序章2-6 「峯岸泰牙」
「お怪我の具合はいかがですか? タイガ様」
喜怒哀楽に乏しい表情ながらも、メリッサはその美しい容貌を泰牙に向けて気遣わしげな声音で声を掛ける。
「いや、メリッサの癒しの魔法のおかげでバッチリだよ。ってか、そもそも大した怪我じゃないから、そんなに心配しなくて大丈夫だって」
「しかし、最後の蹴りはタイガ様の後頭部を強打していました。頭部における怪我は深刻な場合であっても症状が分かりにくく、場合によっては死に至ることもございますので、何か不調を感じましたら直ぐに申し付け下さいませ。その時は、私などよりも更に上級の回復魔法を扱える者に治療を頼みますので」
「…うん。まあ、そん時はよろしくお願いします」
曖昧に笑いながら、泰牙は付き従う侍女のメリッサに返事をする。
「それにしてもメリッサは凄いよな。あの俺を負かしたヤンっていう人の折れた腕もあっという間に治しちゃうし。しかも、回復魔法の他にも色々魔法が使えるんだろ?」
「いえ、私程度が扱える魔法など大したものはございません。それに種類といっても、回復魔法の他は生活魔法ぐらいしか使えませんので」
「それでも凄いって。聞けば、魔法を扱える侍女はとても重宝されるって話じゃないか。あの後、大食堂で兵士達と一緒に飯を食った時に色々教えてもらったよ。そんな優秀な侍女を付けて貰えるなんて、まさに勇者冥利に尽きるってやつだな」
泰牙が腕組みして一人頷きながら、隣を歩くメリッサに言う。
「私などはまだまだ半人前です。ですが、勇者であるタイガ様には全身全霊粉骨砕身完全燃焼の努力をもってお仕えする所存でございますので、何か至らぬ点がありましたら遠慮なくお申し付け下さい」
キリッとした真顔で宣言する勇者専属の侍女メリッサ。
その眼差しはまさに真剣そのものだった。
「あ、ありがとうメリッサ。まぁそのなんだ…、あんまり頑張り過ぎないようにね」
そのあまりの迫力に多少引き気味になりながらも、泰牙は笑顔でもって彼女に答える。
そんな会話を続けながらも、泰牙とメリッサの二人は現在、ファロギア王国第一王女であるリディア・ファロギアによる魔法の教養と訓練を受ける為、彼女が魔法の研究に使用している部屋へと向かっている途中であった。
先刻、騎士隊や兵士らの訓練に参加した泰牙は、ヴァルディ騎士隊長の要望により騎士見習いの青年とヤンという傭兵上がりの兵士と試合を行った。
一試合目の騎士見習いの青年には勝つことが出来たが、続く二試合目のヤンには善戦はしたものの、最後に強烈な上段後ろ廻し蹴りを後頭部に受け、泰牙は気絶してしまったのである。
いくらロエスなる女神からチートという《力》を貰っても、結局、経験値が圧倒的に不足している泰牙では、手練とはいえ一般兵にすら勝てないという現実をまざまざと実感させられる事となった。
だがその事に関して、泰牙は自分の実力を計る丁度良い機会だったと思っていた。
それは、数字の上だけでは実感する事ができない強さ、というものを肌で感じることが出来たからである。
無論、悔しさも当然あったが、それ以上に得るものが大きかったというのが泰牙の感想であった。
(ま、これが現実だよな。俺TUEEEには程遠いけど、手応えみたいなものは感じたし、後は努力次第ってことか……。頑張るっきゃねーよな)
《力》を過信して努力を怠れば、この先に待ち受ける未来は決して明るいものではないことを泰牙は改めて思い知り、胸の内に秘める決意を新たにするのであった。
また訓練後、ヴァルディ騎士隊長の誘いにより、共に訓練で汗を流した騎士や兵士らと一緒に大食堂で食事を取り親睦を深めることが出来たのも、この異世界において天涯孤独の身である泰牙にとって喜ばしい事であった。
そして、勇者という存在に興味津々だった彼らと様々な情報交換を行い、有益な情報を得ることが出来たのも実に貴重だった。
尤も、その中には『メリッサふぁんくらぶ』という奇怪な集いのメンバー達から、意味不明な質問や注文、そして罵りを受けるというよく分からない一幕もあったのだが。
それは兎も角として、泰牙にとって良い経験になったのは間違いない事実であった。
ネロフテラ城の中庭に面した回廊を二人は進んでいた。
この回廊は、リディア王女が魔法の研究の為に使用している個室へと続いており、その場所は城の中心部から外れた所にあるので人通りもまばらであった。
午後の陽が温みを帯びて石造りの床に降り注ぎ照らしている。
陽射しの明るさと喧騒とはかけ離れた静寂が保たれた城内を、メリッサと泰牙は言葉少なに歩き続けた。
やがて二人は目的地となる場所へと到着する。
泰牙の目に映ったのは、仮にもこの国の第一王女が使用する研究室と呼んでも差し支えない場所ながらも、随分と質素な造りの部屋であった。
そして、その部屋の出入り口となる木製の片開き戸の表面には、一枚のドアプレートが取り付けられていた。
ふと泰牙はドアプレートに書かれている文字を見た。そして目を見張る。
そこには、やけに丸まっちくて可愛いらしい文字でこう書かれていたからである。
『リディアの魔法のお部屋。無断入室は【アレ】します』
(アレ? アレって何だよ!?)
