感じる。確かに、はたから見たら竜が泣かしているように見えるだろう。でも、涙は留まるところを知らないように、次から次へとこぼれて行った。

「……った」

 優花は声を絞り出そうとしたが、言葉にならなかった。

「え?」

 竜が耳を近づけて聞き返してくる。

「……こわ、かった」

 優花は泣きながらやっとそれだけを言った。竜は一瞬目を丸くしたが、すぐに優しい笑顔になった。その笑顔に、静かに優花の鼓動が響いた。

「素直でよろしい」

 竜は他の人の視線から優花を隠すように立つと、握っていた手をまた強く握りなおした。

(先輩の手は怖かったけど、竜の手は大丈夫だ……)

 カタンカタンと、電車の音が心地よく響いている。優花の心臓の音も、トクントクンとゆっくりと、でも大きく鳴っている。不思議な快さに身を任せながら、優花は空いている手でそっと涙をぬぐった。

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