放課後の約束
優花は少しずつだがスマホに使い慣れてきた。四月がもうすぐ終わるころになっても、一向に新しい連絡先は増えていなかったのだが。クラスメイト達はもうほとんどグループが出来上がってしまっているようで、優花が入り込む余地はなさそうだった。
(まあ……今までも基本一人だったし)
そう自分を納得させ、休み時間はたいてい本を読むか勉強をしていたが、居心地の悪さはぬぐえなかった。
そんなある日、学活の時間に五月に行われる強歩大会のことが話し合われた。この高校では、親睦の意味を含めてゴールデンウィーク明けに二十キロほどを歩きとおすというイベントが行われる。ただ歩くのではなく、一年生から三年生までを混ぜたグループを作り、それぞれがルート上に作られたチェックポイントの課題をクリアしてゴールしなければならないというものだ。ルートはいくつか設定されているらしく、どのルートを行くかは当日までわからない。体力、知力、チームワークが試される競技でもあった。
まず、グループ決めから始まった。同じクラスの中で十二のグループを作り、あとで二年生、三年生のグループと組み合わせるのだ。
「では、三人から四人でグループを組んでください」
学級委員が指示を出すと、みんな一斉に立ち上がって各々の友人のところへ向かう。でも、優花は動けなかった。誰のところに行けばいいのかわからないし、そもそも自分と組みたい人がいるのだろうか。余ったところに適当に入ることになるのだろう。そんなふうに思いながらちらりとクラスの様子をうかがうと。
(……あれ?)
一人の女子に目が留まった。彼女も優花と同じように、席から動いていない。確か、あの子の名前は……。
(そうだ。花崎百合さんだ)
自己紹介の時、か細い声で名前を言ったので、よく聞き取れなかったことを思い出す。体の線も細くて、今にも掻き消えそうな印象だ。今も、うつ向いて目を伏せてしまっている。おさげの髪が頬にかかって、まるでクラスから隠れたがっているようだ。彼女も、グループを組める相手がいないらしい。
優花はしばらく考えた。周りは徐々にグループが決まりつつあるようだ。学級委員がリストに名前を書き連ねている。「あと決まっていないのはどこですかー」と、ざわめく教室の中に学級委員の声が響く。優花は思い切って立ち上がった。
「あの」
優花は花崎百合の隣へ行って、思い切って声をかけた。百合は弾かれたように顔を上げた。
「あの……」
もう一度同じ言葉を言って、優花は言葉を飲み込んでしまった。何と声をかけたらいいのかわからない。「一緒にグループ組みませんか」は、唐突すぎる気がするし、「他に組む人がいないならどうですか」は、よく考えれば失礼な気がするし。一度も話したことがないどころか、今名前をやっと思い出した相手を誘うのは、おかしいと思った。相手だって、困るだろう。現に、百合はとても戸惑った様子でつぶらな瞳を優花に向けている。
二人で黙ったまま見つめあっていると。
「そこは一緒に組みますか?」
学級委員の長谷部新菜が声をかけてきた。さっさとグループを決めて次の話し合いに行きたいのだ。少しイライラしている様子で優花と百合を眼鏡の向こうからにらんでいる。優花は百合と学級委員を見比べて、また百合を見た。
「あの、私と一緒でもいいですか……?」
そう言ったのは百合のほうだった。小さな声だったが、確かにそう言った。優花は思わず目をみはった。
「どうなんですか?」
またイライラしながら学級委員が尋ねてきた。
「お、お願いします」
優花はこくこくと何度も頷きながら答えた。
「二人だけだと足りないから、他のグループとこっちで組みますけど、いいですか?」
他の人数の少ないグループと一緒にするということらしい。もともと、どこのグループに入ることになっても仕方がないと思っていたので、それは承諾した。学級委員は「了解です」とリストに名前を書き込みながらまた黒板のほうに戻っていった。
「……本当に、いいんですか?」
しばらくして、百合がまたか細い声で尋ねてきた。
「むしろ、私のほうがそれを聞きたいです。私と組んでもいいんですか? もう組むことになっちゃったけど……」
自分で誘ったというよりは、流れでグループになることになった。優花はそのつもりで頑張って声をかけたが、百合のほうはどうなのだろう。
「なっちゃったなんて、とんでもない」
百合は頬を紅潮させながら、思い切りぶんぶんと首を振った。おさげ髪が激しく頬にあたって痛そうに見えた。
「私、一度でいいから橘さんとお話してみたいと思っていたんです。でも、私なんか引っ込み思案だし、暗いし、恐れ多くて」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って」
こぶしをぎゅっと握って訴えてくる姿に、今度は優花が戸惑った。
「恐れ多いなんて、同級生でしょ。おかしいよ」
「そんなことないです」
きっぱりと百合が言い切ったので、優花はまた目をみはってしまった。
「入学式のときから、こんな人がクラスメイトなんだと思ったらドキドキして。きれいだし、スタイルもいいし、まるでおとぎの国のお姫様が現代によみがえったみたいで」
「や、やめてってば……」
「本当です。本当にそう思ったんです。だからさっき、話しかけてくれた時もう驚いちゃって、どうしたらいいかわからなくて」
(思ったより、よくしゃべるな……)
先ほどまでの百合のはかなげな印象はどこへやら。優花があまりの勢いに気圧されて黙ってしまうと、百合ははっとなってますます頬を赤くした。
「ごめんなさい。私、つい……」
「あ、い、いいの。違うの。びっくりしちゃって」
「ごめんなさい。いつも圭輔にも怒られるの。勢いがつくとお前は止まらないからって……」
「圭輔?」
「あ、圭輔は幼馴染で……」
その時、学級委員から着席の声がかかった。周りがぞろぞろと自分の席に戻っていく。
「続き、帰りに聞いてもいい?」
優花が恐る恐る尋ねると、百合は満面の笑みを浮かべて頷いた。とても柔らかい笑みで、思わず優花も微笑み返してしまった。
人より遅れて、優花は自分の席に着いた。ざわめきが落ち着くと、学級委員が次の議題を話し始めた。でも、それが耳に入らないほど、優花は今さらになってドキドキが止まらなくなっていた。
(どうしよう。びっくり。帰りだって)
普段なら、帰りのホームルームが終わったらすぐに荷物をまとめて家に帰っていた。でも今日は違う。周りのクラスメイトのように、放課後おしゃべりして帰ることになる。それは優花にとってかなりの大事件だった。
(あ、そういえば)
優花はふと気が付いた。百合はあんなに優花のことを力説して褒めちぎっていたが、優花は全く嫌な気分にならなかった。いつもなら、自分のことを話されるととても嫌な気分に陥っていたのに。今になるまで、そのことに気づいていなかったのも驚きだった。
(きっと……あんなに一生懸命に話していたから)
自分の言葉で必死に伝えてこようとする態度は、可愛らしくてまるで幼い子どもみたいだった。最後に交わした笑顔も、天使の微笑みと例えたっていい。教室にいるといつも暗い気分になっていたけれど、あれだけでかなり癒されてしまった。百合と一緒なら、憂鬱だった強歩大会も楽しく過ごせるかもしれないと思えた。学活終了後、百合以外に組むメンバーは男子二人組だと聞かされて、ちょっと身構えてしまったけれども、楽しみのほうが勝っていた。案外自分って単純なのかもしれない。優花は自分の意外な一面を見た気がしたのだった。