背筋に薄ら寒い思いを感じながら、【アレ】ついてをメリッサに尋ねようとした泰牙であったが、そのメリッサは特に気にする様子もなくドアをノックしていた。
「リディア様、メリッサです。勇者様をお連れ致しました」
木特有の乾いたノック音とメリッサの呼び掛けに、直ぐ室内から「どうぞ~」という、少々間延びしているが鈴の音を思わせるような少女の声が返ってきた。
リディアの声が返ってくると予想していた泰牙は、別人の声だったことに眉を顰めるが、メリッサが全く頓着せずに入室するのを見て、慌てて後に続く。
約10畳程度の広さがあるその部屋は、一言でいうなれば雑然としていた。
部屋は殺風景であるが大小の机が複数部屋に配され、またそれらの上には魔導具と思しき様々は用具や、古めかしい羊皮紙の巻物、魔法陣が描かれた用紙の束等が所狭しと置かれている。
更に、壁際には至る所に本棚が備え付けられており、その本棚のどれもが大量の書架によってびっしりと埋め尽くされていた。
勿論、収まりきれなかった書物や物品は全て床に不規則に直置きされており、それらがこの部屋を雑然とした印象を強くしていた。
「ようこそおいで下さいましたぁ勇者さま~。リディア様がお待ちですぅ~」
その一歩間違えればゴミ屋敷と呼ばれてもおかしくない部屋の状態に愕然する泰牙へ、妙に舌ったらずな声を発しながら一人の侍女が姿を現す。
そこには、アッシュブラウン色のロングヘアに白いカチューシャを乗せ、メリッサと同じ白と紺を基調とする侍女服に身を包んだ身長150センチにも満たないであろう小柄で華奢な少女がいた。
柔らかいお日様のような屈託のない笑顔をその愛らしい小顔に浮かべて、少女はメリッサと泰牙を出迎える。
「ナオミ。リディア様は?」
「はい、リディア様はただいま勇者様のためにお茶の準備をしていますぅ」
メリッサの問いに、ナオミと呼ばれた少女は、つぶらな瞳をキラキラと輝かせつつ、のんびりとした口調で説明する。
だが、それを聞いた途端メリッサが眉を吊り上げてナオミに詰め寄る。
「ちょっと待ちなさい、何でリディア様がそんな雑事をしているの!? お茶の用意はもちろんのこと、身の回りお世話やこの部屋の掃除や整理整頓だって、全て王女付きの侍女である貴女の仕事の筈でしょ!」
普段は物静かなメリッサが、いつになく厳しい口調と態度でナオミを叱り付ける。
「あうぅ…、だってわたしがやりますって言ってもリディア様がご自分でお茶を淹れるって譲らないんですよぅ~。それに、お部屋だってキレイにしようと思って掃除しようとしたら、リディア様が今の状態のままにしておけっておっしゃるから掃除も整理もできないんですぅ」
メリッサに叱られたナオミが涙目になって弁明する。
だが、それが逆に言い訳がましく聞こえるナオミの言葉に、よりいっそう眉と目尻を吊り上げ更に叱責の声を上げようと口を開きかけたとき、
「その子は私の命令を忠実に守っているだけよ。それ以上は叱らないであげてメリッサ」
部屋の奥から、普段着であろう淡い青を基調としたシンプルな装いのドレスを身に纏ったリディアが姿を現し、メリッサに向かって柔らかい声を静かに投げた。
「そ、そうでしたか。これは出過ぎた真似をしました。大変申し訳ございません」
その言葉を受けてメリッサは畏まって謝罪し、深々と頭を下げる。
「いえ、メリッサが職務に対し忠実なのは誰もが知っているわ。そして、優秀なのも。だからこそ、貴女は我が国の至宝たる勇者殿の専属侍女として選ばれたのですから。でも、ナオミもこの子なりに私の身の回りのことを一生懸命やってくれています。もちろん、貴女からすればこの子の仕事ぶりは歯がゆいところがあるのかも知れませんが、そこは私に免じて長い目で見てあげてもらえないかしら」
「はっ、承知致しました。ナオミ、先程ことは私の勘違いでした。どうか許して欲しい」
メリッサが頭を下げたまま、ナオミに対しても謝罪の言葉を口にする。
「はわわ、メリッサさん謝らないでください~、わたしがいつも失敗ばかりしているのは事実なんですからぁ~」
慌ててナオミが手を振りながら言う。
「まあ、そうですね。ナオミの場合は、失敗ばかりというか、むしろ失敗しかしていないのですが、それでも今回は私の早とちりで叱ってしまったのは間違いないのですから、謝るのは当然のことです」
「え~と、何気にひどいこと言われているような気がしますぅ」
「いえ、私はあくまでも事実を述べているだけです」
「そんなのはまったくのジジツムコンなのですぅ」
そんなやり取りを繰り広げる侍女達を尻目に、リディアは戸口付近で所在なげに立っている泰牙に向かって声を掛ける。
「お待ちしておりました勇者タイガ殿。こんな場所で大変申し訳ありませんが、お茶の御用意をさせて頂いたので、まずはこちらへどうぞ」
