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第12話 居心地の悪さ 

 翌朝、霧が出ていた。濃いわけではない。朝露が少しだけ空気に残って、光を柔らかく散らしている程度だ。それでも、町の輪郭は一拍遅れて浮かび上がる。石造りの門。低めの城壁。外壁に蔦が這い、ところどころで剥がれた漆喰が地肌を覗かせている。大きくも小さくもない、ごく普通の町だった。


 名前も、地図で見た通りのものだ。新しい町。


 ――それだけのはずだった。


 門をくぐった瞬間、空気が変わった。重くなったわけじゃない。張り詰めたわけでもない。ただ、町全体が一斉に息を整えたような、妙な間があった。足を止めるほどではない。気づかなければ、気づかないまま通り過ぎてしまう程度の違和感。だが、今回は気づいてしまった。


「……」


 横を見ると、少女も同じように周囲を観察している。視線が合うと、何も言わずに小さく頷いた。


 町の中は、活気があった。露店が並び、パンの焼ける匂いが漂い、荷を運ぶ人々の声が交差する。子どもが走り、商人が値段を叫び、冒険者らしき一団が装備を整えている。いつも通りの、生活の音。それなのに――視線が、微妙に集まっていた。じろじろ見られている、というほど露骨ではない。ただ、通り過ぎるときに一瞬だけ止まる目。気づいたことを後悔したように、すぐ逸らされる視線。好奇心とも、警戒ともつかない。


 最初に声をかけてきたのは、露店の女主人だった。


「旅の人?」

「ああ」

「水、いる? 今日は暑くなるよ」


 声は柔らかく、笑顔も自然だった。押しつけがましさもない。商売として、ちょうどいい距離感。


「助かる」


 そう答えると、女主人は少しだけ表情を緩めた。


「なんだか……そばにいると、落ち着くね」


 言ってから、はっとしたように口を押さえる。


「あ、いや、変な意味じゃなくて……」

「大丈夫」


 そう返すと、彼女は安心したように水袋を渡してきた。離れ際、背中に視線を感じた。振り返ると、彼女は少し考え込むような顔をしていた。


 次は、逆だった。通りの角で、冒険者らしい三人組とすれ違う。革鎧に剣、使い込まれた装備。動きに無駄がなく、場慣れしている。


 すれ違いざま、ひとりが舌打ちをした。


「……なんだ、今の」

「分からん。でも――」


 もうひとりが、言葉を濁す。


「息が、詰まる」


 こちらを睨んでいるわけでもない。敵意はない。ただ、無意識に距離を取るように、歩調を早めていった。


 理由を探すような目だけが、短くこちらに向けられる。何もしていない。何も、言っていない。それでも、反応が分かれる。


「評価、極端だね」


 少女が、ぽつりと言った。


「今までも、多少はあったけど……」

「今回は、分かりやすい」


 通りを歩くうちに、それは確信に変わっていく。


 近くに寄ってくる人。話しかけてくる人。理由もなく好意的な人。逆に、距離を取る人。顔をしかめる人。空気が悪くなったように感じて、場を離れる人。


 どちらも、感情としては自然だ。だが、発生する速さが異常だった。判断が早すぎる。


「……俺、何かしてるか?」


 そう聞くと、少女はすぐには答えなかった。少し考え、慎重に言葉を選ぶ。


「してない」


 それから、続けた。


「“してない”から、起きてる」

「どういう意味だよ」

「君が、世界に合わせてるでしょ」


 昨日、言われた言葉だ。


「うん」

「今はね、それが人にも向いてる」


 胸の奥に、嫌な感触が残る。


「だから?」

「均衡に、“寄せられる側”になってる」


 少女は、淡々と言った。


「君のそばにいると、整う人がいる。逆に、自分の歪みを突きつけられる人もいる」


 それは、祝福にも、呪いにも聞こえた。


「落ち着く、って言われたのも?」

「そう」

「息が詰まる、も?」

「そう」


 違いは、相手側の問題。そう言われている気がして、胃の奥が重くなる。自分が何かをしたのではない。してないからこそ他の人に影響を与えているのだ。


 昼過ぎ、宿を探している途中で、小さな衝突が起きた。市場の脇道で、若い旅人と肩が触れた。軽い接触だ。謝れば済む程度の。


「悪い」


 先に声をかけた。だが、相手は一瞬だけ固まり、次の瞬間、表情を強張らせた。


「……近づくな」


 声は低く、抑えられている。怒りというより、拒否だった。


「俺が、何か?」


 問いかけると、旅人は一歩下がる。


「分からない。でも――」


 言葉が、続かない。少女が、静かに割って入った。


「大丈夫。私たち、すぐ離れる」


 それだけで、旅人の肩から力が抜けた。何も解決していないのに、空気だけが収まる。去り際、彼は一度も振り返らなかった。


 宿に入ると、女将は親切だった。部屋も静かで、料金も良心的だ。


「変な言い方だけど」


 鍵を渡しながら、女将は言った。


「ここに来てくれて、ありがたい気がするの」


 その言葉が、胸に引っかかる。夜、部屋で一息ついた後、俺は少女に言った。


「……このまま進んで、大丈夫なのか?」

「何が?」

「俺が、人に影響を与えすぎるなら」


 少女は、少し困ったように笑った。


「もう、とっくに影響は与えてる」


 否定はなかった。


「でもね」


 窓の外を見る。


「君が止まる理由には、ならない」

「どうして?」

「止まったら、もっと歪むから」


 その言葉は、静かで、重かった。


 世界に好かれすぎる魂。


 自分のことを表すのにぴったりの言葉だ。運が良いと今まで思って生きてきた。魔物は僕に害を与えず、願えばほしいもの、ほしい環境にいつのまにか変わる。ただ自分の運が言いだけだと。だが、そんなことは普通に考えて起こらない。いや起こってはいけない。


そして今までは、世界だけの話だと思っていた。


 だが――人間も、世界の一部だ。


 この居心地の悪さは、始まりにすぎない。そう、直感が告げていた。


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