第13話 冒険者の目に映るもの
最初は、ただの気のせいだと思った。
この町では、そういうことは珍しくない。人が集まり、去り、噂が生まれては消える。冒険者という生き物は、常に不確かな情報の中で判断を下している。だから、曖昧な違和感は切り捨てるのが習慣だ。そういうやつが集まるこの町も曖昧な違和感はすぐに切り捨てられる。
だが、その日は違った。
昼前。市場はいつも通り、うるさく、雑然としていた。干した薬草の匂いと、焼き肉の煙が混じり、荷馬車の車輪が石畳を削る音が響く。値切り交渉の声、笑い声、怒鳴り声が入り混じる、日常の騒音。何も変わらないいつもの光景。
その中で、ほんの一瞬だけ、空気が沈んだ。音が消えたわけではない。風が止まったわけでもない。それでも、胸の奥に冷たい指を差し込まれたような感覚が走った。説明できない。だが、無視できない。
「……今、何か」
隣を歩いていた仲間が、言葉を途中で止めた。最後まで言い切らなかったのは、同じ感覚を共有していると分かっていたからだ。違和感.。二人とも同じことを思っているに違いない。
「感じたな」
仲間の一言に俺は頷いた。足は止めなかった。止めるのが正しいのかどうか、判断できなかったからだ。
通りの向こうから、二人が歩いてくる。少年と、少女。距離はまだある。だが、目に入った瞬間、視線が自然と固定された。装備は簡素で、武装としては最低限。だが、貧しいわけでも、無防備でもない。
何より、立ち方が妙だった。力を誇示するわけでもなく、警戒している様子もない。ただ、そこに「在る」だけ。歩幅も呼吸も、周囲と微妙にずれている。今まで感じたことのない雰囲気。人混みの中にいるはずなのに、孤立して見えた。
「……あいつらか?」
仲間の一人が、声を落として言った。
「分からん」
俺は即答した。分からないという感覚だけが、やけに鮮明だった。近づくにつれ、胸の奥が重くなる。胃のあたりが、じわりと締め付けられる。息を吸っているのに、肺が満たされない。
空気は正常だ。匂いも変わらない。それでも、身体が拒否している。すれ違う直前、舌打ちが漏れた。完全に無意識だった。俺だけじゃない。周囲の冒険者たちも、微妙に進路をずらしていた。誰も指示していないのに、自然と距離が生まれる。すれ違った瞬間、頭の奥がしびれた。空気から、いや世界から圧迫されているような感覚。
――息が詰まる。
ほんの数歩。それだけの時間だった。それでも、異様に長く感じた。
「なんだ……今の」
仲間の声は低く、慎重だった。
「分からん。でも、調子が狂う」
振り返らなかった。振り返れば、何かが決定してしまう気がした。敵か、味方か、それとも別の何かか。確定させる勇気が、なかった。
午後、町の人から酒場で情報を集めていると、断片的な噂が集まり始めた。
「今日来た旅人な、そばにいると落ち着くって奴がいる」
「いや、逆だ。居心地が悪くて仕方なかったって話も聞いた」
同じ人物の話だと分かるまで、少し時間がかかった。見た目などの特徴は完全に一致している。だが、人々の少年に対する感じ方は、正反対のものばかりだった。
「判断が早くなったって言う冒険者がいた」
「何も考えられなくなったって商人もいたぞ」
酒場の空気が、ゆっくりと重くなる。誰も声を荒げない。だが、笑いも消えた。冗談として処理できない違和感が、全員の間に沈殿していく。
「……関わるな」
気づけば、俺はそう言っていた。なぜそう言ったのかは分からない。自分でも驚くほど、迷いのない声だった。
夕方、市場の裏道で小さな騒ぎがあったという話が入る。
「若い旅人が、誰かを拒絶したらしい」
「殴ったわけでもない」
「怒鳴ったわけでもない」
ただ一言、「近づくな」と言っただけ。それだけで、場が収まった。争いは起きなかった。だが、誰も納得もしていなかった。ただ、終わったことになった。
夜、宿で酒を飲みながら、俺は昼の感覚を反芻する。あの男は、何をした?
――何もしていない。
それが、答えだった。力を見せつける者なら、まだ分かる。敵意を示す者なら、対処の仕方もある。だが、存在するだけで周囲を変える者は、厄介だ。
剣を抜く理由がない。警戒を宣言する根拠もない。それでも、確実に“影響”だけが残る。
「……あの二人、町を出るのか?」
仲間が、慎重に尋ねた。
「いや」
別の冒険者が、低く答える。
「今日は、まだいるらしい」
胸の奥が、ざわついた。長居してほしくない。だが、追い出す理由も、止める言葉も見つからない。二人は何もしていない。良いことも悪いことも。それに、俺には二人に関わる勇気はなかった、町が、あの存在をどう扱うのか。それを、俺たちはただ無意識に待っている。
あいつは何者なのか、世界に選ばれた者なのか。少なくとも、冒険を続けるものにとって、長年の勘は告げていた。
――あれは、関わってはいけない類の“中心”だ。
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