リディアが穏やかな微笑みを湛えて泰牙を促す。
「え? あ、はい。えーと、じゃあ失礼します」
透き通るような美麗な容姿を持つ王女に対して胸を高鳴らせつつも、泰牙はリディアに伴われ部屋の奥へと足を進めた。
部屋は、羊皮紙や魔法薬などが太陽光によって痛まぬようにとの配慮から、窓の雨戸やカーテンが閉じられており昼間でも薄暗かった。
その為、天井や壁には青白い魔法の灯りが輝いており、煌々と室内を照らしていた。
そんな中、リディアが泰牙を案内したのは、部屋の奥にある日当たりの良い窓辺付近に設置されたテーブルであった。
リディア曰く、薄暗い中で飲むお茶には飽きました、とのことから、窓から陽光が差し恵むこの明るい場所で、彼女が用意した香草を煎じたハーブティーとお茶菓子を味わいながら、魔法についての講義が開始された。
魔法とは、端的に言えば『人智を越えた知性や力』のことであり、またそれを別な表現で表すならば、全知全能たる『神』の力の発現を“人”が模倣した技法とも言える。
そして、“人”が魔術、魔法と云われる奇跡を具現させるには、膨大な知識と共に“魔力”という要素が必要不可欠となる。
魔力とは、魔法を起動させる為の燃料のことであり、魔法を自動車に例えるならば、魔力はガソリンや軽油等に相当する。
つまり、燃料となる“魔力”が無ければ、魔法を使用することは不可能なのだ。
更に魔力の生成にはエーテルという要素が必要となる。
このエーテルという物質は、肉体の構成要素であり世界の源ともなる要素である。
これは、地水火風といった世界の根本原理となる四大元素のエレメントとは一線を画した存在であり、“人”の魂――霊子そのものを指しているからだ。
その為エーテルは、炎が消え、石が砕け、風が止み、水が凍るといった常に流動し変化する四大元素の対極に位置し、不変の性質にて永久回転し続ける特性を持つ物質なのである。
要するに、魔力の生成には“人”の魂の力――霊子力が必要という事だ。
そして、エーテルを用いて魔力を生み、その魔力で以って魔術・魔法を起動させる方法は二通りある。
それが、全ての生物が体内に内包する魂を原動力とする単エネルギー体である『オド』を用いての魔法行使と、四大元素を始め、ありとあらゆる森羅万象の根源となる超自然的エネルギー体である『マナ』を取り込み、自らの霊子力として変換し魔法を発動させる方法である。
しかし、より強力な魔法を実行しようとするならば、如何に卓越した霊子力を身に宿していても『オド』のみだけでは不足する。
その為、大気中を漂う膨大なエネルギー体である『マナ』を、『オド』を引き金としどれだけ取り込めるかが、魔術師としての才覚を問われるのである。
また、魔法には様々な系統があり、例を挙げると、基本となる地水火風の属性を持つ四大元素魔法に治癒魔法や光、闇、空間、時といった特殊な属性の魔法。更に属性の無い魔力の塊それ自体を武器とする無属性の魔法がある。
そして、精霊に力を借りることによって術を行使する精霊魔法や、魔法陣を構築し魔物や幻獣等といった超自然的な存在を召喚し使役する召喚魔法、犬族や猫族、竜族といった亜族に伝わる特殊な言霊や文字を用いて超常現象を引き起こす特殊魔法などがある。
基本的には、これら上記の魔法は全て呪文というキーワードによって、生成された魔力を制御し、展開・行使される。
つまり、世界の理に従った【力】を持つ言霊を紡ぐことによって魔力操作を行い、任意に選択した魔法を発動させる仕組となっているのだ。
「―――以上、お話ししたことが魔法の基礎理論となります。タイガ殿、御理解頂けたでしょうか?」
魔法についての講師を担当していたリディアが、穏やかな口調で泰牙に訊ねる。
「はい。完璧にって訳にはいきませんけど、大体は把握しました。
そもそも、俺の世界には魔法とか魔術なんて物語の中にしか存在しない代物だったんで、それが現実にあるなんて凄く興味深いですし、とても憧れます」
泰牙は表情に喜色を浮かべながら、正直な感想を述べた。
「そうなのですか。魔法の無い世界ですか……。私は逆に、タイガ殿の世界の方に強い興味を惹かれますね。ちなみに、タイガ殿が暮らしていた国はというのはニホンと名前の国で相違ありませんか?」
「そうです。どうして知って…、ああ、そう言えばファロギア王国の建国王はリョータ・コバヤシっていう異世界から召喚された勇者でしたよね。その人もやはり日本人だったんですか?」
名前の読みと異世界からの転移者ということで、間違いなく日本人だろうと確信を抱きつつも敢えて泰牙は聞いた。
「はい。我が国の伝承には、彼の御仁はニホンという国で生まれ育ったと残されております。何でもカガクという魔法とは異なる文明が発達し、争いの無い平和な国だという話なのですが、本当なのですか?」
