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指先で溶け合う温度  作者: 藍崎深森
それぞれの悩み事
11/11

大人の事情1


 莎雪との電話を切ると、絢姫は、玄関で身支度を整えていた人物に向かって声を張り上げた。


「先生! 西原駅まで積んでって!」


 返事がないのを肯定と解釈して、ハンドバッグを手に揚々と玄関に向かう。


 智明からの情報だと、『計画』は順調に進んでいる様だ。

 高校の頃からの夢が叶うのがもう目前であると知って、絢姫は思わず笑みを浮かべた。




「てめえスカートじゃねーか。 バイクなめてんのか?」


 玄関先で待ち受ける男が、絢姫を睨みつけて暴言を吐いた。

 人を待たせておいてヘラヘラ笑ってんじゃねぇ、そう目が語っている。

 どうやら、絢姫の穿いているミニスカートがお気に召さないらしい。


「え、ジャガーで行くんじゃないの?」

「車検だっつっただろ」


 車を出さない理由が解って、絢姫はああ、と頷いた。

 そういえばこの間、そんな事を言っていたような気もする。

 男は持っていたヘルメットを靴箱の上に置き、懐から取り出した煙草に火をつけて絢姫の動向を窺っていた。

 これはきっと、着替えて来いという意思表示――いや、命令だ。


 男は、絢姫をバイクに乗せるのを嫌がる傾向にあった。

 何度も『お願い』した結果下りた許可は『バイクに乗る時は長袖の上着とジーンズを着用するべし』という条件付きで、絢姫はどうにも釈然としなかったのを覚えている。

 しかしそれも、今となっては彼の気遣いであった事が解る。

 薄着でバイクに乗ると、夏でも体が冷えるのだ。


 しかし今回は移動距離もそう遠くないし、体調を崩す心配もない……と、思う。


「十分で行くって言っちゃったもん。 このままでいいよ」

「着替えねぇなら歩いて行け。 こっちもヒマじゃねぇんだ」


 男は譲らなかった。

 こうなると、もう自分の意見が通らないであろう事も絢姫は既に理解している。


「もー。 じゃあ五分待ってて」

「ざけんな。 三十秒で終わらせろ」

「鬼!」


 莎雪に見せびらかす予定だったおニューのミニスカートは、敢えなくタンスに帰還した。

 渋々ジーンズに穿き替えながら、それでも絢姫は、久しぶりにバイクの後ろで風を切るのもまあ悪くはないかと思い直す。

 出会ってから六年になる。

 自分も少しは成長したのだ、オトナの対応をしてやろう。


「色気がねぇ」

「ちょっと、誰にモノ言ってんの! アタシが色気振りまいて街歩いたら大変な事になるんだからね!」


 言われた通りに着替えても浴びせられる筋違いな文句に冗談を返せるくらいには、近い距離にいられる。

 今はまだそれでいい。

 長期戦になる事は、あの時から覚悟していたから。


「……ねぇ先生。 いつになったら抱いてくれるの?」

「寝言は寝て言え、アホ」


 未だに一線引かれているくらい、――どうって事はない。




 ◆◆◆




「……世間って狭すぎる……」


 一通りの説明を終えた莎雪は、瑠奈が先だっての自分と同じ感想を呟いた事に苦笑した。


「言われてみればどっちも『松岡さん』だよね。 なんで気付かなかったんだろ」

「私も最初はすごくびっくりした」

「それで、蓮さんのお友達のチアキさんって人にモデルを頼まれたワケね。 いいなー、楽しそうじゃない」

「瑠奈、他人事ひとごとだと思ってるでしょ?」

「だってヒトゴトだもーん。 でも羨ましいのはホントだよ? やっぱりそういうの、ちょっと憧れるし」


 いつの間にか瑠奈は、先程までの暗い表情から一変し、好物のチーズケーキを頬張りながら笑っていた。

 『秘密』を莎雪に打ち明け共有出来た事で、肩の荷が下りたのだろう。

 今度は莎雪が悩みを打ち明ける番だ。


「でも、本当に私でいいのかなって思って……」

「迷ってるんならやった方が良いよ。 莎雪可愛いんだし、もったいないじゃん」

「そんな風に言ってくれるの、瑠奈だけだし」


 莎雪がそう言うと、瑠奈は眉根を寄せた。

 瑠奈には、莎雪が自分に自信を持たない事が不思議でならない。

 確かにとびきりの美人ではないかも知れないけれど、顔の造作は十人並み以上、血色も良く健康的な魅力に溢れているし、どんな服を着ても似合ってしまうバランスの良い体型をしている。

