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放課後の約束 Part2

 速く自転車をこいだせいで、いつもより早く学校に到着してしまった。学生たちの流れはそれなりにあるものの、普段優花が見るよりも若干少ない気がした。

 その流れの中に、長谷部の背中を見つけた。片手をコートのポケットに突っ込んで、一人ゆっくりと歩いている。時々、友人とおぼしき男子や、長谷部のファンらしき女子に声をかけられるたび、愛想良く返事をしたり、手を振り返している。

(律儀だなあ)

 少し遠巻きに見ながら思う。一つ一つに反応するのも、結構大変なはずだ。でも、面倒な様子は一つも見せず、むしろ気さくに対応している。それはすごいことだと素直に感心してしまう。

 長谷部は校門前で止まると、少し辺りを見回し――優花と目が合った。

(あ……どうしよう。心の準備ができてない) 

 ハンドルを握る手に、思わず力が入る。

 準備ができていなかったのは、長谷部も同じだったようだ。優花を見つけて、一瞬息をのんだように停止した。

(とにかく、行かないと)

 優花はお腹に力を込めて、自転車を転がしながら歩き出す。その間、長谷部は緊張した面持ちでじっと待っていた。

「おはよう、ございます」

 近くまで来て、どうにかこうにかあいさつの言葉を発した。ぎこちなさを隠すことはできなかった。

「おはよう」

 少しほっとしたような表情を浮かべて、長谷部はあいさつを返した。

「今日は、少し早いんだね」

「そう、ですね。なんか、早く着いちゃって……」

 優花は思わず視線をそらしてしまった。早く着いてしまった理由は、できるだけ竜のことを考えなくて済むように自転車を飛ばしてきたせいだ。それを探られてしまうことを、優花は恐れていたのだが。

「……俺のこと、怖い?」

 予想していなかった質問に、優花は視線を長谷部の表情へ移した。その不安げな瞳に、優花が映っている。

 そこで優花は理解した。長谷部は、優花が目をそらした理由を、昨日のあの出来事のせいだと思っているのだ。

 長谷部の問いに正直に答えるならば、長谷部に対しての恐怖心はまだ少し残っていた。あの瞬間を思い出せば、体がわずかに強張るの感じる。でも、嫌悪感だとか怒りだとかいった感情はわいてこないのだ。

「怖くない……です」

 優花が考えに考えた返答を聞いて、苦い笑いが長谷部の顔に浮かんできた。

「嘘が下手だね」

「……」

「とりあえず、中に入ろうか」

 長谷部に促されて、校門をくぐる。優花はのろのろと歩きながら、一人反省会をしていた。

(今黙ってしまったのは、ずるかったな……)

 怖くない、というのは確かに嘘だったけれど、優花が目をそらしたのは別の理由だった。わざわざ否定するのもおかしな話だけれど、心がチクチクと刺されているような、居心地の悪い気分だった。

「彼の熱は、どう? 体調は落ち着いた?」

 普段の会話をする調子で、長谷部は言った。不意に竜の話題が出て、ぎくりとしたが、懸命にそれを押し隠した。

「熱は……あんまり下がってないです。……お兄ちゃんが、これから病院連れて行くことになってます」

「インフルとかじゃないといいね」

「そう、ですね」

 会話が続かない。竜の話題では、特に。何を話しても、どこかに気まずさがあって、どうしても言葉少なになってしまう。

「お礼は、受け取ってくれたかな」

 優花は小さくうなずいた。

「そうか、って、それだけ言ってました」

 すると、長谷部はふっと笑った。

「了解したよ」

 竜の返事はあまりにも短かったのに、長谷部は何かを理解したらしい。優花は何も了解できていないのに、二人の間には何か通じるものがあるようだ。おかげで、余計に居心地悪くなった。

 それから二人は会話もないまま、自転車置き場に着いてしまった。重たい空気を打開しようと、何か言おうと試みた優花だったが、結局声にすらできず、無言を通してしまった。

「あの、さ……」

 優花が自転車に鍵をかけたタイミングで、長谷部がおもむろに口を開いた。

「今日も、一緒に帰って大丈夫?」

 え? と反射的に顔をあげると、長谷部の迷うような表情がそこにあった。

「君を怖がらせてまで一緒にいるのは、違うと思うから……」

 その言葉を聞いた途端、胸の奥がぎゅうっと締め付けられるように苦しくなった。

(私を、気遣っているんだ)

 どう答えたらいいのだろう。優花は素早く必死に考えていた。

(先輩は、私の答え次第では距離を置こうとしている。それは、私のためだ。私がいやなことはしないという、先輩の意思表示だ)

 優花は一度深く息を吸い込んだ。

「私、先輩のこと嫌になったとか、そういうのはありません」

 長谷部が目を瞠った。震えそうになる声をおさえながら、ゆっくりと言葉を続けた。

「怖くない……のは、ちょっと嘘です。思い出すと、少し、怖いです。でも、今は平気です。だから、あの……」

 言いたいことが、うまく言葉にできない。どう続けたらいいのかわからなくて、優花は内心焦った。でも長谷部は真剣な顔で、黙って言葉の続きを待っている。

 その表情を見て、優花はもう一度深呼吸をして心を落ち着けた。今、自分が一番言いたいことは。

「……なかったことには、できないかもしれないけど……私は、今まで通りにしてほしい、です」

 言葉にしてみて、これはずるいかもしれないと思った。

 優花が誰を想っていて、長谷部がどんな気持ちでいるのか、全部わかっていて。しかも、昨夜の出来事を、自分は長谷部に一つも話していない。それなのに、何もなかったようにしてほしいだなんて。