「……まあ概ねその通りです。確かに戦争や紛争には無縁でしたけど、それとは別に様々な問題を抱えた国ではありましたけどね」
泰牙が苦笑いを浮かべながら故郷について語る。
「多かれ少なかれ国という存在は、必ず問題を抱えているものです。ですが、それが国民の生死に直結しない深刻な問題で無いのであるのならば、まだ幸福だと言えるでしょう。少なくとも、我がファロギア王国が抱えている問題と比較するならば……」
リディアのその美しい表情に憂愁の色が帯びる。
「リディア王女…。教えて頂けませんか、俺は勇者として何と戦えばいいんですか?」
泰牙が真っ直ぐな瞳をリディアに向けて問う。
それは、メリッサにも尋ねた同様の質問であった。
その言葉と視線を受けて、リディアは重々しく口を開いた。
「このユグシルドという世界には、遥かな神話の時代から人類の永劫の宿敵ともいえる魔族という種族が存在します。邪神ニドグの眷属たる彼らは、この国――いえ、人類という種を脅かし、その圧倒的な破壊力と衝動を以って既存の文明を滅ぼそうと世界を蝕むのです。現実に、魔族によって数多の国が滅ぼされ、過去に幾度も人類は絶滅の危機に瀕したこともあります。勇者であるタイガ殿には、その魔族に抗す為の剣となり、盾となって頂きたいのです」
「魔族……ですか。それが今ファロギア王国に迫っていると?」
「はい、残念ながら。尤も、現在目に見えての大規模な侵攻はありません。ですが、それも時間の問題だと思われます。と申しますのも、魔族の暗躍によって隣国のポルトレイ公国が我が国に向けて、侵略の準備を着々と進めているとの情報が我が国に届いております。そしてこれは、確かな情報筋から裏が取れていることからも間違いの無い事実です」
「魔族の暗躍…か。うん? でも魔族って確か圧倒的な破壊力を有するって先程リディア王女おっしゃっていましたよね? 何故魔族は自分の軍隊を使って攻めてこないでそんな回りくどいことするんでしょうか。わざわざ人間の国を利用して戦争を仕掛けるより、そっちの方がよっぽど手っ取り早いと俺は思うんだけどな」
泰牙の眉根が疑問に歪む。
「ええ、確かにタイガ殿の言われる通りだと思います。ですが、それは恐らく地理的な問題と魔族が抱える内部情勢の二つの問題があって難しいのでは、と思料されます。まず地理的な問題として、強力な魔族が跳梁跋扈する場所は、アスピケル半島から東に海を隔てた場所にある、通称『魔大陸』と呼ばれる魔王が支配する大陸です。絶対とは言い切れませんが、海を隔てている為、大規模な軍勢を編成して侵攻するのは難しいのではないか、と判断されます。次に、魔族の内部情勢についてですが、これは不確かな情報であり、確たる証拠も無いことから何とも言えませんが、現在魔族は勢力を二分しての派閥闘争が勃発しているとの噂が流れています。その為、魔族は人類全体に挑むほどの大規模な軍勢を纏め上げることができないのかも知れません。以上の二点から、現時点においては、人類に対する魔大陸からの大侵攻は無いと推察できますが、しかしこれも絶対とは言い切れないのが実情なのです」
言い終えるとリディアは、一旦息を吐き、それから手元のお茶を上品な仕草で一口飲んだ。
「なるほど…。それで魔族の暗躍っていうのは具体的には?」
「はい、先に述べたポルトレイ公国とファロギア王国とは、元々領有権の問題や外交上の問題から長く小競り合いが続いておりましたが、ここ最近特に不穏な動きが活性化していました。それも、先代の公王が崩御し、その地位を父より継承した現公王ハビエル・クルス・ガルシアが即位してから如実となったのです。ですが最も注意すべきは、その若き公王の傍らには常に一人の協力者が見え隠れしているという点です。彼の者の名はハーディ・ラウザ。氏名と男性であるということ以外は、出自はおろか、どういった経緯でポルトレイ公国に近づいたのかも一切判明しておりません。しかし確実なのは、この者の存在が明るみに出た頃、呼応するように公国軍は、富国強兵の名の下に急激な軍備増強が図られたという事実です。しかもその兵員増強の大半は、人に非ざる兵によって構成されていると専らの噂です」
「人に非ざる兵……。魔物ということですか?」
「はい。しかし残念ながら、我が国の諜報部が目下全力を挙げて情報収集を行っておりますが今のところ芳しい成果は得られておりません。それ故、如何なる魔物で構成された軍勢かは未だ不明のままなのです」
リディアは悔しさの表情を滲ませつつ、泰牙にお役に立てず申し訳ございません、と謝罪の言葉を口にする。
「いえ、そんな謝らないで下さいよ。リディア王女が悪い訳じゃないんだし。でもそうなると、そのハーディ・ラウザっていう人が裏で手を引いているってことは間違いなさそうだな。その人の正体ってやっぱり魔族なんですかね?」
