第6話 三つ巴の戦場で、私は「平和の象徴」にされてしまった
私は空を飛んでいた。
比喩ではない。物理的に、宙に浮いていた。
正確には、マッドサイエンティスト・シリウスの浮遊魔法によって、地上三メートルの高さに吊り下げられているのだ。
まるでUFOキャッチャーの景品になった気分である。
ただし、アームを操作しているプレイヤーは三人。しかも全員が、景品をゲットするためならゲーム機(学園)ごと破壊しかねない危険人物たちだ。
「その手を離せと言っているのが聞こえないのか、シリウス!」
地上で吠えるのは、第一王子レオナルド殿下。
金髪を逆立て、その手には紅蓮の炎が渦巻いている。王家の血筋特有の高火力な攻撃魔法だ。
学園内でぶっ放せば、間違いなく停学……いや、彼が王族だから、学園の方が「燃えやすいのが悪い」ことになるのだろう。
「殿下、下がってください。魔法使い相手なら、私が斬り伏せます」
冷徹な声と共に剣を抜いたのは、騎士団長ギルバート様。
その剣身には冷気が纏わりつき、周囲の草花を一瞬で凍らせている。
私の「保護」を謳いながら、これからここを戦場に変えようとしている矛盾に気づいてほしい。
そして、私を吊り下げている張本人、シリウス。
彼は二人の殺気などどこ吹く風で、片方の割れた眼鏡を直しながら(レンズはないが)、嬉しそうにニタニタと笑っていた。
「やあ、野蛮な人たちだねえ。僕とリナ君は今、学術的かつ親密なスキンシップ(泥落とし)に向かうところなんだ。邪魔しないでくれるかい?」
「誰がリナ君だ! 気安く呼ぶな!」
「貴様の手で彼女に触れるなど、万死に値する!」
二人の怒号が重なる。
空気がビリビリと振動する。
これはまずい。非常にまずい。
私は空中でバタバタと手足を動かしながら、必死に叫んだ。
「あ、あの! とりあえず降ろしてください! 地面に足がつかないと不安で!」
「駄目だよ、リナ君」
シリウスが杖を振る。私の体がフワリと回転させられた。
「地上は不潔だ。君のような希少なサンプルは、常に無菌状態の空中に浮いているべきだ。なんなら、一生地面を歩かなくてもいいように、足を切断して義足に……いや、浮遊術式を骨に刻み込むのもアリかな」
(サイコパスの発想ーーッ!!)
「戯言を!」
レオナルド殿下が動いた。
彼が腕を振ると、炎の弾丸がシリウスに向かって放たれた。
手加減なしの殺人魔法だ。
「おっと」
シリウスが杖を軽く振る。
すると、私の体が盾になるようにスライドした。
「ぎゃあああああ!」
迫り来る炎。私の顔面まであと数センチ。
死ぬ。二度目の人生、焼死で終了。
ジュッ!
寸前で炎が掻き消えた。
殿下が慌てて魔法を霧散させたのだ。
「シリウス貴様……! リナを盾にするとは、どこまで腐った性根だ!」
「合理的だろう? 君たちは彼女を傷つけたくない。僕は彼女を離したくない。なら、彼女を盾にするのが最強の防壁だ」
シリウスは悪びれもせずに言い放った。
こいつ、恋愛ゲームの攻略対象の風上にも置けないクズだ。
いや、ある意味で純粋すぎるヤンデレなのかもしれないが、モブからすればただの災害である。
「そこまでだ」
低い声と共に、ギルバート様が動いた。
彼は炎の攻防の隙を突き、音もなくシリウスの背後へと肉薄していた。
速い。目で追えない。
「氷結牢」
ギルバート様の剣が閃く。
シリウスの足元から巨大な氷の柱が立ち昇り、彼を串刺しにせんと迫る。
「おや、危ない」
シリウスは私を抱きかかえるようにして(もちろん魔法で浮いたまま)、空高く跳躍した。
ドガガガガッ!
