第9話 接客練習のはずが、新たな宗教が爆誕していた
学園祭まで、あと三日。
我が1-Aの教室は、一種異様な熱気に包まれていた。
それは文化祭特有のワクワク感ではない。
例えるなら、新しい宗教の儀式を執り行う直前の、狂信的な緊張感に近い。
「いいですか、リナ様。角度が違います。あと二度、顎を引いてください」
「……はい」
「視線は冷たく、しかし慈愛を込めて。ゴミを見るような目で、かつ『救ってあげる』というニュアンスを含ませるのです」
「……無理難題を言わないで」
私は教室の中央で、お盆を持たされて立ち尽くしていた。
周りを取り囲むのは、クラスの精鋭たち(「リナ様親衛隊」と改名した男子生徒たちと、衣装係の女子生徒たち)。
現在行われているのは、メイド喫茶に向けた「接客特訓」だ。
私の作戦はこうだ。
練習の段階で「接客不適格者」の烙印を押してもらう。
あまりに無愛想で、あまりにドジで、お客様を不快にさせるメイド。
そう認定されれば、晴れて私は皿洗い係へと左遷されるはずだ。
だから私は、全力を尽くして「塩対応」を演じていた。
「いらっしゃいませ。……水です。飲めば」
ドン。
私はコップを机に叩きつけるように置き、能面のような顔で男子生徒(客役)を見下ろした。
完璧だ。
これ以上ないほど最悪な接客だ。
普通の店なら「店長を呼べ」と怒鳴られるレベルだ。
さあ、怒れ。呆れろ。そして私を厨房へ追放してくれ。
しかし、客役の男子生徒は、なぜか顔を真っ赤にして震えていた。
「……っ!」
彼は胸を押さえ、机に突っ伏した。
「ダメだ、よすぎる……」
「おい、どうした!」
「リナ様の……あのアイスブルーの瞳に見下ろされた瞬間、俺の中の何かが目覚めた……」
「『飲めば』という命令口調……ゾクゾクする。俺も言われたい。『空気です、吸えば』と言われたい!」
(なぜだ!)
周りの女子生徒たちも、頬を染めてメモを取っている。
「なるほど、『クール系ドSメイド』という新ジャンルですね。これは需要がありますわ」
「計算し尽くされた冷徹さ……素晴らしい演技力だわ」
違う。演技じゃない。素で嫌がっているだけだ。
「次は配膳の練習です! リナちゃん、オムライス運んでみて!」
アリスちゃんが、本物のオムライス(食品サンプル)が乗った皿を持ってきた。
よし、次こそは失敗してみせる。
私は皿を受け取ると、わざと足をもつれさせた。
「ああっ、大変! 転んじゃうー(棒読み)」
私は派手に転倒するフリをして、オムライスを宙に放り投げた。
これで皿は割れ、中身は飛び散り、私は「破壊神」として恐れられるはずだ。
だが、私の体が傾いた瞬間。
【魅了:S+】の補正が、物理法則すらも捻じ曲げた。
私の体は、まるでスローモーションのように優雅な弧を描いた。
宙を舞うオムライス。
私は回転しながら、着地と同時に皿をキャッチするのではなく――なんと、滑り込んだ男子生徒の口に、空中のオムライスをダイレクトにシュートしたのだ。
スポッ。
パクッ。
「……え?」
教室が静まり返る。
転んだはずの私は、なぜか着地成功のポーズ(片膝立ち)を決めていた。
そして、オムライスを受け止めた男子生徒は、恍惚の表情で咀嚼していた。
「う、美味い……! リナ様が投げたオムライスが、重力加速度によって旨味を増している……!」
「神業だ……!」
「アクロバティック配膳! これを見世物にしよう!」
