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古いおばあちゃんの家

 「ララ! どうしたの?」

 悲鳴を聞きつけた少女の母親が、慌ててキッチンから駆け寄った。

 少女は、ムクっと体をのけ反らせた。隣には、古惚けた革のソファーがある。あたりは暗闇ではなく、見覚えのある使い古したテーブルに見覚えのある今どきある方が珍しいハト時計。茶箪笥には、老夫婦が仲良く笑いながら映っている写真が飾られている。そして、部屋中に紅茶の香りが漂っていた。

 少女は、おばあちゃんの家にある居間のソファーから落ちただけだったのだ。少女は夢だったことに気付くと、安心したかのように顔を伏せた―ずいぶん、リアルな夢だった。

 「大きな声出して――ほら、立って」少女の母親は少女を起こすと、体中をまさぐった。

 「ケガはない?」

 「大丈夫よ、ママ」

 先ほどの恐怖から一変、少女は母親から嫌そうに離れると、肘をさすりながら答えた。

 「ホントにもう……、落ち着きがないんだから」

 母親は、少女のおでこを人差し指で突っぱねた。でもその顔は、怒って呆れているというより、我が子に何もなく安心している愛おしそうな笑顔だった。

 「さあ、こっちにいらっしゃい」

 少女は、眠たそうな目をこすりながら、母親に肩を支えられて、暖炉の前に連れて行かれた。


 ブロンド色のチリチリの天パの小さな少女、この子の名前は南野・ララスタシア・オフマイヤー。あだ名は、ララ。まだまだ甘えん坊な小学四年生の少女は、学校が冬休みに入り昨日の夕方、両親の故郷紋別に住んでいるおばあちゃんの家に初めて訪れていた。

 外は大きな雪の結晶が舞い降りている。雪は、ララが紋別に来る前からもう何日も降り続けていた。ララの住んでいる札幌なら、しばらくして除雪が入り、除雪車やトラックの重々しい音が聞こえそうなものだが、この紋別はとても静かだ――というか、人っ子ひとり家の周りにいない。ただただ白い冬景色が広がっていて、何の役にもたたない塵のように雪が積もっている。それほど、今のいるこの家が町から離れていることを表していた。

 眠りから覚めたララは、母親のレジュリーに連れられ、暖炉の前で手を温めながら、かなり暇を持て余していた。遊ぶ友達もいない。テレビもワイドショーばかりで面白くない。外は大雪で出られない――出るのは、あくびだけだ。

 「ママ、暇過ぎ。おばあちゃん、よくこんな町に住んでいられるわね。つまらないでしょ?」

 十歳の気の強くひねくれたララは、暖炉の火に手をかざしながら皮肉まじりに言う。古い木で造られた家を見渡しながら、ララは明らかに機嫌が悪そうに顔をしかめる。天井は埃だらけで、屋根裏のネズミが走るたびに、ララの肩に埃が落ちてきた。初めて来たおばあちゃんの家は、とてもつまらなかった。

 「この家も古いし……。そうだ! パソコンぐらいあるわよね?」

 「ララ!」レジュリーが、テーブルに紅茶を運びながら怒鳴った。

 「だって……、暇なんだもん……」

 「そんなに怒るもんじゃないよ。都会暮らしのララには、少々退屈かもしれないねえ」

 おばあちゃんのオルバは、お茶菓子をテーブルに置きながら、流暢な日本語で言った。そして、ララを手招きし、ボロボロのソファーに座らせた。

 「ゴメンね、ママ」

 レジュリーが、オルバに謝りながらお茶を入れるのを手伝った。

 「いいの、いいの。ララは、パソコンみたいなハイカラな物使えるのかい?」

 オルバはそう言いながら、ララに笑顔を見せた。ララは、オルバから目をそらし、少しふて腐れながら外の景色を眺めた。

 オルバは、いつもララに笑顔を見せた。この優しさが、ララは大嫌いだった。オルバがララの家に来ると、いつもララに優しくしてくれる。悪戯しても、テストの点数が悪くても、いつも怒らずに優しく励ましてくれる。このオルバの優しさが、ひねくれ者のララには、この町以上につまらなかった。

 そのとき、玄関のドアが開く音がして、寒がるうめき声が聞こえた。

 「どうしたんだ? 外にまで聞こえてるぞ」

 納屋に薪を取りに行っていた父親の真咲が、肩に積もった雪を払いながら、震えた声で訊いた。かけているメガネが曇っていて真咲の目が見えないうえに、寒さからの震えでメガネがカタカタ鼻の上で震えていた。しかも、寝ぐせがついている。 そして、使い慣れた日本語をしゃべる――ララの父親は日本人。そして、母親とおばあちゃんはイギリス人。ララは、日本人とイギリス人のハーフだった。