泰牙が慌てて謝罪を制し、次いで眉を寄せながら言った。
「まず間違いないかと。魔物単体の使役というのなら話しは別ですが、複数の魔物、ましてや軍団規模の魔物を統率、使役できるのは魔族にしか出来ません。更に、そのような芸当が可能な魔族は、彼らの中でも高位レベルの力を持つ貴族種と呼ばれる存在に他なりません」
「なるほど…。ポルトレイ公国との摩擦が続いてる上に、更にそんな危ない奴が暗躍して戦争を仕掛けようってんだから、確かにファロギア王国の状況は厳しいですね。それにしても、ポルトレイ公国現公王のハビエルって人は、人類の敵である魔族と手を組んで、何とも思わないんでしょうかね?」
「全てを承知しているか、それとも何も知らないのか、或いは別な理由があるのか……。現時点では、ハビエル公がどのような考えを抱いているのかは判然としません。しかし、これだけは確実に言えます。若き現公王の人となりは、大変な野心家である、と」
「野心家…か。分かりました、リディア王女。俺なんかで良ければ幾らでも力をお貸しします。只、お役に立てるとはとても思えませんが、誰かの盾になるぐらいはできると思いますから」
そう言って泰牙は、自嘲の笑みをリディアに向ける。
それは、周りから『勇者』と持ち上げられても、所詮はヴァルディ騎士隊長の足元にも及ばない自身の弱さに対する自虐の言葉であった。
「タイガ殿、自信がありませんか?」
だが、そんな泰牙に対しリディアは静かな笑みを湛えて言葉を紡ぐ。
「申し訳ありませんが、はっきり言って自信なんかありません。だって、そうでしょう?さっきの訓練の時だって、俺は普通の兵士の人にも勝つことが出来ませんでした。リディア王女もご存知の筈です。弱い俺よりも、もっと“勇者”に相応しい人物がいるってことを」
情けない、という気持ちを泰牙は抱きつつも、口から衝いて出てくる言葉は、自己を否定するものばかりだった。
しかしリディアは、泰牙が発したその言葉を受けても、なお微笑みを崩さずにゆっくりと頭を振る。
「いいえ、タイガ殿をおいて他に勇者たる資格を持つ者などおりません」
「でも――」
「勇者とは」
泰牙が言い掛けるのを、リディアが静かな口調で遮り、
「元来勇者とは、あらゆる困難に武勇を以って挑む者のことを指します。また、一つの目標や困難に対し、自らの力で立ち向かう人物に対する称号でもあります。ですが、何よりも勇者を勇者たらしめる最も重要な資質は、その優れた才能よりも、困難に立ち向かえる“勇気”を心に宿すことが出来るかどうかにある事だと思います」
「勇気…ですか?」
「はい。強者には決して生まれ出でない感情である、不安や恐怖といった臆病な心を持つ弱者こそが、その弱い己に打ち克とうとする“勇気”を持ち得るのです。そして同時に、その“勇気”というものは、果てしない力を生み出す源泉ともなります。それこそ、絶対的強者すらも打倒しうる力をも身に付けることが可能なほどの」
「…………」
「確かに、我が国にはヴァルディ騎士隊長のような豪傑が幾人かおり、彼らの振るう豪剣は魔族すらも容易く両断できましょう。ですがそれは、あくまでも“並”の魔族の話です。それこそ、先に述べた高位レベルの貴族種と呼ばれる魔族が相手であった場合、普通の人間では太刀打ちすることが出来ません。それは、優れた剣や魔術の才能を有する者であったとしても例外ではありません。つまり、それ程までに魔族と人間との力の差は大きいと言う事です。それこそ、絶望的とさえ言われるまでに……」
「じゃあ、尚更俺なんかじゃ無理でしょう? だって俺は間違いなく普通の人間ですから」
泰牙は、力の無い笑みを浮かべてリディアの言葉を否定する。
「いいえ、タイガ殿。確かに貴方が人間であるのは間違いありませんが、普通ではありません。何故ならタイガ殿は、“勇者”として選ばれた人間なのですから。と言うのも、私が執り行った『勇者召喚の儀』は、無作為に異世界の人間を召喚するものではないからです。“世界”の法則に従い、この地に流れる龍脈から汲み取った膨大なマナと、我が国に伝わる絶大な魔力を秘めた宝具を代償に執行されるこの儀式は、優れた勇者の資質を満たした者だけを選定して召喚するものなのですから」
「勇者の資質を?」
「はい。勇者という超越した存在に至らんとする為の大切な資質です。それは、先程も申したように弱い自分に打ち克つことが出来る、誰よりも強い勇気を心に宿している者だからこそ召喚されたことに他なりません。タイガ殿は今現在、弱い御自分を卑下なされましたが、私は逆にそれを聞いて安心しました。弱い自分を認められない人間に成長はありません。しかし、弱い自分を認め、尚且つそれを克服しようと足掻き続けられる者こそが、真の強さを手に入れる資格を有するのです」
