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思考の渦

(眠れない)

 優花は暗闇の中、布団を頭からかぶっていた。何度寝返りを打っても、無理矢理目を閉じても、睡魔はなかなかやってこない。

 理由は、わかっている。今日の……いや、日付にすれば既に昨日の出来事が頭の中を駆け巡り、様々な思いがわき上がっては消えもせずに、ただただ蓄積されている。この思いをどこからどう整理していけばいいのか、優花は途方に暮れていた。

 眠れないのなら、と、優花は半身を起こす。背中に、夜の冷たい空気が覆い被さってきて、余計に目が覚めた気がした。どうあがいても、眠れる気がしなかった。

(竜は、眠れてるかな……)

 隣の部屋に通じる壁を、思わず見やった。

 あれから、優花は竜と顔を合わせていない。夜の間、竜の看病に当たっていたのは数馬だった。まめに熱を測ったり、薬を飲ませたり、換気してやったりと、かいがいしく動いていた。

 それをいいことに、優花は竜の代わりに食器を洗ったり、明日の朝食の下準備をしたりと、わざと忙しく過ごすことで、竜と会うことを回避していた。

 しかし、竜がどんな様子なのか、気になって気になって仕方なかった。体の状態もだが、先ほど優花が口走ったことについてどう考えているのか、知りたかったのだ。

(……いやいや。あんなに熱が高いんだから、まずは体の調子を心配しなきゃでしょ。竜がどう考えているか知りたいだなんて、こんなときに自己中すぎる)

 そう何度も考えては自己嫌悪に陥り、また元に戻っては自分を責め……ということを、心の中でずっと繰り返している。

 同時に、長谷部との出来事も繰り返し思い出されていた。

 あのときの長谷部は、怖かった。男の人であるということを、まざまざと見せつけられた。長谷部の腕の力は想像以上に強くて、優花が全力で逃れようとしても逃れられなかったに違いない。もし、竜が来てくれなかったら、どうなってしまったのだろう。

(……ダメダメ。考えない考えない。何もなかったんだから、もう考えない。これはもう終わったこと。先輩も、謝ってくれたんだから)

 もしも、というところまで思考が回ると、優花は無理矢理考えを断ち切った。これも、何度も繰り返している。

(飯田さんたちも、眠れてないかな)

 思考の隙間に、ふと昼間の出来事が思い浮かんだ。長谷部と竜との間に起こった出来事のせいで、桃子たちとの出来事は遠くなってしまっていた。

 だからだろうか。かえって冷静に見ることができる。

(先輩は、半分は竜で半分は自分のせいで起こったことだと言ったけれど、私のせいでもあると思う)

 彼女たちは、相手のことが好きだという、自負のようなものを持っていた。それは絶対に揺らぐことはない。だからこそ、優花のことが許せないのだ。長谷部と一緒にいて、竜のことが好きだという、そんな中途半端さを、桃子たちは本能で感じ取ったに違いない。

(結局、一番ダメなのは私だ)

 優花は、膝を抱えて顔をうつむかせた。

(先輩に応えることもできない。何にも考えずに竜に好きとか言っちゃうなんて。自分でも、何がしたいのかわからないよ)

 結局、優花はほとんど眠れないまま朝を迎えた。



「ひどい顔色だな」

 翌朝。リビングで鉢合わせた数馬は、朝のあいさつよりも先にそう言った。

「熱は……なさそうだな」

 優花の額に手を当てて数馬はうなる。

「念のため、学校休むか? 竜の風邪がうつったのかもしれないぞ」

「大丈夫だよ。なんか、よく眠れなかっただけだから……」

 優花は弱々しく微笑んだ。徹夜明けのような状態なので、体がひどくだるく、顔の表情筋すらもうまく動かせなかった。

「学校、半日なんだろ? だったら休んでも問題ないんじゃないか?」

 兄の言うとおり、冬休みを目前に控えている今、半日で終わる日が多く、授業らしい授業もほとんどない。休んだところで、大した影響はないだろう。

(でも……)

