第19話 世界を救うのは「勇者」ではなく「お母さんの味噌汁」だった
目が覚めると、私は空の上にいた。
「……あれ?」
豪華な天蓋付きのベッド。
窓の外を流れる雲。
そして、眼下に広がる、見慣れた王都の町並み。
「うわぁぁぁぁぁ! 本当に飛んでるぅぅぅ!」
私は飛び起きて窓枠にしがみついた。
魔王城は、重力など知ったことかと言わんばかりのスピードで、王都の上空へ侵入しつつあった。
巨大な影が都を覆い、人々が蟻のように逃げ惑っている……いや、待てよ?
目を凝らすと、逃げ惑っているのではない。
王城のバルコニーで、国王陛下が手を振っているのが見えた。
「おお! 見よ! リナが『空飛ぶ城』に乗って帰還したぞ!」
陛下が拡声魔法で叫んでいる。
「なんと派手な凱旋だ! 魔王城を略奪してマイホームにするとは、さすが我が国の国宝! スケールが違う!」
(違います! 拉致です! 誘拐です!)
地上の市民たちも、「リナ様バンザイ!」「新しい観光名所だ!」と手を叩いて喜んでいる。
この国の危機管理能力はどうなっているんだ。
ドォォォォン!!
城内で爆発音が響いた。
まだやっているのか。
私は寝間着(魔王が用意した最高級シルクのネグリジェ)のまま、部屋を飛び出した。
◇
玉座の間は、もはや原形を留めていなかった。
屋根はなくなり、青空(王都の空)が丸見えだ。
瓦礫の山の上で、男たちが肩で息をしていた。
「ハァ……ハァ……しぶといな、魔王」
レオナルド殿下が、折れた聖剣を杖にして立っている。
「貴様らこそ……人間にしてはやる」
魔王ルシファーも、片方の翼がボロボロになりながらも、不敵に笑っている。
「まだだ……まだ弾はある!」
ジークフリート皇太子が、空になったガトリング砲を投げ捨て、素手で構える。
「リナの……リナの笑顔を守るまでは……!」
ギルバート様が、血まみれの顔で氷の壁を作る。
全員、限界だ。
魔力も体力も尽きかけている。
それでも彼らを突き動かしているのは、異常なまでの「執着心」のみ。
「いい加減に……」
私は瓦礫を踏み越え、彼らの中心へと歩み出た。
「いい加減にしてください!!」
私の怒鳴り声が、戦場に響き渡った。
男たちが一斉にこちらを見る。
「リナ!」
「無事だったか!」
「無事じゃありません! 見てください、下を!」
私は床に空いた大穴を指差した。
そこには、私の実家である「バレット男爵邸」の屋根が見えていた。
魔王城は、ピンポイントで私の実家の上空10メートルでホバリングしていたのだ。
「あそこには、私のお父さんとお母さんがいるんです! 庭にはお母さんが手塩にかけて育てたトマトがあるんです! あなたたちが瓦礫を落とすたびに、トマトが潰れているんですよ!?」
「ト、トマト……?」
殿下が呆気にとられる。
「世界の覇権よりも、トマトの方が大事だと言うのか?」
魔王が眉をひそめる。
「大事です! 私の平和な老後の象徴なんです! それを……それを……」
私は涙を流した。
演技ではない。
連日のストレスと疲労、そして愛する平穏が壊されていく悲しみが、決壊したのだ。
「もう嫌ぁぁぁぁ! 喧嘩するなら他所でやってよぉぉぉ! 私を巻き込まないでよぉぉぉ!」
私はその場に座り込み、子供のように泣きじゃくった。
その瞬間。
世界が静止した。
【システム通知】
対象:リナ・バレット
状態:号泣
特殊効果発動:『世界干渉』
男たちの脳内に、強烈な電流が走った。
「泣かせ……た?」
殿下が青ざめた。
「我々が……リナを?」
ギルバート様が剣を取り落とした。
「俺の女神が……涙を……」
ジークフリートが膝をついた。
「温もりを与えてくれた女を、我が手で絶望させたというのか……」
魔王が翼を閉じた。
彼らの闘争心が、急速に萎んでいく。
代わりに湧き上がってきたのは、強烈な「罪悪感」と「庇護欲」だった。
「すまない、リナ!」
「私が悪かった!」
「泣き止んでくれ!」
四人の最強の男たちが、私を取り囲んでオロオロし始めた。
世界を滅ぼせる力を持つ彼らが、一人の少女の涙の前では無力だった。
「……降りる」
私が鼻をすすりながら呟くと、魔王が即座に反応した。
「わかった。今すぐ降ろそう。……おい、着陸だ! トマト一粒たりとも傷つけるなよ! ソフトランディングだ!」
魔王城が、ふわりと降下を始めた。
王立学園の広大なグラウンド(昨日メカ・リナちゃんで更地になった場所)へ、羽根が舞い降りるように静かに着地する。
ズゥゥゥゥン……。
着陸成功。
私は裸足のまま、城を飛び出した。
◇
一時間後。
バレット男爵家の、こじんまりとしたダイニングルーム。
そこには、異様な光景が広がっていた。
「さあさあ、何もありませんが、お茶でもどうぞ」
私の母(ほわほわした天然おばさん)が、盆にお茶と煎餅を載せて配っている。