想いを乗せた声音の響きは、慈愛の温もりを帯びていた。
「俺は……」
泰牙がそれでも尚逡巡の声を出して、視線をテーブルの上に落とす。
「それに―――」
「え?」
柔らかさに満ちたリディアの声に、泰牙が再び目線を上げる。
「召喚された時に、タイガ殿は私に向かってこう言って下さった筈です。
『貴女を守ります』―――と」
じっと泰牙の目を見つめながらリディアが話す。
「……あ」
リディアに言われて、泰牙の脳裡にその時の情景がありありと思い浮かび、頬がかあっと熱くなる。
石造りの小部屋、輝く魔法陣、見守る大勢の人々、そして―――目を奪われる程の美しい王女に向けての、誓いの言葉。
「私は、タイガ殿のあの時の御言葉を忘れていません。だからこそ貴方が、誰よりも強く、何よりも偉大な勇者へと成長する事を信じています。それで、その…、だからと言ってはなんですが、出来れば、もう一度お聞かせ願いませんか? あの時の御言葉を……」
少しだけ躊躇いがちながらも、リディアは期待するような眼差しを向けて泰牙に言う。
(ああ、かなわないなこの王女様には……。ええい、くそ。マジで惚れちまったぞ。難しく考えるはやめだ、やめ! とことんやるだけやってみるしかねぇだろうがよ。それに考えてみれば、リディア王女は俺の命の恩人でもあるわけだからな。こうなったら、気合入れて勇者でも英雄でもなんでもなってやんよ!)
駅のホームから事故で線路上に落ち、危うく電車に轢かれそうになっていたところを、間一髪でリディアの『勇者召喚の儀』によって救われた事を泰牙は思い出す。
無論、リディアが泰牙を救おうとして行った召喚ではないので、厳密に言うと違うのだが、結果的にはそれが泰牙の命を救ったのだから、リディアは間違いなく命の恩人なのだ。
(恩は返さなきゃな)
泰牙の瞳に揺ぎ無い力が篭る。
召喚直後の時は、その場の勢いが多分に含まれていたが、今度は心底からのありったけの熱い想いを乗せて、誓いの言葉を口にする。
「リディア王女。貴女を守ります、例えどんなことがあっても」
「―――はい、勇者タイガ殿」
これまでの優しげな微笑とは異なる、まるで無垢な少女が浮かべる大輪の花が咲くような満面の笑顔を見せながら、リディアは慈しみを込めて、自分の勇者の名を呼んだ。
差し込むうららかな午後の陽射しが、リディアと泰牙を温かく包み込む。
それは、二人を取り巻く厳しい現実すらも、一時忘れられる程の優しさに溢れていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「万能の源よ、我が望むは灼熱の力、其れは正円たる真紅の焔となりて、万象を灰燼へと帰せしめよ――ファイヤーボール」
リディアが詠唱を終えると同時に、前方に向けた掌からソフトボール大の大きさの火球が出現し、石壁に向かって高速で射出され着弾する。
ドウッという重音が響き、火球は石壁の表面を穿ち消滅する。
そして、着弾付近の壁や砕けた石片には、火球着弾時の余熱により、か細い煙を立ち昇らせながら黒い焦げ痕が残されていた。
「すげぇ…」
その光景を見ていた泰牙が感嘆の声を上げる。
初めての攻撃魔法を目の当たりにして、興奮を隠し切らない様子であった。
「今のは、ご覧の通り火属性のファイヤーボールという魔法です。
良くこのファイヤーボールは初級魔法などと言われていますが、術者の能力次第で威力や精度、速度などが全く異なります。
つまり、術者の能力が高ければ高いほど強く速く、逆に低ければ弱く遅く、という次第です。
ちなみに、今私が見せたファイヤーボールは戦闘では無い為、威力、速度ともにかなり落としました。こういった調節も、術者の能力に比例して可能になります」
「なるほど」
リディアの説明に、泰牙は深く頷いて答える。
ここは、リディアが魔法の研究に使用する部屋の中庭であった。
魔法の教養を終えたことから、次のステップである魔法の実施訓練に泰牙は進むことになったのだが、室内で実際に魔法をぶっ放す訳にもいかないことからと、中庭へ移動して来たのである。
また、この中庭は花壇や生垣のようなものの無い只の広場となっており、周囲は厚い石壁に囲われていた。
要は、リディア専用の魔法練習場なのである。
「それではタイガ殿もやってみて下さい」
「わかりました」
リディアに促された泰牙は、彼女に倣って右手の掌を石壁の方に突き出し、火の球が掌に集まるイメージを強く思い浮かべながら、精神集中を図る。
魔法とは、神々の奇跡を模倣した法術であると同時に、一つの学問でもある。
それは、自分を識り、世界を識ることにより、森羅万象の理を学び、その上で己を律し、魔法という名の奇跡を具現化させることで、因果律の根源を思索する実践的学術の側面を有しているからだ。
