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指先で溶け合う温度  作者: 藍崎深森
それぞれの悩み事
7/11

疑問


 いろいろな問題が何一つ解決しないまま、莎雪は忌引明けの火曜日を迎えた。




 莎雪の通う学校は、実家からは電車でたった三駅の距離だけれど、松岡家からは随分と離れた位置にある。

 電車だと遠回りになって一時間以上かかってしまう事が解ると、蓮が車で送ってくれると言い出した。

 莎雪は勿論遠慮をしたのだけれど、結局押し切られて助手席に乗せられてしまい、今に至る。


「とりあえず、放課後も迎えに行くから」

「はい……よろしくお願いします」


 実家に届いた封書と、留守電に入っていたメッセージは、父の会社からのものだった。

 どうやら大事な書類を会社に置いているらしく、それを取りに来て欲しいという内容だったのだけれど。

 その書類がどういう物なのかもよく解らないので、今日の放課後、蓮と一緒に父の会社に行ってみる事になっている。

 ちなみに、愁司と唯子には、この事はまだ話していない。


「あの、ご迷惑ばかりかけてすみません」


 莎雪は改めて、蓮に謝罪した。

 恐らくは自分を一番歓迎していないであろう蓮が、気付けばいつも自分を助けてくれている。

 それに、仕事で忙しいはずの人を運転手代わりにするなんて、感謝よりも申し訳ない気持ちが先に立ってしまうのだ。


「明日からはちゃんと、電車で通いますから」

「……まぁ、気にするなって言う方が無理かも知れないけど」


 莎雪の言葉に、蓮が苦笑した。


「うちの親――特に母さんは、ずっと女の子を欲しがってたんだよね」


 唯子が、莎雪に対してとても過保護な理由。

 それは莎雪がずっと気になっている事の一つだ。


「莎雪を本当の娘みたいに思ってるから、してあげられる事は何でもしようって考えてるんだと思う。 状況が状況だし、莎雪がいろいろ考えちゃうのも解るけど、もっと甘えて欲しいっていうのがホンネかな」