「待って! 今のただの事故だから! 偶然だから!」
私の弁明は、湧き上がる拍手喝采にかき消された。
どうしてこうなる。
失敗すらも「エンターテイメント」に変換されてしまうなんて。
◇
特訓は続く。
次は、メイド喫茶の華、「オムライスへの落書き」だ。
ケチャップでハートを描いたり、「LOVE」と書いたりする、あれだ。
「リナ様、お願いします。お客様への愛を込めてください」
ケチャップ容器を渡される。
愛なんてない。あるのは「早く帰りたい」という殺意だけだ。
私はその感情をそのままぶつけることにした。
私はオムライスの上に、ドロドロとした赤い文字でこう書いた。
『 虚 無 』
達筆だった。
無駄に習字スキルが高かったせいで、ケチャップ文字が禍々しいほどの迫力を放っている。
「どうだ!」
私は鼻を鳴らした。
オムライスに「虚無」。
食欲減退間違いなしだ。これでお客様はドン引きして帰るだろう。
だが、クラスメイトたちはオムライスを取り囲み、感動に打ち震えていた。
「深い……」
「なんて哲学的なんだ」
「甘い卵料理の上に記された、人生の真理……。甘さの中に潜む空虚さを表現しているのか」
「これを食べれば、世俗の悩みから解放されそうだ」
「メニュー名決定! 『リナ様の悟りオムライス』、一皿金貨三枚!」
(高っ!!)
「リナちゃん、すごい! 私、『大好き』って書いちゃったけど、リナちゃんの方が芸術的だね!」
アリスちゃんが自分のオムライスを見せてくる。可愛いハートマークだ。
それでいいんだよ、ヒロイン。それが正解なんだよ。
なんで私の「虚無」が勝ってしまうんだ。
◇
そして、最難関の試練が訪れた。
アリスちゃんが目を輝かせて提案した、あのおまじないだ。
「リナちゃん! 最後はこれだよ! 『美味しくな〜れ、萌え萌えキュン♡』ってやるの!」
「……断る」
「えーっ! 絶対可愛いよ! みんなも見たいよね?」
クラス中がブンブンと首を縦に振る。
男子生徒に至っては、拝む準備をしている。
「やりたくない。死んでもやりたくない」
「お願い! リナちゃんがやってくれないと、私、悲しくて泣いちゃう!」
アリスちゃんがうるうるとした上目遣いで見てくる。
卑怯だ。ヒロインの涙は、この世界において核兵器に等しい。彼女が泣けば、天候が荒れ、イベント進行に支障が出る。
私は観念した。
やるしかない。
だが、魂までは売らない。
形だけやって、その心の無さをアピールしてやる。
私は気だるげに立ち上がり、死んだ魚のような目で、棒読みの呪文を唱えた。
「おいしくなーれ。もえもえきゅん(真顔)」
手でハートを作ることもせず、ただ指をパパッと振っただけ。
完全に「残業続きのOLが嫌々やらされた宴会芸」のテンションだ。
シン……と静まり返る教室。
やったか?
さすがにこれは「やる気ないなら帰れ」と言われるだろう。
恐る恐る顔を上げると、目の前にいた男子生徒が、鼻からツーっと鮮血を垂らしていた。
「……ギャップ萌え……ッ!」
バタッ。
彼は白目を剥いて倒れた。
「キャーッ! 救護班! 救護班!」
「ダメです、全員尊すぎて倒れてます!」
「すごい……普段はあんなにクールで、オムライスに『虚無』とか書くリナ様が、恥じらいを押し殺して、必死に魔法をかけてくれた……」
「その不器用さが愛おしい!」
「俺のオムライス、発光し始めたぞ!?」
「魔法が強すぎて物理干渉を起こしている!」
(なんでだよ!!)
