序章2-5 「峯岸泰牙」
ファロギア王国の王城ネロフテラ城は、王都ギアの街の西方にある小高い岩山上に建造されている。
王城の正門がある地形を除く三方は天然の険しい崖で守られており、ネロフテラ城は難攻不落の要衝として、戦略又は戦術上においても極めて重要な意味を持っていた。
そんな王城ネロフテラの造りはまさに質実剛健といったもので、華麗さや絢爛さには乏しいが、聳え立つ灰色の強固な城壁をもった王城は、実に歴戦の名城の佇まいを有しており、見るものを圧倒させる十分な風格を漂わせていた。
険しい断崖と堅固な石造りの城壁に囲まれた軍事的城塞であるネロフテラは、王都ギアの街を見下ろす高台に位置する場所に建築されており、また城内には、城に常駐する騎士隊や一般兵、使用人などが暮らす城館があり、さらに外部からの攻撃に備え、騎士団の本部とされる詰所や、守備隊の屯所となる門番小屋が要所に幾つか建てられている。
また、城内の一部の場所には、石畳の路に沿った形で小さいながらも憩いの場である凝った造りの噴水池や王宮庭園なども設けられていた。
そして勿論、騎士や兵士らの訓練場も用意されており、場所は雨天時にも使用できる城塔内の大広間や、城内の隅に広がっている芝生の広場が訓練場として使われていた。
無論、大規模な軍事訓練や特殊な訓練等を実施する際は、ネロフテラ城内ではなく、城外にある広大な敷地で行われるのが通例であった。
泰牙が侍女メリッサに案内されたのは、ネロフテラ城内北側の城壁に面した広い芝生上の訓練場であった。
泰牙が到着した時には既に、緑の絨毯を敷き詰めたような美しい芝の上を大勢の騎士や兵士らが威勢の良い気合を発しながら、剣や槍の修練に勤しんでいた。
空は高く、透明な青がどこまでも広がっており、暖かな日差しが雲に遮られることもなく、鋭い発声を飛ばし、激しい訓練を続ける騎士や兵士らを柔らかく照らし続けていた。
訓練に使用されているのは主に木製で出来た武器であり、特に若い騎士見習いであろう12、13歳ぐらいの少年達は木剣を使用して、がむしゃらに打ち付け合っている。その横を指導員と思しき正規の騎士隊の者が付き添うような形で指導を行っていた。
また、騎士隊とは別の場所で、一般兵が横隊を作り、各兵それぞれが手に持ったパイクと呼称される歩兵槍を兵士長の号令と共に鋭く突き出す訓練を行っている。
野太い気合の声が一丸となって迸り、熱気を伴って周囲の空気を揺るがす。
総勢100名程の騎士や兵士らが、皆一様に真剣な面持ちで訓練に望むその光景は、見る者の鳥肌を立たせるほどの迫力に満ちていた。
その迫力のある光景に泰牙が目を奪われていると、メリッサは「しばしお待ちを」と言い残し、泰牙を置いて一人、騎士隊が訓練している場所に赴く。
レザーアーマーや、金属片を丈夫な布や革の裏地に仕込んだ軽鎧であるブリガンダインを装備した物騒な兵達の間を、平静そのもの態度で渡る侍女メリッサの姿は、少しだけユーモラスな雰囲気を生み出していた。
当然、美しい侍女姿の女性が訓練中に突然割り込んでくるものだから、兵達の視線が集まるのは自明の理である。
無論、訓練中にそんな呆けた態度を取るなど言語道断であるから、その様な状態となった兵はすぐさま上官から厳しい叱責を受ける羽目となり、ペナルティーを加算されて訓練を再開する。
そんな初心で哀れな兵達の様子を一切気に掛けることなく、メリッサは真っ直ぐに目的の人物のところまで歩調を乱さずに足を進める。
一方、侍女の目的の人物もまた彼女の存在に気付いたのか、自ら歩み寄って距離を縮めて来た。
やがて合流した二人は一言二言その場で話し、揃って泰牙が待つ場所へと歩いて来た。
遠目からでも、はっきりと分かるその迫力。
白を基調とした騎士隊の軍服には、騎士隊長を示す銀の階級章が左胸に飾られている。
