高校の友だち
待ち遠しく迎えた放課後。でも、話しかけていいタイミングがわからず、もじもじしていたら、百合と目が合った。百合が照れ臭そうに笑ったので、優花もつられて小さく笑った。優花は自分のカバンを持って百合のほうへ向かった。
「ここで話すのもあれだから、帰りながらどこかで話しませんか?」
高校から少し歩いたところに、公園があるのだそうだ(優花はいつも真っ直ぐ帰ってしまっていたのでしらなかった)。そこに行きながら、公園を散歩しながら話そうというのだ。確かに、今までなかった組み合わせの二人が一緒にいるためか、何となく教室内で視線を集めてしまっていて、居心地が悪かった。優花はその提案に乗って、二人で教室からさっさと出て行った。
優花は自転車を押しながら、百合の案内で公園まで向かった。公園は五分ほどのところにあった。児童公園だが、小さな噴水があったり、木々が植えられた散歩コースもあって、犬の散歩をしていたり、ジョギングをしていたり、仕事の外回りの途中の休憩をしたりしている大人がちらほら見えた。もちろん、高校生の姿もあったが、そちらはカップルで、他に目もくれていない様子だった。
「いつも、ここを通って帰ってるんです。近くなるってわけじゃないけど、なんか、好きなんです」
百合ははにかみながらそう説明し、慣れた様子で公園の端にあるベンチのほうへ案内してくれた。少し木陰になっていて、暑くなり始めの今の季節にはちょうどよさそうな場所だった。
「橘さん、もしかして忙しかったりしますか?」
座りかけたところで、百合が心配そうに尋ねてきた。
「どうして?」
「いつも、急いで帰っちゃってたから……」
見られていたのだなと思い、優花は思わず苦笑いした。 急いで帰っていたのは、夕食の支度をしなければという理由もあったが、一番は教室にいたくなかったからだ。ものすごく急いでいたわけでもない。
「大丈夫。夕飯の支度があるけど、まだ時間あるから」
「え、橘さんが作ってるんですか?」
目を丸くした百合に頷くと、百合は感心したようにほうっとため息をついた。
「すごい。毎日?」
「そう。もう慣れちゃったから」
優花にはもう日常のことで、大したことではなかった。が、百合は目をますます輝かせて感心している。
(なんか、照れちゃうな……)
ここまで明け透けに感心されてしまうと、かえって気まずい気分だった。
「とりあえず、座ろっか」
二人は並んでベンチに腰掛けた。さわさわと優しい風が吹き、頭上の若葉を揺らした。二人の周りで、木漏れ日がちらちらと光った。
「ここ、きれいで落ち着くんです。公園の外れだから人も少ないし、木の葉が揺れる音を聞いてると、静かな気持ちになれるから」
「うん。そうだね」
しばらく、二人で黙ったまま風と若葉の音を聞いていた。遠くから子どもたちがはしゃぐ声も聞こえてくるが、むしろ心地よい。この場所にはぎすぎすしたものはなく、ただ穏やかな空気だけがあった。
「あ、花崎さん」
優花ははっと思い出し、百合のほうを向いた。
「は、はい」
緊張した面持ちで百合が振り返った。そんなにこわばらなくても、と優花はこっそり苦笑いした。
「その『はい』とか、『ですます』って、もうやめよう? 同級生なんだから」
「え。あ……そう、ですね」
「ほら」
「あ。もう、なかなか、難しくて」
百合は自分の頬を引っ張った。何とか口癖を直そうと頑張っているようだった。それがおかしくて、優花はくすくすと笑った。
(花崎さん、かわいい)
自分に妹はいないけれど、いたらこんな感じなのかもしれない。同い年だが、優花の中でそんな気持ちが芽生えていた。
「そうだ。話の続き、しよう」
「あ、そうです……そうだ、ね」
百合が必死に言い直した様子も、可愛らしくて、優花はますます笑みが隠せなかった。
「えっと、圭輔のことだったね」
それから、百合はその幼馴染のことを語った。同い年で、百合の家の近くに住んでいるということ。百合は昔から引っ込み思案で、それが原因で近所の子たちからいじめられたりしたけれど、その幼馴染がよく助けてくれたこと。小さい頃は本当にずっと一緒にいたということ。
「最近は、私も高校に通い始めて……圭輔は働きながら通信制の高校行ってるから、なかなか会えなくなっちゃったけど」
「働いてるんだ。すごいね」
「私が言うのもあれなんだけど……圭輔のうち、お父さんがいないの。それで、お母さんを助けるために、そうしたのよ」
「偉いなあ」