私の適当なおまじないは、「ツンデレキャラによる至高のデレ行動」として解釈され、クラスメイトたちを次々と病院送りにしていた。
◇
放課後。
私は精根尽き果てて、机に突っ伏していた。
クラスメイトたちは「リナ様の衣装の最終調整だ!」と別室へ行ってしまい、教室には私とアリスちゃんだけが残っていた。
「リナちゃん、お疲れ様! 完璧だったよ!」
アリスちゃんがジュースを差し出してくる。
「……アリスちゃん。私、もうダメかもしれない」
「えー? どうして?」
「私、皿洗いがしたかったの。ゴム手袋をして、洗剤の泡にまみれて生きたかったの……」
「変なのー。あ、そうだ! リナちゃんにプレゼントが届いてるよ!」
アリスちゃんが、廊下に積まれていた山のような荷物を指差した。
嫌な予感がする。
一つ目の箱。金色の包装紙に包まれている。
差出人は『L・A』。レオナルド・アークライト殿下だ。
中を開けると、最高級の紅茶葉(缶入り)が百個と、手紙が入っていた。
『リナへ。
学園祭の準備で疲れているだろう。
この紅茶は、王家御用達の最高級品だ。当日はこれを使え。
それから、俺は当日までお前に会えないが、監視……いや、見守ることは忘れていない。
俺の愛を込めて、この紅茶の缶には全て俺の似顔絵を刻印しておいた。
客に振る舞うたびに、俺を思い出せ』
缶を見ると、確かに蓋にレオナルド殿下のキメ顔がエンボス加工されていた。
怖い。
こんなの出せるか。客が呪われる。
二つ目の箱。銀色の厳重なアタッシュケース。
差出人は『G・E』。ギルバート様だ。
中には、護身用と思われる小型のスタンガンと、分厚いマニュアルが入っていた。
『リナへ。
不特定多数の客と接すると聞いた。気が気ではない。
万が一、客がお前の指に触れようとしたり、不埒な視線を向けたりした場合は、躊躇なくこの「雷撃の杖」を使え。
私が事前に騎士団に話を通しておいたので、正当防衛が認められるはずだ。
なお、当日は私が店の警備責任者として常駐する(変装して)。安心して給仕に励め』
(営業妨害だ!)
店内でスタンガンを振り回すメイドなんて、伝説どころか犯罪者だ。
そして、三つ目の箱。
これは箱というより、檻だった。
差出人は……書かれていないが、独特の薬品臭でわかる。シリウスだ。
中には、小型のロボットのようなものが入っていた。
蜘蛛のような形をしており、赤い目が光っている。
『リナ君へ。
僕はまだ牢の中だが、科学の力に壁はない。
これは自律型給仕補助ゴーレム「サーブ君1号」だ。
君が転びそうになったら支え、変な客が来たら自爆……じゃなくて、排除してくれる。
カメラ機能も搭載しているから、君のメイド姿を360度全方位から記録し、僕の網膜に直接転送してくれる優れものだ。
楽しみにしているよ』
私は無言で檻に布を被せた。
見なかったことにしよう。
当日、このロボットが起動しないことを祈るのみだ。
「わあ、みんな優しいね! リナちゃん、愛されてるー!」
アリスちゃんは能天気に手を叩いている。
「……アリスちゃん。これのどこが優しさなの? これは包囲網よ。包囲網なの」
私は天を仰いだ。
逃げ場はない。
学園祭当日は、クラスの信者たち、暴走する客、そして遠隔(一部近距離)から干渉してくる攻略対象たちという、全方向からの敵と戦わなければならない。
「もう、まな板の上の鯉ね……」
私は覚悟を決めた(諦めた)。
どうせ逃げられないなら、このカオスな祭りを最短で終わらせて、すぐに寮に引きこもろう。
しかし、私は忘れていた。
この物語には、もう一人の重要人物がいることを。
そう、この乙女ゲームの「悪役令嬢」ポジションである、公爵令嬢マリアンヌ様の存在を。
廊下の陰から、扇子で口元を隠した令嬢が、鋭い視線で私を睨んでいることに、まだ誰も気づいていなかった。
「……ふん。モブ風情が、調子に乗って。学園祭の主役は、この私よ」
嵐は、まだ序章に過ぎなかったのだ。