彼こそが、ヴァルディ騎士隊長であった。
幾多の修羅場を潜り抜けてきた者だけが放つ特有の雰囲気を身に纏い、40歳を超えてはいるだろう壮年に係わらず、徹底的に鍛え上げられた分厚い筋肉が収束した岩の塊のような巨躯は、青銅の彫像の如き、圧倒的な質感を伴って軍服を押し上げていた。
短く刈り込んだ髪には僅かに白髪が混じっているが、猪首の上に乗っている精悍な面貌と、鷹の如き鋭さを持つ揺ぎ無い眼光は、まさしく歴戦の勇士というに相応しかった。
(ちょ、怖っ! 絶対強いだろこの人っ)
泰牙は、自分の方に近付いて来るその屈強な武人を目の当たりにして、体奥にビリッと電流が走ったような感覚を覚え、知らず唾を飲み込んでいた。
これは、泰牙に与えられた《力》であるスキル『直感』が作動し、自分よりも強者である者の気配を感じ取った時に湧き起る感覚であり、身を持ってスキルの効能を味わった瞬間でもあった。
次に泰牙は、強者である人物がどれ程のステータスを有しているのかが気になり、すぐにスキル『分析』を発動する。
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ヴァルディ・ハーガル LV 83
46歳 人間:男 騎士隊長
【スキル】
・剣術Lv10 ・槍術Lv9 ・斧術Lv8 ・格闘術Lv7 ・弓術Lv7
・乗馬 ・指揮官 ・鼓舞 ・采配 ・闘気法 ・鉄壁 ・威圧
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「すげぇ…」
泰牙は思わず口から感嘆の言葉と吐息を漏らす。
レベルの差の影響か、そもそもの『分析』の性能なのか、自分のように詳細なステータスを確認することは出来ないが、それでも相手が格上どころか、次元そのものが違う存在だということは間違いなく認識することが出来た。
特に、剣術のスキルレベルが10ということは達人級の腕を持っており、槍や斧といった他の戦闘スキルも全て高レベルに達しているのも驚嘆に値する。
更に、体内に内包する生命エネルギーを“オーラ”として転換し運用することによって、戦闘時に身体能力を飛躍的に上昇させるスキル『闘気法』や、その派生技法であるスキル『鉄壁』は、生半可な攻撃では掠り傷一つすら負わせられないという出鱈目な防御術だ。これらスキルを併せて所持していることからも、化け物じみた戦闘力を有していることは最早疑う余地が無い事実である。
そして駄目押しには、基礎レベルが83という点を鑑みると、基礎ステータスも尋常な数値でないことが容易に推量できるということであった。
以上のことから、泰牙の所へと威風堂々と歩いてくる人物、ヴァルディ・ハーガル騎士隊長は、十二分に“怪物”であることが理解できる。
(ってか、こんなすげぇ人が居るんなら勇者に頼る必要なんてねーじゃんか)
どう考えても、一般人に多少毛が生えた程度の強さしかない自分よりも、猛将と言っても差し支えないヴァルディ騎士隊長の方が“勇者”に相応しかろうと泰牙は思った。
(それとも、強いだけじゃ勇者の条件を満たしていないってことなのか……?)
そんな考えを巡らせている内に、侍女メリッサとヴァルディ騎士隊長の両者は、泰牙が立つ場所へと到着した。
「貴殿が、勇者タイガ殿だな? 私は、ファロギア王国騎士団一番隊隊長ヴァルディ・ハーガルと申す。王より話しは伺っている、勇者なる英雄と共に轡を並べ戦えることを戦の神ディーンに感謝しよう。これから宜しく頼む」
物静かではあるが、低く重量感のある声と共に、ヴァルディ騎士隊長がごつく大きい右手を泰牙に向かって差し出した。
「こ、こちらこそ宜しくお願いします!」
一方の泰牙は、緊張の為か普段より一際大きな声で挨拶し、慌てたように騎士隊長の手を掴み握手する。
(うおっ、力ハンパねぇ!)