 遠慮しすぎるという欠点はあるものの、性格だって穏やかで、周りからの評判も悪くない。


 もちろん、必要以上に自画自賛するような友人は瑠奈も嫌だけれど、莎雪は自分の事を過小評価しすぎではないかと思う。


「言っとくけど私、お世辞なんか言った事ないからね? 自信持ちなよ。 結構前から、駅で莎雪の事ずーっと見てた男の子だっているんだし」

「え、なにそれ……?」

「あー、やっぱり気付いてなかったんだ」


 思わず出た溜息に、莎雪が困惑の表情を示した。

 やれやれ、と呆れ顔で瑠奈は続ける。


「危なそうな人だったらもっと早く忠告してたけど。 真面目で性格良さそうに見えたし、莎雪には合うんじゃないかと思って、その人が莎雪にアピールするの待ってたのに」


 莎雪達の学校とは反対方向にある共学の制服を着ていた男子高校生の姿を、瑠奈は少し哀れみながら思い返す。

 可哀想に、莎雪にはもっとあからさまなアプローチが必要だったのだ。

 いや、もしかしたら彼の方も、見ているだけで充分だと思うような奥手なタイプなのかも知れないけれど。


「そんなの、全然知らなかった……瑠奈はなんで解ったの?」

「あれだけガッツリ見られてたらフツー気付くってば。 莎雪がニブすぎなの」


 そのうち莎雪からコイバナが聞けるのではと楽しみにしていた瑠奈は、期待が外れて心底残念に思った。


 一方で莎雪は、好意を寄せられて嬉しいというよりも、ただ驚いていた。

 中等部から女子校に通っている所為で、恋愛にはめっぽう疎い。

 彼氏がいるとかいないとか、クラスで話題にはなっていても、どこか自分とは別世界の話だと思っていた。

 まして、自分にそんな人が現れるなんて考えた事もない。


「はいはい、もうこの話は終わり。 ケーキ食べよ」


 また悩み事の増えた莎雪がぐるぐると思案しているのを見かねて、瑠奈がチーズケーキを一口、莎雪に差し出す。

 とその時、女性がキョロキョロと店内を見回しながら入って来た。

 それが絢姫だと先に気付いたのは、入口の方を向いて座っていた瑠奈だった。


「莎雪、アヤキさん、来たっ」

「え? ホント?」


 瑠奈の指差す方を振り返って、莎雪も絢姫に気付く。


「莎雪ちゃん! 見ーつけたっ」


 手を振る莎雪を見つけ、絢姫が莎雪たちのテーブルまでやってきた。

 平日の夕方で客もまばらな店内とは言え、絢姫は周りも気にせず子供の様な反応を見せる。

 莎雪が瑠奈の隣に移って絢姫の分の席を空け、二対一で向かい合う格好になった。




「こ……こんにちわ。 莎雪の友達の、瑠奈です」

「瑠奈ちゃん? かわいー! よろしくー!」


 ハンドバッグとヘルメットを横に置いた絢姫がお冷を一口飲んだところで、瑠奈が自己紹介をした。

 先程まで噂していた人物を目の前にして、また緊張がぶり返したようだ。

 声が少し上擦っている。


「絢姫さん、電車でいらしたんじゃないんですか?」


 絢姫が持ってきたヘルメットを見て、莎雪は疑問を口にする。


「ああ、これね。 先生にバイクで送ってもらったから」

「せ……『先生』?」


 あっけらかんと答える絢姫に、莎雪と瑠奈は眉を顰める。

 やっぱり絢姫さんと篠崎先生は付き合ってるんだ――。

 二人が同時にそう思って沈黙したのを、今度は絢姫が訝しげに見る。


「あれ? まだ言ってなかったっけ、アタシの好きな人の話。 写真家の、渋沢耀一しぶさわ よういちっていう人なの」

「え?」

「先生じゃなくて?」


 絢姫の口からさらりと別人の名前が出た事で、二人は顔を見合わせた。


「聞いた事ない? 『渋沢耀一』って、結構有名な写真家の先生なんだけど……」


 ――話が見えない。

 けれどどうやら、双方の言う『先生』は同一人物ではないらしい。


「知らないかー。 まあそうだよね、イマドキの女子高生が写真家なんて知らなくて当然だわ」

「わ、私達、てっきり篠崎先生の事かと……」

「篠崎って、もしかして疾風のコト? そう言えばこの間チアキから聞いたわ、莎雪ちゃんの学校で先生やってるんだって?」


 世間って狭いわよねー、と絢姫が笑う。

 それを見た瑠奈は、安堵したように息を吐いた。


「でも、何でアタシと疾風が付き合ってるって思ったの?」

「瑠奈が夏休みに、二人が一緒にいるところを見たって」

「あら、そうなの?」

「……びっくりしました」


 絢姫の問いに、瑠奈が頷く。


「さっき莎雪に、アヤキさんと先生は友達だって聞いたところなんです」

「なるほど、そういう事ね。 疾風がなーんか慌ててたワケがやっと解った」


 絢姫はハンドバッグから携帯電話を取り出すと、誰かに電話をかけ始めた。


「もしもし? アタシ。 今日パーティーやるから、八時に集合ね!」


 にやりと笑う絢姫の顔を、莎雪はついこの間も見た事を思い出した。

 それは、蓮と翔に嫌がらせをするのが趣味だと言った、あの時の顔だった。




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