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指先で溶け合う温度  作者: 藍崎深森
新しい家族
2/11

天涯孤独




 車は、可愛らしい外観の店の前で止まった。

 雑貨屋の様な雰囲気ではあったけれど、個人経営の美容院だという事だった。




「莎雪ちゃん。 今日はお休みだから、遠慮しないで、入って?」


 莎雪ににこやかに声を掛けたのは、松岡唯子まつおか ゆいこという、母と同じ年頃のおばさんだ。


「荷物はおじさんに任せて、ゆっくり休んでおいで」


 車のトランクから荷下ろしをしているのは、唯子の夫である、松岡愁司まつおか しゅうじ


 この二人――松岡夫妻は、莎雪の両親の古い知り合いらしい。

 莎雪の記憶には残っていないけれど、物心つく前に、何度か遊んで貰った事があったという。

 古いアルバムに写真が残っていたので、どうやら本当の話らしかった。


 二人とも、とても柔らかく微笑むので、莎雪も釣られて頬が緩む。

 満面の笑みというわけにはいかないけれど、こんなに自然に笑みが零れたのは、もう数日ぶりになる。




 松岡夫妻が莎雪の家を尋ねて来たのは、学校から警察署に向かい、失意のまま自宅に帰り着いたあの夜の事だった。




 ◆◆◆




 あの日、学校に掛かってきた電話は、警察からのものだった。



 ―――――……



『もしもし、新堂莎雪さんですか? ××署の高橋と申します』

「え……はい……?」


 警察からの電話など受けた事がないので、名乗られただけで背筋が張った。

 一体、どういう用件なのか。


「あ、あの、私が何か?」

『落ち着いて聞いて下さいね。 今日の午後一時半ごろ、ご両親が事故に遭われて、残念ながら……』


 思わず受話器を取り落としそうになって、相手の言葉は最後まで聞き取れなかった。

 肩から力が抜けて、視界が歪む。


「…………」

『莎雪さん? 聞こえますか?』

「あ……はい……」

『ご遺体の確認の為、一度こちらにお越し頂けますか?』


 優しく諭すような、温かみのある声――だったはずだ。

 けれど何故か、受話器を通して聞こえる声は酷く冷たく、機械的に感じた。


「わ……かりました……向かいます……」

『お気をつけていらして下さい。 では、失礼致します』




 ―――――……




 その後、副担任の篠崎しのざきと警察署に向かい、莎雪は両親の遺体と対面した。




 家に帰ると、うるさいくらいに静かな空気が満ちていた。

 いつもなら、玄関を開ければすぐに母が出迎えてくれる。

 一緒に夕食の準備をしながら父の帰りを待つのは、母子にとってかけがえのない時間だった。


 会社の秘書室長として働いていた父。

 写真が趣味で、休日にはお気に入りのカメラを持って散歩に行くのが好きな人だった。

 父の書斎には、莎雪の名前の由来となった写真が今も貼られている。


 こんな事になって初めて、莎雪は両親からとても愛されていたのだと思い知った。

 二人は、莎雪の誕生日を祝うためにわざわざ仕事を休んで、準備の為に出かけたのだ。



 耳鳴りのような静寂に耐えられなくなって、莎雪はテレビの電源を入れた。

 画面に映し出されたニュース番組で、キャスターは、淡々と今日起きた事件や事故の記事を読み上げていく。



『――次のニュースです。本日午後一時半ごろ、○○市の県道で、大型トラックと乗用車が正面衝突する事故が発生しました。この事故で、乗用車を運転していた会社員・新堂蒼梧しんどう そうごさんと妻・加奈子かなこさん、またトラック運転手の長谷川敏之さんが死亡。警察は、目撃者の証言から、長谷川さんが何らかの原因でハンドル操作を誤り、対向車線を越えたものと見て調べを進めています。……――』




 莎雪は反射的に、テレビの電源を切った。


 そんな事はもうとっくに知っているのだ、さっき見てきたのだから。

 だから、もうこれ以上、同じ事を言わないで欲しい。




 ソファにもたれてうずくまったまま、どれくらいの時間が経っただろうか。

 ふと気付くと、電話機の留守録を知らせる明かりが点滅していたけれど、再生ボタンを押す気にはなれなかった。


 学校を出て警察署に向かう途中から、携帯電話の電源も切りっぱなしでいる。

 きっと、親友の瑠奈るなからのメールや着信がいくつも記録されているに違いないのに。

 今は、誰かと言葉を交わすのも億劫だ。


 急に、喉がカラカラに渇いていた事を思い出した。

 そういえば、昼過ぎからずっと水も飲んでいない。

 莎雪はよろよろと立ち上がり、キッチンに足を向けた。




 ダイニングテーブルには、莎雪の誕生日を祝う為のお菓子や料理が、天板いっぱいに並べられていた。

 母の手作りのクッキーが、可愛らしくラッピングされた箱に詰められて、莎雪をじっと見ている。


 本当なら今頃、三人でテーブルを囲んでいたはずなのに。

 莎雪だけを置いて、二人は遠くへ行ってしまった。


 ――お母さんの手料理を食べるのは、これが最後。

 そう思ったら、胸がもっと苦しくなった。



 コップに水を汲んで一口飲んだ後、莎雪はダイニングの椅子に座って、ただぼうっとしていた。

 何かを考えていたわけでも、思い出していたわけでもなく。

 家の呼び鈴が鳴った事もすぐには気付かないくらい、無心だった。


 何度目かの呼び鈴の音で、ハッと我に返る。

 ――帰って来てくれた?

 そんな事があるわけもないのに、何故かそう思った。

 玄関まで向かう足が、小走りになる。




 呼び鈴は一定の間隔をおいて何度も鳴っていた。

 ぼそぼそと小声で話す人影がドアの磨りガラス越しに見えて、莎雪はドアを開ける。


 そこに立っていたのは、勿論、両親ではなかった。

 穏やかな笑みを浮かべた、一組の男女。


「こんばんは。……莎雪ちゃん、だね。 おじさんの事を覚えているかな?」


 それが、松岡夫妻だった。




 莎雪には、親戚という存在がいない。


 両親は駆け落ち同然でこの街に来たらしく、お互いに兄弟もいないという話を聞いた事がある。

 祖父母にすら、会った事がない。


 両親が亡くなった今、莎雪は本当の意味で『一人』になったのだ。




 そんな莎雪に代わって、松岡夫妻は、葬儀屋の手配や色々と必要な手続きを全てやってくれた。

 葬式の出し方なんて習った事もないので、松岡夫妻が尋ねて来てくれて、莎雪は本当に安堵した。

 一人では、どうする事も出来なかったから。


 それだけではない。

 松岡夫妻は、莎雪を引き取って成人するまで面倒を見るとまで言ってくれたのだ。

 これ以上の迷惑を掛けてはいけない、と莎雪は一度断った。

 けれど、二人がどうしてもと言うので、結局は厚意に甘えさせてもらう事になった。


 こうして、莎雪は松岡夫妻の家に居候する事になったのである。





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