途端に、まるで万力のような握力が泰牙の右手に掛かり、痛みと共に冷や汗が額に滲む。
ヴァルディ本人は軽く握ったつもりだろうが、泰牙にとってはこのまま右手が握り潰されてしまいそうな力強さであった。
たったこれだけの動作でも、相手とのレベル差を否応無く実感してしまい愕然となる。
「勇者殿、早速ではあるがこれより訓練に参加して頂く。が、その前に一つ確認したい。勇者殿は武術などの経験はお有りか?」
ゆったりとした動作で握手した手を離して、ヴァルディは泰牙に問う。
「はい。まぁ、手習い程度ですが剣を少しやりました」
「ふむ、そうか。では、今日以降の訓練内容を決める意味も含めて、今の勇者殿の実力がどの程度ものか、私の部下と剣を交えてもらう事で見極めたいと思うが宜しいか?」
「ええ、大丈夫です。」
本音を言うと、いきなり兵達と試合をさせられるとは予想していなかったこともあり、多少の不安が首を擡げるが、泰牙自身もロエスという女神によって得られた《力》が現時点、この世界の者達にどれくらい通じるのか興味もあったので、快く了承する。
「うむ。ではまず最初は騎士見習いの者と試合をしてもらおう。武具はこちらで用意させるので、その間に勇者殿は準備を整えておくといい」
「わかりました」
泰牙は、簡単なストレッチを行った後、兵が用意してきた木製のバスタードソードとレザーアーマーを装備し、仕上げに上下素振りや斜め素振りを行って完全に準備を整える。
(身体が軽い)
そんな実感を泰牙は覚える。
少なくとも、子供の頃に剣道教室で剣道を習っていた時期があったとはいえ、社会人になってからというもの、武道とは全く無縁であった自分が、空気を斬り裂く鋭い音を発する素振りが出来ることに泰牙は軽い驚きを感じていた。
(これが技能スキル、剣術レベル4の錬度ってやつか)
竹刀とは勝手の違う、片手・両手持ちの両用の剣であるバスタードソードを模した木剣をある程度自在に操れると確信した泰牙は、納得し素振りを終える。
そして、既に泰牙の準備が整うまで待っていた騎士見習いの青年と改めて向き合う。
その時、ふと泰牙が周囲を見回すと、大勢の騎士や一般兵らが手を休めてこちらの様子を窺っていることに気が付いた。
やはり、この場にいる全員が“勇者”なる人物がどのぐらい出来るのか気になるようで、訓練が一時中断となっているにも係わらず、上官から叱責が飛ぶような事はなかった。
(気にするなって方が無理だよな。でも、流石にこんだけ注目されるとアガっちまうよ)
周囲に注目され、余計に緊張する泰牙であったが、何とか目の前の相手に意識を集中させる。
対する騎士見習いの青年も緊張しているのか、泰牙の得物と同じバスタードソードを持ち、若干硬い面持ちでこちらを見据えていた。
一瞬、泰牙は『分析』を使うかどうか考えたが止めた。
というのも、相手が自分より強者であった場合、例えば先程ヴァルディ騎士隊長を見た時のように、身体の中を電気が走るような感覚が起きる、スキル『直感』が働くのは既に体験済みであった。
つまり、今それが無いということは、対峙する目の前の青年が、少なくとも自分にとって脅威的な存在ではないという意味を表していた。
(多分、負けない筈だ)
そう確信し、木剣の柄を強く握り込む。
ルールは単純だ。
相手に負けを認めさせるか、審判であるヴァルディが有効と判断する斬撃や攻撃を相手に与えた時点で勝者が決まる。
かなり危険な稽古となるが、これはスポーツの競技ではなく、あくまでも戦場での殺し合いを想定している以上、回復呪文で治せる多少の怪我は付き物という次第だ。
「よし、両者準備は整ったな? では、互いに礼っ」
審判を務めるヴァルディ騎士隊長の号令により、泰牙と騎士見習いの青年が作法に則り、約10歩程の間合いを取った両者が互いに軽く頭を下げて立礼を行う。
「始めぃ!」
開始の合図と共に、騎士見習いの青年が間合いを詰める為、勢いよく踏み込んでくる。
泰牙は動かず、その場で正眼――中段の構えで迎撃の体勢を取った。