「大丈夫だって。半日で終わるんだから、ちょっと眠いの我慢すればいいだけだよ」

 優花は、家にいたくなかった。

 竜は今日の仕事を休む。休むということは、ずっと家に竜がいるということだ。優花は、一日中竜と同じ空間を共有することに耐えられる気がしなかった。

「わかった」

 数馬は渋々うなずいた。そして。

「でも、たとえ一時間目だったとしても、具合が悪くなったら早退するんだぞ」

 念押しするのも忘れなかった。

 それから、兄妹二人は朝食を簡単に済ませ、通勤通学の準備をバタバタと始めた。

 大方準備が終わった優花は、ふと兄の姿が一階にないことに気づいた。

(もうそろそろ家を出なきゃいけない時間なのにな)

 リビングを出てみると、階段のほうから兄の声が漏れ聞こえてきた。どうやら二階にいるらしい。

(竜の様子を見にいったんだ)

 優花は少しためらったあと、二階へ足を向けた。兄がいるから、竜と顔を合わせても大丈夫なはずだ。優花だって、竜の様子は心配なのだ。

「だから、遠慮するなって」

 竜の部屋の前に来ると、数馬の強めな口調が響いた。

「どうしたの?」

 優花はおそるおそる竜の部屋に入った。竜は、ベッドで半身を起こしていた。昨日と同じように、赤い顔で苦しげに息をしている。

「熱、全然下がってないんだよ。38.6度もあるんだ。だから、病院に連れて行こうと思ったんだけど」

 数馬は少しイライラした様子で言った。

「寝てれば治るって、聞かないんだよ」

 すると、竜は気まずそうにふいっと顔をそらして、ぼそぼそと反論した。

「下がりましたよ、少し……」

「昨日の夜は38.9度だっただろ。そんなの誤差だ」

 きっぱりと言い切られて、竜は口をつぐむ。

「インフルとかだと困るし、ただの風邪でも、甘く見たらダメなんだぞ」

「だったら、俺が自分一人で、病院に行くんで……」

「そんな状態で、一人で行かせられないって言ってるだろ」

「だって、数馬さん、仕事……」

「遅刻すればいい話だ。別に休んだっていいし」

 察するに、こんなやり取りをずっとしているようだった。数馬は竜を病院へ連れて行きたい。竜は数馬の手を煩わせたくない。

 優花は、この状況を知っている。正確には、似たようなことを経験したことがある。

「らちがあかないから、もう職場に電話してくる」

 数馬はすっと立ち上がると、数馬は部屋から出て行ってしまった。優花は突然竜と二人きりにされて、ものすごく焦った。全然、心の準備ができていない。

(いや、そんなに熱があるなら、竜にも余裕はないはず……)

 そう思い直して、優花はちらりと竜の様子をうかがった。竜はうつむいたまま、何も言わなかった。半身を起こしているその状態でもしんどいように見えた。

「……とりあえず、横になったら?」

 優花は怖々と声をかけた。竜の視線だけが、少し動いた。そして、無言のままのそのそと布団の中に入った。竜は、はあーっと大きく息を吐くと、目を閉じた。

「ねえ、竜」

 返事はなかったが、聞こえていると思って、優花は言葉を続けた。

「病院、行きなよ。これ以上悪くなったら大変だよ」

 しばらくの沈黙のあと、竜はうっすらと目を開けた。少しだけ顔を優花の方に向け、赤く潤んだ瞳で見つめてきた。熱のせいだとわかっていたけれど、初めて見る表情にドキンと心臓がはねた。