また、魔法を発動させるには、魔力が必要不可欠であると共に、世界の理に従った言霊による呪文の詠唱を完成させなければならない。
そして同時に、体内に宿るエネルギーである『オド』や、自然界に存在するエネルギーの『マナ』を、自己魔力として転換し運用する“魔力操作”を行わなくてはならない。
この際に必要となるのは、イメージ力の強さ―――つまり、想像力である。
例えば、火魔法を行使するならば、当然燃え盛る火のイメージを連想しなくてはならず、もしそのイメージがおぼろげな場合、完璧に詠唱をこなせたとしても、結局、火魔法は発動しないか、もしくは風前の灯のような失敗作が出来上がって終了だ。
しかし、ここに一つの例外が存在する。
それは、魔法それ自体のイメージ力さえ高く維持できれば、呪文の詠唱が無くても魔法の発動が成るという無詠唱での魔法行使であった。
だがこれは、言霊による補正無しの状態で魔力に指向性を持たせ、更に指向した魔力を維持したまま任意の魔法を行使するという人間離れの所業であり、これを実現させるのは実質上不可能に近い。
詠唱の短縮に成功する者はいても、一切の詠唱無しで魔法を発動させるという芸当は、それ程までに困難を極めるのである。
だが、そんな難事をいとも容易く達成してしまうという、見事なまでの反則スキルが存在する。
それが、スキル『無詠唱』である。
「万能の源よ、わ、我が、望むは…望むは……」
いきなり詠唱をド忘れする泰牙。
大の大人が右手を突き出した状態で、唯でさえ中二病的な台詞を捲くし立てて呪文を詠唱しなければならないにも係わらず、リディアが唱えていた文言も覚え出せずにモゴモゴとやっている姿は、見ていてかなり恥ずかしいものがあった。
一方、顔を真っ赤にしてテンパっている状態の泰牙を微笑ましく眺めていたリディアであったが、流石に可哀想だと思い、助け舟を出そうと口を開きかけたとき――
「でえぇぇいっ、ファイヤーボォールッ!」
ついに呪文の詠唱を諦めた泰牙は、特撮ヒーローばりのやたらでかい声をヤケクソ気味に張り上げつつ、詠唱を端折って魔法を発動させた。
右の掌に収束する火の粒子は球体を形成し、拳大の大きさとなって凄まじい速さで打ち出される。
「え?」
リディアの驚愕の声。
高速の火球は石壁に衝突、表面を抉り、破片と火の粉を撒き散らした後消滅した。
泰牙が放ったファイヤーボールの魔法は、先程リディアが放ったものと威力、速度共にさほど違いはなかった。
「おお、出来た! 魔法マジかっけー!」
無邪気にはしゃぐ泰牙を、リディアは信じ難い思いで呆然と見ていた。
そして直ぐにハッと我に返るや、とある決意を胸に秘め、勇者に選ばれた男へツカツカと足早で歩み寄る。
「タイガ殿、お尋ねして宜しいですか?」
「はい? ど、どうしたんですかリディア王女、そんな顔をして」
硬い声に呼び掛けられたことに驚きつつ、慌てて振り返る泰牙。
そこには、表情を強張らせ、僅かに険を帯びた視線を向けるリディアが居た。
「確かタイガ殿は、魔法の無い御国で生まれ育ったとおっしゃられた筈です。にも係わらず、今しがた貴方は、たった一度私が見本の魔法をお見せしただけで、何の助言も無くいとも簡単に魔法を成功させました。しかも、あまつさえ呪文の詠唱を破棄し、無詠唱で魔法を発動させるという出鱈目に近い方法で。無詠唱で魔法を行使できる者は、私はおろか、他国を含めた有名な魔導士達ですら誰もおりません。もし居るとすれば、それこそ賢者と呼ばれる高位の者だけです。しかしタイガ殿は、それをいとも容易く実行した。無論、その才能すらも“勇者”の資質と言ってしまえば、それまでの話ですが……」
「そ、それは、えーと……」
「それにタイガ殿は、召喚した時、初めて出会ったにも係わらず、私の名前を御存知でした。その理由を教えて頂けませんか? 勿論、無理にとは言えませんが……」
神妙な口調でリディアが泰牙に問う。
「―――わかりました。どちらにしても、いずれリディア王女には話さなければならないと思っていましたから、丁度いい機会です。その前に、リディア王女はロエスという女神をご存知ですか?」
泰牙が意を決したようにリディアへと向き直り、真剣な眼差しを向けて話す。
「ロエス、神? どこかで聞いたことがあるような……。いえ、ちょっと待って下さい、思い出しました。確か創造神話の中に、そのような名が存在したと記憶していますが…。そうです、確か全ての始源と終末を司り、最高神ラシルと最邪神ニドグの二大柱を創造したとされる、神をも超越した高次元の存在の者の名が、確かロエスだったと。しかし、その存在は秘神の類とされ、知る者も少ない筈ですが、どうしてタイガ殿はその名を?」
