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指先で溶け合う温度  作者: 藍崎深森
新しい家族
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松岡家2


「おお、なっつかしいーっ」


 広げられた古いアルバムを前に感嘆の声を上げたのは、松岡家の次男・翔である。

 愁司の言葉通りに、明るくて、子犬のように人懐っこい性格のようで、渋る事もなく莎雪を歓迎してくれた。

 黒の短髪にまだあどけなさが抜けきらない顔立ちは、それでもやっぱり整っていて、蓮と並ぶと後光すら錯視する程だった。




 翔が帰宅して、近くのレストランで夕飯を取った後、松岡家に戻った莎雪は、自分の写真が残っているというアルバムを見せてもらう事になった。

 愁司と唯子は仕事の用事があるからと店の方へ行ってしまったので、代わりにアルバムを持って来た翔と並んでソファに座る。


「ほら、これ。 莎雪ちゃんだよ!」


 翔が指差した、写真の中の小さな女の子。

 それは、確かに莎雪だった。


「赤ちゃんがオレで、こっちが兄貴」

「この写真、うちのアルバムには無かった……」


 赤ちゃんと、小さい頃の莎雪、そして小学生くらいの男の子。

 写真の中の三人は、まるで本当の兄弟のように違和感なく写っていた。

 よく覚えてもいないのに、不思議と懐かしく感じる。


「オレさ、ずっとお姉ちゃんが欲しかったんだー」


 翔が、写真をじっと見つめながら、ぽつりと呟いた。


「こうやって一緒に映ってる写真だけはあるのに、家のどこを探しても見つからなくてさ。 お姉ちゃんはどこに行ったのーって泣き喚いて、親父たちを困らせた事もあったよ。 よその子だからって言われても、なかなか納得できなくて」