「……私も昔、同じことをお兄ちゃんに言ったことがあって」

 緊張を押さえ込んで、優花は話す。

「私が、小六のときだったかな。私、高熱とひどい咳で、動けなくなって。お兄ちゃんは病院に行こうって言ったけど、あのときのお兄ちゃんは大学生で、確か、大事な授業があるとかで、前日まで忙しそうにしてたの知ってたから……私のせいで、行けなくなるのいやだったから、寝てれば治るって、言ったの」

 竜はなおも無言だった。自分の言いたいことは、ちゃんと伝わっているだろうか。そんな不安に駆られたが、がんばって話し続けた。

「そしたら、お兄ちゃんは怒ったんだ。こんな状態で放っておけるかって。結局、病院行ったんだけど、調べたらちょっと肺炎になりかけてて……。ホントは熱があったのに、何日か内緒にしてたから、こじらせたんだろうってお医者さんに言われた。気づかなくてごめんって、お兄ちゃんは何度も私に謝った。お兄ちゃん、悪くないのに……」

 その後、優花は点滴やら薬やらを与えられ、症状は落ち着いたものの、様子見で一日入院する羽目になった。当然ながら兄は大学を休み、そのまま優花に付き添ったのだった。

(きっと、あのときのことをお兄ちゃんも思い出してるんだろうな)

 だから、昨夜からまめに竜の面倒をみているのだ。寝てればどうにかなると言い張る竜と、昔の優花を重ねているから。

「……わかったよ」

 ぼそっと竜がつぶやいた。

「連れてってもらうよ、病院」

 それを聞いて、優花は心から安堵した。病院に行ったらすぐに治るわけではないが、少なくとも、これ以上竜の体調が悪化するようなことにはならないだろうと思った。

 しかし。

「あのさ、優花……」

 突然、思い詰めたような口調で声をかけられ、安堵から一転、胸がざわざわし始めた。

「昨日の、話なんだけど……」

 ドクン! と心臓が大きく脈打った。

(昨日の話って、私が、口走った、あのこと……?)

 胸のざわつきは、電気のようにビリビリと全身を駆け巡ったかと思うと、徐々に冷たさに変わっていった。竜の続きの言葉は、きっと優花が聞きたくない内容だ。そんな予感があった。

「今日は仕事休むことにしたぞ」

 竜が口を開きかけたところに、数馬が入ってきた。タイミングがいいのか悪いのか。竜がこれから言おうとした言葉を聞かずに済んで良かったと思う反面、続きが気になってモヤモヤした気持ちも残った。

「お前が行かないって言っても連れて行くからな」

 優花と竜の会話を知らない数馬は、やや強引に宣言した。

「わざわざ休まなくてもいいんじゃ……」

「職場には優花を病院に連れて行くって言ったんだよ。お前のこと説明するのが面倒で。そしたら、妹の調子が悪いなら休めってさ」

 兄にとっても竜は説明しにくい存在なのだと、優花は初めて知った。橘兄妹にとっては、親戚のようでそうではない、かといって他人ともちょっと違う、やはり何と言ったらよいかわからない存在なのだ。

「じゃあ、私はそろそろ学校行くね」

 ひとまずは、竜の病院行き騒ぎは落ち着いた。優花がここにいる必要はもうないし、できる限り竜の視界に入りたくなかった。

 あいさつもそこそこに、竜の顔を見ないように急いで部屋を出た。

 カバンをつかんで、慌てて外に出る。自転車の鍵をはずして、勢いよくこぎ出した。冬の冷たい風が耳元を切るように通り過ぎる。耳が痛くなったけれど、かまわずスピードを出したままこぎ続けた。

(昨日の話って、もしかしたら、飯田さんたちとのことだったかな。でも、それは元気になったら話すよって言ってあったし……)

 あの言葉の続きを、やはり聞いたほうがよかっただろうか。そうすれば、こんなに考えずに済んだのだろうか。

 いや、聞いたら聞いたで、別のことを考え続けていたに違いない。結局、どうあがいても気持ちが落ち着くような事態にはならないのだった。

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