氷の柱が地面を穿ち、さっきまでシリウスがいた場所を氷塊の山へと変えた。
あんなもの食らったら即死だ。
「ちょ、二人とも本気で殺し合わないでください!」
私が叫ぶと、三人は空中にいる私を見上げた。
「安心しろリナ! すぐにその狂人から奪い返してやる!」
「動くなリナ! 流れ弾が当たっては大変だ!」
「暴れないでよリナ君。君の体重移動で照準がズレる」
誰も私の話を聞いていない。
彼らの視線は、私を通して「自分の欲望」しか見ていない。
レオナルド殿下は「所有欲」。
ギルバート様は「独占欲」。
シリウスは「知識欲」。
三つの巨大なエゴがぶつかり合い、その中心で私はただのボールのように扱われている。
ズドーン!
バギッ!
ドッカーン!
炎と氷と風魔法が乱れ飛ぶ。
美しい学園の裏庭が、更地へと変わっていく。
植え込みは燃え、噴水は凍り、地面はえぐれる。
これ、修繕費いくらかかるの?
私の実家の男爵家を売っても払えない額だぞ。
「やめて……もうやめて……!」
私は涙目で訴えた。
このままでは、私が「学園破壊の元凶」として退学処分になってしまう。
それだけは避けたい。
私の夢は、地味に卒業して、地味に年金をもらって暮らすことなのだ。
「お願いだから、喧嘩しないでぇぇぇぇ!!」
私の心の叫びが、戦場に響き渡った。
その瞬間だった。
私の体から、カッと白い光が溢れ出したような気がした。
いや、物理的に光ったわけではない。
例の【魅了:S+】が、私の悲痛な叫びを、とんでもない補正をかけて周囲に拡散させたのだ。
ピタリ。
三人の動きが止まった。
振り上げられた剣も、構えられた魔法も、その場で凍りついたように静止する。
「……今の声は」
レオナルド殿下が、呆然と私を見上げた。
「自分の身が危険に晒されているというのに……自分のことではなく、我々が傷つけ合うことを嘆いているのか?」
(えっ、違います。私の退学がかかってるんです)
ギルバート様が剣を下ろした。
その瞳が潤んでいる。
「なんと……。この破壊の嵐の中で、彼女だけが『平和』を祈っているというのか。争いを憎み、敵であるシリウスの身さえも案じる慈愛の叫び……」
(シリウスの心配なんて一ミリもしてません。あいつは一回氷漬けになればいい)
シリウスでさえも、興味深げに目を丸くしていた。
「へえ。僕の精神干渉魔法でもないのに、場の空気を一瞬で支配した? その声の周波数……脳の攻撃性中枢を鎮静化させる特殊な波長が出ているのか?」
三人の戦意が、急速に萎んでいく。
代わりに、別種の熱気が彼らの瞳に宿り始めた。
「わかった、リナ。お前がそこまで言うなら、剣を収めよう」
殿下が優しく微笑む。
「お前の悲しむ顔は見たくない。……そう、お前は笑顔が一番似合うからな」
「ああ、私も反省しよう。彼女の清らかな心に触れ、争うことの愚かさを知った」
ギルバート様が剣を鞘に納める。
「だが、シリウス。貴様だけは許さん。彼女を降ろせ」
「ちぇっ。せっかくいいデータが取れそうだったのに」
シリウスはしぶしぶ杖を振り、私をゆっくりと地上へ降ろした。
足が地面についた瞬間、私はへなへなと座り込んだ。
助かった。
生きてる。地面最高。重力万歳。
だが、安堵したのも束の間。
三人の男たちが、蜘蛛の子を散らすように私を取り囲んだ。
「リナ、怪我はないか? 泥だらけじゃないか」
「顔色が悪い。やはりショックを受けているのだ」
「脈拍が早いね。過呼吸気味かな?」
三者三様の顔が至近距離に迫る。
近い。圧が強い。
「あ、あの、大丈夫です。ただちょっと疲れただけで……」
「いかんな」
殿下が私の額に手を当てた。
「体が冷えている。あのクレーターの水に落ちたせいだ。このままでは風邪を引く」
「すぐに処置が必要だ。医務室へ運ぼう」
ギルバート様が立ち上がる。
「だが、あの無能な校医に任せられるか? 以前、私が突き指をした時に湿布しか出さなかった男だぞ」
「僕が診ようか? 人体実験……じゃなくて、生体スキャンなら得意だよ」
「却下だ」
二人が即答した。
「とりあえず、医務室のベッドを使おう。服も乾かさねばならんしな」
殿下が強引な結論を出した。
服を乾かす?
