百合の告白
優花のいろいろな話が一通り終わって、ぬるくなったお茶を飲み干したタイミングだった。ティロンと小さな音を立てて、百合のスマホがメッセージを受信した。
(圭輔かな)
百合がスマホを手に取った様子から、優花は推測する。普段無口な圭輔は、スマホの中では饒舌らしく、メッセージが頻繁にやってきている。それに対して百合がマメに返事を書いている。優花にとって、それはもう慣れた光景だった。
百合は短く返事を書いて、小さくため息をつきながらスマホを置いた。その表情が寂しそうに見えて、優花は思わず眉を寄せてしまう。
「どうかしたの?」
百合はハッとした表情を見せた。
「何でもない……ううん、何でもなくない……」
歯切れの悪い答えをして、今度は少し長めのため息をつく。確かに、何でもない状態ではない。
「圭輔だったんでしょ? 今の」
百合は、ためらいながらコクリとうなずいた。
「今日会うのやめちゃったから、明日にしようって言ってたんだけど、明日は圭輔が忙しくなっちゃったんだって」
さっき話していたことが、急に鮮明になって現れた。生活時間や空間が違うと、会おうと思っていてもなかなか会えない現実。
「ごめんね。私が圭輔との時間取っちゃったね」
「優花は何にも悪くないよ。私がそうするって決めたんだから」
「でも、会えなくなっちゃったんでしょ?」
優花がそう言うと、百合は切なげに微笑んでから横に首を振った。
「明日は、だよ。そのうち、この日は大丈夫かって確認の連絡が来るよ。それに、昨日も会ってるんだから、今日明日会えなくっても大丈夫」
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせているようだ。健気に笑って見せているけれど、どうしたって隠せない寂しさがその瞳に映っていた。
「それなら、今から会いに行ったら?」
「え?」
百合がびっくりしたように目を瞬かせる。
「今日は会える日だったんでしょ? 時間が大丈夫なら、今から圭輔のところに行こうよ」
「いや、でも……今日は優花と話したいって思ってたし……」
「私とは明日学校でも会えるし、学校終わったあとも時間があるよ? 明日の午後、百合の予定がなくなっちゃったことが、ちょうど今わかったところだしね」
百合に話を聞いてもらって、優花の気持ちは少しずつ浮上していた。でも、自分だけが浮上しているのはダメなのだ。励ましてもらうだけではなく、自分も百合の背中を押せるようにならないといけない。優花は、百合のスマホを手に取ってすっと差し出した。
「ほら。今から会えるか聞いてみよ」
百合は優花の顔を見て、差し出されたスマホを見て、おそるおそるスマホに手を伸ばした。そしてまた、優花を見た。
「ほらほら」
優花は百合を急かす。一瞬視線をさまよわせてから、百合はスマホにメッセージを打ち始めた。
一時間後。優花と百合は駅前にいた。少し薄暗くなった景色に、クリスマスカラーのイルミネーションに彩られた街路樹が光っている。どこぞの観光地の派手なイルミネーションとは比べものにならないけれど、日常の中で浮き足立つには十分な光の量だ。通りを行き交う人はいつもより多くて、忙しなくて、でもその表情はどこか楽しそうに見えた。
「人のこと言えないなあ」
不意に百合がぽつりとつぶやいた。
え? と優花が振り返ると、神妙な面持ちをした百合が伏せ目がちに言った。
「私も、現状維持をどこかで望んでたんだよね」
優花に話しかけているようで、独り言のようにも聞こえた。圭輔とのことを言っているのかなと推測して、優花は黙ったまま言葉の続きを待った。
「ホントは、とっくの昔に気づいてたんだよ。でも、今の状態の居心地がいいから、つい結論を先延ばしにしてた。ずっと待っててくれる保証なんてないのにね」
圭輔ならいくらでも待ってくれそうだけれど、と思ったが、口にはしない。それは優花の主観であって、本当のところは誰にもわからないのだ。
「私も、がんばらなきゃ」
百合がそう宣言したとき、人波の中をかき分けて圭輔が走ってくるのが見えた。
「ごめん、遅くなった」
息を切らせて圭輔が言う。
「大丈夫。さっき、来たところだから」
百合がへにゃりと顔を崩して微笑む。
(あ、すごく嬉しそう)
圭輔の顔を見て、安心したように、とても幸せそうに笑う百合は、やはり圭輔のことが好きなんだろうなと思った。まだ、百合の口からそれを直接聞いたことはないけれど、表情や、行動の端々に感じ取れるものなのだ。
「じゃ、私は行くね」
二人の時間を邪魔するようなことはしない。さっさと退散しようと自転車のハンドルを握ったときだった。
「待って、優花」
百合が呼び止めた。
「立会人になって。私が、がんばれるように」
「……?」