「ハァッ!」
青年が間合いに入った途端、踏み込みの勢いを殺さず、そのまま木剣を振り上げ気合の声と共に袈裟懸けに斬り込む。
一方泰牙は、相手の袈裟斬りに対し剣先を下げながら、体を後退させて斬撃をかわす。
青年の剣が空を打つ。
(打てる。けど……)
本来であれば、体捌きにより攻撃を抜き、相手が空を打つと同時に反撃は可能であるが、泰牙はあえてそれを見過ごす。
青年は渾身の斬撃を避けられ僅かに怯むが、反撃がないことから直ぐに体勢を整え、更に連続で泰牙に斬り込む。
だがその青年の攻撃は、泰牙にどれも払われ、かわされ、防御された。
(余裕で見切れる。彼には悪いが実戦の感覚を養う練習台になってもらおう)
技能スキルのおかげにより、泰牙は素人同然にも関わらず、騎士見習いとはいえ、普段から厳しい鍛錬を積んでいる青年を相手に余裕を持って闘うことができた。
身体が敏速に働き、思考がその場で最も効率の良い動きを選択肢し体が自然に動く。
その実感を身体に、そして脳に染み込ませるため、泰牙は直ぐに決着をつけなかった。
やがて、明らかにスタミナ切れを起こした騎士見習いの青年が、不用意に仕掛けてきた攻撃を完璧に見切った泰牙は、鋭い面のカウンターを放ち、寸止めする。
剣道でいえば、完全に一本を取った形だ。
「止め! 勇者殿の勝ちとする」
ヴァルディ騎士隊長の判定の声が響き、周囲の兵から歓声と拍手が湧いた。
「ありがとう、鋭い攻撃だったよ」
「はあっ、はぁっ、こ…こちらこそ、ありがとう、ございました…勇者殿」
泰牙の礼に対し、若干悔しそうな表情を滲ませながらも、騎士見習いの青年は息も切れ切れに礼を返した。
一方の泰牙は、額に若干の汗を浮かばせながらも、まだまだスタミナには余裕があった。
「うむ、なかなか良い動きだったぞ勇者殿。まだいけるか?」
「はい、まだ大丈夫です」
ヴァルディ騎士隊長が続行可能か確認し、泰牙はその問いに是の返答をする。
「よし、次は――ヤン!」
「はっ、ここに」
ヤンと呼ばれた人物が、観戦していた兵士らの中から抜け出して、ヴァルディ騎士隊長の前へと歩み出る。
ひょろりと背の高い、狐のような細目が特徴的な20代後半の男であった。
「お前が勇者殿の相手をしろ」
「了解しやした。けど良いんですか? あっしのような傭兵上がりが勇者殿のお相手で。
申し訳ありませんが、あっしは騎士様のような綺麗な闘い方はできませんぜ? 下手すりゃ大怪我だってさせちまうかも知れねぇ」
「構わん。何事も経験だ。それに、思ったよりも勇者殿はできる。甘く見てるとお前の方が大怪我する羽目になるぞ」
「へっへっ…、そいつぁ楽しみだ。んじゃ、お言葉に甘えて存分にやらせてもらいますわ」
薄笑いをその細面にへばり付けて、ヤンなる人物は泰牙と相対する。
その瞬間、泰牙の『直感』が働き、例の電流に似た感覚が身体を巡る。それは、圧倒的存在に畏怖する感覚というよりも、油断ならない奴――という認識のものだった。
(威圧感はしない。けど、何か不穏なものを感じる。ま、何となく真っ向勝負するようなタイプにも見えないしな)
そんな風に思いながら泰牙は右足を退き、剣を右脇に置いて左半身となる脇構えを取る。
この脇構えは、剣を身体に隠すことによって、刀身の長さと太刀筋を相手に気取らせない利点を持ち、また、あらゆる状況の変化に即応することが出来る五行の構えの内の一つである。
まして、相手が正攻法で攻めて来るタイプでないのなら、尚更脇構えはこの場に適した構えであると言えた。
そして同時に泰牙はスキル『分析』を使用し、相手の能力を見極める。
(レベルは19…か。剣術のスキルレベルは4で俺と同じなのはいいけど、格闘術もレベル4ってのが曲者だな)
ヤンの装備は右手にショートソード、左手に円形の小型の盾――バックラーであった。無論、全ての武具は木製で作られたものである。
(相手は俺より確実に格上か。…よし、どれだけやれるか分からんが、全力でいくっきゃない!)