「全ての始源と終末を司る存在…か。なるほど確かにそうかも知れません。彼女は自分の事を『管理者』と名乗っていましたから。リディア王女、これから俺が言うことは、はっきり言って荒唐無稽でとても信じ難い事かも知れません。ですが、それを承知で俺の身に起こった事をありのままお話します。聞いてくれますか?」
「タイガ殿、それは愚問というものですよ。是非お聞かせ下さいまし」
リディアはその美貌に人懐っこい笑みを浮かべ、泰牙に応じる。
「わかりました。事の始まりは――――」
こうして泰牙は、このユグシルドという異世界へと招かれるまでの経緯を包み隠さず、リディアに話した。
日本の事、ロエスの事、与えられた《力》の事。
更に、マナの枯渇により、そう遠くない未来において世界が滅亡するという事。
それを防ぐ手段は、ユグシルドと地球を繋ぐ不完全な【門】を修正しなくてはならないという事。
そして、リディアという存在だけがその【門】を完全たる状態へ修正できるという事を――――
泰牙とリディアが真剣な表情で話し合っているのを、少し離れた所で遠巻きに見ている者達が居た。
勿論それは、メリッサとナオミの侍女二人である。
彼女らは完全に背景と化し、事の成り行きを心配そうな表情で見つめていた。
「まったくもって驚きなのですぅ」
そう言いながらも、全く驚いた様子を感じさせないのんびりとした口調で、ナオミが誰ともなしに呟く。
その言葉を聞いたメリッサが、泰牙の方へ視線を固定しながらも、同意を示す相槌を一つ打って喋る。
「確かに、タイガ様の才能には驚かされるばかりです。午前中に行った剣の訓練も、最終的に苦杯を喫したものの、内容的には素晴らしいものがありました。そして、たった今見せた無詠唱での魔法行使……。流石は、選ばれし勇者といったところですね」
まるで自分の事のように誇らしげな表情を浮かべるメリッサ。
泰牙が、勇者という超越者の力の片鱗を垣間見せた事によって、彼女の内に宿る鋼鉄の侍女魂へ正しく点火された瞬間であった。
これは仕え甲斐がありますね、などと唇を歪めながら独り言を洩らしているメリッサを横目に、ナオミは溜め息混じりに言う。
「たしかに勇者様はすごいと思いますが~、わたしが驚いたのはリディア様の様子ですよぅ」
だがナオミの言葉は、既に悦に入り、ぶつぶつ呟きながら妄想を垂れ流し続けているメリッサの耳には全く届いていなかった。
尤も、ナオミが驚くのは無理もなかった。
何せ、リディアはファロギア王国第一王女であるにも係わらず、公務以外は殆ど人との接触を避け、この魔法の研究部屋へと篭ってばかりの生活を送っていた。
また、普段から無口である為、必要なこと以外は一切喋らず、公務でもあくまで事務的なやり取りに終始する始末であった。
それ故、周囲の者からは“根暗”との烙印を押され、陰口を叩かれているのをナオミはずっと苦々しく思っていた。
本当は、その優しさ故に自分が傷つくことも、相手を傷つけることも恐れたリディアが周囲の人間を遠ざけているのをナオミは知っている。
無口なのも、言葉の暴力によって人を傷つけたくないという一心から、自然とそうなってしまったのであった。
それは、リディア付きの侍女として、身近で世話をしているナオミが一番良く理解していた。
それこそ、リディアの実の両親である国王や王妃、そして実の妹である第二王女よりも。
だが、そんなリディアであるが、彼女自らが召喚した勇者である泰牙と共にある時は、まるで別人のように良く喋るし、良く笑うのだ。
年相応の女性が持つ、素直な仕草や感情の発露を、泰牙には隠すことなく表すのだ。
それは、リディアにとってこれまで訪れたことの無かった、実に乙女らしい“初恋”という感情がもたらした結果ではないか、とナオミは薄々感づいていた。
また、泰牙の方もリディアの事を憎からず思っているのは、確かに違いなかった。
それ故に彼女は祈らずにはいられない。
例え、この国や二人にとって過酷な運命が待ち受けていようとも。
―――互いに寄り添い、支え合うような愛を育んで欲しい、と。
ナオミは、二人の行く末に幸があることを願わずにはいられなかった。
こうして峯岸泰牙は、勇者としての厳しい日々を懸命に過ごす。
己を徹底的に鍛え、貪欲に学び、確実に成長しながら。
しかし、無常にも期限は刻一刻と迫りつつある。
血と苦鳴をその不穏な気配に乗せて。
陽だまりの中の平穏な日々は、それが貴重であるが故に、いつまでも続いて欲しいと誰しもが願う。
だが、どれほど渇望しようとも、それは決して永くは続かない。
残酷な運命を望むモノがあるかぎり――――
すさまじく遅れましたことをまずはお詫び申し上げます。
当面の課題は間違いなく執筆速度の向上ですね。
まあ、それはともかくこれで序章の「峯岸泰牙」は一旦終わりです。
次話からは、もう一人の主人公がでます。
ちなみにTS表現が苦手な方はご注意下さいね。
という訳で、次回も宜しくお願いします。