 「お疲れ様」

 レジュリーが、上着を脱いでいる真咲に近づき、紅茶を差し出した。そして真咲は、ありがとうの言葉の代わりに、レジュリーの頬にキスをして紅茶を一口飲んだ。ララは、そんなラブラブな二人に冷たい視線を送る。両親でさえ、このつまらない町にいると快く思えなかった。

 「どうした、そんな顔して?」

 真咲は、メガネを拭きながら、少年が尋ねるような澄んだ目でララを見た。

 「別に」

 ララは不機嫌に暖炉を離れると、二人の間を通って部屋を出た。

 そんなララを見て、両親は顔を合わせながら肩をすくめた。


 部屋を出たララは、きしむ階段を上った。ギシギシと、一歩ずつ上がるたびに音が鳴る。ララのこの家での唯一の楽しみだった。まるで、バレエを踊るように舞いながら、自分なりのメロディーを奏でながらララは階段を上がった。

 暖炉の火の暖かさが届かなくて冷たい階段を上がって、すぐ左の寝室のひんやり冷えたドアノブに手をかけた。ここがララの寝室だ。札幌の自分の部屋よりボロいが広く、隣の両親の部屋よりまだかわいかったので、ララは不満を漏らすことなくこの部屋で寝ることを了承した。ララは、隣の両親の寝室のドアを見た。その前は物置だっただけにドアも古い――と思ったそのとき、ガチャンとどこかのドアが閉まる音が聞こえた。両親の寝室のドアではない。階段の下を見たがリビングのドアが閉まる音でもない。ララは、周りをキョロキョロ見渡し、冷たい廊下の突き当りの部屋へ目を移す。そこは、ララが生まれてすぐに亡くなったおじいちゃんの書斎だった。

 おじいちゃんの書斎のドアは、不気味なぐらい普通にたたずんでいる。ララは、顔をしかめたままドアノブから手を離し、ゆっくりとおじいちゃんの書斎に近づいた。

 ララは手に息をかけこねながら、きしむ廊下を緊張しながらゆっくりと歩く。なんとなくその方が、これから始まるかもしれないちょっとした冒険ミステリーの雰囲気が出るからだ――ただ、忍び足で歩いているだけだが、ララの顔は恐れるどころか、悪戯な笑顔で歩いていた。

 ギィ、ギィ、ギィと音をたてながら廊下を歩き、おじいちゃんの書斎のドアの前に立つ。他の部屋のドアとは違い、新しく取り付けたような、場違いなぐらい黒く立派なドアだった。ララは、自分より大きいドアを見上げたあと、おじいちゃんの書斎のドアに手をかけた。何度ひねっても開かない。鍵がかかっている。ララはこじ開けようとドアノブを力ずくで回すが、何度やってもビクともしない。でも確かに、ドアが閉まる音が聞こえた。

 「おかしいなあ……」

 念のためノックしてみたが、開く気配がない。ララは、さらに強く乱暴に開けようと、ドアに足をかけて引っ張った。すると、ララは足を滑らせ、悲鳴を上げた。

 「うわ! 危ない……」

 危うく転びそうになったララは、ホッと胸をなでおろし、下を見て飛び跳ねて驚いた――床が凍っていたのだ。

 「何で……?」

 窓は全部閉まっている。念のため、おじいちゃんの書斎のドアに耳をあてるが、物音一つしない。家も古いが、床が凍るほど寒さをしのげていないわけじゃない。凍っているのは、おじいちゃんの書斎のドアの下だけだし、廊下にある窓に霜は張っているが、カチカチに凍っているわけではない。廊下自体も、ひんやり冷たい空気が漂ってはいるが、床が凍るほどではない。ララは、床に張り付いている氷を、自分の足で擦ってみた。擦った部分の氷が解けて、ララの靴下がひんやり濡れた。

 「ララや――」

 驚いたララは、後ろを振り返った。

 「どうしたんだい?」オルバが、笑顔で立っていた。

 「な、何でもない……」

 ララは、オルバを通り過ぎて階段を下りた。オルバの声は優しい物言いだったが、目が笑っていなかった。オルバの目は、まだララの後ろ姿を見ている。

 ララは、生まれて初めて、オルバのことを怖いと感じた。



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