春疾風
王城の謁見の間には大きなガラスの天井があり、晴れた日には太陽の光を降り注ぎ、光の乏しい日には張り巡らされたガラスと室内に設けられた明かりが乱反射し、幻想的な淡い光を生む設計になっている。
春の午後の気怠い光が照らし出す中、志保は一段一段ゆっくりと階段を上がって行く。
志保がこの階段を上るのはこれで二度目だ。
以前この場所にやって来た時はこんなに落ち着いて周囲の景色を見れなかった。
白亜の壁に光がゆらゆらとうつり真っ白の水のなかにいるようでいて神秘的な空間を見てもっとちゃんと見ていればよかったと今更におしいことをしたと思う。
当時は緊張もしていたが、それよりも重く引きずるほど長いドレスにつまずいてしまわないことに全神経を注いでいたからだ。
あのドレスはいただけない。毎日あんな動きずらいことこの上ないモノを身につけているなんて信じられない。
きっとナマケモノのほうがよっぽど素早く動けるに違いない。
でもあの頃はおとぎ話に出てくるような衣装や髪飾りは志保の乙女心を多いにそそったのだが、その乙女心ももはやどこかへ失せてしまった。
今の志保が身につけているものは、あの頃とはまったく正反対のもの。
足を踏み鳴らすたびにガシャガシャと音を立てるのは、灰色の鈍い光に輝く鎧。それに顔をすっぽりと覆ってしまう兜だ。
RPGなどのゲームの中で防御力は優れているがすばやさをガンガンに下げ、時には呪いがついてくるというようなものにそっくりで、これを着ると一生脱げなくなるんじゃないかと初めて見たとき志保は疑った。
それでも今となっては身体を覆う堅く冷たい感触にもなれ、兜の中で自分の呼吸の響きを聞くとどこか安心する。
すっかり自分の一部となった両刃の剣が腰にあることで志保の心はぐっと強くなる気がする。
志保は強くなりたかった。
強い自分が欲しかった。
惨めな自分と決別したかった。
だからここにもう一度来たかった。
過去をやり直す事はできない。
ゲームのようにセーブしたポイントからリロードすることは人生ではできないのはよくわかってる。
ここにくれば志保の中の過去が一つ終わり、新しい過去をつくっていける。
ここで始まったモノをここで終わりにするんだ。
だからここまで来た。ここまで来られた。
階段のちょうど中程のすこし開いた場所で志保は止まり、教えられた通りに剣を置き膝をついた。
声がかかるまで兜はとらないことがマナーだ。顔はゆっくりあげることと、なるべく背筋を伸ばし少し先の床を見つめることとルルに散々教え込まれた。
小柄な志保は少しでもでかく見えた方がいいからと。
志保からしてみればいつも型破りで本能だけで生きてるルルに、マナーを教えらる日が来ようとは。
ルルのくせにルールを知らないのだと志保はこっそり思っている。
からかえば頬を真っ赤にして怒ってくるルルの姿を思い出し、志保は兜の中でこっそり笑う。
階段の先には一国の主に相応しい玉座がある。
そこに腰掛けている男性もそのすぐ後ろに控えている女性も、顔を上げなくても志保は知っている。
統治者に相応しい威厳と貫禄のある風貌だが話してみれば気のいい親父の王様と、線の細い優雅でちょっと頭にお花の咲いた王妃はことあるごとに志保を呼びつけお茶会を催した。
ずっと娘が欲しかったのだとずいぶん可愛がってもらったように思う。
「面を上げなさい」と玉座の主から声がかかった。。
兜を外し、教わった通りゆっくりと視線をあげて志保がまず見るのは王でも王妃でもない。
王の右に控えてる青年。
志保が少女から女性になったように、彼もまた青年から大人の男性へと変わっていた。
柔らかく顔を包む白に近い金色の髪が首のすぐ後ろでひとつにまとめられ、深い緑に金糸がおしみなく使われた軍服の肩に流れている。
以前この階段を一緒に上った時にも似たような格好をしていたように思う。
胸に刻まれた黄金の鳥の刺繍に見覚えがある。ずっと横に並んでいたが儀式の最後の締めにベールを取られ額にキスを受ける時、あまりの緊張で目も閉じることも出来なかった志保は、彼の胸元の刺繍を見続けていたからだ。あの時はなんだか分らなかったが、今はその刺繍が王家の紋章である鳳凰なのだと知っている。
ずいぶん前のことなのに鮮明にその記憶だけ残っているのが不思議だった。
5年前だった。
5年前、志保はこの場所で彼と夫婦になる誓いをたて、その半年後に逃げ出した。