泰牙は覚悟を決め、浮き足立たせぬ為、僅かに腰を落とし重心を下げる。
心に集中力を保ち、相手の全体を見るようにしっかりと目付けを行う。
「始めっ!」
やがて、ヴァルディ騎士隊長の合図が掛かり、二試合目が開始された。
開始合図と共に、ヤンが遠間から一気に間合いを詰めに掛かる。
前傾姿勢で、風を切るような速度で泰牙へと迫ってくる。
(迅い!)
予想より遥かに迅いその動きに、泰牙は真剣勝負や修業中において心中に起こしてはならないとされる四戒の内、驚の状態へと陥ってしまった。
それ故、その隙を衝いてヤンは瞬く間に間境を超えて泰牙の間合いを制し、自分の圏内へと侵入を果たした。
(まずっ!)
泰牙が持つバスタードソードの方がヤンの得物であるショートソードより若干リーチが長い為、遠間から相手より先んじて攻撃できる分、泰牙の方が有利な筈であった。
にも係わらず、先手を許したのは偏に泰牙の経験不足に他ならなかった。
ヤンは、左手のバックラーを前方に突き出して壁を作り、更に右肩に掲げ持ったショートソードで刺突を敢行する。
狙いは喉か顔面だ。
入ればその時点で終わる。
下手をすれば大怪我どころの騒ぎではなく、まさに容赦のない攻撃であった。
「ちぃっ!」
その刹那において『直感』が発動。
素早く左足を横に出し、その勢いのまま体を捌いて刺突からギリギリ逃れる。
それと同時に脇構えから八相の構えへと瞬時に切り替えて、摺るように剣身を返して刺突を押さえて外す。
その挙動はまさに閃きの如き迅さであった。
更に泰牙は、そのまま突っ込んでくるヤンの身体も外し、一旦距離を置いて体勢を整える。
「ハァ、ハァッ…」
呼吸が乱れ、冷や汗がどっと噴き出る。
たったこれだけの攻防で、一挙に泰牙の体力は削ぎ取られていた。
「へえ、やるねぇ。結構マジでいったつもりなんだがね」
ヤンが軽い調子で喋る。
が、目は一切笑っていなかった。
今の刺突がかわされるとは思っていなかったのである。
「くっ、まだまだぁっ!」
泰牙が咆哮のような気合を迸らせながら、今度は逆に攻めへと転じた。
怒涛の連撃をヤンに向かって叩き込む。
「おおっと、元気だねぇ!」
余裕の表情で迎え撃つヤンに、泰牙は必死に喰らい付く。
振りかぶり渾身の力を込めての唐竹。
全力での横一文字の薙ぎ。
虚を衝いての斬り上げ。
そのどれもが、ヤンのバックラーによって阻まれ、またショートソードで往なされ、反撃を受ける。
次第に擦過や打撲の傷がヤンによって泰牙の身体に刻み込まれていく。
だが、泰牙はそれらを全く意に介さずに、がむしゃらに攻め続ける。
まるで、止まった時点で負けると言わんばかりに。
足が止まった状態を剣の世界では“居つく”という。
そして、そのような状態へ陥った者に残された道は只一つ。
―――敗北である。
理屈では無く『直感』が泰牙に警報を鳴らしていた。
つまり、技量で劣った者が守勢にまわって勝てる道理などある筈がない。
故に、攻め続けることで活路を見出すのである。
芝生の地面が抉れる程の力強い摺り足。
弾丸のような突きがヤンに奔る。
人中(鼻下)を狙ったその刺突はヤンのバックラーで防がれる。
だが、それはフェイントだ。
突きの勢いを殺さず続けて稲妻(右脾腹)を狙った左斬り上げへと変化する。
「うぜぇっ!」
ヤンが怒声を発しながらショートソードで斬り上げを受け止め、返す刀でそのまま右足を一歩踏み込み半身となって泰牙の喉元目掛け刺突を放つ。
飛燕の速さで放たれた刺突は、間違いなく泰牙の急所へと吸い込まれたかに見えた。
が、その刹那、泰牙の身体が颶風と化して旋回した。
描く軌跡は円。