ここで? 誰が?
「私が脱がせよう」
「いや、私が温める」
「僕がドライヤーの魔法で一瞬で蒸発させてあげるよ(服ごと)」
危険な会話が交わされている。
私は全力で首を振った。
「結構です! 自然乾燥でいけます! 私、速乾性の肌着着てるんで!」
「遠慮するな」
殿下が私を軽々と抱き上げた。本日二回目のお姫様抱っこだ。
「お前は国の宝だ。指先一つ、冷えさせてなるものか」
「行くぞ。護衛は私が務める」
「僕は後ろから観察させてもらうよ」
こうして、私は最強にして最悪の布陣で、医務室へと連行されることになった。
すれ違う生徒たちが、口をあんぐりと開けて私たちを見送る。
また新しい噂が立つ。
『モブ子、イケメン三人を従えてハーレム行進』
もうお嫁に行けない。
◇
医務室には、予想通り誰もいなかった。
校医の先生はサボり癖があることで有名だ。普段なら困るが、今は彼がいないことがさらに状況を悪化させている。
「さあ、寝たまえ」
真っ白なベッドに寝かされる。
殿下が甲斐甲斐しく毛布をかけてくれるが、その目が笑っていない。
獲物を巣に持ち帰った猛獣の目だ。
「まずは濡れた服をどうにかしないとな」
シリウスが指をパチンと鳴らす。
すると、私の制服から水分だけがシュワッと蒸発した。
「わっ!?」
一瞬で服が乾いた。便利だが、肌がチリチリする。
「水分除去魔法だよ。ついでに皮膚表面の油脂も少し取れちゃったかもしれないけど、保湿クリーム塗る?」
シリウスが怪しげな緑色のクリームを取り出す。絶対に塗りたくない。
「余計なことをするな。……リナ、寒くはないか?」
ギルバート様が、なぜか医務室の鍵を閉めた。
カチャリ、という音が重く響く。
「な、なぜ鍵を?」
「外敵の侵入を防ぐためだ。ここは今から、完全なる隔離病棟となる」
「開けてください! 換気が必要です!」
「必要ない。お前の吐く二酸化炭素すら、この部屋から逃がしたくない」
発想が怖い。
殿下がベッドの縁に腰掛けた。
彼は私の頬にかかった髪を払い、耳元で囁いた。
「リナ。今日は災難だったな。だが、怪我の功名とも言う」
「は、はい……?」
「こうして、邪魔者のいない場所で、お前とゆっくり話せる」
殿下の手が、私のリボンに触れる。
「お前はいつも逃げてばかりだ。だが、今はベッドの上。……もう逃げられないぞ?」
甘い声。
だが内容は完全にホラーだ。
逃げられない状況を作り出してからの口説き文句など、脅迫以外の何物でもない。
「殿下、抜け駆けはずるいですよ」
シリウスが反対側から顔を出す。
「僕も彼女の生態には興味があるんだ。特に、その『逃走本能』と『愛され体質』の相関関係についてね」
「私はただ、彼女の安眠を守りたいだけだ。……一生、この腕の中で眠っていてくれればいいのだが」
ギルバート様が足元で重い発言をしている。
三方向からのプレッシャー。
医務室という閉鎖空間。
鍵のかかったドア。
詰んだ。
どうすればいい?