父(人の良さそうな小太りのおじさん)が、新聞を読みながらニコニコしている。
そして、狭いテーブルを囲んで座っているのは。
第一王子レオナルド。
騎士団長ギルバート。
帝国皇太子ジークフリート。
魔王ルシファー。
天才魔術師シリウス(窓から覗いている)。
この世の権力と武力のトップ5が、ちゃぶ台を囲んで正座していた。
シュールすぎる。
「あらあら、リナちゃんがお城を持って帰ってくるなんて驚いたわあ。お土産かしら?」
母がのんきに言う。
「お父さん、庭の日当たりが悪くなるから、あとで移動してもらわないとなあ」
父も危機感ゼロだ。
さすが私の両親。
モブとしての適応能力が高すぎる。
彼らにとっては、魔王も王子も「娘の友達」というカテゴリで処理されているようだ。
「……うまい」
魔王が、母の出した味噌汁(朝食の残り)を一口飲んで呟いた。
「これが味噌汁か……。五臓六腑に染み渡る。この味、魔界のシェフにも再現させねば」
「煎餅も悪くないな。……歯ごたえが軍用糧食に似ている」
ジークフリートがバリボリと齧っている。
「この茶器……安物だが、リナが使っていると思うと、聖杯に見えてくる」
殿下が湯呑みを愛でている。
彼らは戦いを終え、奇妙な落ち着きを取り戻していた。
いや、私の「実家」という圧倒的な「日常空間」の空気に飲まれているのだ。
「さて」
私はエプロン姿(母のを借りた)で、仁王立ちになった。
「皆さん。これからの話をします」
男たちが背筋を伸ばす。
「私は、この家で暮らします。王宮にも、帝国にも、魔界にも行きません。ここで野菜を育てて、平和に暮らします。これは決定事項です」
「だが、リナ……」
殿下が反論しようとする。
「口答えは禁止です! また泣きますよ!」
「うっ……」
殿下が口を閉ざす。私の涙は最強の武器だ。
「でも、あなたたちは私を諦めないでしょう。ストーカー気質だし、粘着質だし、人の話聞かないし」
「否定はしない」
ギルバート様が真顔で頷く。
「そこで、提案があります。……『協定』を結びましょう」
マリアンヌ様が、一枚の羊皮紙を持って現れた。
彼女はちゃっかり父の書斎で契約書を作成していたのだ。
「名付けて『リナ共有・平和維持条約』よ」
内容はこうだ。
1.リナの居住権は「バレット男爵家」にあるものとする。
2.各攻略対象は、定められた「曜日」のみ、リナへの面会・デート権を有する。
3.面会時間外の干渉、抜け駆け、拉致監禁は厳禁とする。違反者は「リナの涙」および「全員からの総攻撃」を受ける。
4.日曜日はリナの「完全休日」とし、誰の接触も受け付けない(こたつで寝る権利)。
「……なるほど。ローテーション制か」
ジークフリートが腕を組む。
「月曜は俺だ。王族の公務の都合上、週の初めが良い」
殿下が早速主張する。
「火曜は私だ。騎士団の定休日に合わせる」
ギルバート様。
「水曜は僕だね。実験データの集計日だから」
シリウス。
「木曜は俺だ。帝国から飛竜で通うには時間がかかる」
ジークフリート。
「金曜は我だ。魔王城(現在は校庭に駐機中)からの送迎付きだ」
魔王。
土曜日は、アリスちゃんとマリアンヌ様による「女子会(プロデュース会議)」枠となった。
「……異論は、ないですね?」
私が睨むと、男たちは顔を見合わせた。
正直、彼らにとっては不満だろう。
独占したいはずだ。
だが、彼らは学んだのだ。
争えば、私が壊れる(泣く)。
そして、一人が独占しようとすれば、世界大戦が起きる。
ならば、秩序を持って共有し、その限られた時間の中で最大限のアピールをして「選ばれる」のを待つしかない、と。
「……よかろう」
魔王が重々しく頷いた。
「週に一度、この味噌汁が飲めるなら悪くない」
「俺も同意する。……一生会えないよりはマシだ」
殿下がサインする。
次々と署名されていく契約書。
その光景を見ながら、私は深い、深いため息をついた。
解決……したのか?
これ、要するに「日替わりで最強の男たちが家に押しかけてくる」ってことじゃない?
全然「モブ」じゃない。
むしろ「逆ハーレムの中心地」として固定されてしまった。
「まあ、いっか……」
窓の外を見る。
魔王城が校庭に鎮座し、その周りでアリスちゃんがケルベロスと遊んでいる。
空には帝国の戦艦が浮かび、近衛騎士団が警備に当たっている。
日常は壊れた。
でも、少なくとも「監禁エンド」や「死亡エンド」は回避できた。
それだけで、今は良しとしよう。
「お母さーん! 味噌汁のお代わり!」
ジークフリートが叫ぶ。
「こら! 勝手にお代わりしない! 自分の国に帰ってから食べて!」
私はお玉を持って彼を叩いた。
男たちが「おお……」「家庭的だ……」と目を輝かせる。
こうして、私の世界を巻き込んだ逃走劇は、ちゃぶ台の上での平和条約締結によって、一応の決着を見たのだった。