「でも……」

「ちょっとくらいは我儘を言っても良いと思うよ? まだ高校生なんだし」


 そう言われても。

 まだこちらに来て一週間しか経っていないし、もともと裕福な生活をしていたわけでもないのに、今まで以上に我儘になるなんて無理な話だ。

 莎雪にとっては、居候させてもらえるだけでも有難い事なのに。



 それに、蓮はどう思ってるんだろう。

 “これ以上、兄弟はいらない”と言ってたのは、自分の面倒を見るのが嫌だからじゃないだろうか。

 今は普通に接してくれているけれど、こんな風に用事に付き合わされるのは、迷惑だと思っているのに違いないはずだ。


「はい、いってらっしゃい」


 気付けば、車は学校の正門まで来ていた。

 莎雪はカバンを抱えて車を降りると、蓮に頭を下げた。


「ありがとうございました」

「気をつけて。 何かあったらちゃんと連絡するんだよ」

「……はい」


 そう返事して、莎雪は、車が来た道を戻って行くのをしばらく眺めていた。




 ◆◆◆




 私立・明条めいじょう女学院。

 名前は立派だけれど、偏差値が飛びぬけて高いわけでも歴史が古いわけでもなく、至って普通レベルの学校である。

 周りからは、略して『メイジョ』と呼ばれる事が多い。


 その立派な学校名が彫られた石造りの正門をくぐると、高等部の校舎が見える。

 登校している生徒がまだ少ないせいか、通い慣れたはずのその道のりに、初めてここに来た時のような感覚を覚えた。




 人もまばらな昇降口で靴を履き変えると、タイミング良く篠崎が通り掛かった。


 篠崎は、莎雪の学校の中でも特に若い男の先生という事で、生徒との距離が近い。

 疾風はやてという名前なのに、その童顔と柔らかい物腰のせいで、よく『名前負けしてる』なんてからかわれる事もあるようだ。


「先生、おはようございます」

「新堂か、おはよう。……大変だったな」


 篠崎は、莎雪を見るなり苦い顔をした。

 何と声を掛けて良いか解らない、といった表情だ。

 警察署で大泣きした莎雪の姿を見ているから、それも当然かも知れない。


「何とか大丈夫です」

「そうか……でも、無理はするなよ」

「なんだか、お父さんみたいですね」

「はは、どうしてか昔からこんな役回りなんだ」


 眼鏡の奥の目が細められると、本当に『いいお父さん』という顔になる。

 二十台半ばだと聞いた事があるから、別に子供がいてもおかしくはないのだけれど。


「そういえば、進路の事なんですけど」

「ああ、実はこれから職員会議が入ったんだ。 悪いけど、放課後に進路指導室で良いかな?」


 はい、と返事しそうになって、莎雪は思い留まる。

 放課後は蓮が迎えに来るのだった。


「放課後は、ちょっと用事があって」

「そうか、じゃあ昼休みにしよう。 弁当を持ってきても構わないから……と、まずい。 もう行かないと」


 篠崎はそれだけ言うと、慌てて職員室に向かった。

 時計を見ると八時を回ったばかりだったので、莎雪は図書室で始業までの時間を潰す事にした。




 図書室にも生徒はおらず、読書用に設置された椅子を引くと、存外に大きな音が響いた。

 部活の朝練をしている生徒の声が窓の外から微かに聞こえて、俄かに眠くなる。

 隣の椅子にカバンを置いて、莎雪はこの一週間の間に起こった事を思い返した。


 両親の事故。

 松岡夫妻。

 松岡家に来た日。

 アルバムの写真。

 自分の後見人の事。

 蓮と翔。

 絢姫。

 そして、父が遺した何かの書類。


 ふと、翔の言葉が頭をよぎる。

 『ずっとお姉ちゃんが欲しかった』――。

 従姉とはいえ身近に絢姫がいるのに、それでも翔は、『お姉ちゃん』が欲しかったのだろうか。

 そう思うと、はっきりとは解らないけれど、漠然した違和感があった事を思い出した。


 実家のアルバムにはなかった写真が、松岡家だけにあった事。

 愁司と唯子が、莎雪の両親に恩返しをする事になった原因。

 絢姫が莎雪に会いたがっていた理由も、結局は聞けずじまいだった。


 両親と松岡家の間に何かあった事は間違いないのに、莎雪は何も知らされていない事に気付く。

 自分だけが何も解らないままで、このまま松岡家にいても良いのだろうか――。

 ぐちゃぐちゃになる頭を抱えて、莎雪は机に突っ伏した。




 あっという間に時間は過ぎ、始業前の予鈴が鳴った。

 教室に入るなり、瑠奈が莎雪のそばに駆け寄ってくる。


「莎雪、おはよう! 会いたかったよー!」

「おはよう、瑠奈。 元気だった?」

「それはこっちのセリフだよ。 毎日、莎雪が泣いてないかって心配してたんだから」

「もう大丈夫。 落ち着いたらまたお茶しようね」


 そんな話をしているとすぐに本鈴が鳴って、莎雪たちはそれぞれの席に着く。

 また以前と同じ学校生活が始まるのだ。




 四時限目の終鈴が鳴ると、教室中が賑やかになる。

 休んでいた間に瑠奈がコピーしてくれていたノートを受け取って、午前中の授業は何とかやり過ごした。

 いくつか解らないところはあったけれど、今日は予定が立て込んでいるので後回しにする事にして、莎雪は席を立つ。

 進路指導室に行く事を瑠奈に伝えて教室を出ると、廊下に誰かが立っていた。


「新堂さん」

「あ、白河さん」


 そこにいたのは、同じ選択授業を取っている白河由加里しらかわ ゆかりだった。

 そういえば、瑠奈が彼女にノートのコピーをお願いしてくれていたのだと思い出す。


「これ、頼まれてたノート」

「ありがとう。 白河さんも忙しいのに、ごめんね」

「今日、父の会社に来るんですって?」


 ノートを受け取ろうと差し出した手には何も渡されず、代わりに質問が飛んできて、莎雪は思わず由加里の顔を見た。


 由加里は、父が働いていた会社の社長の娘さんだ。

 社長令嬢である事を率先して公にはしていないけれど、彼女の持つ雰囲気は他の生徒とは明らかに違っている。

 綺麗に手入れされた髪や爪・洗練された立ち居振る舞いはさながら薔薇の花のようで、すれ違えば振り返らずにはいられない。

 特に印象的なのは切れ長の目で、こんな風に見つめられると、女同士でもどきどきしてしまうくらいだ。


 じっと莎雪を見ている由加里は、問いに答えなければノートは渡さないとでも言うように、莎雪の返事を待っている。

 莎雪が黙ったまま頷くと、納得したようにノートを手渡してくれた。


「そう。 実は、父の都合がつかなくなったみたいなの。 また後日に改めて欲しいって、新堂さんに伝えるよう言われたから」

「そうだったの。 あの、来週の火曜日でも大丈夫かな……」

「火曜日?」


 莎雪はまたひとつ頷く。

 蓮と一緒に行く事になっているから、店がお休みの時でないと難しいのだ。


「わざわざ会社に呼びつけるなんて、よほどの用事なのね。 良いわ、父の予定を聞いておくから」

「あ、ありがとう。 ……そうだ、連絡先」


 莎雪は受け取ったノートの切れ端に携帯電話の番号とメールアドレスを書いて、由加里に渡した。


「今、実家は空けてるの。 こっちに連絡してもらえればすぐに繋がるから」


 由加里は、一瞬だけ驚いたような顔をした。


「……解ったわ。 それじゃ」


 けれど、すぐにノートの切れ端を受け取って生徒手帳に挟むと、教室に戻っていった。

 何だか今日は、こうして人の背中を見送る事が多いような気がする。


「あ、進路指導室!」


 今朝、職員室に走った篠崎の背中が思い浮かんで、莎雪は急いで進路指導室へ向かった。




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