第11話 痕が残る
町を出てから、半日ほど歩いた。
道は普通だった。石と土が混じった街道で、ところどころに車輪の跡が残っている。最近まで使われていたらしい新しさもあるし、長く放置された感じもない。踏みしめれば、足裏に確かな感触が返ってくる。風向きも安定している。雲の流れも素直だ。空は高く、視界を遮るものもない。
――何も、おかしくない。
それなのに、背中が羽の生えたように軽かった。解放された、という言葉はしっくりこない。何かから逃げ切ったわけでも、束縛を断ち切ったわけでもない。ただ、町を出た瞬間から、世界が一歩だけ引いたような感覚が続いている。
昨日まで、確かに感じていた。あの、張り付くような近さ。息をするたびに、空気が胸の奥まで入り込んでくるような圧。歩くだけで、世界の反応を受け取ってしまう距離。真横から見られているような感覚。それが、今はない。
「……離れた、な」
声に出してみて、ようやく実感が追いつく。独り言に近い呟きだった。少女は、すぐには答えなかった。少しだけ間を置き、歩調を合わせたまま小さく頷く。
「うん。今は、ちゃんと距離がある」
「“ちゃんと”って言い方、引っかかるな」
そう言うと、少女はほんの少しだけ視線をこちらに向けた。
「引っかかって正解」
それ以上、説明はなかった。いつも重要なことだけは教えてくれない。それが自分の使命であるかのように。
歩き続けるうちに、別の違和感にも気づく。足取りが、少しだけ重い。疲れているわけじゃない。息も乱れていない。だが、昨日までと比べると、一歩一歩に現実味が戻ってきている。
――普通だ。
そう思ってから、気づいた。昨日までが、異常に軽すぎたのだと。しばらく無言で歩いた後、俺は口を開いた。
「……町、どうなると思う?」
少女はすぐに答えなかった。歩きながら空を見上げ、雲の流れを確認するみたいに目を細める。その仕草が、やけに慎重に見えた。
「昨日の町のこと?」
「うん」
少女は小さく息を吸ってから、ゆっくりと言った。
「急には、変わらない」
「悪くなる?」
「悪くもならないし良くもならない、どちらでもない」
どちらでもない。その言い方に、妙な現実味があった。
「均衡が戻るには、時間がいる。溜まってた分だけ、ね」
「溜まってた……均衡?」
聞き返すと、少女は軽く頷く。
「そう。出入口を失ってた水が、やっと流れ始めた感じ」
昨日の町の空気が、頭に浮かぶ。判断が遅れ、感情が尖り、何も起きていないのに張り詰めていたあの感覚。あれが、溜まっていたということか。
「じゃあ、俺がいたから……」
言いかけた瞬間、少女が即座に言葉を遮った。
「“いたから”じゃない」
きっぱりとした訂正だった。
「“留まったから”」
胸の奥が、ざらりとした。通過するだけなら、痕は残らない。今までの旅で、何度も体感してきた事実だ。立ち寄って、去って、町が少しずつ元に戻る。その流れ。
だが、昨日は違った。夜を越えた。空気を受けた。均衡が集まる場所に、立った。
「……痕が残るのか」
「残る」
少女は、ためらいなく答えた。
「良い意味でも、悪い意味でもない。ただの事実」
それは、慰めでも、警告でもなかった。ただの報告だ。だからこそ、安心できなかった。
昼前、小さな分岐に差しかかる。どちらも同じくらい踏み固められていて、旅人の数にも大きな差はなさそうだ。標識はない。だが、片方の道だけ、空気が澄んでいる。澄んでいるというより、薄い。余計なものが、削ぎ落とされている感じ。
「こっちだな」
気づいたときには、口に出していた。少女は驚いた様子もなく、同じ方向を見る。
「理由は?」
「……分からない」
正直な答えだった。判断した感覚はある。だが、言語化できる理由がない。それでも、足は自然とそちらに向いている。間違いを避けているという感覚でもない。ただ、余計な摩擦がない。
「それ、もう癖になってる」
「何の?」
「世界に合わせる癖」
言われて、はっとする。
祖父母に教わった剣も、魔力の扱いも、基本は同じだった。力で押さず、流れを読む。逆らわず、抗いすぎず、自然に沿う。それが、ここではそのまま通じている。
――通じすぎている。
野営地を決める頃、少女がふいに足を止めた。
「ねえ」
「ん?」
「昨日の町、今どうなってると思う?」
昼の僕と同じ質問だ。僕が理解できているのかを確認するという質問。すぐには答えられなかった。助けたわけじゃない。救ったわけでもない。ただ、均衡を置いてきただけだ。それが今日の少女の回答であった。
「……少し、楽になってる」
「うん」
少女は静かに頷く。
「でも、完全じゃない」
「……」
「判断が早くなりすぎる人が出る。運が一時的に偏る家も出る」
回復というより、副作用に近い話だった。
「世界はね、完璧な調整はしない」
火を起こしながら、少女は続ける。
「必要最低限だけ。あとは、人に任せる」
「任せる、ね」
少女は小さく息を吐いた。必要最低限の息を吹きかける。
「世界は、人を信用してない。でも」
枯れ草に火が付いたのを確認し一拍置いて、こちらを見る。
「全部を支配するほど、傲慢でもない」
火が、静かにひとりでにユラユラと燃え始めた。
夜が来る。昨日より、少しだけ遠い夜。それでも分かっている。俺はもう、通過者じゃない。痕を残す側に、足を踏み入れている。
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