という優花も実は、高校にはいかずに働こうと思っていた時期があった。ずっと兄に頼り切りではなく、働ける歳になるのだから……と思っていたが、兄をはじめ学校の先生に猛反対された。高校くらい出ておきなさいとひとしきり説得され、優花は進学することにしたのだった。
「花崎さんの家はここから近いの?」
「うん。近い高校に行きなさいって言われてたから。一番近いのがあそこだったの。ここから歩いて10分かからないかな。橘さんは?」
「私は自転車で15分くらいかな」
「あれ? もしかして桜町?」
「うん、桜町。同じなんだね」
中学校が違っただけで、二人は同じ市内出身だった。家が遠くない事実もまた優花の心を弾ませた。
「そっか、近いんだね」
百合もうれしそうに笑った。距離が近いというのは、それだけでさらに気持ちも近づけたように思えた。
それから今度は、百合の話を聞いた。百合は一人っ子で、両親と三人暮らしだということ。父親はクリニックの院長で、母親は看護師としてそのクリニックで働いているということ。二匹のトイプードルを飼っていて、毎朝の散歩は百合の担当だということ。話の端々から、百合は両親から大切に育てられた、育ちの良いお嬢さんなのだと思った。でも、気取った感じはうかがえない。そんな自然体なところがいいと思った。
「橘さんは?」
当然、自分も話が来ると思った。自分の身の上を話すのは少し抵抗がある。両親のことは特に気をつかわせてしまう内容だ。優花は一瞬黙り込んでしまった。百合はそれを敏感に察したらしい。少し悲しげな顔になって首を傾げた。
「……どうしたの? 聞いちゃいけなかった?」
「え、あ、ううん。そうじゃないの。あのね……」
優花はポツリポツリと、端的に話した。小四のときに両親は事故で亡くなったこと。それからは九つ上の兄と、兄のお嫁さんと暮らしていること。だから、夕飯の支度は自分がやっているのだ、と。竜のことは話さなかった。竜のことは複雑すぎて、どう説明していいものかわからなかったのだ。
「そうなんだ……。橘さん、大変なんだね」
ますます悲しそうな顔になった百合を見て、優花は少し胸が痛んだ。やはり、自分の身の上話をするとこんな顔をさせてしまうのだ。自分だって、進んで話したくない。
「全然平気だよ。もう慣れたし。だってお姉ちゃんにもうすぐ赤ちゃんが産まれるの。これからにぎやかになるなあ。あ、でもこの年で叔母さんになるの。おかしいでしょ」
無理やり笑って見せると、百合もぎこちなく笑い返した。やはり気をつかわせてしまっている。申し訳ない気持ちでいっぱいでいると。
「あ、そうだ。橘さん。携帯持ってる?」
「え? まあ、一応……」
唐突な話題についていけずにいると、百合はガサゴソと自分のカバンをあさり始めた。そして取り出したのはスマートフォンだった。
「連絡先交換しよう」
話題を変えてくれたのだろう。百合はさりげなく気を配れる女の子だった。それに感謝しながら、優花は頷いた。
「まだ慣れてなくて、登録できるかな」
「私もまだそんなに慣れてないよ」
二人でああでもない、こうでもないと操作しながら、何とか互いのスマホに連絡先を登録した。優花は初めて家のものではない人と連絡先を交換して、妙にドキドキしていた。
「あと、それから。お願いが」
百合はちょっとためらってから、自分を鼓舞するようになずいた。
「橘さん、じゃなくて、優花ちゃん、って呼んでいい?」
優花は目を丸くした。苗字ではなくて、名前で呼ぶ? それは、知り合いから友だちになった、ということでいいのだろうか。
「そ、それなら、優花でいいよ。ちゃんはいらない」
「え、でも」
「そのほうがいい。私も、百合って呼んでいい?」
ぱっと輝く笑顔になって、百合は何度も大きくうなずいた。
「じゃあ、優花。よろしくね」
百合はさっと右手を差し出してきた。優花はその手と百合の笑顔を見比べながら、恐る恐るその手を握り返した。百合の手は温かかった。
「よろしく、百合」
初めてできた、高校の友だち。それは単純にうれしかった。やはりどこかで、優花は友達を求めていたのだ。平気なふりをしていただけで、本当は寂しかった。
(でも、百合も離れて行っちゃうかな。噂とか聞いたら……)
不安材料はあった。今は無邪気に笑っている百合だけれど、優花の悪い噂を聞いてしまったらどうなってしまうのか。根も葉もないことだから、優花は堂々としていればいいけれど、百合がどんな風に反応するかわからなかった。
どうか、百合が離れていきませんように。初めて友達の連絡先を登録したスマホを、思わずぎゅっと握りしめていた。