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指先で溶け合う温度  作者: 藍崎深森
それぞれの悩み事
10/11

先生の秘密


 ――見てはいけないものを見てしまった。


 夏休みのある夜から、瑠奈は親友の莎雪にすら言えない秘密を抱えていた。




 伯母と夕食に出掛けた帰りに連れられて行ったバーでの事だ。


 慣れない雰囲気にびくびくしながらカウンターの端に座った瑠奈は、ソーダをちびちびと口に含みながらあたりを見回す。

 間接照明のみの店内は薄暗く、少し離れた席の客の顔も判別しにくい。

 伯母は行きつけのこの店を『落ち着く』と言うけれど、瑠奈には酷く威圧的に感じられた。

 なにせ周りにいるのは酒に慣れた大人達ばかりなのだ。

 自分が場違いである事は、客の視線を浴びずとも明白だった。


「瑠奈、そんなにキョロキョロしないの」

「だって、こんなお店初めてだもん。 緊張するよ」

「せっかくだしカクテルでも飲んだら? もう高三なんだから、社会勉強しなさいよ」


 マティーニのグラスを揺らす伯母に、瑠奈は首を勢いよく横に振る。


「あらあら、お子ちゃまねぇ」

「私は蘭ちゃんとは違うの」


 伯母の蘭は、十代の頃は相当『ヤンチャ』だったらしい。

 その所為か、四十も半ばの今でも気持ちは若く、瑠奈に『伯母さん』と呼ぶ事を許さない。


「……ホント、そういう所は母親そっくり」

「ママに?」

「少しは育ての親に染まってみるのも悪くないわよ」


 伯母はそう言うと、バーテンダーに何やら注文をした。

 バーテンダーは笑顔で頷いたあと、瑠奈を一瞥すると、ほどなくオレンジ色の液体が入ったグラスを差し出した。


「どうぞ」

「……これ、お酒?」

「さあ、どうかしら」

「まだソーダが残ってるのに」


 伯母に怪訝な視線を向けながら、一口飲んでみる。

 アルコールはほとんど感じられないので、ただのオレンジジュースかと思われた。


「どう?」

「どうって、普通のオレンジジュースじゃないの?」

「あんた、レディキラーに引っかかるタイプね」


 くすくすと微笑う伯母に、瑠奈はむっと眉をひそめる。


「ちょっと蘭ちゃん! からかったの?」

「からかってないわよ。 ね、リュウ?」


 リュウと呼ばれたバーテンダーが、瑠奈を見てにっこりと笑った。


「こちらはスクリュードライバーです。 レディキラーの代表格ですね」

「レディキラーってなに?」

「アルコールがうんと強いのにジュースみたいに飲めちゃうカクテルの事よ。 女の子が、それと気付かずに飲んで潰れるから『レディキラー』。 まあ今じゃ、スクリュードライバーくらいで落ちるコもいないだろうけどね」


 昔流行ったのよ、と付け足して、伯母はマティーニを飲み干した。

 そして、スクリュードライバーを瑠奈から取り上げる。


「あんたはまだジュースで充分ね」

「もう、やっぱりからかったんじゃない。 ほんとに趣味悪いんだからっ」


 心底楽しそうな笑みを浮かべる伯母を横目で睨んでみても、本人にはどこ吹く風だ。

 大人に遊ばれている状況が面白くなくて、瑠奈はもう一度店内に視線を滑らせた。


「なんだ、個室あるじゃない。 私もあっちに行きたいなー」

「個室は予約制なんですよ。 またの機会にどうぞ」


 店の奥に、カーテンで仕切られたボックス席が見えた。

 リュウの言う『またの機会』がいつになるかは解らないけれど、次に来る時は個室にしよう……と思った、その時。


 眺めていた個室のカーテンが開き、中から一組の男女が出てきた。

 先に女の方が、具合良く巻かれた髪を靡かせながら颯爽と出入口に向かって歩いてくる。


(あれ、もしかして……モデルの松岡絢姫?)