「以前……俺も、同じようなことを君に言ったね」

 長谷部は目を伏せた。

「紗百合さんのお店から帰るとき、何もなかったようにしてほしいって、お願いした」

 その日のことを、優花も思い出す。

 初めてデートした日のことだ。思いがけず長谷部の生い立ちを知ることになった優花に、学校では何事もなかったようにしてほしい言ったのは、長谷部だった。

「君は、その通りにしてくれたんだ」

 独り言のようにつぶやいたあと、覚悟を決めたように視線をあげた。

「俺のこと、許してくれる?」

 真っ直ぐに優花を見つめてくるその視線に、思わずドキドキしてしまう。

「……許すも何も、最初から怒ってないです」

 そう答えると、長谷部はふわっと微笑んだ。

「ありがとう」

 優花も、微笑み返してみた。かなり、堅い笑顔になってしまったけれど。



 それから、昇降口に行くまで、本当に何事もなかったかのように、以前と同じに振る舞った。意識して、そのようにしたせいだろう。長谷部と手を振って別れたあと、どっと疲れが押し寄せてきて、靴を履き替えた瞬間に軽く目眩を覚えた。

(寝不足のせいかな。なんか、余計に疲れた……)

 でも、自分でいつも通りにしたいと言ったのだ。昨日の今日で、まだ緊張しているだけだ。もう少し時間が過ぎれば、きっと慣れてくるに違いない。そう自分に言い聞かせていると。

「おはよう、優花」

 ぽん、と優しく肩をたたかれた。振り返れば、にこやかな表情で百合が立っていた。その表情に癒やされながら、優花もあいさつを返す。

「いつもより来るのが早いね」

「あー……そうだね、なんか、早く着いちゃった」

 言葉に変な間を作ってしまったせいだろうか。百合が訝しげに眉を少し寄せた。

「なに、その微妙な感じ。もしかして、何かあった?」

 桃子たちとの騒動後、百合には何も連絡をしていなかった。スマホに文字を打ち込むような心の余裕はなかったのだ。

「あったんだね」

 確信を持った表情で百合がうなずく。

「……なんでわかるの」

「わかるよ。心なしか、顔色悪い」

 そんなに悪いだろうか。優花は思わず頬に手を当てた。

「もおー。なんで話してくれないの、いつもいつも」

 頬を膨らませると、百合は優花を肘で小突く。その仕草が可愛らしくて思わず微笑みそうになったが、そうするとますます百合を憤慨させるだけなので我慢した。

「ごめん。あのあと、いろいろありすぎて……」

「飯田さんたち、また何か言ってきた?」

「ううん。飯田さんたちは関係なくて……」

 どこからどう話したらいいかわからなくて、優花は口ごもる。百合は黙って言葉の続きを待っていたけれど、そんな優花の様子をみて、小さく息を吐いた。

「とにかく、昨日はいろんなことがあったんだ」

 優花がうなずくと、百合は少しうなった。しばらくして、ぱっと何かひらめいたように人差し指をピンと上に立てた。

「話が長くなりそうなら、お昼食べたら優花の家に行こうか? そのほうがゆっくり話せるかも」

 その提案に、優花は躊躇した。普段であれば、その通りにしている。でも、今の家の状況や話の内容が、優花の家で話せることではなかった。

「うちは……今日、無理かな。竜が熱を出して寝込んでて」

「え、それは大変じゃない」

 途端に、百合の表情に心配の色が浮かんだ。優花は慌てて、兄が病院に連れて行ってくれること、竜は発熱しているものの、少しは飲んだり食べたりできることを話した。

「早く良くなるといいねえ。でも、確かに優花の家だと無理だね。私がお邪魔したら、竜が休めなくなっちゃう」

 それなら、と百合はぽんと手をたたいた。

「うちに来る?」

「え? いいの?」

 今まで、百合の家の前まで行ったことはあっても、その中に入ったことがなかった。

「もちろん。招待する機会がなかったんだよね。それに、優花も忙しそうだったし」

 その発言に、優花はきょとんとしてしまった。

「忙しかった? 私が?」

「だって、だいたいは先輩と家に帰ってたでしょ。何となく誘いづらいかなって」

「それを言うなら、百合だって圭輔と約束してたりしてたじゃない」

 二人はしばし見つめ合ったあと、同時に吹き出して笑ってしまった。さっきまで落ち込んだ気分だったけれど、笑える余裕があって少しほっとした。

「お互い遠慮しちゃってたのかもね、最近。私、優花ともたくさん話したいな」

「私も、そうしたい」

 無意識だったけれども、百合と圭輔の邪魔してはいけないと思っていた気がする。それは百合も同じで、優花と長谷部の間に入るのをためらっていたようだった。

「じゃあ、決まり。圭輔に言っとく」

 実は今日の午後も会う約束をしていたらしい。「昨日も会ったし、こっちの方が大事」と言って、百合はスマホにメッセージを打ち始めた。

「圭輔、怒らないかなあ?」

 心配した優花だったが、百合はあっさりとこう言った。

「これで怒るようなら、もう圭輔と会わないよ」

 そっか……と返事をしながら、頼もしい親友を持ったなと思う優花だった。

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