百合は両拳をぐっと握って気合いを入れた表情になって、圭輔に向き直った。理解が追いつかないまま、優花はただ百合の行動を目で追う。
「圭輔」
はっきりとした声で百合が言った。その頬は少し紅潮していて、瞳がキラキラ輝いているように見える。そんな百合の表情から、優花は咄嗟に状況を理解して、思わず手で口を押さえて息を止めてしまった。
(まさか、ここで告白しちゃうの……⁉︎)
百合は握った両拳を更にきつく握りしめて、大きく息を吸った。
「私、圭輔のこと好きだよ」
その瞬間、圭輔の目は、大きく見開かれた。普段、表情の変化が乏しい圭輔にしてみれば、その驚きがわかりやすく表に出ているほうだと思う。
でも、それから先の動きがない。手も足もピタリと止まり、何の言葉も発しない、瞬きすらしないまま数秒の時間が流れた。
圭輔の反応がないせいだろうか。百合がだんだん不安そうに眉尻を下げ始めた。キラキラしていた瞳が徐々に曇り、握りしめた拳からは少しずつ力が抜けていってしまっている。
「ちょっ……圭輔! 何か言ったらどうなの!?」
目を見開く以外の反応を見せない圭輔にイライラして、優花は思わず口を挟んでしまった。圭輔はビクッと肩をふるわせ、数回瞬きをした。百合を見て、優花を見て、ぎこちなく口を開けたり閉めたりし始めた。
「あ、その……急で、えっと……」
途端に、圭輔は両手で自分の頭をかいたり、頬をおさえたり、なぜか耳を引っ張ったり、妙な動きをし始めた。どうやら、圭輔は理解不能な出来事が起こると無意味な動きをするようになるらしい。新たなる発見である。
「ちょ、ちょっと待って……一回落ち着くから……」
両手で顔をおおってから、圭輔はゆっくりと深呼吸をした。それを三回ほど繰り返したあと、指の隙間からおそるおそる百合をうかがった。その瞳が少し不安そうに揺れつつもキラキラ輝いて見えるのは、きっと気のせいではない。
「それ、ホント?」
出てきた声は、その図体に似合わない弱々しいものだった。優花は「疑うとは何事か」と憤慨した気持ちになったけれど、百合はクスッと柔らかく笑い、恥ずかしげにうなずいた。
「幼なじみとか、友だちとかじゃなくて、それ以上に……特別に圭輔が好きだよ」
百合は、小さな子にわかりやすく説明するように優しく言った。
「よ……かったあ……」
そう言うと、圭輔は長いため息をつきながらしゃがみ込んでしまった。
「だって、百合は全然前と態度が変わってなかったし……やっぱり幼なじみのままのほうがいいやとか言われたらどうしようって毎日考えてて……。毎日会いたくても予定合わないし……仕方ないってわかってるんだけど……」
(なんだか圭輔が急に愚痴っぽくなってる!)
両想いが確認できて、最初にすることがこれですか、と優花はあきれ顔になってしまった。
だが百合は圭輔と視線を合わせながら「そんなことないよ」とか「そうだね」とか、丁寧に相づちを打ってその愚痴を聴いている。慣れているその様子に、優花がいない時の二人は案外こんな感じなのかもしれない、と思い直した。
(これはもう二人の世界だから、私はお邪魔だね)
百合の勢いで、思いがけず告白という場面に立ち会ってしまったが、こうして結果を見届けることができた。これ以上ここにいても、幸せな二人にあてられてしまうだけで優花の居場所がないのだ。
優花は、音を立てないようその場から離れ始めた。
そこで、百合が気づいた。ぱっと立ち上がって、優花に駆け寄ってくる。
「ありがとう、優花」
百合は満面の笑顔を見せた。お礼を言われるようなことをした覚えがない優花は、困って首を傾げた。
「優花が今から会えばいいって言ってくれなかったら、こうはならなかったの」
百合はそう言うけれど、優花は戸惑ったままだった。優花がそう言ったのは、百合が寂しそうにしていたからだ。仮に、百合と圭輔が今日会わなかったとしても、いずれか二人は両想いでまとまっていたはずなのだ。
「きっかけをくれたっていうことが大きいんだよ」
自転車のハンドルを握る優花の手に、百合の手が重なった。
「だから、ありがとう。私も優花の力になれるようがんばる」
暗に、竜のことを言われているのかもしれないと思った。応援するから、がんばってアプローチしようと。
その応援に、どう応えるべきか今はわからない。
現状維持では前に進めない。それはよくわかった。百合に必要だったのは、現状を打破するためのほんの少しの勇気ときっかけだった。
(でも、私は……)
打破してしまった後のことが、考えられない。上手くいく未来がどうしても見えない。プラスに働く要素があるように思えない。
「良かったね、百合」
今はただ、親友の勇気とこれからの前途を祝いたい。その心だけを込めて、百合に微笑んで見せた。