ここで「助けて」と叫んでも、防音結界でも張られたら終わりだ。
かといって、彼らの要求(愛)を受け入れれば、バッドエンド直行だ。
その時。
ガチャガチャガチャ!
閉ざされたドアノブが激しく回された。
そして、可愛らしい、しかし場違いなほど明るい声が聞こえてきた。
「あれー? 開かないよー? 先生ー、いますかー?」
この声は。
天使の声だ。
いや、このゲームの本来の主人公、アリスちゃんだ!
「誰だ、邪魔をするのは」
ギルバート様が不機嫌そうに眉をひそめる。
私はチャンスを逃さなかった。
ベッドの上でスプリングのように跳ね起き、ドアに向かって叫んだ。
「ここです! 中にいます! 開けてぇぇぇぇ!!」
「あ、リナちゃんの声だ! リナちゃーん、遊びに来たよー!」
ドォォォン!!
突然、ドアが吹き飛んだ。
アリスちゃんが蹴破った……わけではない。
彼女の背後にいた使い魔(クマのぬいぐるみ型ゴーレム)が、彼女の「開けゴマ」的なノリに合わせてドアを粉砕したのだ。
物理突破。さすがヒロイン、脳筋である。
粉塵舞う入り口に、ピンク髪の美少女が立っていた。
彼女はキョトンとした顔で、医務室の惨状を見渡した。
ベッドの上にいる私。
私に覆いかぶさろうとしていた殿下。
怪しいクリームを持ったシリウス。
鍵をかけていたギルバート様。
普通なら「キャー! 不潔!」と悲鳴を上げるところだ。
しかし、アリスちゃんは首をかしげ、ニコニコと笑った。
「わあ、みんなで『お医者さんごっこ』してるの? 混ぜて混ぜてー!」
「「「は?」」」
イケメン三人が凍りついた。
その隙だ。
私はベッドから転がり落ち、這うようにしてアリスちゃんの後ろへと移動した。
「アリスちゃん! 助かった! 私、重病なの! 伝染病なの! だから隔離が必要なの!」
「ええっ、大変! じゃあ、私が看病してあげる! リナちゃん、あっちの部屋に行こう!」
アリスちゃんは私の手を取ると、ものすごい力で引っ張り上げた。
天然の馬鹿力だ。
「待て、アリス!」
「連れて行くな!」
殿下たちが手を伸ばすが、アリスちゃんは「えいっ」と使い魔をけしかけた。
クマのゴーレムが、イケメンたちの前に立ちはだかる。
「ごめんねー、リナちゃんは女の子同士の話があるの! 男子禁制だよ!」
アリスちゃんは私を引きずりながら、廊下へと走り出した。
速い。
さすが主人公補正。逃げ足も速い。
私は遠ざかる医務室と、呆然と立ち尽くす三人の攻略対象を見ながら、心の中でガッツポーズをした。
勝った。
今回は勝った。
ヒロインという名の嵐を利用して、イケメン台風から脱出したのだ。
しかし、隣を走るアリスちゃんが、無邪気な笑顔で爆弾発言をした。
「ねえねえリナちゃん、さっきの三人、すっごくリナちゃんのこと好きそうだったね! 私、応援しちゃう!」
「……え?」
「今度の学園祭、みんなで一緒に回ろうよ! 私がセッティングしてあげる! きっと楽しいよー!」
(やめろぉぉぉぉ!!)
私の顔から血の気が引いた。
ヒロインの「お節介(応援)」イベント。
それは、モブにとって「死の行軍」への招待状だった。
助かったと思ったのは勘違いだった。
私は、より巨大なカオス(主人公補正)の渦へと、自ら飛び込んでしまったのだ。
廊下を走る私の悲鳴は、アリスちゃんの楽しげな鼻歌にかき消されていった。