 どこかで見覚えのある顔だと思えば、それは有名なモデルの顔であった。

 大き目のサングラスをTシャツの胸元に引っ掛け、ショートパンツにサンダルというラフな格好ではあるが、その歩き方はモデル然としている。

 彼女は、周りの目を気にする事もせず悠々とフロアをすり抜けると、そのままドアを開けて夜の街に消えていった。


「リュウさん、今の、モデルの……!」

「――紅林?」

「はい?」


 芸能人を間近で見たのは初めてで、内心興奮していたのかも知れない。

 だから、後ろから苗字を呼ばれて、反射的に振り返ったそこに見知った顔があった時、一瞬にして頭が真っ白になる。


「夏休みだからって、未成年がこんな所にいたらマズいだろ。 教頭先生にでも見つかったらどうするんだ」


 モデルに続いて出て行くものと思っていたカップルの片割れが、少し呆れた様子でこちらを見ている。


「しのざき、せんせい……?」


 そこにいたのは、瑠奈のクラスの副担任――篠崎疾風、その人であった。




 ◆◆◆




 放課後、瑠奈に連れられて訪れた喫茶店で、莎雪は持っていたジノリのカップを取り落としそうになった。


「こんな事、バレたら即スキャンダルだろうし、誰にも言わないつもりだったんだけど……」


 テーブルを挟んで対面に座る瑠奈は、どうしよう、と頭を抱えたままだ。


 絢姫と篠崎が二人でバーにいたという瑠奈の話は、当人達が旧知の仲だと知っている莎雪にも驚くべき事実だった。

 元々は友人同士なのだからそういう関係に発展したとしてもおかしくはないのだけれど、蓮や智明らも含めて仲の良い友人なのだと思っていただけに、なんだか変な気分になる。


 それが、瑠奈にとっては『副担任が有名モデルと付き合ってる!!』なわけで、自分一人の胸に収めておくには大きすぎる秘密だったのだ。


「と、とにかく。 お茶飲んで落ち着こう?」

「うん、ありがと……」


 冷めかけた紅茶を口に運ぶ瑠奈を見ながら、莎雪は、蓮たちの事を話しても良いものかと逡巡していた。

 そもそも今日は、智明にモデルの依頼をされた事を瑠奈に打ち明けるつもりでいたのだ。


「でも先生、バーにいた事は学校には内緒にしてくれたんだね」

「保護者が一緒だったから見逃すって。 そこは感謝してるんだけど……なんか交換条件みたいでプレッシャー感じちゃって」


 篠崎が生徒に対して、交換条件を持ち出すとは思えない。

 けれど、先生の顔を見るのが気まずい、とまた表情を暗くした瑠奈を見かねて、莎雪は親友に全てを打ち明ける決意をした。


「あのね、瑠奈。 実は……」


 意を決した莎雪の言葉は、携帯電話の着信音で遮られた。

 瑠奈の視線がテーブルの端に置かれた莎雪の携帯電話に移る。

 しかし、莎雪がすぐに通話をしないのを不思議に思ったのか、瑠奈は訝しげにこちらを見た。


「松岡さんからじゃないの? 出なくて平気?」


 ディスプレイに表示された発信者の名前は、確かに松岡に間違いない。

 問題なのは、それが『蓮・翔兄弟の従姉である』という事だ。


 噂をすれば影、という言葉が莎雪の頭を過ぎる。


「ねえってば。 緊急の連絡かも知れないし、出たほうが良いよ」

「う……うん」


 瑠奈に促され、仕方なく莎雪は通話ボタンを押した。


「もしもし」

『もしもーし! アヤキだけどー、莎雪ちゃん、今からヒマ?』

「ごめんなさい、今はちょっと……あの、友達と一緒で」

『そっかー。 まあいいや、どこにいるの?』

「え? 西原駅の近くの喫茶店ですけど――」

『じゃ、十分で行くから待っててー。 後でねっ』


 絢姫は、歯切れの悪い莎雪を悉く無視して一方的に話を終わらせると、返事も待たずに電話を切ってしまった。

 脱力して終話ボタンを押した莎雪は、瑠奈の方へ向き直る。


「今ね、絢姫さんがここに来るって」

「……は?」


 瑠奈が、その大きくてつぶらな目を見開いた。




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