 照れ臭そうに頭を掻く翔には、写真の中の赤ちゃんの面影が残っていた。

 莎雪の頭の中に、“弟=翔”という図式が成立する。


「そう言ってくれると嬉しいけど……でもどうして? 翔くんには蓮さんがいるじゃない」

「兄貴なんかダメダメ! オレに優しくないもん。 だから莎雪ちゃんがうちに来てくれて超嬉しいんだよね……うわっ!」

「翔、不謹慎」


 楽しそうに話す翔の顔面に、いきなり白いタオルが投げつけられる。

 風呂に入っていた蓮が、いつの間にかリビングに顔を出していた。


「ちょ……兄貴! 何すんの!」

「もうちょっと頭使って話しな。 莎雪だって望んでうちに来た訳じゃないんだよ」


 冷めたような口調に、莎雪は何故かショックを受けた。

 確かに、両親の事が無ければ、自分は今ここにいなかっただろう。

 けれど――。


「……それに今更、兄弟なんかいらないだろ」


 続けられた蓮の言葉は、まるで大きな金槌で殴られたように衝撃的だった。


「わ、私……先に、休みます……っ」


 莎雪は、咄嗟にそう言って、リビングを飛び出していた。

 二階に上がって部屋に入ると、電気も点けずにそのままベッドへ潜り込む。

 あの日でもう出し尽くしたはずの涙が、泉のように湧いて出た。


 愁司も、唯子も、翔も。

 みんな優しく接してくれるのに、蓮だけは違う。

 思い返してみれば、莎雪に対する蓮は殆ど無言で、時折鋭い視線を向けられているのもすぐに気付いた。


 ――きっと蓮さんは、私がここにいる事自体が嫌なんだ。

 そう思うと、声をあげて泣きたくなる。



『俺をキズモノにしてくれた子ね。 覚えてるよ』


 蓮はそう言っていたけれど、莎雪は何も覚えていない。

 きっと小さい頃に、何かしてしまったのだ。

 無条件で嫌われる程、酷い事を。




 ◆◆◆




 泣き疲れて眠ってしまった莎雪は、明け方過ぎに目を覚ました。


 九月も上旬を過ぎたというのに、まだ続く残暑の真っ只中。

 陽が昇れば少し蒸し暑くなり、肌が汗ばんでくる。

 おまけにタオルケットを頭から被っていた莎雪は、髪も顔もぐちゃぐちゃで、とても酷い状態だった。


 時計を見ると、まだ五時を過ぎたばかりだ。

 静まり返った家の中を動き回るのは気が引けたけれど、莎雪はそっと部屋を出て洗面所に向かった。




「莎雪ちゃん、おはよう。 随分早いね」

「っ! お……はよう、ございます……」


 足音を立てないように階段を降りきったところで、愁司に声を掛けられた。

 誰も起きていないと思っていたので、驚いた莎雪の声が裏返る。


「いつもこの時間なのかな?」

「あ、いえ。 昨日は疲れていたみたいで、すぐに寝てしまって……ご挨拶もなく、すみません」

「はは、いいんだ。 あちらにいた時と同じようにしてくれて構わないよ」


 新聞を取ってきたらしい愁司は、そのままリビングへ行ってしまった。

 ボサボサの髪を必死になって直す自分に、きっと気を遣ってくれたのだと莎雪は思った。




 実家から持ってきた洗顔セットで顔を洗い、歯を磨く。

 髪もとりあえず櫛で梳いてみたけれど、癖がついて広がってしまった部分はどうにもならなかった。


「お風呂、入りたい……」

「……おはよう」


 思わず呟いた時、洗面所に誰かが入ってきた。

 ……蓮だ。

 昨夜の事を思い出し、莎雪は顔を背けて鏡の前を譲った。

 けれど、蓮は気にする素振りも見せずに淡々と顔を洗い、歯ブラシを取って歯を磨き始める。


「おはよう、ございます……」

「…………」


 返事が無い。

 嫌われていると解っていても、やっぱり傷つく。


 もし理由を聞いたら、教えてくれるだろうか。

 ちゃんと謝れば、許してくれるだろうか。


 逡巡して、莎雪は決心した。


「あのっ……」

「それ、寝グセ?」

「え?」

「最先端のファッションだっていうなら、見なかった事にするけど」


 意を決した莎雪の問いかけは、また遮られた。

 うがいを終えて鏡越しに向けられた蓮の視線が、莎雪の髪にある。


「ち……違います! どうしても直らなくてっ」


 莎雪は恥ずかしくなって、癖のついた髪を手で隠した。

 ここに来るのに、髪のスタイリング剤なんて持って来ていないのだ。

 そんな事を気にしている余裕はなかったから。


 慌てる莎雪を尻目に、蓮は笑いを噛み殺している。


「わ……笑うなんて……酷い……」

「あー、ごめんごめん。 後で直してあげるから」


 そう言って振り返った蓮は、笑顔だった。

 初めて見るその笑顔で、莎雪の目を真っ直ぐに見た。


「昨日のお詫び、ね」


 そして、細い指先で、莎雪の頭をそっと撫でた。




 松岡家の朝は早い。


 愁司は朝五時に起きてコーヒーを片手に新聞を読む。

 少し遅れて蓮が起き、予約の確認やお店宛てのメールのチェックをする。

 唯子も六時にはキッチンに立ち、朝食の準備を始める。

 最後に起きる翔は、朝食が出来上がるタイミングで、蓮に無理やり起こされるらしい。




「莎雪ちゃん、おはよう。 よく眠れた?」


 莎雪は、部屋に戻ってTシャツに着替えた。

 背中まで伸びた髪をシュシュで一つにまとめ、階下に降りると、味噌汁の香りが漂うダイニングで、唯子が微笑む。


「おはようございます。 あの、何かお手伝いさせて下さい」

「あら、座っていていいのよ」

「いつもしてるんです。 大した事は出来ませんけど」


 これからお世話になるんだから、何か役に立つ事をしたい。

 美容院の仕事を手伝えと言われたら難しいけれど、家事なら大丈夫だ。


「じゃあ、ごはんをよそってもらおうかしら。 お茶碗はあの棚の中よ」

「はい」


 指示された通り、それぞれの茶碗にごはんを盛ってテーブルに運ぶ。

 茶碗とお揃いの箸も並べるとテーブルが華やかになり、それが何だか楽しくて、置き方にもこだわった。


「……やっぱり、娘に欲しいわねぇ」


 あれこれしている莎雪の後ろで、味噌汁をお椀に盛り付けながら呟いた唯子の言葉は、背中を向けていた莎雪の耳には届かなかった。




「母さん、ちょっと出てくる」


 蓮がダイニングに顔を出したのは、朝食の準備が整う頃だった。


「こんなに早く? どこへ?」

「アヤキのところ。 朝イチの予約の時間には間に合うと思うから」

「そう。 気をつけて」


 相当急いでいるのだろう。

 蓮は少し早口で唯子と言葉を交わすと、すぐに玄関へ向かった。


 ……と思うと、足早に戻って来る。


「莎雪、ごめん。 また今度ね」


 一人ではどうにもならない寝癖を直してくれる約束は、どうやらお預けになるようだ。


「いえ。 気にしないで下さい」

「あと、翔のヤツ、たたき起こしてやって。 それじゃ」


 それだけ言い残して、蓮は今度こそ本当に家を出た。


「せっかく莎雪ちゃんが手伝ってくれたのに、蓮ったら……。 莎雪ちゃん、ごめんなさいね」


 唯子が嘆息する。

 けれど、そんな事より莎雪が気になったのは、『アヤキ』の方だった。

 朝早くから呼び出されて、すぐに駆け付ける程の相手……と言えば、答えは一つしかないような気もする。




 そう考えて酷くがっかりした気持ちになった理由が、莎雪にはよく解らなかった。



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