最小の円の体捌きを実行し、ヤンの刺突を紙一重で避ける。
バックハンドブローの要領で泰牙の身体は回転運動し、最速の反撃へと転ずる。
無意識で放たれるこの一撃は、スキル『直感』と『天才』の合わせ技であった。
竜巻のように振るわれる剣は空気を切り裂き、ヤンの電光(背中)へと肉迫する。
骨の折れる音がはっきり聞こえた。
泰牙が驚愕の眼差しをヤンに向ける。
剣は急所となる電光へと届かなかった。
なぜなら、ヤンの右腕によって阻まれていたからである。
腕はあらぬ方向に捻じ曲がり、当然右手に把持していたショートソードは取り落としていた。
泰牙の剣をかわせぬと判断したヤンは、右腕を犠牲にして体を守ったのであった。
ヤンは苦悶の表情と脂汗を浮かべ、必死に呻き声を押さえていた。
泰牙は一瞬呆然とするが、その姿を見て直ぐに決着が付いたことを確信する。
そして、審判であるヴァルディ騎士隊長の方を見やった。
――そう、ヤンから視線を外してしまったのである。
「甘いんだよ、勇者」
ぞっとする声音が泰牙の耳に届く。
しまったと思った瞬間、既に勝敗は決していた。
泰牙の眼に映ったのは、ヤンの背中であった。
くるりと回転したその身体の動きは、先程の泰牙が取った行動の焼き回しであった。
凄まじい力とスピードの篭った後ろ廻し蹴りが泰牙の後頭部へと炸裂した。
周囲から、おおっという歓声が湧く。
無様に刈り取られた意識の中で、泰牙はその歓声を聞いていた。
その様子を憮然とした表情で見つめていた侍女のメリッサが口を開いた。
「やりすぎではありませんか、ヴァルディ様」
口調は丁寧だが。声音には多分に咎めるものが入り混じっていた。
「なぜ、すぐにお止めにならなかったのですか。タイガ様は勇者といえど、まだまだ経験が不足しています。過度の訓練は返って逆効果だと思いますが」
「さて、それはどうかな? 少なくとも勇者殿は初日にも関わらず、手練れのヤンをあそこまで追い詰めることが出来たのだ。決して無理でも無茶な訓練でも無いと思うがな」
「しかし……」
尚も食い下がるメリッサに対し、ヴァルディ騎士隊長は厳かに告げる。
「一つ忠告してやろう。勇者付きの侍女よ」
「何でしょうか」
「過保護は、奴をやがて殺すことになるぞ」
「………っ」
「これはお前だけの話ではない。リディア王女にも同じことが言えるがな」
「……ヴァルディ様、口が過ぎませんか」
剣呑な雰囲気を出し始めた侍女を一瞥し、猛将はくっくっと低い笑い声を漏らす。
「分かった分かった。それよりも、勇者殿の手当てをしてやれ、訓練は今日のところは終わりだ。しっかり休んでまた明日から頑張ってもらわんとな」
「このことは、リディア様にご報告させてもらいます」
そう言い残し、メリッサは駆け足で気絶した泰牙の元へと向かっていった。
「やれやれ、女子に嫌われるのは性分に合わんのだがな」
などと独り言を呟き、ヴァルディは仰ぐように晴れ渡る空を見上げる。
(勇者か…。てっきり眉唾ものの存在だとばかり思っていたが、いやはやどうして。
久々に面白い逸材に巡りあえたわ)
彼方まで続く青の世界には、水の中に浮かぶように白い雲が広がり、その雲は風によって緩やかに流されていく。
午前が終わりを告げ、これより午後の時間が始まる。
はい、嘘付きました。すみませんですほんとマジで。
ついつい楽しくなって書いていたら長くなってしまいました。
次こそは序章「泰牙泰牙」の最終話です。
この場をお借りして、この作品を読んで下さっている方。お気に入り登録して下さっている方。感想をくれる方。本当にありがとうございます。
次話もがんばりますので、何卒よろしくお願いします。